――
先に、次のように述べた。
世界全体の大きな流れのなかでは、日本としては、他にどうしようもなく避けがたい形で、戦争に巻き込まれてしまったのだ。(ドイツとの同盟を結んだ時点で、もはや逃れるすべはなかったのだ。)
( → 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ )
つまり、ドイツとの同盟(三国同盟)を結んだ時点では、もはや分岐点を超えていた。このあとではどうしようもなく、戦争に巻き込まれた。
では、戦争に巻き込まれずに済むには、それ以前のどの時点で方針転換をすればよかったか? 戦争と非戦の分岐点は、どこにあったか?
それを探るのには、NHKの番組が役に立つ。
→ 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」(案内)
→ 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」(まとめ) New !

この番組では、当時の庶民の日記という大量の文献を調査した。そして、現代の SNS の意識調査と同様の手法で、AIを駆使して、当時の人々の意識調査をした。すると、次のようなことがわかった。
1940年の初めごろは、人々の関心は生活だった。金銭的にも豊かで、物資も豊富で、食事を楽しみ、娯楽を楽しんだ。映画や音楽はアメリカ文化がブームで、人々はアメリカナイズされた新文化を楽しんだ。このころは人々はアメリカとの戦争などは夢にも思わなかった。
しかるに 1941年の年末ごろには、人々の意識は正反対となった。金銭的には窮乏し、物資は大幅に欠落し、日々の食事にも事欠いた。兵器生産のための鉄がないということで、人々の家庭にある鉄を供出させられた。建物の鉄製の門扉なども次々と撤去されていった。あまりにも窮乏した生活となり、人々の不満は大いに高まっていた。未来は真っ暗だった。
こういう生活のさなかで、開戦の報を聞いた。すると、人々は未来が急に開けたように感じて、将来に期待して、大いに喜んだ。
では、この2年間の急激な変化の間に、いったい何が起こったのか?
番組は次のように時系列を並べる。
・ 1940年1月。豊かで幸福な生活。アメリカブーム。
・ 1940年半ば。ドイツの躍進を聞いて、ドイツを賛美。
・ 1940年9月。三国同盟。(勝ち馬に乗る形で、ドイツと組む。)
・ 三国同盟をした日本を、米国世論が批判する。経済制裁を要求。
・ 経済制裁で、石油の部分禁輸や、くず鉄の禁輸。
・ 1940年秋以後、日本では物資不足が進んで、困窮化。
・ 1941年前半には、物資不足が大幅に悪化。
・ 「米国との戦争」のシミュレーションをして、完敗と判明。
対米戦争を回避することが至上命題となる。
・ 1941年7月。物資不足解消のため、日本が南部仏印に進駐。
・ これが米国の逆鱗に触れ、石油の全面禁輸。(宣戦布告に相当)
・ まさかそうなるとは思わなかった軍部は、大あわて。
・ どうせ戦争をするのなら、石油がなくなる前にする、という判断に。
・ そのあと、あれこれするうちに、ハルノートが来て、開戦を決断。
以上が、NHK の番組が述べたことだ。これを見ると、次の趣旨だとわかる。
「日本が三国同盟に踏み切ったことが、分岐点である。これ以後、米国の世論の反発を招いて、経済制裁を受けて、経済が衰退し、生活が困窮化した。そのせいで南部仏印に進駐するという愚行をして、石油禁輸を招いた。とすれば、南部仏印に進駐するという愚行もひどかったが、その前の三国同盟こそが分岐点だ」
これはいかにももっともらしい解釈だ。だが、あとで私が調査したところ、これは時系列を間違えていると判明した。
米国が経済制裁を決めたのは、三国同盟の後ではなく、直前だったのだ。日本が三国同盟を結んだから経済制裁をしたのではなく、三国同盟の前に、経済制裁を決めていたのだ。
とすれば、米国が経済制裁を決めたことには、三国同盟とは別の理由があったことになる。それは、何か?
