2022年02月08日

◆ 正しい戦争と第二次大戦

 「正しい戦争」という観点で第二次大戦をとらえ直すと、真相が判明する。日本が米国に宣戦布告したことは、正しいことだったのだ。まったく意外だが。 【 重要 】

 ――

 「日本が米国に宣戦布告したことは、正しいことだった」―― こう述べると、その意外さに、「そんな馬鹿な!」と思う人が多いだろう。「おまえは戦争を賛美する好戦家か!」と非難する人も出てきそうだ。
 だが、本項を読み終えたとき、あなたは(奇妙に見える)上記見解に深く同意するだろう。そして、「日本が米国に宣戦布告する」という選択をした先祖を、「好戦的な愚か者め」と軽蔑するかわりに、「何て立派な人々だったんだ」と敬意を抱くようになるだろう。
 と同時に、「正義の民主主義者」を標榜していた米国が、いかに悪魔的で狡猾な詐欺師であったかを知って、意外さに驚くだろう。
 歴史の真実を知れば、これまで信じていた歴史が 180度、ひっくり返るのだ。

 ――

 では、いよいよ、話を始めよう。
 そのためのキーワードは「正しい戦争」だ。このキーワードについては、前項でも言及した。
  → 正しい戦争はあるか?: Open ブログ
 そこでは、「正しい戦争」を標榜する現代の米国が、いかに自分勝手なことをしていたかを明かした。

 では、現代の米国ではなく、過去の米国はどうだったか? 時間を巻き戻して、真珠湾攻撃の直前の時点にまで、視点を移動させよう。

 1941年。このとき、米国は巨大なジレンマに悩んでいた。それは、「正しい戦争をするべきかどうか」という問題だ。
 一般に、戦争というものは悪である。ただし例外的に、「正しい戦争」というものがある。それは「自衛のための戦争」だ。自分の方から仕掛ける戦争というのは、「正しい戦争」とは言えないのが普通だ。だが、「自衛のための戦争」ならば、「正しい戦争」と言える。つまり、喧嘩を売るのは悪いが、売られた喧嘩を買うのは悪くない。なぜなら、こちらを殺そうという相手に対して、無抵抗でいれば、単に殺されてしまうだけだからだ。「殺そうとする相手に、無抵抗のまま、殺されることだけが正しい」ということは成立しないのだ。

 さて。それが原則だが、1941年の米国は迷っていた。
  ・ ナチスドイツがチェコに侵攻した
  ・ さらにポーランドその他を支配した。
  ・ のみならず、フランスをも支配した。
  ・ イギリスにも侵攻して、イギリスは危機的となった。


 これを見て、米国は迷った。このまま放置すれば、全欧州は独裁者ヒトラーの下、ナチスドイツに支配される。おそらくはイギリスも。そして、いったんそうなったら、ナチスの欧州全体は、米国と肩を並べる大国となって、米国を脅かすかもしれない。最悪の場合、米国はナチスの欧州に敗北して、ヒトラーの支配下になってしまう。
 だが、そんなことは断じて受け入れられない。
 とはいえ、ナチスドイツは、現在のところ、欧州にとどまっていて、米国を攻撃しているわけではない。とすれば、米国としては「自衛のための戦争」をすることは(論理的に)できない。つまり、「正しい戦争」をすることはできない。

 ここで、米国はジレンマに陥った。
  ・ 戦争をしないで、ナチスが強大化するのを放置する。
  ・ こちらから攻撃をする形で、「正しくない戦争」をする。


 この二つの、どちらを取るべきか? 前者ならば、最終的には、米国が滅びる可能性がある。後者ならば、自分たちは正義を標榜できない。攻められてもいないのに攻めることになるので、自分たちは悪に手を染めることになる。しかも、このようなことは、国内世論(平和主義)に反するので、米国の国民からの支持を得られない。

 こうして米国は、「どっちにするべきかわからない」というジレンマに陥った。


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 そこで米国は名案を考えた。戦争をするにはするが、自分では戦争を仕掛けないで、相手が戦争をするように仕向ければいい。それなら、相手が戦争を開始したのだから、米国には責任はない。平和主義の米国民も、戦争開始に納得するだろう。「売られた喧嘩を買うのは仕方ないな」と思って。

 問題は、その方法だ。相手が戦争をするように仕向けるようにしたいが、いったい、どうやればいいか? 
 できれば、ドイツが米国に戦争を開始してくれるのがいい。だが、それはありそうにない。ドイツは現状、欧州では手いっぱいだ。東のソ連と、西のイギリスを相手にして、大忙しだ。とても米国を相手にしてくれそうにない。また、距離的にも、わざわざ太西洋を渡るのも大変だ。というわけで、ドイツが米国に戦争を開始することはありえない。
 ならば、残る策はただ一つ。ドイツでなくドイツの同盟国が、米国に戦争をするように仕向ければいい。つまり、ドイツの同盟国たる日本が、米国に戦争をするように仕向ければいい。

