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前項では、次のように述べた。
より根源的には、日本が軍事国家となっていたときに、日本の没落は始まっていたと言える。2・26事件や 5・15事件などを経て、軍部が暴走して、日本の民主主義は崩壊していた。ヒトラーのナチスドイツと並んで、日本は狂犬のような軍事国家となっていた。それは、英米のような民主主義国家にとっては、あまりにも危険で野蛮な敵性国家だった。放置すれば、いつかはナチスと組んで、民主主義国家を征服しかねなかった。こうして日本は英米にとって潜在的な敵性国家となっていた。
2・26事件や 5・15事件などを経て、軍部が暴走して、日本の民主主義が崩壊したとき、日本という国が(最終的には戦争という形で)米国と正面衝突することは運命づけられていたと言える。
愚かな軍部を排するという道を取ることだけが、日本が分岐点で正しい道を得るための選択肢だった。
日本という国を破滅させたものは、米国軍の圧倒的な軍事力ではなく、日本軍の横暴を放置したという、日本という国家そのものであったのだ。
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アメリカのように民主主義国家になる、という道もあったんですけどね。
( → 日米戦争開始の分岐点: Open ブログ )
日本が民主主義国家でなく軍事国家としての道を取ったことが、先の大戦を導いた根源的な原因だ……という主張だ。
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さて。ここでは、「軍事国家と民主主義国家」という概念的対立があるが、この言葉で思い浮かぶのは、「スパルタとアテネ」だ。
スパルタは軍事国家であり、アテネは民主主義国家(文化国家)だった。この両者は対立して、ペロポネソス戦争に至った。結果は、こうだった。
アテネは、前405年のアイゴスポタモイの戦いに敗れて制海権を完全に失い、翌年スパルタに降伏した。アテネ市の徹底破壊を主張するコリント、テーベの意向を抑えて、スパルタは長城の撤去、大半の軍船の引き渡し、デロス同盟の解体を降伏の条件とした。
( → ペロポネソス戦争とは - コトバンク )
スパルタはこのあと、ギリシャにおける覇権を獲得したが、のちに、覇権をテバイに奪われた。さらには、マケドニアの覇権、ローマの覇権と続いた。
→ スパルタ - Wikipedia
こういう歴史的流れのなかで、軍事国家と民主主義国家の対立という観点から歴史をとらえる考察がある。下記の本だ。
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私が若いころに読んだ本だが、すでに絶版らしい。ただし有名な本なので、古書の形で流通しており、今でも容易に入手できる。新本らしい在庫本もあるようだ。
→ 楽天ブックス: スパルタとアテネ - 古典古代のポリス社会
【 追記 】
関連書籍もある。
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塩野 七生 の名著。
民主主義の成熟の過程で、デマゴークが出現して、それに振り回される過程が示されている。
維新に振り回される日本の現実を思い起こされる。