――
このあとは、間違った NHK の時系列とは別に、私が正しい時系列を示そう。( 1940年の8月〜9月の箇所を修正。)
・ 1940年1月。豊かで幸福な生活。アメリカブーム。
・ 6月。フランスがドイツに敗れたとの報。
・ このころ、ドイツの躍進を聞いて、ドイツを賛美。
・ 8月。米国が日本に、石油の部分禁輸(許可制)。
・ 9月20日。米国がくず鉄等の禁輸法案。実施は10月16日。
・ 9月23日。日本が北部仏印へ駐留。
・ 9月27日。三国同盟。(勝ち馬に乗る形で、ドイツと組む。)
・ 三国同盟を結んだ日本を、米国世論が批判する。経済制裁を支持。
・ 1940年秋以後、日本では物資不足が進んで、困窮化。
・ 1941年前半には、物資不足が大幅に悪化。
・ 「米国との戦争」のシミュレーションをして、完敗と判明。
対米戦争を回避することが至上命題となる。
・ 1941年7月。物資不足解消のため、日本が南部仏印に進駐。
・ これが米国の逆鱗に触れ、石油の全面禁輸。(宣戦布告に相当)
・ まさかそうなるとは思わなかった軍部は、大あわて。
・ どうせ戦争をするのなら、石油がなくなる前にする、という判断に。
・ そのあと、あれこれするうちに、ハルノートが来て、開戦を決断。
――
以上の時系列を見た上で、新たに考え直そう。
三国同盟は、たしかに決定的な重要性があった。これによって日本がドイツ(米国や欧州の敵)と組むことが明らかになり、日本は米国にとって敵としての地位を獲得した。
ただ、このことは、日本軍もわきまえていたようだ。
・ 山本五十六は三国同盟を懸念して、「米国との戦争の回避に全力を尽くせ」と述べた。
・ 軍部は「米国と戦えば敗北する」というシミュレーションを得て、衝撃を受けた。
・ その結果、以後は対米懐柔のプロパガンダに精を出した。(言い訳ふう)
ただ、いくらプロパガンダで宣伝したところで、「日本が米国の敵と組んだ」という事実が変わるわけではない。三国同盟を結んだ時点で、もはや手遅れとなっていた。そのあとでいくら手を尽くそうと、無駄だったのだ。
――
では、真の分岐点は、どこにあったか? 三国同盟か? いや、三国同盟を結ぶ以前に、すでに米国は日本を敵と見なして、経済制裁を決めていた。だから、三国同盟を結ぼうと結ぶまいと、どっちみち経済制裁を受けざるを得なかったのだ。(そして以後は奈落の道を下っていくしかなかったのだ。)
では、三国同盟以前に、何が分岐点となったのか?
そのことは、上の時系列の一覧を見ればわかる。決定的な要因となった出来事は、次の事件でしかありえない。
・ 6月。フランスがドイツに敗れた
そうだ。フランスが陥落したことが、米国に決定的な危機感をもたらしたのだ。それは、欧州の全体がナチスドイツの手に落ちるということを意味するからだ。
そして、フランスが陥落したことは、日本が何をしたかということとは関係がない。日本が何をしようとするまいと、フランスが陥落したことで、日本は米国の敵として、戦争相手とならざるを得なかったのだ。
そして、そのことは、三国同盟とは関係がない。(三国同盟以前に決まっていた。)
――
これは非常に重要なことだ。なぜなら、世界史の常識には反するからだ。世界史の常識では、こうなる。
「日本はドイツと三国同盟を結んだことで、米国と敵対関係になった。かくて日米戦争の布石となった」
しかし、そうではない。三国同盟以前に、日本と米国との敵対関係は確立していた。たとえば、三国同盟の前身となる「日独伊防共協定」が成立していたし、日本はもともと米国と敵対関係にあったのだ。三国同盟は、その敵対関係を強化したにすぎない。
したがって、三国同盟を結ぶ以前に、すでに米国にとって日本は仮想敵国であった。そして、フランス陥落の報を聞いて、ルーズベルトが対独戦争をする腹を固めたとき、同時に、日本との戦争をする腹も固めたのだ。だからこそ、三国同盟以前に、石油の部分禁輸やくず鉄の禁輸を決めて、日本を経済的に圧迫しようとしたのだ。
この時点では、米国は、日本と戦争することを予期しながらも、別の道も考えていた。日本が米国の圧力に屈服して、仏印や中国から撤退して、三国同盟を離脱するのならば、日本との戦争を回避することも考慮した。いわば、様子見または執行猶予の段階である。
しかるに日本はその期間に、改心の方針を示さなかった。それどころか、南部仏印進駐という、期待はずれのことをやった。これを見て、ルーズベルトは堪忍袋の緒が切れた。もはや執行猶予の温情は与えなかった。「実質的な宣戦布告」を決断した。つまり「石油の全面禁輸」である。