 こうして米国の方針は定まった。日本が戦争をするように仕向けることだ。
 この方針の下で、米国は 1941年の半ばに、日本に対して、実質的に「宣戦布告」となる方針を取った。それは「石油禁輸」と「日本資産の凍結」である。特に「石油禁輸」は決定的であり、当時、石油輸入の 7〜8割を米国に依存していた日本としては、これに抗して宣戦布告をするしかない状況に追い詰められた。というか、それを目的として、「石油禁輸」と「日本資産の凍結」をしたのである。
 その後、日本はどうしたか? 当然ながら、「開戦」という方針を取った。そこで、開戦のための準備を着々と整えた。9月6日の御前会議では、すでに決まった「開戦」という政府方針を、昭和天皇に伝えた。
 ところが最後の最後で、大波乱が起こった。「いくら戦争が不可避だからといって、米国を相手に戦争をすれば、日本は滅びてしまう」という判断で、昭和天皇が「開戦の中止」を訴えたのだ。これを「白紙還元の御諚ごじょう」という。これは、天皇が政治に介入するという意味では、まったく異例のことだった。
 昭和十六年九月六日、対米英蘭戦の開始を決定する御前会議が開かれました。政府と統帥部は既に対米英蘭戦の開始を決めていましたから、あとは形式的に行われる御前会議を経るだけでした。
 普通、御前会議で天皇がご発言あそばされることはありませんが、この時の御前会議で、昭和天皇は重大なご発言をなさいました。昭和天皇はポケットからメモをお取り出しになり、明治天皇の御製(ぎょせい)
「よもの海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらむ」
を二度朗誦(ろうしょう)なさいました。
 この御製には、世界の海は一つなのになぜ波風が立つのだろう、という意味で、世界平和を願う明治天皇のお気持ちが表れています。
 天皇が御前会議でご発言されることは極めて異例です。この日、昭和天皇は平和を望む明治天皇の御製をお読みになることで「開戦を望まない」との思召をお示しになりました。これにより、政府と統帥部が決定した開戦の決定は一旦白紙に戻されることになったのです。
 これは後に「白紙還元の御諚(ごじょう)」と呼ばれることになります。
( → 今月の御言葉 | 不生不滅…魂は永遠なり。

 これを受けて、政府は方針転換を迫られた。
 陛下は先の御前会議の決定を白紙に戻し、戦争準備と外交を並行せしめず、外交を優先させよと仰せになり、再度平和の道を探求するようにお命じになった。これが有名な「白紙還元の御諚」である。それまで東條首相は、先に決定した帝国国策遂行要領により、陛下も交渉不調の場合は戦争突入も已むなしと御理解遊ばされていると思っておった。謹厳実直な東條首相は、白紙還元の御諚を承り、顔面蒼白になって退出し、「たいへんだ陛下は戦争に反対であらせられる」と早速閣議を開き、前の決定を白紙に戻して真剣に戦争回避の方策を検討し直した。
( → アメリカの最後通牒ハルノート

  恐懼して退出する東条らを、木戸が呼び止める。
 《「只今、陛下より陸海軍協力云々の御言葉がありましたことと拝察致しますが、尚、国策の大本を決定せられますに就ては、九月六日の御前会議の決定にとらはるゝ処なく、内外の情勢を更に広く深く検討し、慎重なる考究を加ふることを要すとの思召であります。命に依り其旨申上置きます」》(昭和天皇実録29巻83頁)
 のちに「白紙還元の御諚」として知られる、日米交渉の期限を白紙にする勅命だ。
( → 第171回 白紙還元の御諚(1) 究極の選択、首相は東条英機に! | 昭和天皇の87年

 こうして「白紙還元の御諚」によって、開戦の方針は白紙となった。

 しかし、日本が開戦をしないとしたら、米国の計画は根本的に崩れてしまう。このままではヒトラーが世界を支配してしまう。大変なことになる。……米国はそう思った。
 おそらく、日本の方針転換は、スパイを通じて、米国に漏れていたはずだ。(日本の方針は、ソ連には、ゾルゲというスパイを通じて筒抜けだった。それと同様に、米国にも、スパイを通じて筒抜けだったはずだ。)
 そこで、日本の方針を(スパイを通じて)知った米国は、新たな方針を出した。つまり、米国はいっそう厳しい条件を突きつけて、今度こそ日本が開戦を拒否できないようにした。それが、ハルノートである。その意味は、こうだ。
 日本では、多くの関係者がハル・ノートを事実上の最後通牒、または宣戦布告であると受け取った。
( → ハル・ノート - Wikipedia

