2022年02月03日

◆ キューバ危機と第三次世界大戦

 キューバ危機はただの歴史事項ではない。あのとき、第三次世界大戦が起こるのが必然的だった。それが回避されたのは、たまたまの偶然であるにすぎない。人類は本来なら、滅びるはずだったのだ。

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 第三次世界大戦で核戦争が起こって人類が滅びる……というのは、空想的な絵空事だと思う人が多いだろう。しかし歴史上の人類は愚かだ。さまざまな「手違い」「誤算」が起こっている。そのせいで、戦争を起こそうともしないのに戦争が起こる、ということもしばしばだ。
 今現在も、ウクライナでは、戦争を起こそうともしないのに戦争が起こりかけている。ユーゴスラビアでは、かつてはひどい戦争が起こった。……それらのすべては、米国人にとっては(外国の)他人事に思えるかもしれない。だが、米国人にも他人事ではないことがあった。
 それはキューバ危機だ。あのとき、第三次世界大戦が起こるのが必然的だった。それが回避されたのは、たまたまの偶然であるにすぎない。あのとき、米国もソ連も日本も欧州も、すべては滅びるはずだった。なのに、それが回避されて、われわれが今も生きているのは、ほんの偶然の結果であるにすぎない。

 なぜ第三次世界大戦は必然的だったか? それは「誤認」「誤算」による。米軍は、あまりにもひどい勘違いをしたせいで、「どうせ戦争は起こらないさ」と思いながら、道をどんどん進んでいた。しかしそれは核戦争に至る道だった。その道が核戦争への道であるとは理解しないまま、ひたすらその道を進んでいった。
 その詳細は、Wikipedia の解説に詳しい。以下で紹介しよう。

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 まずは「ピッグズ湾事件」があった。
 1960年3月、キューバのソ連への接近を憂慮したアイゼンハワー大統領とCIAは、カストロ政権転覆計画を秘密裏に開始した。キューバ革命で母国を脱出してきた亡命者1,500人を「解放軍」として組織化し、1954年にCIAが主導した「PBSUCCESS作戦」により親米軍事政権が成立していたグアテマラの基地において、ゲリラ戦の訓練を行った。
 ジョン・F・ケネディが大統領に就任すると、カストロ政権転覆計画をCIAと軍部から説明を受けた。この時に「あくまでアメリカ軍が直接介入するのではなく、CIAの援助のもとに亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦」として説明を受けたケネディはその通りに理解し、アメリカ軍の正規軍が直接介入しないことを条件に作戦を許可した。
 当初「正規部隊は介入しない」と軍とCIAはケネディ大統領に説明していたにも拘らず、亡命キューバ人部隊の劣勢を受けて「状況を挽回するために正規軍を介入させたい」と軍が主張するも彼は拒否、結局亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなどして壊滅、作戦は完敗に終わった。
( → キューバ危機 - Wikipedia

 このあと、ケネディはフルシチョフと会談して、賢明な会話をした。
 ケネディ大統領とフルシチョフ首相は最初で最後の首脳会談に臨んだ。この会談でケネディが持論であった大国同士の『誤算』が戦争を引き起こすことについて話すと、……ケネディはキューバの状況に関して判断ミスがありピッグス湾事件は誤りであったことを認め、両者は『誤算を生む可能性を排除すること』に同意した。

 その後、ソ連は秘密裏に、核ミサイルをキューバに搬入した。しかしそれを米軍は探知できなかった。そうなっているとも思っていなかった。
 CIAは4000〜6000人のソ連人がキューバへ入国していると結論づけた。ソ連が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないがソ連はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった。

 ソ連から、通常の工作機器の輸出に巧妙にカモフラージュされたソ連製核ミサイルや、核兵器が搭載可能でアメリカ東海岸の主要都市に達する航続距離を持ったイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に貨物船でキューバに運ばれた。さらに核兵器の配備に必要な技術者や軍兵士もキューバに送られ、急速に核ミサイルがキューバ国内に配備されはじめた。
 しかし……アメリカの情報チームは、ソ連によって行われた巧妙なカモフラージュを全く見抜くことができなかった。
 SS-4核ミサイルとその弾頭99個、さらに核兵器の搭載が可能なイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に運ばれ、……配備が始まっていることには気が付かないままであった。

