※ それにともなってタイトルを「〜 危機」から「〜 戦争」に改める。タイトル番号もリセットします。
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新シリーズの開始
ウクライナ戦争について、新たなシリーズを始める。
これまでは(戦争前だったので)戦争の回避を目的としてきた。一方、今後は(戦争中なので)戦争の終結を目的とする。
つまり、話の目的が変わるわけだ。狙う方向がまったく変わるので、留意してほしい。
* * *
さて。目的は戦争の終結だとしたら、その目的は、どのようなものか? もちろん、屈服ないし敗北はありえない。とすると、講和または勝利が目的となる。
ここで、講和と勝利とは、めざすものが大幅に異なる。
講和ならば、妥協によって、早期に終結させることが可能だ。ただし、自分の主張をある程度、取り下げる必要がある。
勝利ならば、自分の主張を取り下げないで済む。そのかわり戦争が長く続くので、双方に多大な被害が発生する。
前者は、国のメンツを捨てて、人々の命を尊重する立場だ。
後者は、国のメンツのために、人々の命を犠牲にする立場だ。
そのどちらを選ぶかは、そのときどきの指導者が決めることだ。
ただし私としては、前者の方をお勧めしたい。つまり人命重視という立場だ。
一般的には、人々は、「正義」や「民主主義」を重視する。だが、そのせいで、今回は戦争が起こってしまったのだ。本来ならばたいして問題になりそうもない「ウクライナの NATO加盟」という小さな問題で、やたらと「正義」や「民主主義」を重視した。そのせいで、意地と意地の突っ張りあいで、戦争という惨事が起こってしまった。
→ 前項の比喩を参照。西側車とロシア車の衝突、という話。
やたらと正義を唱えると、こういうふうに意地の突っ張りあいが起こったあげく、戦争という大惨事が起こる。だから、「正義」というような抽象的な理念のために意地を張るべきではないのだ。
それよりはむしろ、現実の損得(数値化できるような損得)に着目するべきなのだ。そうすれば、「わずかな利得を取りたい」という目的のために、「戦争による大損を招くリスク」を選ぼうとは思うまい。
人々が「正義」というような抽象的な理念にこだわりすぎると、現実を見失いがちになるものだ。
※ 昨日に書きすぎて、本日は疲れが取れないので、これで中断します。
続きは次項で。
to be continued.

→ https://x.gd/VxGmE
戦争ではなく、ほぼ寿命による死別だが、愛する人を失うことがいかに悲しくて苦しいことであるかがわかる。
ただ、私から言えば、これほどにも愛する人がいたということは、とても幸せな人生だ。「夫なんか、さっさと死んでほしい」と思う女性の人生は、悲惨なものだ。愛のない砂漠のような人生。
涙が生まれるのは、そこに潤いが満ちていたからだ。
→ ロシア軍、浮橋造り車両投入 衛星写真で見るキエフ侵攻: 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00001060W2A220C2000000/
→ 「ロシア軍 キエフに向けさらに南下」米の企業が衛星画像公開 | ウクライナ情勢 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220301/k10013506921000.html
→ 前日から前進してないと分析
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN01FI90R00C22A3000000/
こんな悲しい思いするなら愛さなければよかった
社会情勢はインターネットで十分ですが、フェイクニュースが多いので、真実を知るためにOpenブログ頼りにしてます!
真のジャーナリストは管理人さんだと思ってますよ(@^^)/~~~
和平(講和?)のあと大量の難民が出ると思われます。60−70年代にハンガリーやチェコから米国に大量の難民が来ましたが、今回もそうなりそうです。
→ https://x.gd/T4T8T (やり投げ = javelin )
これらが有効に機能すると、ロシアの戦車・装甲車の大部分が壊滅的な打撃を受けるので、進軍は容易ではなくなる。兵士が捕虜になる危険も生じる。徒歩で帰還するハメになるかも。かといって前進すれば、食糧不足になり、街中に入るハメになって、防具なしに銃殺されるかも。