 アメリカと戦争はしたくない。しかし無為に屈伏は出来ない。崖縁に追いつめられた日本に十一月二十六日、運命のハルノートが叩きつけられた。その内容は、今までの交渉を根底から覆す苛酷なものであった。
 ……
 要するに、既に建国十年を経て栄えている満州国をも放棄し、日清日露戦役以来国際法上認められてきた日本の諸権益も投げ出して大陸から出てゆけということで、これは戦わずしてアメリカに屈伏せよというに等しく、到底日本が受け入れられないことを承知で突き付けてきたものである。これを受けた野村、栗栖両大使は、茫然として答える術がなく、この電報を受取った東條首相以下政府軍部首脳は、万事休すと天を仰いで慨嘆した。後の東京裁判でインドのパール判事が「このような苛酷な要求を突きつけられたならば、地中海の小国モナコと雖も銃を執って立ち上がるだろう」と言ったことは、今ではこれを知らない者はいない。これが事実上の宣戦布告であったのだ。
( → アメリカの最後通牒ハルノート

 厳密に言えば、ハルノートは、最後通牒でも宣戦布告でもない。ハルノートを甘受して、屈服して、戦争を回避する、という手も残されていたからだ。
 実は、ハル国務長官自身が「あれは最後通牒でも宣戦布告でもない。われわれはあくまで平和を追求していた」と主張している。
 だが、それは虚偽である。なぜか? 仮に日本がハルノートを甘受したとしても、さらに、第二、第三のハルノートが出て、いっそう厳しい条件を突きつけたはずだからだ。そして、それは、日本がどうしても受け入れられなくなるまで続く。米国としては、何が何でも日本を開戦に導く必要があったのだから、日本が開戦を決めるまで、どこからどこまで要求を吊り上げることになったのだ。

 このことは、次の記述からもわかる。
 昭和天皇の意向を受け対米開戦を最大限の譲歩をしてでも避けようと東条英機内閣はアメリカ側と交渉をしていましたが、1941年11月27日にアメリカから日本へ通達された通称ハル・ノートにより開戦は不可避となり日本の太平洋戦争突入が決定しますが、日本へ最後通告文書を渡した国務長官ハルは、スティムソン陸軍長官に、「あとは君とノックス(海軍長官)の仕事だ」と伝えています(昭和史(上)中村 隆英 著)。
 要は、アメリカもハル・ノートによって日本には開戦以外の選択肢がないことはわかりきっており、すでに臨戦態勢になっていたということです。
( → 対日石油禁輸とハル・ノートを知らないアメリカ人/ 真珠湾奇襲攻撃から78年 | 東大法学部卒サラリーマンの高等遊民夢見録

 ハル=ノートは、アメリカ側は最終提案とはいわず、交渉の素材としての一提案にすぎないと伝えたが、日本側はこれを最後通告と受け止めた。アメリカ側もこの提案を日本が受け入れなければ開戦はやむを得ないと考えていたようだが、アメリカとしてはできるだけ時間を稼ぎ、開戦となった場合には日本側にまず攻撃させるよう仕向けることが合意されていた。ハル自身も27日にスティムソン陸軍長官に電話して「私は交渉から手を洗った、あとは君とノックス(海軍長官)の仕事だ」と伝えた。
( → 世界史の窓 日米交渉

 戦争が始まる前の 11月27日に、ハルは「私は交渉から手を洗った、あとは君とノックス(海軍長官)の仕事だ」と伝えたのだ。つまり、「交渉はしない。これでもう戦争開始は決まった」と伝えたのだ。自分が日本にハルノートを渡したときに。
( ※ そのあとで、知らんぷりをして、法廷では嘘の証言をしたが。)

 ――

 以上をまとめよう。
 米国は、ヒトラーと対決するために、まずは日本と戦争をする必要があった。しかし自分の方からは開戦できないので、日本が自ら開戦するように仕向ける必要があった。そこで、石油禁輸などの措置を取った。それで日本は開戦に向かって突き進んだ。だが、昭和天皇の判断で、ギリギリのところで開戦を回避することになった。
 ここで、当てがはずれたことを知った米国は、何が何でも日本を開戦するように仕向けようとして、ハルノートを突きつけた。こうなると、日本としてはどうしようもなく、開戦に踏み切った。
 ここでは、形式的には日本からの宣戦布告があったのだが、実質的には米国からの宣戦布告があったことになる。わかりやすく言えば、日本は米国の仕掛けた罠に嵌まったと言える。詐欺師のような米国の詐欺的な罠に、まんまと引っかかったことになる。
 
 では、罠に嵌まらなければ良かったか? そういう意見はある。「何が何でも甘受するべきだった。ハルノートを受け入れるべきだった」
 しかし、それは無駄だ。「ハルノートを受け入れれば戦争は起こらなかった」という想定は、あまりにも甘すぎる。米国としては何が何でも、日本に戦争を始めさせる必要があったのだ。本当はドイツと戦うのが目的だったが、そのためには、日本を戦争にけしかける必要があったのだ。だから、たとえ日本がハルノートを受け入れても無駄である。たとえハルノートを受け入れても、さらに厳しい条件を突きつけるような、第二、第三のハルノートが来る。つまり、日本が宣戦布告するまで、徹底的に譲歩を強いる。堪忍袋の緒が切れるまで、徹底的に譲歩を強いる。それでも日本が屈服し続ければ、最終的には、日本は領土のすべてを奪われて、国民がすべて虐殺されることを要求される。カルタゴのように。……なぜなら、そうしない限り、米国はヒトラーに滅ぼされる危険があるからだ。米国が自らの命を守るためには、日本が犠牲になってくれなくては困るのだ。

