2021年12月31日

◆ 大阪の放火殺人の対策

 大阪でビル火災事件があった。これは放火殺人だと判明した。では、その対策はどうする?

 ――

 大阪でビル火災事件があった件については、本サイトでも二度、言及した。
  → ビル火災からの退避方法: Open ブログ
  → 火災ビルの非常階段: Open ブログ
 これらは、「いかにして逃げるか」をテーマとした話だった。

 そして昨日、犯人が死亡したと報じられた。
 大阪市北区のクリニックで25人が死亡した放火殺人事件で、重篤な状況が続いていた谷本盛雄容疑者(61)が30日、死亡した。大阪府警は捜査を続けているが、事情聴取ができないまま容疑者が死亡したことで、動機など事件の解明は困難になりそうだ。
 府警幹部の1人は朝日新聞の取材に、「動機を含めた事件の全容は推定するしかなくなった。今後、どうすればこうした事件を防げるか考えるためにも、(死亡は)残念」と話す。
( → 府警幹部「全容は推定するしかなくなった」ビル放火殺人の容疑者死亡:朝日新聞

 「死亡したことで、動機など事件の解明は困難になりそうだ」というが、実は、そんなことはない。死亡してもしなくても、結果には影響しない。なぜなら、犯人は(生きてはいるが)すでに脳死状態にあったからだ。
 府警によると、谷本容疑者は意識不明の状態が続いている。捜査関係者らによると、やけどは限定的な範囲にとどまったが、一酸化炭素を吸い、脳に十分な酸素が供給できずに障害を起こす「低酸素脳症」に陥った。脳に損傷が残り、意識を取り戻す可能性は低いという。事情聴取の実現は困難とみられる。
( → 容疑者、2〜3年通院 院内構造を把握か 大阪ビル放火:朝日新聞

 断定こそしていないが、実質的には断定と同然だろう。医学的には、この状態から回復することはありえない、と見込まれる。脳幹だけはかろうじて半死半生だったが、大脳はすでに死んでいるのも同然だと見なせるだろう。「脳に損傷が残り、意識を取り戻す可能性は低い」ということで、事情聴取の実現はもともとありえないことだった。
 結局、死亡しようがしまいが、結果には影響しなかったことになる。

 ――

 では、事件の解明は不可能になるのか? 迷宮入りか? いや、そうでもない。記事には次の話もある。
 谷本容疑者は2011年4月、長男を出刃包丁で殺そうとしたとして府警に殺人未遂容疑で逮捕され、同年に大阪地裁で懲役4年の実刑判決を受けた。確定した判決は、谷本容疑者が「孤独感などから自殺を考えるように」なり、「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかったため、誰かを殺せば死ねるのではないか」と考えた、と認定した。
 府警幹部の1人は、「今回も10年前の事件同様、自らの命を絶つのに他人を巻き込もうとする『拡大自殺』を図ったのではないか」と話す。
( → 府警幹部「全容は推定するしかなくなった」ビル放火殺人の容疑者死亡:朝日新聞

 「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかったため、誰かを殺せば死ねるのではないか」
 「自らの命を絶つのに他人を巻き込もうとする『拡大自殺』を図った」
 ということだ。このことで、事実の本質は解明されたと見なしていいだろう。つまり、この犯罪は、テロ行為のような他人を殺すことが目的なのではなく、自分自身を殺すことが目的だったのだ。そのとき、他人は巻き添えになっただけだ。

 ここには「自分の命を大切にする」という発想はない。むしろ、その逆だ。とすれば、このような犯人に対して「死刑」を科することは、何の対策にもならない。むしろ「失敗した場合に、かわりに成功させてくれる、ご褒美」となる。ナンセンスだ。
 では、死刑が対策にならないとしたら、何が対策になるのか? どうにも対策が見つかりそうにないが。困った。どうする?

 ――

 そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。
 まずは、根源を探る。記事にあるように、犯人の動機はこうだ。
 谷本容疑者は2011年4月、長男を出刃包丁で殺そうとしたとして府警に殺人未遂容疑で逮捕され、同年に大阪地裁で懲役4年の実刑判決を受けた。確定した判決は、谷本容疑者が「孤独感などから自殺を考えるように」なり、「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかったため、誰かを殺せば死ねるのではないか」と考えた、と認定した。

 ここには「孤独感などから」とある。これが根源だ。そのあとで、
    孤独感 → 自殺欲求 → 放火殺人
 というふうに進んだ。

 人々は「放火殺人」という事例を見ると、「ならば重罰にせよ・死刑にせよ」などと思いがちだが、それでは対策にならない。むしろ、その前にある「自殺欲求」を知った上で、その根源となる「孤独感」を直視するべきだ。
 すると、この問題は「犯罪対策」というよりは「自殺対策」こそが本質だとわかる。自殺対策をうまくやれば、事件の再発を防げるのだ。

 ――

 では、自殺対策は、どうすればいいか?
 ここで、自殺対策のヒントとなる事例を示そう。自殺志願者の体験談だ。
  → 死ぬのを延期し続けていたら結婚してた(はてな匿名)
 一部抜粋。
  今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
 ……
 私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
 私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
 しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
 人間は人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

 ここには大切なことが二つ、記してある。
  ・ 自殺者を止めるものは、罰ではなく、救いだ。
  ・ タナトスを緩和するものはエロスだ。


 (1) 罰ではなく救い

 自らを罰したがっている自殺志願者にとっては、罰(特に死刑)は何の意味もない。それは罰であるというよりは、ご褒美だ。
 自殺者を止めるものは、罰ではない。むしろ、その人を救おうとする、他者の優しさだ。……そのことが、上の事例からわかる。

