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戦争の原因と評価
前項と前々項では、戦争の原因を考えてきた。これらは客観的な考察だった。それを踏まえた上で、私が主観的に評価を与えよう。
(1) 選択は不可避
前々項では、「タカ・ハト・ゲーム」の原理を示した上で、「ロシアが戦争を選択することは不可避だ」というふうに示した。本来ならば双方が譲歩して妥協するべきだったのだが、西側がまったく譲歩しなかったので、ロシアとしてはタカ路線を取るしかなかった。かくてロシアとしては戦争を選ぶしかなかった、と示した。
このことを主観的に評価すれば、「西側が愚かだった」と言える。本来ならば「 ウクライナの NATO加盟を認めない」と言えば良かったのだ。たったそれだけのことで、戦争は回避できた。今回のように莫大な損失を双方がこうむるほどの結果を選ぶくらいならば、「 ウクライナの NATO加盟を認めない」と言うだけの方がずっとマシだった。そうしなかった西側があまりにも愚かすぎた、と評価できる。
(2) 実行は根拠不十分
ただし、選択と実行とは異なる。ロシアが戦争を選択したのはやむを得ないとしても、ロシアはその選択を実行しないこともできたはずだ。
パソコンふうに言えば、クリックで項目を選択することはできても、ダブルクリックで項目を実行するには至らないということもできたはずだ。なのにロシアはダブルクリックふうに実行を選んだ。(宣戦布告はなかったが、戦争を引き起こした。それはまさしくロシアが決めたことだ。)
では、その根拠は? その件については、前項でいろいろと考察した。だが、そこで得られた話は、そこそこの根拠にはなるが、強い根拠とはならなかった。「絶対に戦争が避けられない」というほどの、必然性のある根拠にはならなかった。要するに、ロシアが戦争を始めた根拠は、不十分だったのである。
(3) 実行は不適
ロシアが戦争を始めた根拠は、不十分だった。ここまでは客観的な評価である。
このあとで、私の主観的な評価を言えば、こう言える。
「ロシアは戦争を選択するにしても、選択した内容を見せるだけでよく、選択した内容を実行するべきではなかった」
これは、実行を「保留」または「延期」する、ということだ。
換言すれば、ロシアは手札を示した上で、まだまだポーカーを続ければよかったのだ。その上で、ブラフを見せつけながら、まだまだ交渉を続ければ良かったのだ。交渉を打ち切る(ポーカーをやめる)というふうにはするべきではなかった。
あるいは、「伝家の宝刀を抜くべきではなかった」とも言える。伝家の宝刀は、「抜くぞ、抜くぞ」と見せかけて、抜かないでいるときに、価値がある。戦争もそうだ。「戦争をするぞ、戦争をするぞ」と見せかけて、戦争をしないでいるときに、価値がある。実際に戦争を始めて見たら、伝家の宝刀を抜くことになる。だが、伝家の宝刀は、たいていは錆びついていて、切れはしないのだ。「ものすごく切れるぞ」という評判はあるが、評判は評判であるに過ぎず、実態はただの錆びた古刀なのである。そんなものを抜いてはならないのだ。
この意味で、交渉によるブラフを打ち切って、実際に戦争を始めたことは、大きな失敗だったと言える。西側が「タカ」路線を取ったあげく、ロシアに「戦争」を選択させたことは、西側の失敗だったが、その西側の挑発に乗って、「戦争」を選択しただけでなく、まさしく「戦争」を実行するまでに至ったのは、超特大の大失敗だったと言えるだろう。
※ 昔の日本は、米国の石油禁輸を受けて、戦争をするしかないところまで追い詰められていた。戦争をしないでいるという選択肢は、もともと用意されていなかった。仮に戦争をしないでいれば、戦争をすると決めるまで、次々と条件を吊り上げられるだけだった。
→ 日米開戦の真相: Open ブログ
→ 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ
※ 一方、今回の戦争では、戦争をしないでいるという選択肢は、十分にありえた。何もしないでいることはできたのだ。とすれば、「戦争をする」と決めたことは、大きな失敗だったと言える。
(4) 比喩
ここまでの話を、比喩で説明しよう。(抽象概念として考えるのでなく、心情的に感じ取るために。)
1車線の太い道路がある。二つの方向から自動車がすれ違うとしたら、減速してギリギリですれ違えるような道路だ。そこに、二つの方向から車が来た。ロシア車と西側車だ。双方はどんどん近づいているが、どちらも譲ろうとしない。どちらも「おれが正しいんだから、おまえが譲れ」と思い込んで、どんどん近づいて、チキンレースをしている。このままでは、正面衝突しそうだ。特に、ロシア車の方は「どんなことがあっても絶対に譲らないぞ。譲るくらいなら死んだ方がマシだ」と叫んでいる。