 ――

 結局、アメリカにとっては、ヒトラーのナチス・ドイツとの戦争は「正しい戦争」とも言えた。その戦争に、どうしても踏み切る必要があった。だから、日本が開戦するように仕向ける必要があった。
 とすれば、日本は、第二次大戦の主役ではなかったことになる。あくまで脇役だったことになる。米国とドイツという巨頭同士の争いが本質だった。日本という脇役は、その大きな渦に巻き込まれたのだ。いわば、とばっちりになったのだ。……それが世界史の流れである。そして、そういう世界全体の大きな流れのなかでは、日本としては、他にどうしようもなく避けがたい形で、戦争に巻き込まれてしまったのだ。(ドイツとの同盟を結んだ時点で、もはや逃れるすべはなかったのだ。)

 あの戦争は、日本にしてみれば、「正しい戦争」でもなかったし、「間違った戦争」でもなかった。他人同士の戦争に巻き込まれる形での、「強いられた戦争」だった。戦争なんかやりたくなくても、強引に戦争をやらされたのだ。
 「正しい戦争」でもなく「間違った戦争」でもなく、巻き込まれる形で「強いられた戦争」というのもあるのだ。
 それが歴史の真相だ。

 ※ そういう指摘をしたのは、本項が初めてだろう。

 《 加筆 》
   実は、本項の前に、同様の指摘をした人がいた。
   コメント欄を参照。




 [ 付記1 ]
 米国にとっては、本来の目的はドイツとの戦争であった。日本との戦争などは、どうでも良かった。日本との戦争は、開戦の名分になればいいのであって、日本みたいな雑魚な小国との戦いなど、最初から軽視していた。
 その証拠もある。「開戦直後はドイツに注力する」と決めていたのだ。
 During 1942, Allied officials debated on the appropriate grand strategy to pursue. All agreed that defeating Germany was the primary objective.

 1942年、連合国の当局者は、追求する適切な大戦略について議論した。ドイツを打ち負かすことが第一の目的であることに全員が同意した。
( → World War II - Wikipedia

 とはいえ、すぐに欧州本土でドイツと戦ったかというと、そうではなかった。そうしたくても、そうできなかったのだ。
 イギリスはアメリカ人に、1942年にフランスに上陸することは不可能であり、代わりに北アフリカから枢軸国を追い出すことに集中すべきであると説得しました。

 では実際に、北アフリカで攻撃したか? いや、実際にそうしたのは 1943年になってからだ。1942年のうちは、ドイツよりも日本を重視したようだ。
 というのは、太平洋で予想外にに甚大な被害を受けたからだ。当初、大きな被害を受けたのは、ドイツからよりも、日本からだった。そこで米軍は日本に対して、大規模な反攻を繰り出した。それがミッドウェー海戦である。1942年6月だ。ここで、戦争の流れは逆転した。

 ともあれ、現実には太平洋重視の戦いになったが、当初の想定では、ドイツ重視の戦争をする予定だった。アメリカにとって開戦の意図は、あくまでドイツとの戦いであったのだ。

 [ 付記2 ]
 「日本の軍部は愚かだ。負けるとわかっている戦争をやるべきではなかった」
 としばしば批判される。だが、日本の軍部だって、本当はやりたくなかったのだ。負けるとわかっている戦争を、あえてやりたくなかった。しかし、やることを強いられたのだ。
 それでも最後まで徹底的に服従していれば、奴隷国家(植民地・属国)となることで、かろじて戦争を避けられたか?
 いや、無駄だ。たとえ米国の属国となっても、それでも戦争を避けることはできなかった。その場合には、ドイツとの戦いを強いられたからだ。日本は、米国の属国として、米国のために戦う兵士として駆り立てられただろう。そして欧州に派遣されて、ドイツと戦うことを強いられただろう。ドイツとの矢面に立って、ドイツ軍の銃弾を受けて、米軍の命を守るための盾となって、多大な犠牲を強いられただろう。米国の属国ならば、米国のために戦って死ぬのは当然だ。
 だから、どっちみち、日本としては、戦争を避けるすべはなかったのだ。闘う相手が米国になるか、ドイツになるか、という違いだけだ。
 ただ、米国の属国という運命を選んだ場合には、戦争のあとも、ずっと米国の属国とならざるを得なかっただろう。(戦う能力もない黄色い猿なんだから当然だ、と米国人は考える。)