 (2) タナトスとエロス

 タナトス(死の欲動)とエロス(性の欲動)は、フロイトの用語。人間にはこの二つの生理的な欲求(欲動)があるそうだ。普通の人ではエロスが強いのだろうが、絶望しがちな人にはタナトスがある。そして、そのタナトスを緩和するものは、エロスなのだろう。つまり、異性の愛だ。
 すぐ上では、「自殺者を止めるのは救いだ」と述べたが、その救いは、誰にでも可能なのではない。特に、異性の愛が重要だ。それが決定的に大きな力をもつ。……そのことが、上の事例からわかる。

 ――

 上の (1)(2) のことから、私としては、次の対策を提唱しよう。
  ・ 自殺志願者には、罰よりも、治療を施す。
  ・ 犯罪者には、「懲役」でなく「治療付き懲役」とする。
   (例:懲役4年のかわりに、治療付き懲役6年)
  ・ ただの懲役は、孤独感を増すので、症状を悪化させる。
  ・ 治療付き懲役では、孤独感を緩和させる治療を行う。


 ――

 「治療付き懲役」とは、何か? その本質は「自殺矯正システム」である。具体的には、次のような感じだ。
  ・ 集団生活をさせて、相互の会話を増やす。
  ・ 異性との会話も増やす。
  ・ その異性とは、囚人ではなく、一般人のボランティアである。
  (近所のおばさんなど。金銭報酬はなし。おいしい料理の役得のみ。)
  ・ 会話に慣れたあとでは、戸外に出て、共同作業をする。
  (そのことで、コミュ障を治療する。)


 以上のような経路で、自殺志願の犯罪者を矯正できるだろう。犯罪の意欲を矯正するというよりは、自殺の意欲を矯正するという形で。(今回の犯人のような事例が該当する。)

 また、既存の犯罪者(懲役の囚人)だけでなく、まだ犯罪をなしていない犯罪予備軍のような自殺志願者についても、同じ矯正教育を無料で実施するようにするといいだろう。
 仮にそれを実施しても、応募者がどれだけいるかは定かではない。だが、たとえ一人でも二人でも、応募する人がいるのなら、受刑者といっしょに、自殺矯正システムに参加してもらえばいいだろう。そのことで、将来の犯罪発生を予防できるからだ。(わずかな費用で大惨事を予防できるのなら、コスパはいい。)

 ――

 この案については、批判もあるかもしれない。「自殺志願者に対して、至れり尽くせりだが、サービスのしすぎだろ」と。
 だが、コミュ障の人が多いというのは、自殺志願者だけではない。現代の若者には共通する傾向だとも言える。人々はスマホを通じてネットでつながり合う傾向が強まったせいで、人と人とのつながりが薄れてしまっているからだ。

 次の記事がある。
  → タワマン、縦の長屋なんだ 秋祭り企画、つながり広げる:朝日新聞
 タワマンの自治会(管理組合)で、住民の共同参加の行事として、秋祭りなどを実施することで、住民の関係や親睦が深まって、みんなが幸せになった……という話。
 孤立しがちな都会人に交流をもたらすことで、コミュ障になりがちな都会人の心が癒される。……そういうことは、現代人の誰にもありがちなことなのだ。決して自殺志願者だけのことではないのだ。
 タワマンの自治会では、まわりの人に奉仕してくれるような親切な人がいたから、多くの人々が幸福になれた。その人は普通の隣人たちのために奉仕した。

 同様に、孤独な自殺志願者のために奉仕する人がいれば、その人のおかげで、孤独な自殺志願者は救われる。そのことで、犯罪が予防できれば、結果的には多くの人々の命が救われることにもなる。


 冒頭の記事と、最後のタワマンの記事は、まったく無関係のことのように見えるが、その根底には、現代人の心にひそむ共通点があるのだ。

( ※ 懸け離れた二つの事例にひそむ共通点[本質]を見出す……というのは、数学では、ときどきあることだ。)



 [ 付記 ]
 「治療付き懲役」で会話をする異性の一般人は、ボランティアである。つまり、金銭的な報酬はない。(事後に食事を提供するぐらいだ。)
 なぜ報酬がないのか? それは労働を安上がりに済ませるためではない。その行為自体が無償の愛であることが必要だからだ。会話をするおばさんたちは、自分たちの利益のために参加するのではない。囚人である自殺志願者のために、無償の愛を提供してあげるのだ。
 そして、そのことを理解したとき、囚人たちは「愛されている」と理解して、生きる意欲が湧いてくる。
 先の自殺志願者もこう述べている。
 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 ここでは「楽にしてくれた」とだけ記してあるが、単に気分を楽にするだけではない。そこにある愛は人の命を救うのだ。
 そして、それは、必ずしも男女の恋愛である必要はない。小さな親切のような些細な愛であっても、積み重ねれば、相手の孤独感を少しずつ動かすことが可能なのである。いわば大きな岩を、小さな力の積み重ねで動かすように。
 
posted by 管理人 at 22:57 | Comment(2) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
精神分析学的にも対策可能的にもなるほどですね。政府や医学界、防犯界に提言されることをお薦めします。
Posted by 佐野 at 2022年01月01日 03:16
 最後に [ 付記 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2022年01月01日 08:48
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