2022年01月13日

◆ 千代田区の再開発への賛否

 東京の都心部(番町)を再開発しよう、という計画が上がっているが、反対する声も上がっている。

 ――

 都心の再開発というのは、ありふれた話である。だが、「都市開発は嫌い」という傾向のある朝日新聞が、批判するシリーズ記事を書いている。





 場所は、千代田区の番町地区だ。ここは伝統的な由来がある。
 東京都千代田区の「番町」地区は江戸時代、将軍に仕える旗本の屋敷が連なっていた。江戸城の西にある千鳥ケ淵から四谷にかけた一帯に、「大番組」と呼ばれる旗本が屋敷を構えたのが町名の由来だ。一番町から六番町まである。
 島崎藤村、与謝野鉄幹・晶子夫妻、藤田嗣治ら文化人、芸術家が多く住み、それにあやかって、後に通りは「番町文人通り」と名付けられた。
 女子学院や雙葉学園、大妻学院など私立の名門校も立地する。都心に近いうえ、子女を通わせたい学校があり、いまも番町地区は人気の高い高級住宅街だ。
 そんな人気住宅地の番町地区で、いま住民を二分する問題が持ち上がっている。かつてこの地に本社を構えていた日本テレビホールディングスが、超高層ビルを建てるというのである。
( → 江戸のお屋敷町、文豪も住んだ住宅地 皇居そばの都心「番町」揺れる:朝日新聞

 日本テレビが高層ビルを建てる、という再開発の計画ができて、住民が反対し始めた。
 社屋の裏には築山、滝のある日本庭園と四阿(あずまや)が配された。
 日テレはその庭園をつぶし、さらに敷地を広げたところに2015年1月、高さ60メートルのスタジオ棟を造る計画を明らかにした。驚いたのは、向かいの女子学院だった。女子御三家のひとつに数えられる名門中高校である。
 スタジオ棟の計画地は、区の地区計画で高さを50メートルまでに制限した地域だが、日テレは歩道など一定の公開空地を供出する代わりに規制を緩めてもらう「総合設計」制度を活用し、10メートル余分に高くした。屋上の鉄塔を含めると100メートルもある。女子学院は「文教地区が脅かされる」と東京都に建築紛争の調整を申し立てた。窓はふさいでもらえたが、20年12月に竣工(しゅんこう)した巨大なサイコロのようなスタジオ棟は確かに圧迫感がある。
 一番町から六番町まである番町地区は町ごとに地区計画を設け、高さを22〜60メートルなどと規制してきた。それゆえ景観を変える巨大スタジオ棟は地域に不協和音を響かせた。
 しかも日テレは四番町で広範囲の用地買収を進めているうえ、港区汐留に本社移転後も残してきた二番町の旧社屋も建て替えるという。
 資料には、広場など地域貢献を誘導するため建物を高層化するとあり、「新たな高さ制限最大150mまで」と明記されていた。
 その内容を知った千代田区議の小枝すみ子(58)は「60メートルしか建てられなかったところを150メートルにするの?」と驚いた。
( → 名門女子校前に高層ビル さらに日テレ旧本社「最大150メートル」:朝日新聞

 ここは学校が多くて、文教地区なので、超高層ビルは不適切だ、と考える人が多いそうだ。
 番町地区は一番町から六番町まであり、古くからの住宅街だ。
 道路が狭い住宅地で学校が多い文教地区。そこに超高層ビルはそぐわないと思った。
 一番町に越してきた元三菱商事副社長の中原秀人(71)は……あきれていた。「60メートルでも十分高いのに、その規制を緩和して、もっと高いビルを住宅地に建てたいというのだから」。
 都市計画の権威である東大名誉教授の伊藤滋(90)も「番町に高層ビルはそぐわないよ」と言い、顧問になった。
 近隣の女子学院と雙葉、大妻の3女子中高は20年10月、「企業は利益至上主義ではなく社会的責任を果たすべく企業活動が求められています」などとする要望書を千代田区長の石川雅己(80)らに提出した。番町地区にある100年超の伝統校10校ほどに通学する児童・生徒数は8千人にのぼり、高層ビルができると6千人超の通勤客で文教地区の環境が激変する、と訴えた。
( → 女子学院、雙葉、大妻が要望書「社会的責任を」 名士からも反対の声:朝日新聞

