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冬になると「寒い、寒い」と感じることが多いが、手だけが特別に冷えても、「寒い」というふうには感じず、「冷たい」というふうに感じる。まるで手が自分自身の体ではなく、自分以外の物体であるかのようだ。
では、どうしてこういう違いが生じるのか?
すぐに思いついたのは、「胴体と手足」という差だ。「寒い」と感じるの胴体で、「冷たい」と感じるのは手足だ、ということだ。
だが、よく考えると、足が冷えるときには、「冷たい」というよりは「寒い」というふうに感じる。とすると、足は手とは違うようだ。
では、手だけが別なのか?
いや、耳も「冷たい」と感じるものだ。
では、小さな末端だけが「冷たい」と感じるのか?
あるいは、感じ方ではなく、ただの言語的な認識の差にすぎないのか? 手や耳を「自分以外の物体」と見なすような認識の差があるのか?
ひょっとして、「自分と他者」ではなく、「致命的と非致命的」という差か? つまり、胴体が冷えることは致命的になるから重要視して、手や耳が冷えることは致命的でないから軽視しているのか? そういう重要性の差なのか?
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こう考えているときに、まったく別のものとして、思い出したことがあった。NHK のサイエンスZERO で紹介していた、昨年のノーベル医学賞の紹介だ。そこでは、体内の温度センサーが発見されたいきさつが紹介されている。

人間の感覚のセンサーはすでにいろいろと発見されている。視覚・聴覚などのセンサーは詳細に解明されている。一方、温度についてのセンサーは、まったくわかっていなかった。
ところが、上記の動画の研究で、温度のセンサーが解明された。それはイオンチャネルというものだ。しかもそれは、痛みのセンサーと共通していた。同一のセンサーが、温度にも痛みにも共通して働いていたのだ。
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サイエンスZEROでは、話はそこまでだ。だが、ネットを調べると、さらに詳しい情報がわかる。次のように。
イオンチャネルは、最初に TRPV1 が発見されたあとで、次々と同類のものが発見されていった。これらは「温度感受性 TRP チャネル」と総称される。
→ 温度受容のしくみ
これらのイオンチャネルのうち、特に二つが重要だ。
末梢感覚神経に特異的に発現するTRPファミリーに属するイオンチャネルが、この温度受容において重要な役割を持つことが明らかになっています。たとえば、TRPV1は43℃以上の熱いという感覚を(論文1)、また、TRPM8は23-26℃の冷たいという感覚を伝えます(論文2)。
冷たさを伝えるTRPM8を欠損させたマウスでは、温かい刺激を学習できませんでした。つまり、「温かい」を知覚するためにTRMP8が必要だったのです。さらに、野生型マウスにおいて、マウスの体温下で常時活性化され、温度の上昇に伴って抑制される神経系が存在することを明らかにし、この神経系がTRPM8を欠損させたマウスでは消失していることもわかりました。これらの結果から、TRPM8によってある神経の活動が抑制されることが、温かさを伝えるために必要であることが示唆されました。
今回の研究では、温かいという刺激によって、2つの異なる神経がそれぞれ活性化、抑制されるというあたらしい温度感受モデルが示されました。このような仕組みのおかげで、マウスは「温かい」と「冷たい」混同せずに識別できるのです。
( → 東京大学 坪井研究室|トピックス )
「熱い」という感覚を知るには、TRPV1 だけがあれば足りる。その TRPV1 は、「痛い」という感覚を知るのと同じイオンチャネルである。
23-26℃の「冷たい」という感覚を知るには、TRPM8 が必要だ。
そして、「温かい」という感覚を得るには、TRPV1 だけでは足りず、TRPM8 もまた働くことが必要だ。しかも、その働き方は、抑制の方向の働き方なのだ。
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これはどういうことか?