ここで、西側車にまともな頭があれば、西側車が譲歩して、道の脇に逸れるはずだ。チキンレースでは負けることになるが、仕方がない。正面衝突して、大惨事になるよりは、譲る方がマシである。体面を失うことになるが、そのくらいのことは甘受するべきだ。「だから西側車は譲れ」と Openブログ が言っていた。
ところが西側車にはまともな頭がなかった。「おれたちは正しい。絶対に譲らない」と言い張った。「このままでは衝突しそうだが、衝突する前には、おたがいに減速すれば、正面衝突は起こらない。ひとまずは、たがいに減速することで、正面衝突を避ければいい」と思い込んだ。「まさかロシア車は、減速しないで正面衝突するほどの馬鹿ではあるまい。とすれば、ここはひとまず、おれたちの正しさを主張するべきだ。どうせ大惨事にはならないのだから、何よりも正義を唱えることが大切だ。ああ、うるわしき理想主義!」というふうに思い込んだ。そこで、「西側車は譲れ」という Openブログの声を無視した。
すると Openブログは警告した。「西側車がそんなに馬鹿だと、正面衝突は不可避だ。下手をすると、ものすごい大惨事になって、被害は周辺を巻き込むことになるかもしれない。正義を主張するよりも、大惨事を避けることの方が大切だと、なぜわからないんだ。西側車は馬鹿すぎる! さっさと道の脇に逸れろ!」
そのあと、ロシア車と西側車は、どちらも道を譲らないまま、どんどん接近していった。そして、もう少しで衝突となる寸前に、新状態が発生した。
西側車は、ここで双方が衝突を避けると思って、減速した。これによって、どちらも道を譲らないまま、膠着状態になるはずだ、と思っていた。
ロシア車は、そうではなかった。西側車が道を譲るはずもないし、減速するはずもないと思い込んだ。そこで、いざ衝突したときの被害を最小化するために、アクセルを踏んで、ものすごく加速した。
その結果は? 減速して停止した西側車に、ロシア車が猛スピードで突っ込んだのである。かくて、大惨事が発生した。
Openブログは慨嘆した。「西側車も馬鹿だが、ロシア車も輪をかけて大馬鹿だな。馬鹿と大馬鹿の意地の突っ張りあいで、大惨事が起こった。やっていられんわ」
そのそばで、西側車の仲間たちが、さんざん喚いていた。「事故で壊れた二つの車に、どんどんガソリンをぶちまけて、炎上させよう。特に、ロシア車には、ガソリンをいっぱいぶちまけて、懲らしめてやれ。そうすれば問題は解決するはずだ」
いやいや、それは問題を解決するどころか、状況をいっそう悪化させるだけだろ……と Openブログは思ったが、もはや口に出せる雰囲気ではなかった。周囲の人々はこぞって、「悪のロシア車を炎上させろ!」と叫ぶばかりだった。
そこには、平和主義の人(平和を愛する人)などは、一人もいなかった。ただ炎上を好む人がいるばかりだった。それというのも、彼らは「正義」を信じていたからである。「正義」のためであれば、人をどれほど殺すことになっても、それは正義なのだ。たとえ味方がどんどん死んでも、正義のためであれば構わないのだ。
「人は正義を唱えるときに、最も悪魔的になるんだな。正義こそが、最も悪なんだな」と Openブログはつぶやいていた。
(5) 第三次世界大戦
西側の人々の愚かさを指摘する主張には、「そんなことはないぞ! おれたちは愚かではないぞ!」という反発がありそうだ。
だが、私は前にこう書いた。
米国は、そのことに気付かない。自分たちは民主的で平和的な手段を取っていると思い込んでいる。ここまで米国が阿呆だと、武力衝突は不可避だし、場合によっては第三次世界大戦が起こりかねない。
( → ウクライナ危機には? 1: Open ブログ )
こういう指摘に対しても、西側社会の人は反発しそうだ。
「へっ。第三次世界大戦だと? 話をおおげさにするのも、いい加減にしろ。いくらプーチンが馬鹿でも、第三次世界大戦なんかが起こるわけがないだろう。核で人類が滅びるなんてことが、あるわけがないだろう」
と。
だが、本日、次の報道が出た。
ロシア国防省は28日、ショイグ国防相がプーチン大統領に対し、ロシア軍の戦略核兵器部隊が戦闘態勢に入ったことを報告したと発表した。
( → 戦略核部隊が戦闘態勢入りとロシア国防省 | 共同通信 )
こうして、核ミサイルによる第三次世界大戦は、まさしく現実のものとなりつつあるのである。
