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コインハイブで逆転無罪の最高裁判決が出た。おおむね「妥当だ」と歓迎する声が強い。理由がわからない人は、ネットにある解説記事を読むといいだろう。
簡単に言えば、これは IT 技術の問題なのだから、 IT 技術に詳しい人が決めればいいことだ。 IT 技術のことをわからない警察が、勝手に感情論だけで逮捕するのは、阿呆による権力の濫用だ、ということになる。
そもそも、地裁では「無罪」で、最高裁でも「5人全員が無罪」なのだが、高裁の裁判官だけが(無知なまま)「有罪」にしてしまった。ここでも阿呆がいたので、話がこじれてしまったようだ。
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さて。この件では、警察が阿呆だったことが根源であるようだが、これをもって、警察を批判する声が強い。
たとえば、下記記事がある。
今回の最高裁判決を受け、捜査現場への影響はあるのか。平野弁護士は「最高裁で具体的な解釈論が示されたことで、警察が濫用的に取り締まりを行うことは減っていくだろう」と期待した。
( → コインハイブ事件、最高裁で無罪に 男性「心底安堵しています」戦い振り返る - 弁護士ドットコム )
朝日新聞は、識者の意見という形で、こう報じている。
コンピューター犯罪に詳しい園田寿・甲南大名誉教授(刑法)は「新しい科学技術は善にも悪にも使える。社会の進展に資する場合もあり、警察は実際に被害が生じるおそれが出たときに介入するのが望ましい。今後は技術者の意見を丁寧に聴くなど慎重な捜査が必要だ」と話した。
( → 他人のPC使う暗号資産獲得プログラムの利用、最高裁で逆転無罪:朝日新聞 )
なるほど、この人は、コンピューター犯罪に詳しいようだが、肝心の司法には詳しくないようだ。(刑法が専門であるくせに。)
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そこで、私が指摘しよう。司法のイロハというものを、ここに書く。(中学生レベルの話だ。)
司法では、裁判所に訴えるのは、警察ではなく、検察である。検察官が、起訴するか起訴しないかを決める。起訴すると決めたら、公判請求をして、裁判が開かれる。
ここで、警察が滅茶苦茶な逮捕をした場合には、検察官が「それじゃ法的に道理が通らない」または「裁判をしても無罪になるに決まっている」と思って、起訴しないことを決める。(不起訴または起訴猶予)
だから、警察が滅茶苦茶な逮捕をしたとしても、検察官が「不起訴」を決めれば良かったのだ。それが、本来のあり方だ。
そもそも、今回のように「前代未聞の事件」については、法的判断が難しい。だから、法的な判断をするのは、検察官であるべきだ。警察が法的判断をするのでなく、検察官が法的判断をするべきだ。
ゆえに、今回、無実の市民を起訴した責を負うのは、法的判断を担当する検察なのであって、法的判断をしない警察ではないのだ。
なるほど、「警察が逮捕したのだから、逮捕したことには警察が責任を負う」とは言える。だが、警察が責任を負うべきは、逮捕したことだけだ。その拘留期限は 48時間だけである。ここまでは警察の責任だと言える。だが、それだけだ。そこで送検されたあとは、すべて検察の責任となる。
ここで、検察は、送検された被疑者について、事情を聞いた上で、「可罰性がない」と判断して、ただちに不起訴で釈放するべきだった。「警察が逮捕したから起訴する」なんていう無責任なことではなく、自ら法的に判断して、「不起訴にする」と決めるべきだった。
どうせ検察には IT 技術の知識はないのだから、身近な IT 技術者にお知恵を拝借した上で、不起訴を決めるべきだった。
なのに、検察はそうしなかった。自らの IT 技術の無知を理解しないまま、とにかく「とりあえず起訴してみよう」という方針を取った。そこが、根本的に誤りだったのだ。
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検察はどうして起訴したか? 有罪にできる強い確信があったわけでもないのに、どうしていい加減な確信のまま起訴したのか?