 こうして核戦争の準備は十分に整った。いわば米国の足元に巨大な爆弾が配置された状態である。あとは導火線に火を付けるだけで巨大な爆弾が爆発する……という状況だった。ただし、米国はそのことにまったく気付かなかった。あくまで楽観していた。
 しかしその後、中距離ミサイルを発見した。
 U-2偵察機が撮影した写真について……解析が行われた。……解析班は、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を発見、さらにその後3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)を発見した。
 ケネディ大統領は……緊急に国家安全保障会議を招集する決定を下した。
 この席でケネディは……徹底的に調査するように命じた。……この10月16日から13日間が歴史に深く刻まれ核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。

 このあと、選択肢は「空爆」と「海上封鎖」に絞られた。そのどちらを取るかが問題となった。軍部は「空爆」を主張して、リベラル派は「海上封鎖」を主張した。判断は大統領に委ねられた。
 最初は空爆が有力であった。ソレンセンは少なくとも17日の段階までケネディも空爆に傾いていたと述べている。

 統合参謀本部のメンバーはキューバへの空爆を支持していたが、マクナマラやロバート・ケネディは海上封鎖を主張した。マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対であった。彼はフルシチョフに24時間の猶予を与えるべきでこの手順を踏んでしかし最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。アチソン元国務長官はより強気で発見されたミサイルを早急に破壊するための外科手術的空爆に賛成した。ここでアイゼンハワー(前大統領)に電話でケネディは意見を聞いているが、前大統領はキューバにある軍事目標全体への空爆を支持した。

 ケネディ大統領は核戦争を懸念して、空爆には慎重だった。
 ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も最初は封鎖して、フルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れることでその主張を後退させた。そして封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとすることで、この日にはケネディは海上封鎖の選択に傾いた。
 統合参謀本部のメンバーとの協議の席で、テイラー議長は……早急な軍事行動が必要とする意見を曲げなかった。そして参謀総長らが空爆や侵攻を強く主張し、空軍参謀総長のカーチス・ルメイは封鎖は弱腰と判断されるとしてケネディを苛立たせた。この直後、ケネディは「お偉いさん達の意見をその通りにして間違っていたら、間違っていたと言おうにも誰も生きていないことになる」と補佐官のケネス・オドンネルに吐き捨てるように言い残した。

 最終的には、ケネディは「海上封鎖」を選択した。
 この日午前の会議(大統領は中間選挙遊説で欠席)では2つのグループに分かれて海上封鎖と空爆について最も有力なシナリオを提示することにした。……マクナマラの空爆を認めながら海上封鎖を優先させるべきとの意見とロバートの「会議で空爆と結論を出しても大統領は受け入れないだろう」との意見が通り、海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施という折衷案がまとまった。

 20日午後2時30分からの正式な会議で……ケネディは……まず封鎖から始めて必要に応じて行動を強めていく……として、……海上封鎖の実施を決断した。

 ケネディ大統領は10月22日午後7時からテレビ・ラジオを通じてアメリカ国民にキューバにおける新しい事態の説明を始めた。

 「海上封鎖」が決まったあと、ソ連は大いに反発した。
 フルシチョフはケネディに書簡を寄せ、「世界核戦争のどん底に突き落とす攻撃的行動」で「海賊行為」であり「封鎖を無視する」とした。この日の夜に再びフルシチョフから書簡が届き、封鎖には従わない、必要なあらゆる手段を取ると記してあった。

 ただし言葉とは裏腹に、フルシチョフは行動では慎重だった。実際に対決すれば核戦争になると懸念したからである。
 フルシチョフは実際には慎重であった。これらの船舶は本国からの指示によりアメリカ海軍により通達された海上封鎖線を突破することはせず、海上封鎖線手前でUターンして引き返した。ソ連の貨物船は、もし公海上での臨検を受け入れた場合はアメリカの「恫喝」に屈服する形になるだけでなく、アメリカ側に様々な軍事機密が流れてしまう恐れがあることから臨検を受けることをよしとせず、また海上封鎖を突破し攻撃を受けた場合は即座に報復合戦となり、さらに全面核戦争になる可能性が高いことから、回避行動に出たのである。

