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19日の朝日新聞記事から。
漢字の「とめ・はね・はらい」って、細かく気にしすぎることもないんだ--文化庁が2016年に出した「常用漢字表の字体・字形に関する指針」を読むと、そんな思いにとらわれる。「とめ・はね」「長:短」など多くのケースで、「指針」は「どっちでもOK」と認めているのだ。ただ、世に出て5年たっても、教育現場では厳格な「とめ・はね」指導の例が目立つという。
( → 漢字「とめ・はね」で×の誤解 「字体」と「字形」知らない先生も:朝日新聞 )
指針というのは、これだ。
→ 常用漢字表の字体・字形に関する指針
一部抜粋

これを作った本人というのが、笹原宏之という人だ。記事中で
私も『指針』作成の担当者の一人(副主査)なので、
と語っているとおり。
※ この人は、JISの漢字規格の改定のときに尽力したので、そのときからかなり名を知られていた。
この人の話では、こうなる。
「字形とは字の形、デザインレベルの差異を含むものです。300人が手書きしたら300通りの字形がある。印刷文字でも明朝、ゴシックなどの書体(フォント)にもそれぞれ独自の字形があります。骨組みである字体が正しければ、手書きで少し細部が違っていても、それは字形の違いにすぎず、誤りではありません。テストでも×ではありません」
――「指針」では例えば、「保険」の「保」について、印刷文字だと「口」の下は「木」になっているが、手書きの場合は「ホ」でもいい、と説明されています。これは字体ではなく、字形の違いなのですね。
「そうですね。『指針』では、常用漢字2136文字について、手書きの場合にこんな字形もあると複数の例を示して、印刷文字とは細部が異なっても字体は同じであって誤りではない、と説明しています。とめてもはねてもいい字(例えば来)、つけても離してもいい字(文の亠と乂)、点の方向にいろいろな書き方がある字(魚)などが、手書きの場合、同じ字体と考えて良い、と説明されています」
「きちんとやれば答えは一つなんだ、という数学のような考え方が浸透している。でも人間の手書き文字は、いろいろ揺れ動きながら受け継がれてきたものです。定まったストライクゾーンがあるのに、わざわざ自分たちでそのゾーンを狭くしている。多様性を認める意識が高まっている現在、漢字の字形についての意識に柔軟さを取り戻し、もっとおおらかに考えたほうが誰もが幸せになる、ただそれだけなんです」
人間の自由を尊重しよう、という感じで、いかにも耳に心地よいが、それでは困るという教師も多い。
次のアンケート結果もある。
問2.なぜ、厳しめに指導すべきだとお考えですか(複数回答可)
日本語として正確な漢字を覚えるべきだ 78票 33.3%
( → フォーラム:朝日新聞 )
「個人の自由を認めよう」というリベラルな発想もいいが、「それだと、何が誤りだかわけがわからなくなり、誤りさえも個人差に含まれてしまう」という結果になりがちだ。そこで、「正しい文字をきちんと教えたい」という教師の立場も説得力がある。
しかし両者は矛盾する。あちらが立てば、こちらが立たず。困った。どうする?
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そこで、困ったときの Openブログ。うまい説明を示そう。
いきなり核心を言えば、こうだ。
「上の記事では、字体差と字形差のことばかりを言っている。それはコンピュータ技術者の発想だ。しかし今話題になっているのは、コンピュータの文字ではなくて、手書き文字だ。手書き文字で大事なのは、字体差や字形差ではない。書体差だ」
では、書体差とは何か? 次のような差だ。
・ 行書体
・ 楷書体
・ 教科書体
・ 明朝体
このような差がある、と理解することが大切だ。これらの差は、書体差であって、字体差でも字形差でもない。
( ※ ちなみに「字体差」とは、新字体と旧字体の差のようなものを言う)
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書体差があることを理解すれば、容易に、次の結論にたどり着く。
「漢字には異なる書体があるのであって、そのうちのどれか一つが正しいということはない。つまり、書体の差において、正解というものはない」
これが重要だ。つまり、「正しい文字を一つだけ決めてほしい」という教師の要望は、初めから無理難題なのである。なぜなら「正しい文字」(1通り)というものはないからだ。上の4通りの書体はいずれも「正しい文字」なのである。また、この4通りに限らず、他にも「宋朝体」「隷書体」などがあって、どれか一つだけが正しいということはないのだ。そのいずれもが正しいのだ。
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と同時に、逆方向から言って、次のことも成立する。
「上記のような伝統的な書体に合致する字形は正しいが、どれにも合致しない自己流のくずし字は正しいとは言えない」
つまり、記事中で笹原宏之という人が言っているような「何でもかんでも個人が勝手に決めていい」というような主張(自由さを強調する主張)は成立しない。
字形において、個人が勝手に決めていい範囲などは、ほとんどない。ある程度の自由さの幅はあるが、それはあらかじめ決められた範囲内のことだ。
たとえば、しんにょうは、楷書体では ろ のようになり、明朝体では フ のようになるが、そのいずれかに自由さは限定される。これ以外の仕方で勝手に乱れたデザインを採用しても、そんなものは認められない。
つまり、こうだ。
「ある程度の自由さは認められるが、その自由さは、認められた範囲内のものに限られる」
これがつまり「書体差」の範囲だ。この原則をきちんと理解しよう。
【 補説 】
書体差について解説しておこう。(内容は Wikipedia の各項による。)
(1) 王羲之
王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として書聖と称される。初期からずっと、この書体が理想として崇められてきた。