 [ 付記3 ]
 「どんなに無理難題を吹っかけられても、それでも戦争に踏み切るべきではなかった」
 という意見もあるだろう。
 実は、それと似たストーリーの映画がある。クリント・イーストウッドの 『グラン・トリノ』という映画だ。
 主人公は、銃の名手である老人だ。これまで近所のチンピラを銃で撃退してきた。ところがチンピラが、主人公への意趣返しで、隣家の娘に対し、とんでもない暴虐をした。主人公は怒り狂った。単身、チンピラの根城に乗り込んだ。
 そこで銃をぶっ放して、チンピラをあっという間に制圧する……と思えた。だが実際には、銃をぶっ放したのはチンピラだけだった。主人公は銃を持つこともなかった。かくてチンピラは、銃による犯行の現行犯で、全員逮捕された。悪は滅びた。
 めでたし、めでたし……という感じだが、主人公は蜂の巣になって、死んでしまった。正義は達成されたが、主人公は死んでしまった。(もともと死にかけていたので、最後の火を燃やしたわけだが。)



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 「どんなに無理難題を吹っかけられても、それでも戦争に踏み切るべきではなかった」
 ということであれば、上記の主人公のように、日本もまた死んでしまえ……ということになる。戦争を回避する正義を達成する代わりに、日本という民族は滅びてしまう……というわけだ。
 かくも膝を屈してまで、悪の米国に服従するべきだったのだろうか? 日本が滅びるのを覚悟してまで? 

 しかし、頭のおめでたい人は、「米国人は親切で善良だから、日本を滅ぼしたりはしないよ」と言い張る。戦後にチョコレートだってくれたよ、というふうに覚えているのだろう。人体実験のために原爆で何十万人も殺すような史上最悪の悪魔が、誰であったかは覚えていないようだ。

 [ 付記4 ]
 米国が日本を戦争にけしかけたとき、日本は雑魚扱いだった。こんな小国などは、取るに足らない存在だった。
 ただし現実には、日本は雑魚ではなく、あまりにも強すぎた。
 当時のアメリカは、日本が真珠湾に最初の一撃を加えるなどとは夢想だにしていませんでした。
 それくらい、当時の軍事戦術家の合理的な思考から考えれば、日本からはるか数千キロ離れた距離を敵に見つからずに航海するのはまず不可能で、万一到達したとしても、戦艦が最強の兵器だと考えられていた時代に、空母から飛行機を飛ばして飛行機によって巨大戦艦を沈めるという芸当などできないと考えていたのです。
 当時の合理的な軍事専門家から見れば、真珠湾奇襲はまさに「不合理の極み」だったのです。
( → 対日石油禁輸とハル・ノートを知らないアメリカ人/ 真珠湾奇襲攻撃から78年 | 東大法学部卒サラリーマンの高等遊民夢見録

 真珠湾奇襲は、あまりにも大きな戦果をもたらした。
 また、当初、日本は零戦で戦局を圧倒に有利にした。それでも米国は、その巨大な国力を使って、途中から反攻した。グラマン F6F の投入などで互角に持ち込み、さらには、コルセア、P-38 ライトニング、P-51 マスタングの投入で、零戦をしのぐようになった。
  → 零戦がボロ負けしたわけ: Open ブログ
 こうして米国は本気で血みどろの争いをするようになった。
 
 [ 付記5 ]
 日本が意外にも強かった(雑魚ではなかった)ことは、歴史の流れに影響を及ぼした。
 真珠湾攻撃の 12月7日(現地時間)の4日後の 12月11日には、ドイツとイタリアがアメリカ合衆国に宣戦布告した。たぶん、真珠湾で日本が圧勝したのを見て、「これは行ける」と思ったのだろう。もともとは米国が巨大すぎるので、「米国とは戦いたくない」と思っていたのだろうが、「日本がこんなにうまくやったなら、こっちもやれるぞ」と思ったのだろう。
 仮に日本が真珠湾で惨敗していたら、ドイツとイタリアがアメリカ合衆国に宣戦布告することはなかったかもしれない。そうなっていたら、歴史の流れは大きく異なっていただろう。
 アメリカだって、「日本がアメリカに宣戦布告したから、アメリカはドイツに宣戦布告する」というふうにしたかっただろうが、そううまく行くとは限らない。ドイツとイタリアがアメリカ合衆国に宣戦布告してくれたことは、渡りに船だった。
 日本が真珠湾で圧倒的に勝利したことは、軍事的には大成功だったが、長期的には、日本に大きな損害をもたらした。戦争が長引いたことで、原爆の被害まで受けた。
 歴史の流れというのは、当初の趨勢を離れて、意外なところに行き着くものだ。
 実は、日本が大敗して大被害を出したことも、必ずしも悪いことではなかった。日本が大被害を出した途上では、アメリカもまたあまりにもひどい大被害を出していた。
 結局、アメリカの第二次世界大戦の戦死者約41万人は、対独戦で約25万1000人、対日戦で約16万5000人失われており、その比は3:2となる。
( → 徒然cello日記: 第二次世界大戦 太平洋戦線におけるアメリカの戦死者数