それにもかかわらず、正面衝突の危険を回避しようとしないのが、西側の人々だ。その危機感の薄さには、呆れるほどだ。
特に呆れるのは、これを「プーチンの狂気」と判断していることだ。違う。これは最初からプーチンが批判していたことだ。ウクライナの NATO加盟は、ロシアに対する核ミサイルの配備の懸念がある、と批判していた。そのときからずっと、この問題はあったのだ。プーチンが核を口にするのは、目には目を、歯には歯を、核ミサイルには核ミサイルを、ということだ。
それにもかかわらず、「ウクライナの NATO加盟」という危険な核爆弾を、オモチャのように簡単に扱っていたから、ロシアもまた同じく危険な核爆弾を、オモチャのように扱いはじめたのだ。
だからこそ私は1月前の2月1日に、こう警告したのだ。
ここまで米国が阿呆だと、武力衝突は不可避だし、場合によっては第三次世界大戦が起こりかねない。
「ひょうたんから駒」という言葉もある。偶然と偶然の戯れから、人類が滅びることは十分にありうる。そしてそれは、人々が自分の愚かさに気づかないからなのだ。
人々は記事を見て、「プーチンは狂っている」と言う。だが、狂っているのは、プーチンだけではない。西側社会の人たち全体も同様だ。戦争を選んでいるのは、西側の諸国なのだ。「ウクライナの NATO加盟を認めない」と言えば、戦争は一瞬で終わるのに、そうしないのだから。小さなメンツにこだわるせいで、あえて戦争や核戦争を招こうとしているのだから。
ロシアの論理的難点
ここまでは、西側社会の方を大きく批判してきた。というのは、西側社会は大人だと思っていたからだ。大人ならば大人なりに、余計に大きな責任を負う。それは、長男や長女が大きな責任を負うのと同様だ。
竈門炭治郎も言っている。「長男だから我慢ができた」と。
その点、末っ子みたいなロシアがいくらか甘く評価されても、ある程度は仕方がないのだ。もともと頭が未熟なんだから。
とはいえ、そういう倫理的な心構えは別としても、論理的な面で、ロシアには明白な難点がある。次の (1)(2)(3) だ。
(1) 歴史
ロシアはウクライナに対する歴史的な一体性を主張して、ウクライナを吸収しようとする自国の方針を正当化する。そのことは、プーチンの演説に色濃く表れていた。
→ ロシア大統領による演説(機械翻訳): Open ブログ
→ 前項の解説(プーチン演説): Open ブログ
また、プーチンとは別に、ロシアの事情を本サイトなりに解説したこともある。
→ ウクライナ危機には? 1: Open ブログ
なるほど、それを読めば、ロシアの気持ちはわかる。ロシアがどう感じているかはわかる。だが、それと同時に、次の評価も出る。
「おまえがそう思うんならそうなんだろう おまえん中ではな」
ロシアがそう思うのは勝手だが、それはあくまでロシアの言い分であるにすぎない。そのことは、とうてい、他の国々を納得させることはできない。
歴史的に言えば、ウクライナとロシアはもともと同じ仲間であり、ともにキエフ公国だった。そこから東に分離して、いっそう大きく発展したのが、ロシアだった。いわば、京都か東に分離して、東京ができて、東京の方が京都よりも発展した、というようなものだ。
そもそも、名前からして、ロシアというのは「キエフ・ルーシ」(キエフ公国)の「ルーシ」をロシア語読みにしただけである。(ルーシとロシアは同じ。)つまり、どちらも同根なのだ。「東京」が「東の京」であるようなものだ。
つまり、ウクライナとロシアは、ともにキエフ公国の継承者であり、いわば兄弟のようなものだと言える。しかも、ウクライナが兄であり、ロシアは弟だ。(出世して豊かになった弟だ。)
ここで、弟である方のロシアが「両者は一体である」というのは勝手だが、「ウクライナがロシアに属するべきだ」というのは、強弁が過ぎる。むしろ逆に、「ロシアがウクライナに属するべきだ」と言える。それが歴史というものだ。
なお、歴史については、次の二つが参考になる。
→ ウクライナはロシアをどう思っているの?という疑問にシンプルで誠実で明確なアンサー
→ 2022年ウクライナ情勢をより深く理解するための歴史文化背景雑学
前者では、ウクライナ人がロシア人に対する民族的な親近感を述べている。
後者でも、同様に趣旨の話が後半にある。(帝政ロシアに対する親近感。)
また、ロシア人の多くも、「ウクライナ人に対する特別な親近感・兄弟感」を覚える人が多い、という報道もある。
いずれにせよ、プーチンのような歴史観は、実際の歴史を歪めた独善的な歴史観であるにすぎない。それは独裁者の歪んだ目に見える歴史であるにすぎない。
(2) ブダペスト覚書