 この間、国連では、米国がキューバにあるミサイルを撮影した航空写真を呈示して、「そんなものはない」とシラを切ったソ連は嘘をついていると暴露した。世界に向けてソ連を悪者だと印象づけることに成功した。
 10月25日の緊急国連安全保障理事会で、アドレイ・スティーヴンソン国連大使がそれまで極秘で公開していなかった航空写真を用いてソ連のゾーリン国連大使と対決し、劇的な効果を収めた。

 アメリカが核戦争寸前の警戒態勢に入った、との報告を受けたフルシチョフは、核戦争の勃発を懸念した。そこでついに(かねてから考えていたように)妥協を決めた。アメリカと取引して、一定の条件で、ミサイル基地の撤去を受け入れることにした。
 10月26日の朝、フルシチョフに、アメリカからの情報として、米空軍戦略航空軍団に史上初めて警戒レベルDEFCON2の防衛準備態勢に入るように命じられたとの報告をKGBから受けた。この時にフルシチョフはもはや待つ余裕はなくなったと腹を決めて、ケネディ宛てに書簡を送ることとした。それはミサイル撤去についての提案であった。
 書簡は、……、もしアメリカがキューバを攻撃・侵攻しないと約束すれば、国連の監視下でミサイルを撤去するという旨の内容であった。

 しかしそれで事態が収拾したわけではなかった。
 26日午後10時にDEFCON2となり準戦時体制が敷かれた。
 DEFCON2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットへ、飲料水や食料などを買いに殺到する事態が起きた。

 さらに、偶発的な出来事から、空爆開始の寸前になることがあった。
 キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のU-2がソ連軍のS-75地対空ミサイルで撃墜され、操縦していたルドルフ・アンダーソン少佐が死亡する事件が起こった。実は23日の会議で、もし偵察飛行中に米軍機が撃墜されるような事態が生じた場合は、SAM(地対空ミサイル)基地に1回だけ報復攻撃を加え、その後も相手が攻撃を加えて来た場合は全面的に叩き潰す方針を決定していた。従ってこれに対する行動はエクスコムのほぼ全員がSAM基地の破壊で一致した。
 しかしケネディはこの決定を引き戻し、……すぐに反撃ではなく1日待つこととした。しかし参謀本部は一気に態度を硬化して即時空爆を主張、10月30日の時点で大規模空爆を仕掛け……るべきとの意見が強まった。

 同様に、戦闘開始の寸前になることがあった。ただしギリギリのところで回避された。
 10月27日昼頃、冷戦終結後になって分かったことだが、アメリカ海軍は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍のフォックストロット型潜水艦B-59に対し、その艦が核兵器(核魚雷)を搭載しているかどうかも知らずに、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、……海上封鎖線から去ることにより核戦争は回避された。

 その後、ケネディはフルシチョフの書簡に答える形で、おおむね同内容の提案をして、解決を提案した。
 「私はあなたからの10月26日付けの書簡を大変注意深く読み、この問題への早急な解決を求める熱意が述べられていたことを歓迎します。……書簡で示された線に沿って、解決に向けた取り組みを、この週末に国連事務総長代行の下で作成するように指示しました」

 これを受けて、フルシチョフは返信をただちに送るために、モスクワ放送で返信を公表した。
 フルシチョフはこのチャンスを逃すことなくその場で返信を口述した。そしてアメリカにこの返信がすぐに届くように前回と同じくモスクワ放送を通じて早急に読み上げるよう命じた。この声明に関するニュースはまもなく世界に広がった。
 ワシントン時間10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相がモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表し、同時にアメリカでもラジオで放送されて伝わった。フルシチョフはアメリカがキューバに侵攻しないことと引き換えにキューバのミサイルを撤去することに同意したのであった。