 このような大きな被害は、米国にとってあまりにも意外なことだった。ただの猿だと思っていた下等な黄色人種が、実は人間だと判明したからだ。
 そのおかげで、日本は米国と対等の国として扱われるようになったのだ、とも言える。過去の先祖の戦死は、必ずしも無意味ではなかったわけだ。

 [ 付記6 ]
 本項の目的は何か? 歴史の真相を明かすことか? そういう意味もある。だが、本当は、こうだ。
 「ミステリ(推理小説)における真犯人を指摘すること」

 現状では、たいていの人は、こう思っている。
 「戦争(殺人)を引き起こした犯人は、日本軍である。こいつが張本人だ!」 

 そこへ名探偵が登場する。
 「なるほど。確かに下手人は、日本軍です。だが別途、真犯人がいる。下手人がそうせざるを得ないように、周到に仕組んだ奴だ。こいつが、あの手この手で、下手人をむりやり犯行に追い込んだ。下手人は犯行をしたくないと言い張ったが、どうしてもやれ、やらなければひどい目に遭わせるぞ、と脅迫した。かくて、何が何でも犯行をやらざるを得ない状況に追い込んだ。こいつこそが、真犯人だ」
 こうして(誰も気付かなかった)真犯人を明かして、犯行の動機を明かすのが、本項の目的だ。

 比喩的に言えば、相続争いで、本来の相続人に凶悪な犯行を強いることで、その人を相続欠格にしてしまう、というような悪巧みだ。…… そのあとで真犯人はほくそえむ。「しめしめ。物事はオレの筋書き通りになった。これで遺産はすべて、オレのもの」

 そのあとで、名探偵が登場して、真相を明かす。「真犯人はおまえだ!」

 すると、人々は驚く。「ええっ。正義の人格者だと思えた USA ちゃんが真犯人だったの? かわいい USA ちゃんだけは悪人じゃないと思えたのに。意外だ!」 




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 [ 付記7 ]
 米軍の被害が、事前の想定以上に大きかったことが、真実を見えにくくしている、と言えるだろう。
 事前の想定では、「日本と戦争をしても、たいして被害は受けまい」と思っていたはずだ。
 「ちょうどレーダーを配備したばかりで、こっちにはレーダーがあるんだから、日本がこっそり攻めてくることなど、できるはずがない。たとえ日本が攻めてきたとしても、レーダーで検知して、最強の戦艦で迎え撃って、日本軍を返り討ちにしてやる。日本軍が攻めてきたら、飛んで火に入る夏の虫だ。一挙に打破できるので、かえって好都合だ。世界最強の軍隊に逆らったらどうなるかを、思い知らせてやる。ま、どっちみち、あっという間に蹴散らかしてやるさ」
 こういうのが事前の想定だった。

 ところがそれを、軍師 山本五十六の作戦が、すべてひっくり返した。想定をすべてひっくり返された米軍は、とんでもない大混乱に陥った。さらにはゼロ戦に大被害を受けた。かくて後退に次ぐ後退となった。のみならず、日本に対抗するために、莫大な戦力を投入するハメになった。そうして(本来の目的である)ナチスドイツ打破のために割くべき戦力が、激減してしまった。

 「こんなはずじゃなかった! あっという間に撃破してやるつもりだったのに、実際には撃破されてしまった! 何てこった! ドイツの 10分の1ぐらいの戦力かと思ったら、ドイツに近い戦力を持っていた。とんでもない誤算だ。こんなことなら、日本に戦争をさせようと、仕向けたりしなければよかった。罠に嵌めたつもりが、罠に嵌まってしまった!」
 こう思ったので、事後には、嘆きに嘆いただろう。それゆえ、まわりの人々も、あの戦争が「ルーズベルトがあえて引き起こした戦争だ」とは思わなかったわけだ。
 「こっちは戦争をする気はなかったのに、日本が勝手に一方的に攻めてきた。平和を破壊したのは、悪魔のような日本だ」
 という概念が、国民の間で流布するようになった。その合い言葉が、「リメンバー・パール・ハーバー」だ。
 つまり、この言葉は、米国民を鼓舞するだけでなく、「戦争を引き起こしたのは、日本ではなく米国自身だ」という真実を、隠蔽する効果があったのだ。
 こうして「リメンバー・パール・ハーバー」という言葉とともに、歴史は捏造された。




 【 関連項目 】

 → 日米戦争開始の分岐点: Open ブログ

 欧州で、ドイツ軍によってフランスが陥落した。ドイツによる全欧州の支配は現実化しつつあった。アメリカの恐怖は最高度に達した。このとき、米国大統領はドイツとの開戦を決意し、同時に、日本を巻き込むことも決意した。つまり、日本のあずかり知らぬところで、日米開戦は決まった。……そういう話。

 
posted by 管理人 at 23:59 | Comment(21) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 [ 付記5 ] を新たに挿入しました。

