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そういう問題がある。だが、ここでは特に私の意見は述べずにおいて、歴史的な推移を見よう。すると、次のことがわかる。
・ 第二次大戦では、米国は悪の枢軸国(ドイツ・日本)に勝利し、民主主義を守ったことで、「正しい戦争をなした」という風潮があった。
・ ベトナム戦争(〜1975年)では、米軍の残虐行為が報道され、「戦争は悪だ」という風潮が広まった。帰国した兵士は「殺人者」というふうに罵られた。
・ 1975年〜1990年までは、戦争のない時代だった。冷戦による緊張はあったし、核戦争の恐怖もあったが、(途上国の小国の紛争を除けば)先進国の関与する戦争はなかった。戦争は過去の時代のものとなって、忘れられかけていた。
・ 1991年に、湾岸戦争があった。これはハイテク兵器を駆使した、久々に本格的な戦争だった。恐ろしいほどの爆弾が投入され、恐ろしいほどの死体が出た。ただしその死体は、米兵の死体ではなく、アラブ人の死体だった。米軍の被害はほとんどないまま、圧倒的な勝利を得た。
・ この圧倒的な勝利を見て、米国人は「正しい戦争をなした」と信じた。悪のフセインを打破して、クウェートを解放し、民主主義を守ったのだ。「これぞ正義の戦いだ」と信じた。
・ だが、敗者の側から見れば、見方は 180度、逆だった。米軍がやったことは、ただの大量虐殺だった。クウェートを侵略中のイラク兵士を打破するのなら、ただの戦争だから、別に問題ない。だが、クウェートを出て敗走するイラク兵士や、砂漠の塹壕にひそんでいる兵士に、爆弾の雨を降らして、殺戮した。これは、自衛戦争ではなく、懲罰としての過剰攻撃だ。
・ 特に、(燃料気化爆弾 を使うことで)空気の酸素を奪う形で大量に窒息死させるという、人命殺害だけを目的とした虐殺行為をした。(ユダヤ人をガス室で大量虐殺させたのと同様の行為だ。)フセインには「毒ガス兵器を所有している」と批判したくせに、米軍自身は「窒息死を実行する」という形で、非人道的なことを実行した。
・ 米国があまりにも残虐なことをした(悪魔的な悪をなした)ことで、その痛みを我が事のように感じたアラブ世界には、巨大な恨みが蓄積した。「いつか仕返しをしてやりたい。悪を懲らしめたい」という恨みがたまった。それは「目には目を、葉には歯を」というコーランの教えにも合致した。
・ それが噴出する形で、2001年9月11日、NY テロが発生した。航空機が次々と高層ビルに衝突して、大量の死者を出した。
・ NY テロは、アラブにとっては「やられた分だけ、やり返した」だけなのだが、米国人にとっては「こちらは何も悪いことをしていないのに、いきなり喧嘩を売られた」というふうに受け止めた。
・ 米国は悪を懲らしめるための、正義の戦争に踏み切った。それが、第二次湾岸戦争(別名、イラク戦争)だ。これはイラクに戦火をもたらしただけでなく、アラブ世界を混乱させた。以後、テロ集団である ISIS(イスラム国)の勃興などで、アラブ世界は混乱と戦火に見舞われた。
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以上をまとめよう。
湾岸戦争以前には、世界は長らく平和が続いた。ベトナム戦争の後遺症の形で、米国は厭戦気分が続いて、戦争嫌いの人々が増えて、平和主義が支配的だった。米ソは冷戦中だったが、戦いは言葉の上であるだけだった。途上国の小さな紛争を除けば、戦火は飛ばなかった。