 要するに、「伝統的な住宅街や学校を守るために、超高層ビルを建設するのを防ぎたい」ということのようだ。いかにも「草の根民主主義」を大切にする朝日新聞らしい方針だ。「経済優先の大企業のゴリ押しよりも、草の根の市民の声を大切にしたい」ということなのだろう。

 だが、私は朝日の方針はおかしいと考える。以下で詳しく述べる。

 ――

 そもそも、場所が問題だ。ここは、どこだ? 東京都千代田区である。都心のなかの都心とも言える場所だ。とすれば、当然ながら、ここは超高層ビルが林立していてもおかしくない場所なのだ。

 たとえば、比較として、ニューヨークの超高層ビル街を見よう。


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 こういうところでは、超高層ビルが建つのが当然だし、それ相応の超高額の固定資産税を払うのが当然だろう。
 なのに、こういうところで金持ちが「おれは一軒家に住みたいんだ。だから超高層ビル街に、一軒家に住む権利を認めろ。そのために、固定資産税を百分の1ぐらいに引き下げろ」なんていう要求をしたら、「金持ちのわがままにもほどがある」と非難を浴びるだろう。
 ところが、それと同様のことを言っているのが、番町地区に住む金持ちたちなのだ。「東京のど真ん中で戸建て住宅に住む権利を認めよ」と言って、わがままを貫き通そうとする。自分だけがそうするのならともかく、まわりの地域も巻き込んで、超高層ビルを建てるのを妨害する。それによって、超高層ビル街としての超高額の固定資産税の支払いを免れようとする。

 ――

 朝日新聞は「ここはゆかりある住宅街だ」「学校のある文教地区だ」というふうに記す。だが、とんでもない。そういうことが言えるのは、都心ではなく、都心の外側にある準都心の地域だ。たとえば、文京区の本郷地区のようなところだ。そこは、都心ではないから、超高層ビルを建てるべきだとは言えない。住宅街や学校(大学)があるのがふさわしいだろう。

 だが、千代田区の番町地区と言えば、都心そのものである。永田町や日比谷高校のすぐ北側であり、皇居の西側であり、霞ヶ関のような都心にも近い。新宿よりもずっと都心だと言える。
 こういうところは、住宅街や文教地区にするべきではなく、都心のビジネス街にするべきなのだ。ちょうど、ニューヨークの超高層ビル街のように。
 その一方で、今ある高級住宅や学校などは、都心を離れて、山手線外周のあたりに移転するべきなのだ。

 そもそも、学校が都心にあるというのがおかしい。学校というのは、子供が通うところだ。特に小学校は、幼い子供が通うところだ。それは近郊の住宅地から通える場所にあるべきであって、「近郊の住宅街から長々と電車に乗って通う」というような都心にあるべきではない。
 小さな子供が電車に乗って都心の私立小学校に通うなんて、どう考えたっておかしいだろう。また現実には、小さな子供がベンツに送られて、都心の私立小学校に通うことも多いのだが、そんなことが社会全体よりも優先されるというのも、どこかおかしいだろう。

 ――

 では、どう考えるべきか? 
 この問題は「都市はいかにあるべきか」という都市計画で考えるべきなのだ。
  ・ 住宅街はどこにあるべきか
  ・ 学校はどこにあるべきか
  ・ 超高層ビルのビジネス街はどこにあるべきか

 そういうことをじっくりと考えて、最適の適地を考えるべきなのだ。

 その場合には、「都心には超高層ビルのビジネス街がふさわしい」とわかるだろう。また、「住宅街や学校は、都心以外の場所にあるべきだ」とわかるだろう。
 そして、そういう判断の上に、「東京を再開発するべきだ」「新たな都市計画を立てるべきだ」という結論が出るはずだ。たとえば、
  ・ 超高層ビルを建てるだけでなく、公開空地を設置する。
  ・ 道路を拡幅する
  ・ 街区をすべて再設計する

 というような都市計画を立てることができるはずだ。

 特に、番町地区は、低層ビルが多いことが有利だ。もともと超高層ビルがないので、地区の全体を解体することができる。そして、全面的に新しい未来都市を構築することができる。
 うまく行けば、現在の東京駅近辺の都心部を越えるような、新しい超都心を構築することができるかもしれない。そこは、ネオトーキョーと呼んでもいいし、TOKYOシリコンバレーと呼んでもいい。……そういう全く新しい未来型の新都心を構築することも可能なのだ。

