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普通、ドーピングをするのは、スポーツで勝つことが目的である。ところが、この選手の場合には、勝つためにはドーピングは必要なかった。もともと圧倒的に強かったからだ。男子スケートの羽生ならば、ライバルがいっぱいいたが、ワリエワにはライバルはいなかった。それほどにも圧倒的に強かった。
まだシニアデビュー1年目ながら、あまりの実力の高さから「彼女に勝つことを誰もがあきらめる」という意味合いで、「絶望」という異名がある。
高難度の4回転ジャンプを軽々と跳び、長い手足を生かした表現力も高い。……五輪でも圧倒的な優勝候補と見られていた。
今大会の団体戦では、女子フリーで1度転倒しながらも、2位の坂本花織に30点以上の差をつけ、レベルの違いを見せつけた。
( → ワリエワが「絶望」と呼ばれた理由 数々の名選手育てたコーチに師事 - 2022北京オリンピック:朝日新聞 )
ドーピングをしようがしまいが、もともと圧倒的に強いのだから、ドーピングをする必要がない。なのになぜ、わざわざドーピングをしたのか? これは謎だ。
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さらに、別の謎がある。今回のトリメタジジンという薬物は、競技能力を向上させる効果はないのだ。
通常のドーピングは、筋肉増強効果がある。フローレンス・ジョイナー、マーク・マグワイア、バリー・ボンズ、ロジャー・クレメンスといった選手は、筋肉増強効果のある薬物を摂取した。アナボリック・ステロイドが代表的だが、成長ホルモンが使われることもある。
では、スケート選手もそうか? ノーである。フィギュア・スケート選手の場合は、筋肉が増強されると、体重が重くなるので、かえって不利になる。実際、(スピード・スケートは別として)フィギュア・スケート選手はたいていが痩せている。筋肉隆々の選手はいない。他のスポーツ分野の選手と比べても、フィギュア・スケート選手は痩せた体格であるとわかるだろう。
こういうことからして、フィギュア・スケート選手は、筋肉増強効果のためにドーピングをすることはありえないのだ。では何のために、ドーピングをしたのか? これは謎だ。
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結局、以上の二つの謎がある。
・ もともと圧倒的に強くて、ドーピングを必要としない。
・ ドーピングで筋肉増強をしても、競技能力の向上の効果はない。
こういう状況があるのに、どうして彼女はドーピングをしたのか? わけがわからない。困った。
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そこで、困ったときの Openブログ。うまい解釈を出そう。こうだ。
「筋肉増強のように、競技能力を直接的に向上させることを目的としたのではない。競技能力を直接的に向上させるのは、練習だが、その練習の量を増やすことを目的とした」
このことには、裏付けがある。朝日の記事には、こうある。
カミラ・ワリエワが、昨年12月の国内大会で陽性反応が出たとされているトリメタジジンはどのような薬物なのか。
本来は狭心症や心筋梗塞(こうそく)などの治療に使われる。血管を広げ、心筋のエネルギー代謝を改善する作用がある。アスリートが使用すると、血流が増加し、持久力が上がり、運動後の回復も早くなる可能性がある。
( → ワリエワが陽性反応「トリメタジジン」とは 血流促進、日本でも販売 - 2022北京オリンピック:朝日新聞 )
主な効果は、血管の拡張や循環器系の改善であるようだ。その効果によって、競技能力が向上するわけではない。だが、競技能力を向上させるための「練習」の量を増やすことができる。
血流量が増えて、代謝が増えると、疲労回復効果が高まる。すると、練習後の疲労回復は早くなるし、可能な練習量も増える。……こういうふうにして、競技能力の向上の効果を、間接的に得られるわけだ。
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なお、「練習を増やせること」が目的なのだから、試合の直前には薬物の摂取は必要ない。試合の前には何カ月も、薬物摂取をやめていいはずだ。そのことで、試合においては、ドーピングの検査をパスすることができるはずだ。(何カ月も薬物摂取をやめていれば、薬物は体内から排出されるからだ。)
だが、今回は、そううまくは行かなかった。試合は2月だが、ワリエワのドーピング検査は 12月だった(抜き打ちだった)からだ。
たとえば、「2月に試合があるから、3カ月前の 11月から薬物摂取をやめればいい。そうすれば、3カ月後の2月には、薬物は検出されないので、パスできる」と思っていた。ところが、12月に抜き打ちのテストがあった。すると、11月までに接種していた薬物が、まだ十分に抜け出ていないので、禁止薬物がテストで検出されてしまった。……こんな感じになる。
以上が、私の推定だ。
[ 付記1 ]
処分はまだ決まっていない。14日に決まるそうだ。
私としては、「2〜3年間の、長期の資格停止」が妥当だと思える。もちろん、北京5輪では完全に排除されるべきだ。
このくらいのことをやらないと、ドーピングを排除することは難しいだろう。
[ 付記2 ]
コメント欄から。
> 圧倒的な選手が、少しでも練習量を増やすために、薬物に手を染めるというのも、よくわからない話です。
この件、書くつもりだったのだが、書き落としていた。
回答は、以下の通り。
「勝つためには必要ないのだが、必要がなくても、徹底的に練習量を増やしたい……というメンタリティの持主が、成功するものだ」
これは、「求道的」と言ってもいい。野球でも、イチロー、松井、ダルビッシュという人々は、限界まで自分を追い込む傾向がある。
ちなみに、次の記事もある。スノボの天才的な金メダリスト。
「昨秋の欧州合宿で、誰よりも練習量が多かった」とは村上大輔コーチ。五輪直前に米国で行ったトレーニングでは、エアマットを敷いた施設で1日に最大69本ものジャンプを飛んだという。トップ選手でも1日30本台が限界だ。「ひたすら続けていた。(飛ぶたびに下から上へ)スノーモービルで運んで、最後は運転手が疲れきっていた。体力が本当にすごい。だから半年間で、上り詰めた」
( → 無二の王道、平野は歩む スノーボード・男子ハーフパイプ 北京五輪:朝日新聞 )
[ 付記3 ]
さらにもう一つ、大事なことがある。
「ドーピングをすると決めたのは、選手本人ではなく、ロシアのスポーツ担当組織だ」
薬物を摂取するかどうかは、個人が自分の意思で決めたわけではない。特に今回は、10歳ぐらいの年齢からドーピングをしていたらしいので、本人の意思であるはずがない。国家的・組織的な所業だ。
こういう構造がある以上、本人がどう思うかという意思とはかかわりなく、強制的に薬物の摂取を押しつけられて、かつ、精密にコントロールされているはずだ。
別の可能性として、
ライバルのロシア選手が、ワリエワを追い落とすために、こっそり混ぜたという説はどうでしょうか。
この説の方が、可能性は低いですが。
少しでも練習量を増やすために、薬物に手を染めるというのも、よくわからない話です。
練習量が少し増えようが、大勢には影響がないと考えるのが合理的な判断です。
圧倒的であるがゆえに、逆説的ですが、
精神的に追い詰められた、と考えることはできますね。