たぶん検察は、「有罪か無罪かは、定説がないから、とりあえずは定説を得るために、試しに起訴してみよう」と思ったのだろう。
だが、それは、検察としてはやってはいけないことなのである。
司法の世界では、「罪刑法定主義」というものがある。たとえ倫理的にはどれほど悪だっても、その悪が「違法である」というふうに法的に規定されていない限りは、有罪にはできないのだ。
今回も同様である。コインハイブのような例は、新しい出来事なので、法律には規定されていない。これを「悪だ」と見なすのであれば、そのために新しい法律を制定して、その法律で処罰するべきだった。そして、そのような法律を作るべきかどうかさえも議論されていない状態では、社会的には悪であるかどうかが未定であるとして、検察としては判断保留にする(不起訴または起訴猶予にする)べきだったのだ。「罪刑法定主義」に従うならば。
ただし、新しい出来事であっても、それによる(甚大な)被害者が生じる場合には、被害を看過できないとして、既存の法律を強引に適用することも許されそうだ。
だが、今回はそれに該当しない。コインハイブの例では、明白な被害者というものが存在しない。
・ サイトを訪れる人は、サイトを見ることで楽しんでいる。
・ サイトを訪れた人は、パソコンを使われるが、被害は微々たるものだ。
このような関係は、ギブ・アンド・テークの関係であるから、特に良くも悪くもないのだ。「コンテンツを見て、広告表示を許容する」というのと、大同小異である。
ただし、サイトの運営者は、わずかに利益を得る。今回は、800円の利益を得ていた。そしてそれを、検察は「窃盗」というふうに見なしたわけだ。
だが、そんなこと「窃盗」と見なすのであれば、アフィリエイトなどで利益を得ている人はみんな「窃盗」扱いされかねないので、とんでもない解釈だと言える。
「ネットで利益を得るのはけしからん。そんなのは悪だ。そんなのは許せん」
こういうのは、 IT 技術を理解できない阿呆の独善的なクソ解釈だと言える。……それが、検察のなしたことだった。
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結局、検察には、大きなミスがあったことになる。
・ 警察の誤った法解釈を、是正できなかったこと。
・ 警察の誤った法解釈に基づいて、自分自身が誤った法解釈をしたこと。
・ IT 技術を理解できないこと。
・ IT 技術を理解できないまま、 IT 技術について独善的解釈をしたこと。
・ 法律で違法性が明示されていない行為を処罰しようとしたこと。
・ つまり、罪刑法定主義という原則を逸脱したこと。
要するに、中学生や高校生でもわかる法律のイロハを理解できないまま、検察が暴走したのが、今回の事例の根源だったことになる。
さらに輪をかけて、高裁の裁判官が阿呆だったから、話は最高裁まで持ち込まれたわけだ。
日本の裁判官は、あまりにもレベルが低すぎる。こういう裁判( IT 技術に関する裁判)には、裁判員制度を導入した方がよさそうだ。というのは、今の裁判官は、普通の市民よりも、もっとひどい IT 音痴であるからだ。阿呆が裁判官になると、世の中が歪んでしまうのだ。
[ 付記1 ]
検察はなぜこのようなこと(暴挙)をなしたのか? それは、たぶん「功名心」のせいだろう。
彼らは思った。
「おや。IT 技術を利用して、うまいこと金儲けをしている、小賢しい奴がいるな。こいつを処罰したいところだが、処罰するためのピッタリとした法律がない。新しい事象には、新しい法律が追いつかない。法律ができるのを待っていては、悪い奴らが跋扈する。それは許せん。
そこで、こいつを起訴してやれ。無理は承知だが、法律がないんだから、仕方ない。検察と裁判所が示し合わせれば、ピッタリの法律がなくとも、解釈しだいで、なんとか有罪にできる。そうすれば、新しい法律ができたのと同じことだ。
こうして、おれたち検察と裁判所との共同で、かつてない新しい業績を構築できる。それは科学者の新発見にも匹敵する、独創的な業績だ。これこそ、生涯の立派な記念碑なるものだ。えっへん!」(鼻高々)

しかし、そういうのは「罪刑法定主義」というものを、まったく理解できていないのである。
[ 付記2 ]
本項では、コインハイブを是認しているように見えるかもしれない。だが、是認しているわけではない。
こういうのを安易に是認すると、やたらとパソコンを(こっそり)利用するようになる。すると、電力を無駄に食って、地球温暖化の原因になりかねない。
→ ビットコインの採掘が地球温暖化を加速する? それでも地域レヴェルの解決策はある
→ 膨大な電力を消費する暗号資産のマイニング業者は炭素排出量の削減に苦心している
こういうのは、あまりよろしくない。特に、過度になると、好ましくない。
とすれば、将来的には、コインハイブみたいなものは、規制された方がよさそうだ。
とはいえ、そのためには、(きちんとした手続きで)立法化が必須である。
ただし、立法化される前に、コインハイブは提供終了となってしまった。(一部アンチウィルスソフトではブロックされていたこともある。)
→ Coinhive事件 - Wikipedia
このことからして、将来、サービス再開となる可能性も、なさそうだ。
となると、立法化が必要な事態にも、なりそうにない。
大山鳴動して、ネズミ一匹。世間では大騒ぎをしたが、結局は、すべてはただの茶番だったのかも。