これを受けて、日本は戦争をしかけるはずだ……というのが、米国の目論見だった。だが、意外なことに、日本は宣戦布告をしなかった。「戦争をすれば完敗」というシミュレーションもあったし、天皇による「白紙還元の御諚」もあった。まったく目論見はずれだった。
そこで、どうしたか? 米国は、オマケのもうひと押しというふうにして、追加の圧力をかけた。それが、ハルノートである。「これならばどうしても宣戦布告をせざるを得まい」というような内容だ。
かくて日本は、やりたくもないのに、無理やりに戦争をするように強いられた。……このことは、先に詳しく述べたとおりだ。
→ 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ
というわけで、結局、「フランスの陥落」という世界史的な事件があって、そのなかで、否応なしに、日本は戦争に巻き込まれてしまったのだ。
ここでは、「フランスの陥落」というの分岐点だったが、この分岐点については、日本には選択肢は与えられていなかった。日本のあずかり知らぬところで、分岐点が発生して、そのあとは、あれよあれよという間に、対米戦争に向かって突き進むことになったのだ。
※ 「日本のあずかり知らぬところで、分岐点が発生した」というのは、なぜか? それは、「巻き込まれる形で強いられた戦争」だったからだ。日本はもともと戦争決定の当事者ではなかった。米独の戦争が先にあって、日本はそれに巻き込まれただけだったのだ。この件、先に述べた通り。
→ 正しい戦争と第二次大戦: Open ブログ
※ とはいえ、日本はドイツと同盟を結んだりして、ドイツとわざわざ協調したのだから、「あえて巻き込まれようとした」と言える。決して他人のせいにはできない。
※ なお、「誰が悪かったのか?」という質問があるなら、それへの回答は、「こいつが悪い」と誰かを指名するのではなく、「登場人物、全員悪人」と言うしかない。(国レベルで)
[ 付記 ]
では、日本に選択肢がある形での分岐点は、どこにあったか? どの時点であれば、日本は「対米戦争をしない」という別の道を取れたか?
基本的に言えば、それは「対中戦争」だ。日本は対中戦争に踏み切ることで、それまでに莫大な死者(18万人)を出していたそうだ。( NHK の上記番組による。)
これほど莫大な死者を出してまで、対中戦争を続けたことが、日本の最大の失敗だった。中国からはさっさと手を引いて、朝鮮半島と台湾の占有だけで我慢しておくべきだった。それならば、中国における列強の権益を侵害することもなかったから、偉大なる白人様におべっかを使うことで、白人の靴に踏みにじられることは免れただろう。
ただ、そのときには日本は軍事国家になっていたから、そういう選択をすることは実質的には困難だった。すでに日清戦争(1894)や日露戦争(1904)でうまい汁を吸うという軍事的成功の体験があった。今さら中国から撤退するということは不可能だった。
とすれば、より根源的には、日本が軍事国家となっていたときに、日本の没落は始まっていたと言える。2・26事件や 5・15事件などを経て、軍部が暴走して、日本の民主主義は崩壊していた。ヒトラーのナチスドイツと並んで、日本は狂犬のような軍事国家となっていた。それは、英米のような民主主義国家にとっては、あまりにも危険で野蛮な敵性国家だった。放置すれば、いつかはナチスと組んで、民主主義国家を征服しかねなかった。こうして日本は英米にとって潜在的な敵性国家となっていた。
2・26事件や 5・15事件などを経て、軍部が暴走して、日本の民主主義が崩壊したとき、日本という国が(最終的には戦争という形で)米国と正面衝突することは運命づけられていたと言える。
そもそも、日本が明治維新をしたのは、日本が植民地化されるのを避けるためだった。以後の富国強兵政策も、日本が植民地化されるのを避けるためだった。なのにその日本が、中国を植民地化しようとしていたのだ。おのれが最も避けたかったことを、逆に、中国に対してやってしまっていたのだ。……それも、「大東亜共栄圏」というような独りよがりな美名を立てて。(中国人も台湾人も朝鮮人も、そんな美名を歓迎することはないのに。)
己の欲せざることを人に施す勿れ。……そのことも理解できずに、中国を植民地化しようとした。その過程で、中国人 100万人を殺し、日本人 18万人を死なせた。こういう愚かな軍部が国を牛耳っているという時点で、愚かな国の命運は決まっていたのだろう。
逆に言えば、そのような愚かな軍部を排するという道を取ることだけが、日本が分岐点で正しい道を得るための選択肢だった。
日本という国を破滅させたものは、米国軍の圧倒的な軍事力ではなく、日本軍の横暴を放置したという、日本という国家そのものであったのだ。