(2) 顔真卿
王羲之は(行書に似た)流麗さがあったが、これを否定して、しっかりとした楷書を確立したのが、顔真卿だ。その当時にも楷書というものがあったが、その極致を進めて、いかにもしっかりとした独特の楷書を確立した。

(3) 宋朝体
一方、木版印刷では、掘りやすさや可読性の点から、四角張った宋朝体というものが古くからできていた。(宋代)
(4) 明朝体(木版)
宋朝体がさらに進化して、明朝体となった。(明代から清代)
ここで「康煕字典」が明朝体で刷られて、後代の典拠とされた。

日本でも、明治初期の「学問のすゝめ」は、木版印刷で刷られた。

(5) 明朝体(金属活字)
明治期に金属活字が導入されると、金属活字用の明朝体が新たに作り出された。それは木版の明朝体を基本としながらも、金属活字の上で、新たに「康煕字典」からデザインし直されたものだった。
活字としての利便性から字形が正方形に近づいたため、筆書体とは要素のまとめ方が異なり、字面において点画が可能な限り均等に配置される。こうした字面を一杯に大きく使う手法は、小さいサイズでの可読性が向上するだけでなく、文章を縦横二方向に組むことが行われるようになった後は、いずれの方向へ組んでも整然とした効果を得られるという点で、さらに有効なものとなった。
中国へ欧米勢力が入り始め、金属鋳造活字の開発を始めたとき、『康熙字典』を参照して漢字活字を製作した。一部において通用字体が使われることもあったが、欠画なども『康熙字典』のままであった。これらの活字技術が従来の技術に取って代わろうとし金属活字の明朝体が日常で見られるものとなったとき、それまでの通用字体・正字体との隔たりが大きな問題となった。例えば楷書体では「吉」の上部は「土」につくり「𠮷」として、「高」は「はしご高()」が多かったが、新たに入ってきた明朝体の字体を理由にこれらが誤りとされるなど、筆記書体に大きな影響を与えた。
こうして明朝体の活字が印刷物の主流となると、手書き文字(楷書)との食い違いが目立つようになった。
そこで、「明朝体とは異なる楷書体でもいいのだ」と示したのが、文科省の「指針」である。
ただしここで示したのは、「明朝体でも楷書体でもいい」ということであって、「何をどう書いてもいい」ということではない。許される範囲は、あくまで書体差の範囲である。そのことを誤解しないようにしよう。
※ 具体的な事例は、「指針」の画像を参照。
(6) 楷書体(金属活字)
金属活字の楷書体は、金属活字の明朝体に基づいて、手書きの楷書に近づけたものだ。その意味では、(康熙字に基づく)金属活字の明朝体よりも後になってできたものだ。
この活字体は康熙字典の書体をもとにしており、初唐に確立した伝統的な楷書とは異なるものである。
(活字の楷書体は)現在、印刷書体として使われ、清朝初期の木版印刷に使われた軟体楷書体・清朝体などと呼ばれる書体をもとにしている。その書体は明朝体の影響を受けつつ、康熙帝の好んだ明末の董其昌、乾隆帝の好んだ元の趙子昂の書風の影響を受けている。
楷書体があらゆる書体や書法に通じる基本書体であるのは、現在までのところ楷書体が最後にできた人工的な大書体だからである。
楷書のなかには、それ以前のあらゆる書体が注ぎこまれ、文字史のすべてが吸収されている。それが楷書体が「あらゆる書体に通じる」基本書体である理由とされている。
[ 付記 ]
朝日新聞の記事によれば、明朝体のような字画で手書き文字を書く人が増えているそうだ。たとえば、「白」の一番上にある ノ が上辺に接する位置が、左端ではなく中央である、というふうな。
こういうことは、書道(習字)をきちんと習っていれば、おかしな勘違いをしないで済むはずなんだが。……書道って大切なんですよね。子供には、きちんと学ばせるべきであるようだ。