 このあとキューバにあったミサイルは撤去されて、ソ連に次々と返送されていった。かくてキューバ危機は最終的には回避された。

 実は、合意の前には、マクナマラは悲観していた。
 10月27日……明日の会議は10月30日に空爆か侵攻を行うかで開かれる予定であった。……誰もが30日火曜日には戦争が起こると予測していた。マクナマラは後に「あの日見たポトマック川沿いの夕日は美しく、その時この夕日を生きてもう一度眺めることができるのだろうか、と思った」と語っている。



ポトマック川の夕日
potomac-sunset.jpg
出典:ポトマック川でクルーズ


 しかるに、合意のあとでは、人々は安堵に包まれた。
 ソレンセン大統領顧問は自宅で朝のラジオで聞き、夢かと思った。
 ホワイトハウスは深い安堵感に包まれていた。

 こうして危機は解決し、第三次世界大戦は直前で回避された。めでたしめでたし……というふうに思えた。

  *      *      *      *

 ところが、その時点では気がつかなかったが、冷戦終結後に、意外な事実が判明した。めでたしめでたし、ではなかったのだ。実際には、人類は滅亡寸前であった、と判明したのだ。
 冷戦終結後にロシアの公開した情報によると、キューバ危機の時点でソ連は既にキューバに核ミサイル……を9月中に42基(核弾頭は150発)配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。
 またキューバ軍の兵士の数は、アメリカ側の見積もりの数千人ではなく4万人であった。カーチス・ルメイ空軍参謀総長を始めとするアメリカ軍は、その危険性に気付かず、「圧倒的な兵力」と思い込んでいた軍事力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
 もしフルシチョフの譲歩がなく、カーチス・ルメイの主張通りキューバのミサイル基地を空爆していた場合、残りの数十基の核ミサイルがアメリカ合衆国本土に向けて発射され、核戦争によって、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が非常に高い。

 つまり、米国は根本的な誤認をしていたことになる。
  ・ すでに核ミサイルは配備済みなのに、未配備だと信じていた。
  ・ キューバ軍兵士の数を、圧倒的に過小評価していた。
  ・ 空爆すれば簡単に圧勝できると見込んでいた。
  ・ その前提の上で、軍は空爆を強く主張していた。
  ・ ケネディが慎重でなければ、空爆が実施されていただろう。
  ・ そのあとは予想に反して、核ミサイルが降りかかっただろう。

 こういう経路を取ることは十分にありえたのだ。というか、むしろ、本来ならばそうなるはずだったのだ。米軍の思い違いのせいで、空爆が始まって、核ミサイルが飛び交い、世界は第三次世界大戦になるはずだったのだ。それが本来、人類が進むはずの道だった。
 フルシチョフはこうも述べている。
「正直なところ、アメリカが戦争を開始しても、当時の我々にはアメリカに然るべき攻撃を加えられるだけの用意はなかった。とすると、我々はヨーロッパで戦争を始めることを余儀なくされただろう。そうなったら無論、第三次世界大戦が始まっていたに違いない」

 ヨーロッパに飛び火して、第三次世界大戦が起こるのが必然だったのだ。そしておそらく極東でも、米ソ間で核ミサイルが飛び交うはずだったのだ。それが本来、人類が進むはずの道だった。
 ではなぜ、現実には、第三次世界大戦は起こらなかったのか? 何が戦争を止めたのか? 

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 それについて、私なりに答えよう。ここまでの話は、単に Wikipedia を引用して紹介するだけだった。しかしこのあとは、Wikipedia を引用しながらも、私の見解を述べよう。
 なぜ第三次世界大戦は起こらなかったのか? その理由は、こうだ。
 「二つの偶然があった。その二つの偶然のおかげで、たまたま第三次世界大戦は回避された」