ところが湾岸戦争が起こった。ここでは巨大な戦火が上がった。勝利は大きく、被害は僅少だった。このとき、「正しい戦争」が標榜されて、戦争をすることにもはや何のためらいもなくなった。
以後、アラブ世界やアフガニスタンで、現地人に多大な死者を出して、現地人には恨まれ続けてきたが、常に「正しい戦争」をしていると信じていた。そして、自分たちが大量の殺人をしていることには、心が麻痺していた。
こうして米国人の心は「正しい戦争」という言葉に染まっていった。
だからこそ今も、ソ連に対して「正しい戦争」をすることに、ためらいが生じないのだ。冷戦中ならば、「戦争をすること」自体に恐怖があった。しかし今の米国は、「正しい戦争」という言葉に染まっているので、戦争をすることにためらいがなくなっているのだ。大量の殺害行為をしても平然としていて、心が麻痺していったが、そのとき同時に、戦争をすること自体にも心が麻痺していったのだ。
だから現代人はいとも簡単に、「人類の存亡を賭けたギャンブル」をすることにもためらいがなくなっているのだ。虐殺と戦争に慣れすぎたせいで。
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なお、「正しい戦争」もしくは「戦争」というのは、必然ではない。それなしで済ませることもできる。その方法は「経済制裁」だ。
具体的な例は、北朝鮮とイランだ。この両国に対しては、「経済制裁」があるだけだったので、戦火が上がることはなかった。そのせいで、戦火による死者は出なかった。
「正しい戦争」や「戦争」という考え方を取らなくても、別の道もあるわけだ。
ここで歴史に if を考えてみる。
湾岸戦争のあとで、米国は「正しい戦争」という言葉に染まった。だが、仮に、湾岸戦争のとき、「戦争」でなく「経済制裁」という道を取っていたら、どうなったか?
その場合には、「戦争」が起こらないので、「正しい戦争」言葉に染まることはなかっただろう。世界はそのままずっと「戦争のない時代」が続いただろう。イラク人が米国に大量虐殺されることもなかったので、米国がアラブ人からひどい恨みを買うこともなかっただろう。とすれば、9・11 の NYテロはなかっただろう。ISIS によるアラブのひどい混乱もなかっただろう。
また、ひょっとしたら欧州のアラブ難民もなしで済んだかもしれない。だとしたら、英国の EU離脱もなかったかもしれず、世界はずっと安定的だったかもしれない。
つまり、1980年代のように、国家間の対立(冷戦)はあっても、せいぜい外交的な対立があるだけで、戦死者の出ない時代が続いただろう。……湾岸戦争のときに、「戦争」でなく「経済制裁」という道を取っていたなら。
結局、今日のように大量の戦死者を出したあげく、自らの存亡を賭けたギャンブルをなして、それでも平然としていられるほどにも心が麻痺してしまったことには、湾岸戦争のときに分水嶺があったのだ。あのとき、「経済制裁」でなく「戦争」という道を取った。そのせいで人類は、分水嶺において、それまでの「平和な世界」から、「戦争がありふれた世界」へと、移ってしまったわけだ。その先に人類の滅亡があるとは気づかないまま。
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今の米国は「正しい戦争」という言葉に染まっている。ここで、「正しい」とは、何か?