いわば、日本という怪獣が破滅したのは、ウルトラマンよりも武力で劣っていたからではなく、自らがどんどん歪んで怪獣と化してしまったことに気づかなかったからなのだ。
( ※ 「当時の日本人は馬鹿だなあ」と思うかもしれないが、安倍自民をずっと支持してきた現代日本人も、たいして違いはない。戦後ずっと自民を支持してきた地方の県民も同様だ。維新を支持してきた大阪府民も同様だ。石原慎太郎や小池百合子を支持した東京都民も同様だ。……少なくとも政治に関する限り、日本国民は一貫して、最悪の政権を選び続けてきたと言える。だからコロナの最中に、首相が GoTo なんかを推進して、死者を最大化させようとしたのだ。)
【 関連サイト 】
→ 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」(まとめ)
→ 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」(まとめ)

ついでだが、今の日本も、民主主義国家になることを否定している。最高裁判所も、一票の格差が2倍以上になる現状を容認している。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/48579.html
アメリカでは、なるべく1倍に近づけることが義務づけられているのに、彼我の格差はあまりにも大きい。
そういう非民主主義であることを、日本人自身が容認しているんだから、昔も今も、日本人にとっては民主主義はなじまないようだ。
そのうちまた戦争を始めてもおかしくない。
日本の民主主義は日本人が自ら勝ち取ったものではないので、まだまだ未熟なのでしょうね。
NHK へのリンク。
管理人が言われる通り今でも日本に民主主義が根づいているとは到底思われません。小学校からの教育に問題があるのでしょうか。
これは、NHK の記事にもあるように、言論統制が行われていた。軍部批判の記事はかなり禁止されていた。一概にマスコミのせいにはできない。
一方で、反軍記事を書いた記者が、新聞ボイコット(不買運動)のせいで追い出された、ということもあった。民衆の責任もある。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/3994?page=2
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO12414970X00C10A8CR8000/
後者には、「これに対し軍当局は発禁・削除処分で弾圧。」という文もある。やはり軍の権力が大きい。
とはいえ、軍を支持した民衆にも責任がある。今の日本と似ている。
反軍と言えば、いわゆる反軍演説で有名な斉藤隆夫もいる。こういう言説を弾圧するのは極めて危険なことである。
今の維新の会なんかは同じだね。
http://www.y-history.net/appendix/wh1504-065_1.html
によれば、「1939年7月、アメリカ合衆国は日本に対して日米通商航海条約の破棄を通告した。」とありますから、フランスの敗北が無くても、日米貿易の大幅縮小は実行された可能性があるでしょう。
ご参考まで。
それはそうですね。
ただしそのページには、
> おりからフランス・オランダがナチス=ドイツによって占領されたため、フランス領インドシナやオランダ領インドシナに進出して、石油資源その他を確保しようという路線を明確にし、1940年9月に北部仏印進駐を実行した。
とある。フランスの敗北により、フランスのものはドイツのものになってしまったので、ドイツの代わりに日本が進駐したということにすれば、日本としては進駐の名分が立つことになる。(自分勝手な理屈で。)
もちろんアメリカとしては、ドイツによるフランス支配そのものを認めないので、日本の仏印進駐も認めない。
というわけで、ドイツによるフランス征服は、日米の分断をいっそう大きくしたことになる。フランスの敗北がなければ、日本に対しては経済制裁をするだけで、宣戦布告にまでは至らなかっただろう。じわじわと経済制裁を段階的に強めていくだけであって、一挙に石油全面禁輸(≒ 宣戦布告)にまでは至らなかっただろう。
NHK の番組でも、「南部仏印駐留で石油全面禁止になるとは思わなかった」という軍部の声が出ている。常識的には、そういう判断になる。「段階的に強化」というのが常識的だろう。なのに、実際にはそうならなかったのは、フランス陥落という外部要因が、日米関係を根本的に動かしたからだ。その外部要因を、日本軍は読み取れなかった。