 では、二つの偶然とは何か? 次の (1)(2) だ。

 (1) ソ連のスパイ

 ソ連の中枢には、西側のスパイがいた。彼はソ連人であったが、ソ連を裏切って、情報を西側に与えた。
 ではなぜ、彼はソ連を裏切ったか? 悪質な裏切り者であったからか? 違う。彼は人類を救おうとしたのだ。このままでは第三次世界大戦が不可避だと考えて、人類を救うためにはソ連の秘密情報を西側に伝えるべきだと信じた。だからこそ、彼はソ連がミサイル基地をキューバに建設しているという極秘情報を伝えて、この建設を止めることで、第三次世界大戦を回避しようとしたのだ。
 この人物はあまりにも崇高な人物だ。祖国を裏切ってまで、人類全体を救おうとした。そして、それはまさしく実現した。たった一人の崇高な人間が、国家レベルの判断をせずに、人類レベルの判断をした。そのおかげで、人類は滅亡を免れて、今日も存続しているのである。たった一人の意思が、人類の存否を決めたのだ。
 このことは、Wikipedia にも記してある。
 アメリカの諜報員にキューバにおけるミサイル発射サイトの計画案をはじめとする核ミサイルの配備状況を伝え、アメリカの偵察機による核ミサイルの発見に多大な貢献をしていたソ連軍参謀本部情報総局の大佐……オレグ・ペンコフスキー。
 ソ連軍参謀本部情報総局大佐で後に亡命したヴィクトル・スヴォーロフは、「歴史家はGRU大佐オレグ・ペンコフスキーの名前を感謝の念とともに心に留めることになるだろう。彼の計り知れない価値のある情報によってキューバ危機は最後の世界大戦に発展しなかったのだ」と述べている。

 彼の名は、Wikipedia には独自項目もある。
 イギリスとアメリカ合衆国へ情報を流すスパイとなり、キューバ危機において重要な役割を果たしたが、露見し処刑された。
 ペンコフスキーが祖国を裏切ろうとした理由は明らかではない。
( → オレグ・ペンコフスキー - Wikipedia

 「理由は明らかではない」というが、それは国レベルの価値基準で考えるからだ。人類レベルの価値基準で考えれば、「彼は人類を滅亡から救おうとしたのだ」とわかるはずだ。そんなことも理解できない人が多いのは残念だ。
 ともあれ、こういう稀有なスパイがいたというのは、特別な偶然である。その偶然のおかげで、人類は滅亡を免れたのだ。

 ついでだが、ペンコフスキーに協力して、文書の「運び屋」となった人物もいた。グレヴィル・ウィンという。この二人の人物を主人公にした映画も公開されている。
 今なお人類文明が続いているのは、『クーリエ:最高機密の運び屋』で描かれる2人の男、グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーの秘密の信頼関係があったからといっても、ほとんど過言ではない。1960年代、キューバ危機によって第三次世界大戦の勃発が目前に迫っていた裏で、核戦争を命がけで防いだ2人の真実の物語。

 SF映画の世界では、……この世界はしばしば滅亡の危機に晒される。しかし現実の世界は 1960年代初頭、本当に一度滅亡の危機に瀕したことがある。それが1962年の「キューバ危機」だ。
( → 『クーリエ:最高機密の運び屋』カンバーバッチの共依存がつくる緊迫のサスペンス


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 (2) テレビ討論

 日米間で最初の宇宙中継が実現したとき、そこで伝えられたのは「ケネディ暗殺」という衝撃的な出来事だった。
  → 初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報 | NHK

 だが、宇宙中継は別として、国内放送なら、もっと前からなされていた。そして、テレビの番組の影響で、世界が大きく動いた事例があった。それは、ケネディ大統領の当選である。
 テレビ討論なしのときには、ケネディはニクソンに劣っていた。だが、テレビ討論が始まると、ケネディはニクソンを上回るようになった。
 1960年9月26日に大統領選挙では初めて大統領候補者同士のテレビ討論が行われ、この日から合計4回実施された。その模様はテレビで全米に放送され、約7,000万人のアメリカ国民が見ることとなり大統領選挙に大きな影響を与えた。ケネディは知名度では現職の副大統領であるニクソンに劣っており、テレビ討論の直前に行われた支持率調査でもニクソンの支持率が優っていた。選挙後に出版された多くの書物内ではテレビ討論会がケネディがニクソンに勝利した原因であるとされている。
 後にラジオで討論を聞いていた人は「(討論内容だけ聞く限りでは)ニクソンが勝った」という意見が多く、テレビで討論を見た人は「ケネディが勝った」という意見が多かった。
 テレビ討論会が結果として選挙戦の大きな分水嶺になったことは、ケネディにとって2つの重要な意味があったとされている。第1はテレビを通じて生き生きとしたイメージを有権者に伝えたこと、第2は討論を通じて弁論の巧みさを示して有権者を魅了したことで、この討論会でケネディはニクソンをリードしたことになった。当選後の11月12日にケネディは「運命の分かれ目を決めたのは、何よりもテレビ討論会であった」と語っている。
( → ジョン・F・ケネディ - Wikipedia