たとえば「虐殺は悪」というようなことか? いや、それなら、イラク人を大量虐殺をしたことで、米国はイラクの何倍もの悪をなしてきた。
では、たとえば「国連決議への違反」というようなことか? いや、それなら、国連決議に違反して、パレスチナの入植(侵略)を続けるイスラエルを米国は支持している、という問題がある。
では、たとえば「核兵器の保有」というようなことか? いや、それなら、核兵器の保有をしていて、国連の査察を拒否しているイスラエルを米国が支持している、という問題がある。
では、たとえば毒ガス兵器のような、国連で禁止された非人道的な兵器を保有していることか? いや、それなら、国連で禁止された非人道的な兵器である燃料気化爆弾を(保有どころか)使用したのが米国だ、という問題がある。
では、何をもって「正しい戦争」と言えるのか? それはただ一つ。「米国および米国の友人(イスラエル)のやることはすべて正しい」ということだけだ。同じことでも、米国とイスラエルがやれば正しいが、アラブやロシアがやれば悪なのだ。
要するに、ただのジャイアニズムである。
ドラえもん ジャイアン猛言トランプ
これとちょっと似た事例がある。「カルタゴ滅ぶべし」というやつだ。
「カルタゴ滅ぶべし」または「ともあれカルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」は、ポエニ戦争を戦ったカルタゴに対して共和政ローマの政治家大カトが言ったとされる言葉である。
カルタゴとは無関係の演説を行っている時でさえ、締め括りに必ず「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきである」と付け加えた。
ローマは、カルタゴとの覇権争いの中で、度重なる屈辱や敗北を味わわされていた。……その結果ローマは、「カルタゴ滅ぶべし」という言い回しに見られるような、復讐と勝利とを希求する態度を強めていった。
このようにしてカルタゴを目の敵にしたローマは、第三次ポエニ戦争の終結(紀元前146年)に際して、都市カルタゴを灰燼に帰さしめた。ローマは都市カルタゴの建物をすべて破壊し尽くし、生き残った住民のことごとくを奴隷として売り飛ばした。かくしてカルタゴは以降、二度とローマの脅威たりえなくなった。ローマはカルタゴを破壊したのち、同都市国家が再興することのないよう、跡地に塩を撒いたとする伝承が残っている。破壊行為の過酷さをしのばせる逸話である。
( → カルタゴ滅ぶべし:Wikipedia )
このような強圧的な方針は、ジャイアニズムを思わせるが、今の米国とも共通するところがある。
おそらくはローマもまた、「正しい戦争」という言葉を信じて、カルタゴを滅ぼし、圧倒的な残虐さで殺害したのだろう。まるで悪魔のように。
人が悪魔のようにふるまうのは、「自らは正義だ」と信じたときなのである。
【 関連項目 】
→ 燃料気化爆弾の威力: Open ブログ
【 関連サイト 】
本項のテーマとは関係ないが、参考となる話がある。「湾岸戦争について歴史的な情報公開があった」という話。
冷戦終結の翌年にイラクがクウェートに侵攻した「湾岸危機」から30年が過ぎ、当時の外交文書が公開された。
日本外交の転機ともなった、この激動の時期に、政治家や外交官たちは何を考え、どう動いたのか。日本の「湾岸外交」への当時の評価は正当だったのか。これを機に検証が必要だ。
( → (社説)外交文書公開 「湾岸外交」検証の時:朝日新聞 )
「外交文書が公開されたので、歴史的事実を検証しよう」という趣旨だ。一部抜粋しよう。
湾岸戦争で日本は、米国を中心とする多国籍軍に130億ドルを拠出したが、人的貢献がなかったとして「小切手外交」と批判された。外交当局を中心に「湾岸のトラウマ」として語り継がれ、その後の米国のアフガニスタン戦争やイラク戦争に際し、自衛隊を後方支援などに派遣する強い動機となった。
中曽根、小和田両氏の動きに見られるように、米国だけに頼らない、独自の交渉や情報収集の模索はあった。それがなぜ、確固たる外交戦略に結びつかず、「トラウマ」と言われる事態を招いたのか。湾岸戦争開戦後の文書は、来年公開される見通しだ。政府の意思決定の全容を分析し、今後の教訓を引き出さねばならない。
ここでは、話の前提として、「湾岸戦争では、日本は米国に協力するべきだった」ということになっている。それはつまり、「湾岸戦争は正しい戦争だった」と信じているからだ。