23-26℃の「冷たい」という感覚というのは、0℃ぐらいの「冷たい」というのとはちょっと違っていて、「やや冷たい」という感じだろう。「やや冷たい」というセンサー(23-26℃)が働くのだが、ただし、抑制の方向の働きだから、「やや温かい」という感じだろう。
つまり、「熱い」と「やや温かい」という二つのセンサーが働いたときだけに、「温かい」と感じるわけだ。
一方で、「熱い」というセンサーだけが働くときには、熱いのと痛いのとの区別はできていないわけだ。
とすれば、「熱い」というセンサーだけが働くときには、それは痛みと区別されないまま「危険だ」と感じることになる。一方、「熱い」と「やや温かい」という二つのセンサーが働くときには、それは「体に優しくて安全だ」というふうに感じることになる。
※ 上記は、私の解釈である。どこかに出典があるわけではない。
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では、「冷たい」と「寒い」の違いはどうか?
これは、「熱い」と「暖かい」の場合と対称的になる……と思えそうだが、よく考えると、そうではない。「熱い」は「痛い」と同じで、危険を知らせる鋭敏なセンサーだが、「冷たい」は「痛い」と同じではないし、危険を知らせる鋭敏なセンサーでもない。熱いものに触れると、手は火傷して危険だが、冷たい水に手を入れても、手は特にどうということもない。(ドライアイスに手で触れるのは危険だが、古代人類の歴史上ではドライアイスに手で触れるような局面はなかった。)
私の想像では、0℃ぐらいを知る「冷たい」には、「痛い」とは別のセンサーがあるのだろう。これは「熱い」の場合とはまったく異なる。
一方で、「かなり冷たい」という、 10℃ぐらいの温度を知るセンサーがあるかもしれない。そして、このセンサーと、0℃ぐらいを知る「冷たい」というセンサーの働きで、「寒い」という感覚が生じるのかもしれない。ちょうど、二つのセンサーの働きで、「温かい」という感覚が生じたように。
だが、もしかしたら、「冷たい」と「寒い」は同じセンサーが担当して、単にセンサーの配置される場所だけが異なっているのかもしれない。(胴体と末端というふうに。)
そこはまだ、よくわからない。
ともあれ、温度のセンサーがあると判明したことで、「熱い」「温かい」「寒い」「冷たい」という感覚について、いくらかは科学的に解明が進んだ、と言えるだろう。(全貌が明らかになったわけではないにせよ。)
【 追記 】 (解決編)
「寒い」センサーは、「やや温かい」「やや冷たい」のセンサー(23-26℃)と共通しているかもしれない。というのは、内部体温は、あまり下がることはなくて、このくらいの温度ぐらいまでしか下がらないことが多いからだ。
特に、体の奥の深部体温は、寒さのなかでも 33℃ぐらいまでしか下がらない。これ以上体温が下がると、低体温症で、死ぬ危険が生じる。30℃では、死ぬ直前と言えるほどだ。
→ 低体温症
一方、体表や体表付近では、かなり温度が下がることもある。寒風を浴びると、顔の表面や手足の表面付近が 25℃ ぐらいまで下がることがある。同時に、最も外側の表面では 5℃ ぐらいまで下がることもある。そこで、
・ 表面付近が 25℃
・ 最も外側が 5℃
という条件で「寒い」と感じるとしたら、それはそれで「寒い」の基準となりそうだ。
一方、
・ 表面付近が 20℃ 以下
・ 最も外側が 5℃
という条件では、「寒い」の条件を満たさないので、「冷たい」と感じるというのも、ありそうだ。これは、「寒い/温かい」のセンサー(23-26℃)が働いていない状態なので、「熱い」という状態とも似ている。
「寒い/温かい」のセンサー(23-26℃)が働くと、「温かい」のときには「快い」という気分をもたらし、「寒い」のときには「不快だ」という気分をもたらすので、この点でも整合的・統一的だ。
これで一応、「解決編」となる。(正解である保証はないが、一応、理論的には説明が付く。)
【 後日記 】(問題提起編)