プーチンの演説では意図的に排除されているが、ブダペスト覚書というものがある。(1994年)
ここでは、ウクライナが核兵器を放棄することと引き替えに、ウクライナの独立と安全保障を認める……ということが調印された。調印したのは、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの核保有3カ国である。保護の対象は、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンだ。
1.ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する。
2.ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナに対する脅威や武力行使を控える。
( → ブダペスト覚書 - Wikipedia )
というようなことが規定された。
とすれば、この調印文書に従って、ロシアはウクライナの独立を認める必要があるし、ウクライナに対する武力行使(戦争)をしてはならないのだ。
それに違反するロシアは、明らかに条約破りであり、正当性がない。
なるほど、ウクライナとロシアの一体性は、ある程度は認めてもいい。また、ウクライナは長らく独立国であったのではなく、1994年に初めて独立を認められただけであり、普通の独立国とはちょっと違う。そういう事情はある。だから、ソ連時代にロシアがウクライナを従属させていたという歴史を忘れられない、というプーチンの気持ちも、わからないではない。
だが、たとえそうだとしても、すでにブダペスト覚書を取り交わしたのだ。そのとき、独立を認めるのと引き替えに、ウクライナにある核兵器をロシアに運び込んでしまったのだ。
ロシアが本当にその主張を貫徹したいのであれば、ブダペスト覚書の廃棄を唱えるべきであり、それと同時に、奪い取った核兵器をウクライナに返還するべきなのだ。なのに、そうしないで、
「独立は認めない。ただし核兵器は返還しない」
というのは、取引の詐欺も同然だろう。「おたがいの品を交換します」と言っておきながら、実際には、自分のものを引き渡さずに、相手のものを奪うだけ。……これでは、ただの強奪だ。泥棒と同じだ。
この意味で、論理的には、プーチンの言い分はまったく通らないのである。
( ※ ソ連時代への郷愁という気持ちはわかるけどね。人は、老いて衰えると、若かったころの栄光を、懐かしむものなのだ。老いの症状。)
(3) NATO加盟の緊急性
プーチンはウクライナの NATO加盟を「国家存亡の危機だ」と感じた。
だが、現実には、それほどの差し迫った危機は存在していない。キューバ危機のときには、実際に核ミサイルが配備されていたが、今回は違う。
・ ウクライナの NATO加盟は、まだ話題にもなっていない。
・ たとえ NATO加盟があったとしても、核ミサイルの配備は別の問題だ。
この二点ゆえに、ロシアとしては差し迫った危機などは生じていなかった。緊急性などはなかった。戦争を始める必然性などはなかった。戦争を「選択」することはあっても、「実行」するべきではなかった。(冒頭で述べたとおり。)
ここで話を混同して、過剰に心配症になっているのは、プーチンの頭がおかしいからだ、とも言えそうだ。
とはいえ、「些細な譲歩もしないで、その結果、核戦争の危険を招く」という西側諸国の愚かさと比べると、どっちもどっちだ、という気がしなくもない。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない……という言葉の通りだとわかる。(ここでは、愚かさのレベルが同程度であることになる。)
【 関連項目 】
※ 関連する項目を、日付順に並べる。
→ ウクライナ危機には? 1
→ ユーゴスラビア紛争の教訓
→ キューバ危機と第三次世界大戦
→ ウクライナ危機には? 2
→ (補足)ポーカーの初歩
→ 正しい戦争はあるか?
→ ウクライナ危機には? 3
→ ロシアの歴史認識の解説
→ ウクライナ危機には? 4(戦争の原因)
→ ウクライナ危機には? 5(続き)

愚かというより、支離滅裂ですよ。
ブタペスト覚書はBBCやCNNでも報道されていませんね。私も知りませんでした。でもその覚書にNATOには加盟しないとの約束がないのなら、独立国家としての主権の範囲だとも言えますね。
ウクライナで押し返せないと次はグルジアだとロシアが危機感をもつ気持ちはよくわかりますが。
それは、NATO加盟申請書でなく、EU加盟申請書です。お間違えなく。
そもそも紛争中の国家は、NATOに加盟できません。