だが、今の朝日新聞はそう思っているのかもしれないが、湾岸戦争の当時には、朝日新聞は戦争(武力行使)には反対していたはずだ。「平和的に解決せよ」「経済制裁で対処せよ」という方針を取っていたはずだ。
なのに、今の朝日新聞は、過去の自分たちのことを忘れてしまったようだ。朝日新聞もまた、「正しい戦争」という言葉に染まってしまったようだ。
そのせいで、今の朝日新聞は、「人類の存亡を賭金としたギャンブル」をなすことに、麻痺してしまっている。
湾岸戦争で分水嶺を超えたとき、人類は滅亡に向かって足を踏み入れたのである。「正しい戦争」という言葉を信じながら。
そして、そうなったことの最大の原因は、湾岸戦争で圧勝したことだろう。あれほど劇的に圧勝したことで、人々は「正しい戦争」という言葉を信じるようになったのだ。
素人がギャンブルで身を破滅させる理由は、たいていは最初に大勝ちしたことである。ビギナーズ・ラック(または胴元によるイカサマ)で、最初に大勝ちさせる。そのあと、甘い汁を忘れられなくなった素人は、ギャンブルにのめりこみ、身を破滅させる。
湾岸戦争で圧勝したとき、米国は「正しい戦争」という言葉を信じるようになった。そうして人類の身を破滅させる奈落の道へ、陥ってしまったのである。
【 参考サイト 】
元大王製紙の会長(井川意高)の体験談。最初に 100万円が 2000万円になるというビギナーズラックを味わったので、ギャンブルにのめりこんだ。結局、カジノで 106億円を溶かした。
出典:in a family way
すごく愚かに思えるが、彼は別に、「人類の存亡」を賭けたわけではないし、「皇国の興廃」を賭けたわけでもない。たいして愚かではあるまい。……「人類の存亡」を賭けている現在の人類に比べれば。
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ついでだが、この 106億円は、彼個人が負担したのではなく、大王製紙という会社が(金を盗まれて)負担した。
このとき、カジノのある国は税金が少し増えて儲けたが、ほとんどの金を巻き上げたのは、カジノ会社である。カジノで儲かるのは、カジノ会社ばかりだ。その一方で、被害者の側には、莫大な損失が発生する。大王製紙の例では、大王製紙の会社および従業員に、莫大な損失が発生した。
大阪にカジノができれば、同様の損失が日本には莫大に発生する。その一方で、カジノ会社はボロ儲けする。そのうちのおこぼれを、ひとしずくほど、大阪府がもらう。たったそれだけだ。
大阪府がわずかなおこぼれをもらうために、日本に莫大な損失を発生させて、その利益を米国のカジノ会社に献上する。これはまさしく売国政策と言えるだろう。
→ カジノの話題 いろいろ: Open ブログ
そういう売国政策を実行するのが、大阪維新であり、その大阪維新を支持するのが、大阪府民だ。これもまた一種の自殺行為だ。自らの愚かさに気がつかないまま、破滅に向かって突き進む。

日常的な平坦な寿命以外の死を社会は要求してきます。現代は疾病、乳幼児の病死、社会衛生的な死
を克服しても交通事故等死を常に要求され。何かことが起こればとんでもない死を社会は要求します。
「あらゆる戦争は悪」という場合、では「戦争とは何か」「悪とは何か」ということで。
> 途上国の小国の紛争を除けば
除いても構わないのかという疑問が湧くくらい、
結構な犠牲者が出続けていたような……。
ま、確かにその地域では悲惨であっても、全人類が破滅に至るような状況ではありませんでしたね。
「善」「悪」についてはたいてい自分(自陣)が基準になっているので、お互いに自分が善で相手が悪であるわけで、ヒトがヒトであること、自我を持ち意思を持ち思考力を持つこと自体が原因なのだから、結局争いは必然なのではないでしょうか。個としても集団としても。
エスカレートして行き着く先は、世界大戦なわけです。
NHKでやってた「映像の世紀」を見ると、100年前も今も、ヒト自体はたいして変わらないなぁと思いました。
変わったことと言えば、より殺傷能力の高い兵器が増えているだけ。
→ 燃料気化爆弾の威力: Open ブログ
というのを、後半に加筆しました。
流石、戦前の大政翼賛会の残党、日本会議が蔓延ってる党。
管理人さんのような視点はたまにはBBCやCNNのニュースでも出てきます。これも彼らの自信のなせるわざでしょう。
残念ですが、我々にはなすすべがありません。いくつも嫌なことがあるのですが、中国に頑張ってもらうしかないと思います。
南沙⇒香港⇒台湾⇒尖閣⇒日本と、70年程度の歴史しかない国は目先の利益に左右されます。