 [ 付記3 ] [ 付記4 ] [ 付記6 ] の順序を変更しました。(並べ替えました。)
Posted by 管理人 at 2022年02月09日 09:18
>人体実験のために原爆で何十万人も殺すような史上最悪の悪魔

今まさに、ウクライナとロシアにちょっかいを出しているバイデン大統領(米国民主党)ですが、そういえば、原爆を投下したときも米国は民主党政権でしたね。

共和党の方が好戦的としばしば言われますが、実は民主党の方がエグいことをやってますね。
Posted by 反財務省 at 2022年02月09日 09:42
本稿の趣旨100%同意です。

> ※ そういう指摘をしたのは、本項が初めてだろう。

残念ながら、フーバー大統領の浩瀚な書籍で全て明らかにされていますね。
http://www.soshisha.com/book_wadai/43freedom/
Posted by 近代史好き at 2022年02月09日 14:57
 情報ありがとうございました。確かに、下記の文章がありますね。

> 国民も議会も我が国(アメリカ)の参戦に強く反対であった。したがって、大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国への明白な反米行為だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。


 私の独創ではなかったのは残念だが、主張の裏付けが取れたので、良しとしましょう。

 本項では、論理によって真相を推理したが、別途、歴史的な証拠によって、その推理が真実であると証明されたわけだ。
Posted by 管理人 at 2022年02月09日 15:16
確かにアメリカの挑発に乗せられたのですが、やはり乗せられたのは大失敗と思います。当時は日本全体がサムライ思考で「正義」の戦いはしなければならない、命乞いするくらいなら潔く死ぬ、のような雰囲気だったように想像します。
 小出しに中国から手を引きつつ満州は中国ではないと言い貼ったり、いくつも抜け穴はあったように言われています。金正恩さんはそういう意味でうまく立ち回っていますね。まあ核兵器のあるいまの時代とは状況が大きく違いますが。
Posted by よく見ています at 2022年02月09日 16:30
> 乗せられたのは大失敗

 乗せられなければ、もっと悪い条件で開戦するしかなくなる。そのときはまだ石油があったので、石油ありで開戦したが、我慢していたら、石油がなくなって、石油なしで開戦するしかなくなる。

 あくまで開戦しないなら、もっと徹底的にいやがらせを受けて、国土放棄と植民地化を要求される。
 「おまえは中国植民地化したんだから、今度はおまえが米国の植民地となれ」
 というふうになる。

 「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、当時は列強によるアジア侵略の時代だ。日本が列強に支配される可能性は十分にあった。
 日本が石油を失えば、軍備力はゼロも同然なので、あっという間に支配される。
Posted by 管理人 at 2022年02月09日 18:26
 陸軍、海軍共に米国との開戦には反対でした。ハルノートを受けてもまだ西に向かえい、油田を確保すれば一途の勝機はあると見込んでいました。ノモンハンの北でも、真珠湾の東でもなく、インドネシア方面と中国打通作戦の方角に関東軍を本来は全力投入すべきだったんでしょう正解は。
 祖父はフィリピンで部隊全滅し、被弾し死体置き場で米軍に助け出されましたので戦友がいなかった。私自身、傷痍軍人会、海友会、皇誠会(海軍)のOBさんのお世話をしていましたので、ほんとに滅入ります。
Posted by 32年前は現役 at 2022年02月10日 00:36
> インドネシア方面と中国打通作戦の方角に関東軍を本来は全力投入すべきだったんでしょう正解は

 そのいずれをやっても、米国は許してくれません。米国にとっては、日本の対米開戦という口実がどうしても必要なので。

 真の正解は、開戦してから、米国と講和して、米国と同盟関係を結んだあと、欧州に飛んで、ドイツと戦うことです。この場合のみ、被害を最小化することができた。
 次項で詳しく示してあります。
Posted by 管理人 at 2022年02月10日 00:47
 日本国の民間人に無差別爆弾の全面計画を実行したカーチス・ルメイと米軍の真珠湾部隊にトラトラトラを伝えなかったルーズベルトだけは許すことができません。
 また当時ソ連と通じていた首相を含め政府要人、朝日新聞の編集者含む、アメリカのスパイとして活用された海軍の重鎮、今と同じで情報戦に日本は負けていました。
 しかし、この戦争がなければ、有色人種は奴隷として、歴史を持たないY染色体を残せないサピエンスとして波打ち際の砂の城のように、ケルト人のように、消えてなくなっていたでしょう。
Posted by 32年前は現役 at 2022年02月10日 01:00
 アメリカでは、国内で死を提出した人種は、一応人間と認めます。日本は第二次世界大戦での300万人の死者を提出した対戦相手でしたので人間扱いします。中国はまだ死者を提出していないので、今後何が起きてもおかしくありません。
Posted by 32年前は現役 at 2022年02月10日 01:17
 ルーズベルトは、「日本に開戦させる」という計画を決めた張本人ですよ。上のリンク先に書いてある通り。
 http://www.soshisha.com/book_wadai/43freedom/