新たに疑問を感じたことがある。
「危険に瀕したとき、ひやりとすることがあるが、このときには《 寒い 》というセンサーが働いているようだ」
実は、ついさっき、自転車に乗っていると、道の角から急に人が飛び出した。ぶつかりそうになったわけではないが、ぶつかるかもしれないという危険を感じた。このとき、体の全体がヒヤリとした。それはまさしく《 寒い 》という感覚そのものだった。
このあとで、「これは交感神経が関係しているのかな」と思ったのだが、先日のこの項目を思い出した。《 寒い 》と感じるイオンチャンネルがあるのだ、と。
では、いったい、どういうことか? ひとまず考えられる仮説はこうだ。
「危険に瀕すると、交感神経が励起するが、そのとき、《 寒い 》のイオンチャンネルが開く」
これはこれで説明になるが、「どうして危険と寒さのイオンチャンネルが同じになるか?」という疑問が生じる。この疑問には、次のことがヒントになる。
「熱いのと痛いの辛いとは、ともに共通するセンサーが働く」
これは下記で説明されている。
富永真琴教授は「辛みは味ではない」と話す。トウガラシのカプサイシンがTRPV1にくっつくと、三叉神経経由で脳に情報が伝わり、痛みとして認識される。辛みとは、痛みなのだ。
TRPV1が辛みに反応すると同時に、セ氏43度以上の高温にも反応することも明らかにした。「辛さと熱さは英語で書けばどちらも"hot"だが、それを感じるセンサーも同じだった」
( → 「辛い」の科学 痛みがおいしさに変わるメカニズム: 日本経済新聞 )
これにならえば、「怖い」と「寒い」で同じセンサーが働く、ということもありそうだ。とはいえ、「怖い」というのは、何かに接触して感じるのではなく、何かを見て感じる。……そこには根源的な違いがある。
というわけで、この問題は、いまだに解決できていない。本項では、問題提起だけ、しておこう。

一方で、「かなり冷たい」という、 10℃ぐらいの温度を知るセンサーがあるかもしれない。そして、このセンサーと、0℃ぐらいを知る「冷たい」というセンサーの働きで、「寒い」という感覚が生じるのかもしれない。ちょうど、二つのセンサーの働きで、「温かい」という感覚が生じたように。
⇒ ここ、ちょっとよくわかりません。
・ 一方で、「かなり冷たい」という、マイナス10℃ぐらいの温度を知るセンサーがあるかもしれない。
・一方で、「やや冷たい」という、 10℃ぐらいの温度を知るセンサーがあるかもしれない。
「一方で、」の後の文章を、上のどちらかにすると流れるかもしれません。それ以外のところも読むと、整合性があるのは後者のほうですかね。
⇒ 2つのセンサーがあるかもという推測については、「熱い(43℃以上)」「やや温かい(23-26℃)」は例えば指先だけでも判別できる(TRPV1とかTRPM8という以前に、大ざっぱに体温より高いか低いかでわかる)と思うのですが、「冷たい(例えば0℃)」と「やや冷たい(例えば10℃)」は指先だけでは判別しにくい気がします。
※ 両方の温度のモノに交互に指で触れれば差はわかりますが、どちらかに1回だけ触れて判別するのは難しそうという意味(いわば、この温度域では、相対「温」感はほぼ誰にでもあるが、絶対「温」感は誰にもはなさそう)です。
ですから、
> だが、もしかしたら、「冷たい」と「寒い」は同じセンサーが担当して、単にセンサーの配置される場所だけが異なっているのかもしれない。(胴体と末端というふうに。)
の推測のほうが真実に近いような気がします。
「かなり冷たい」(10℃)は、別のセンサーです。
また、-10℃くらいの日が何日か続いたあとには、0℃くらいだと「暖かい」という感覚を持ちます。
相対的な感じ方という領域もあるのかもしれません。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15181453.html
ただ、そういうの、服を着ているという条件での話ですよね。素裸で マイナス20度や 0度だと、さすがに暖かいとは感じないはず。
を最後に加筆しました。