※ 手書きの楷書体のこと
この場合(楷書で書く場合)、何が正しいかという点については、日本漢字能力検定試験(漢検)のサイトが参考になるかもしれません(本稿で示された「常用漢字表の字体・字形に関する指針」をかみ砕いた感じです)。
(1) 例えば、「解答の仕方」のQ1のところを開くと、
> (漢字は)特に、次に示す点に注意してください。
@ 画数を正しく書く
A 字の骨組みを正しく書く
B 突き出るところ、突き出ないところを正しく書く
C 字の組み立てを正しく書く
D 一画ずつ丁寧に書く
E よく似た別の字(または字の一部分)と区別がつくように書く
> くずした字や乱雑な字は採点の対象になりません。
との記載があります。つまり、@〜Eの要素が大事だとしているようです。記載の下の PDF ファイルを開くと、図(手書き文字で〇と×の例)が示してあるので、より分かりやすいです。
これらの点は、ブログとほぼ同じ考え方でしょうか。
(2) また、同じくQ3では、「漢字のとめ、はね、はらいなど」について、
> その文字特有の骨組み(字体)が読み取れ、誰が見てもその字であると判断できれば、漢字の細部のとめ、はね、はらいなどの書き方によって不正解とすることはありません。
との記載があります。
この点は、ブログと同じ考え方でしょうか。
(3) さらに、同じくQ4では、「同じ楷書でも、(手書きに近い)教科書体と(活字に近い)明朝体のどちらを使えばよいか」について、
> どちらの書き方でも正解になります。この2つの形の違いは、手書き文字と印刷文字のそれぞれの習慣の違いによるもので、字体としては同じ(どちらで書いてもよい)とされています。
との記載があります。
なお、ブログのほうでは、楷書体、教科書体、明朝体を並列に存在するものとして論考がされていますが、ここが少し異なるようです(どちらが正しいかはわかりません)。
https://www.kanken.or.jp/kanken/faq/outline01/
楷書体を基本にするのは構いませんが、教科書体、明朝体を誤りとはしないという点では、発想は同様でしょう。
私の話は、主張が異なるというよりは、論旨を明確化したものです。基準の明確化。 結論自体は、他所とほとんど同じです。
> 「楷書(体)で正しく書くことを要求される」という場面が実際には多いのではないでしょうか。
そうです。本項の一番最後に書いてある通り。
基本を守るということと、揺らぎを許容するということは、両立します。
否定されるのは、「揺らぎである方の明朝体を基本として、そこから逸脱した楷書体を許容しない」という昨今の学習塾の方針(記事にある)の方です。
若い人でも、明朝体の手書きを書いて、楷書体を否定する(書けない)という人が増えている……というような話も、記事にあります。これも問題だ。
ちなみに、アルファベットの筆記体も、最近では書けない(書かない)ことが多くなっている。数学の x は )( のように書くのが昔は多かったが、今では掛け算記号の × または カイ のように書く人が多い。
三大塾のひとつであるサピックスの漢字教材は市販されていて見本をみると教科書体が使われています。
https://www.amazon.co.jp/SAPI%C3%97%E6%BC%A2-%E3%83%BC%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88%E3%83%BC-SAPIX%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%E5%AD%A6%E7%BF%92%E5%AD%97%E5%85%B8-%E3%82%B5%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%83%E3%83%89-SAPIX%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%83%A8/dp/4863463316
ただ受験指導でトメハネにやたらとうるさいのは事実でサピックスの最上位クラス(御三家、筑駒狙い)でも6年生になると漢字テストの平均点が30点くらいになるくらい鵜の目鷹の目でケチをつけてペケをつけてきますね。書き取りの一点を落とす者は泣きを見る、と
> 漢字の書き方について、進学塾では細かすぎる指導がされているようで、常々気になっていました。
> 例えば「白」という字の1画目。私が横線の左端につくように書くと「塾では横線の真ん中あたりにつけると教わった」と声が上がりました。社会のテストで陸奥宗光の「宗」の一番下がはねていなかったからバツにされた、という話もありました。分からず空欄のままの子と同じバツというのは、厳しすぎると思います。
https://digital.asahi.com/articles/ASPDB4D6TPD9UFEV005.html