 ――

 思えば、昔は、そういう都市計画があった。敗戦後のガレキの山となった各都市で、都市計画に基づいて、幅 100メートルの道路があるような、未来的な新都市を作ろう……という壮大な計画があった。
 そして、その一部は、まさしく実現した。仙台市や名古屋市では、幅 100メートルの道路ができた。
 だが、東京においては、それは実現しなかった。理由は、GHQ が反対したことと、ドッジラインだ。……この件は、前に述べたことがある。
  → 東京に大道路がないわけ: Open ブログ
  ※ この件は、本項末でも言及する。

 かつては計画があったのに、その計画は藻屑と化した。かくて、今の東京は、ゴチャゴチャと道路の入り組んでいる、残念な都市になってしまった。
 だからこそ、新たな都市計画とグランドデザインに基づいて、東京を近代化するべきなのだ。そうして新しい未来を切り開くべきなのだ。

 ――

 ただし世の中には、未来を切り開くのとは逆に、ひたすら古い前近代的な社会を守ろうとする、守旧的な人も多い。また、特権的な金持ち階級に媚びる人も多い。
 そういう古い旧弊に囚われた人々の代表が、朝日新聞なのである。

 結論。

 都心のど真ん中に住みたいという金持ちのわがままを尊重して、「彼らは草の根の庶民なのだから、底辺にいる庶民の権利を守れ」というふうに語る朝日新聞は、金持ちの権利を守るために詭弁を弄している。
 なるほど、超高層ビルに囲まれた一軒家というのは、谷底の底辺のように見えるだろう。だが、そう感じるなら、手持ちの土地を売って、何十億円もの金を得て、引っ越せばいいだけのことだ。自分のわがままのために、周囲の再開発を阻害する理由にはならない。
 「一将功なりて 万骨枯る」みたいに、一部の特権的な金持ちの権利ばかりを優先するというのは、民主主義の意味を間違えているのである。



 [ 付記1 ]
 戦後の都市計画については、Wikipedia の記事を紹介しよう。
 明治時代初期、東京銀座に近代的広幅員道路が建設された。その後「東京市區改正条例」や大正時代の「震災復興街路計画」でも広幅員道路が整備された。昭和21年3月、国と東京都はかねてからの思想に由来する幅員百米の幹線街路計画を定めた。しかし戦後の極度のインフレ経済により、昭和25年3月までに、すべての百メートル道路計画は大幅に縮小され、幻と化して今日に至っている。
( → 東京の戦災復興計画と幻の百メートル道路

 戦災復興都市計画は、帝都復興によって開花し、国内のみならず外地や満州国の都市建設で磨き上げられてきた日本の都市計画手法・技術・エンジニア等を惜しみなく投入した、近代日本の都市計画の集大成とも言えるものであった。しかし全ての都市がその目的を果たすことができたわけではない。戦災による資材・資金・人手不足、都市計画などよりもその日を生き延びることで精一杯という住民の状況と、その上にGHQからの反対とドッジ・ラインによる緊縮財政という巨大な壁に阻まれ、東京をはじめとする多くの都市で計画が縮小・挫折した。特にGHQの反対とドッジラインによる緊縮財政は復興都市計画にとって致命的な痛手となった。
 一方、仙台市、名古屋市、神戸市、広島市といった都市では市長や都市計画関係者の努力により、当初の計画に近い形で復興を成し遂げることができた。これらの都市では復興インフラが観光資源となることも多い。名古屋市の久屋大通や広島市の平和大通りといった100m道路、仙台市の青葉通りのケヤキ並木などである。これらは都市計画が都市の魅力を向上させた好例であるといえる。都市計画や交通計画の学者・関係者等の意見では、計画を実現できなかった多くの都市には広い道路が無いためモータリゼーションに対応できず、高度経済成長期以降に交通渋滞や防災上の問題を抱えることとなったとしている。
( → 戦災復興都市計画 - Wikipedia


 [ 付記2 ]
 東京を再開発すれば、多くのマンションを供給することもできるだろう。そうすれば、下記の問題も緩和する。
  → 東京の新築マンション価格 平均年収の13.4倍に|テレ朝news

 東京では、マンションの価格が異常に高騰している。それを緩和するためには、マンションの供給を増やす必要がある。そのためには、超高層マンションを認めるとともに、道路を拡幅する必要がある。
 これらのことは、グランドデザインのある都市計画を必要とする。

 [ 付記3 ]
 「千代田区の都市計画」という公式文書がある。参考のために記す。
  → 千代田区の都市計画

 
posted by 管理人 at 22:53 | Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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