 ルーズベルトが日本に開戦させたんだから、その目的(戦意高揚)の完遂のためには、日本の宣戦布告を隠していたのは当然でしょう。ルーズベルトがずるいのは、そもそもの最初から。

 実は狙いの前提が、「日本は雑魚だから、雑魚に攻撃されても、問題ない」という前提だった。もともと甘い計画だった。だから目算狂いが生じた。
Posted by 管理人 at 2022年02月10日 01:19
コトバンクの「南部仏印進駐」

<https://kotobank.jp/word/%E5%8D%97%E9%83%A8%E4%BB%8F%E5%8D%B0%E9%80%B2%E9%A7%90-108961>

によれば、「アメリカは対日石油全面的禁輸に踏切った」のは、南部仏印進駐に対抗するものですので、大義名分は、アメリカにあります。日本は、列強の一員として、不戦条約の当事国でありますから、南部仏印進駐は、自ら結んだ条約を破ったと言えるでしょう。
Posted by kmsn at 2022年02月11日 19:28
「世界史の窓」というサイトの「日本軍のフランス領インドシナ進駐」の記述も、お時間があらありましたら一読をおすすめします。
Posted by kmsn at 2022年02月11日 19:48
 南部仏印進駐の話は、昨日の項目で、リンクして紹介済みです。説明も済んでいます。そちらの項目をお読み下さい。

 なお、南部仏印進駐が石油禁輸の理屈として正しいのだとしたら、アメリカは日本に経済制裁する前に、フランスやオランダやイギリスに経済制裁しないと駄目でしょ。特に、仏印は、フランス領なんだし。
Posted by 管理人 at 2022年02月11日 20:13
記事の紹介ありがとうございます。
当時の日本は列強の一員で、列強による植民地支配を認めた上で九か国条約や不戦条約の当時国でした。よって、「アメリカは日本に経済制裁する前に」以下の理屈は成立しないと思います。
Posted by kmsn at 2022年02月11日 20:45
 なるほど。でも、それに従うと、南部仏印進駐に文句を言えるのはフランスであるから、第三者たる米国が石油禁輸をするのは、やりすぎでしょう。
Posted by 管理人 at 2022年02月12日 00:25
「やりすぎ」という考えにも一理あると思います。
ただ、アメリカも不戦条約の締約国でしたので、ブログ主さんが日ごろ中国に対する経済制裁を主張されているのと似たような考えで、石油禁輸をするというのも誤りとは言えないと私は思っています。
むしろ石油禁輸は遅すぎた、盧溝橋事件を発端とする日中戦争では、日本は、無差別な戦略爆撃をしたり、いわゆる南京大虐殺をしたと、欧米では報道されていて、アメリカ人の中にも、日本の絹製品を燃やすような抗議行動を取る人もいたようですから、1937年か1938年に対日経済制裁を開始するのが正義にかなっていたと、私は思います。
Posted by kmsn at 2022年02月12日 11:27
もしお時間があれば、「世界史の窓」というサイトの「日中戦争」

http://www.y-history.net/appendix/wh1504-059.html

という記事に、日中戦争の際に対日制裁が成立しなかった経緯が記されています。「隔離演説」のような威勢のいいことは言っていたが、実行はしませんでした。
Posted by kmsn at 2022年02月12日 11:51
 1941年の8月には、日本経済は崩壊しつつあったんだから、石油禁輸を少し強めるぐらいが妥当だった。

 石油の全面禁輸は、(日本にとって)やられたら開戦するしかないのだから、実質的には米国の宣戦布告であった。そうなると、米国は東と西の双方に戦力を割かれるので、ドイツ向けの戦力は半減したことになる。これはまずい。

 とにかく米国の最大目的は、対独戦争だったのだから、国内世論を無視してでも、対独戦争を始めるのが最善だった。そうすれば、戦力の半分を太平洋に割かれることもなく、対独戦争で早く勝利できたし、犠牲者も減らせた。

 日本があまりにも強すぎたことで、米国の予定は大幅に狂ってしまった。最初に甘すぎる計画を立てたのが駄目だったね。
 日本が弱ければ、戦争をしてもいいが、日本がこんなに強いのなら、(石油禁輸で)戦争を吹っかけるべきではなかった。日本を見くびりすぎた。
Posted by 管理人 at 2022年02月12日 11:57
 最後に [ 付記7 ] を加筆しました。
 大事な話が書いてあります。
Posted by 管理人 at 2022年02月16日 20:54
 本項の話は、私が考えたかと思ったが、そうではなかった。実は、4年前の記事で、同等の話を紹介していた。
  → 日米開戦の真相: Open ブログ
   http://openblog.seesaa.net/article/457596522.html

 ※ すっかり忘れていたが、忘れちゃ駄目ですね。
Posted by 管理人 at 2022年02月28日 22:51
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