 テレビ討論が始まったのは、このときが初めてであり、それは歴史上の偶発事にすぎない。ただの偶然である。だが、その偶然の出来事の効果で、意外にもケネディが接戦で勝利したのだ。
 本来ならば、アイゼンハワーの下で副大統領を務めた、実績十分なニクソンが当選するはずだった。若すぎて実績のないケネディは、国民に信頼されずに、当選するはずがなかった。ところが、テレビ討論が始まると、テレビ画面上では見映えのいいケネディが圧倒的に好印象を与えた。かくて、テレビのおかげで大逆転をして、ケネディが当選したのだ。
 つまり、ケネディが有能だから当選したのではなく、そのときたまたまテレビ討論が始まったという偶然のおかげで、ニクソンのかわりにケネディが当選したのだ。

 そして、その結果は? 好戦的なニクソンのかわりに、平和主義のケネディが大統領に就任した。そのことで、空爆論を主張する軍部を抑えた。また、政権内には、平和主義のマクナマラやロバート・ケネディがいて、軍部と対抗できた。……こういうことができたのは、ケネディが大統領だったからだ。そのケネディが大統領になれたのは、テレビ討論会のおかげだった。
 つまり、テレビ討論会のおかげで、空爆論の軍部を抑止して、空爆を止めることができたのだ。結局、テレビ討論会のおかげで、人類は第三次世界大戦を回避したことになる。
 こういう偶然のおかげで、人類は滅亡を免れたのだ。

 ※ テレビ討論が始まったのには、このころテレビの普及率が急激に上昇したことも関係している。


米国のテレビ普及率
televvision-usa.jpg
During the so-called “golden age” of television, the percentage of U.S. households
that owned a television set rose from 9 percent in 1950 to 95.3 percent in 1970.

( → The Evolution of Television



 この図からすると、もしテレビの普及が5年遅れていたら、テレビ討論会はなかっただろうし、その場合には、人類は滅びていただろう。

 ――

 結局、人類は紙一重のギリギリのところで、たまたま幸運にも、滅亡を免れたのだ。「薄氷の勝利」という感じだ。われわれが今日、生きて呼吸できるのも、そのギリギリの幸運のおかげなのだ。仮に二つの偶然がなかったなら、私もあなたも、今ごろは生きていない。

 ポトマック川の夕日を、マクナマラはその後、何年間も何十年間も見ることができた。それは彼が幸運だったからだ。その幸運は、二つの偶然によってもたらされたのである。

posted by 管理人 at 23:58 | Comment(3) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 有益な話 ありがとうございます 

 管理人さんはこの物語を報告された折の中国共産党幹部のもれ伝わる談話 ご存じですか
Posted by k at 2022年02月04日 08:51
いつも世の為人の為に戦った者、英雄に近い者が、犠牲になる。
これ何とかなりませんかね。

管理人さんなりの考えで世界を救ったスパイを救う方法も無かったのかと。
そう言えばソ連を崩壊させても国を守ったゴルバチョフ氏も国外追放。

半沢XXX見たいで実にやるせない。
Posted by 考える人 at 2022年02月04日 19:19
 人類のための犠牲になるから、英雄なんです。
 犠牲にならなければ、英雄ではなくて、ただの「表彰もの」で片付きます。良くある話。

> 半沢XXX

 現実にはありえない話だから、ドラマになるんです。わざと歌舞伎ふうにして、おおげさな振り付けにしているし。
Posted by 管理人 at 2022年02月04日 20:40
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