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世論は、女性天皇・女系天皇を認める声が大半だ。だが、男系男子にこだわる自民党は、それを否定するために、右翼系の有識者会議を立ち上げた。その方向性がまとまった。
安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議(座長=清家篤・元慶応義塾長)は6日、最終報告の骨子を確認した。皇族減少に対する具体的方策として(1)女性皇族が結婚後も皇室にとどまる、(2)旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する――の2案を軸とする報告書を年内にも取りまとめ、政府が国会に報告する。
この日の会議では、皇族数の確保策として2案を示し、それでも確保できない場合として、旧宮家の男系男子を養子ではなく、法律によって直接皇族とすることも提案した。
( → 皇族数の確保、最終2案 女性皇族が結婚後もとどまる/旧宮家の男系男子復帰:朝日新聞 )
旧宮家の男系男子を皇族に復帰させる(将来的には天皇にする含み)……というのは、いかにも自民党の考えそうなことだ。こんな男尊女卑の発想は、時代遅れなのだが、それがわからないのが自民党だから、こういうふうになる。
だが、ここで問題提起をしよう。事の良し悪しは別として、「それは可能か?」ということだ。可能であれば、案として成立するが、可能でなければ、案として成立しない。つまり、ただの画餅となる。
では、どうか?
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ここでいきなり結論を言えば、「それは不可能だろう」と言える。なぜか? たとえ制度をつくっても、それに応じる宮家の男系男子が出てこないと思えるからだ。
たとえば、具体的には、竹田恒泰がいる。彼は、「男系では南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の19世の子孫(皇胤)」であるそうだ。( Wikipedia )
竹田恒泰はかなり高齢だから、その子供を考えると、20世になる。だが、20世の子孫というのは、「遠縁の、遠縁の、遠縁の、遠縁の、そのまた遠縁」みたいなものである。もっと遠いかもしれない。ほとんど他人と言っていい。
2 の 20乗 = 1,048,576
であるから、同類の遠縁は 100万人ぐらいは存在すると言ってもいいくらいだ。日本人全体の1% ほどだ。
ともあれ、こんなのは「はるかに遠い遠縁」と言っていい。
で、そういう「はるかに遠い遠縁」の人物が、天皇家を引き継いで、あらたな天皇になるとしたら、それは何を意味するか?
「天皇家の、お家乗っ取り」
と言ってもいいだろう。また、天皇家からすれば、
「天皇家の、お家取りつぶし」
と言ってもいいだろう。
たとえば、次の事情を考える。
現在の男系男子は、(若手では)悠仁さまだけであるが、悠仁さまが何らかの理由で、天皇の座を受け継がないことにしたとする。(お姉ちゃんが国民にいじめられたから、僕もいじめられそうだ、という理由でもいい。)
で、その場合には、愛子さまが女性天皇となるのが妥当だろう。国民もそれを支持している。ところが、自民党の政治家が強硬に介入して、「愛子天皇を認めることはできない」と言い張って、どこかの馬の骨みたいな人物を天皇にしようとしたとする。
このとき、国民はどう思うか?
「こいつは何だ。馬の骨のくせに、天皇家を乗っ取るつもりか?」
「こいつのせいで、天皇家はお家取りつぶしになるのか?」
こう思うと、国民のうちの一部は、すこぶる腹を立てるだろう。
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忠臣蔵という話がある。そのモデルとなった事件が現実にあった。そこでは、お家取りつぶしの処分を受けた藩の家臣が立ち上がった。彼ら 47名は、お家取りつぶしに抗議するために、仇となる相手のいる屋敷に襲いかかって、憎っくき相手を討ち取った。その首を槍にぶら下げて、血を滴らせながら、江戸の市中を延々と行進した。12月14日のことだ。( → 出典 )
お家取りつぶしの恨みは、これほどにも大きい。とすれば、天皇家のお家取りつぶし(も同然のこと)を見た国民の一部は、怒り狂って、「天皇家を乗っ取ろうとする、この馬の骨を懲らしめよ。その首を討ち取れ」と思うかもしれない。
つまり、はるかな遠縁の男が天皇になろうとすれば、それに反対する人々による暗殺事件が起こりかねない。それも、詐欺師や反逆者の扱いで。
そして、それを見た国民の多くは、拍手喝采するだろう。
「ただの馬の骨のくせに、天皇になろうとするなんて、とてつもなく強欲すぎるんだよ。悪党はくたばって当然だ。いい気味だ!」
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こうなることが十分に予想される。なのに、暗殺される危険を押しのけてまで、あえて天皇になりたがるだろうか? まともな頭があれば、そうは思うまい。
というわけで、たとえ「はるかな遠縁の男系男子を天皇にする」という制度を作ったとしても、それに応じる男系男子の人物が、現実に現れるとも思えない。(また、仮に現れたとしても、いつ暗殺されるか、わかったものではない。家族もろとも、皆殺しになるかもしれない。)
結局、そういう制度を作っても、応募者がいないので、それによって男系男子の人物が天皇になるというのは実現しそうにないのだ。
※ 小室圭さんの場合には、皇族になるわけではなく、民間人のままであった。なのに、あれだけバッシングされた。とすれば、ただの馬の骨みたいな民間人が、一挙に天皇に成り上がろうとしたら、そのバッシングは、比にならないほど強くなるだろう。暗殺されても、不思議ではない。
[ 付記1 ]
そもそも、「はるかな遠縁の男系男子」なんて、天皇の皇統を引き継いでいるとも思えない。(途中で間男の遺伝子と交替している可能性が十分にある。)
仮に DNA 検査をすれば、「現在の天皇家の DNA とは別系統の Y染色体をもつ」と判明する可能性が高いのだ。
※ 旧宮家を皇室に復帰させる場合には、事前に、 DNA 検査を義務づけるべきだろう。そのあとは、「この男子は、現在の皇室とは Y染色体が共有されていない」(間男の子孫である)ということが判明するはずだ。DNA 検査で。……だから、旧宮家の復帰は、遺伝子的に成立しないのだ。また、それがわかっているから、旧宮家の男系男子は DNA 検査を受け入れないだろう。「不名誉を負うリスク」をかかえるからだ。……かくて、どっちにしても、旧宮家の復帰はありえない。
※ 遺伝子の話は、下記で。
→ 伏見宮で男系維持は不可能: Open ブログ
[ 付記2 ]
「じゃあ、どうすればいいんだ。うまい代案を出せ」
という声には、こう答えます。
「次期天皇を誰にするかは、現天皇が決めればいい」
たとえば、次期天皇は秋篠宮になるのが既定の方針だが、これを改めて、
「秋篠宮でも、愛子様でも、どちらでもいい。現天皇がどちらでも好きな方を選んでいい」
とすればいいだろう。別に男系男子にこだわる必要はないのだ。よほどの男尊女卑の信奉者でなければ。
ただし、「男系男子がいる限りは、それを選ばなければならない」という法律(現行制度)を維持してもいい。しかし、「男系男子がいない場合には、誰を次期天皇にするかは、現天皇が決めていい」というふうにすればいい。その場合には、自動的に、女性天皇か、女系の男子天皇になるはずだ。
(たとえば、眞子さまの生んだ男子。それは小室家の男子となるので、王朝の交替だ。……それを不満に思う人もいそうだが、どこかの馬の骨[竹田家?]の王朝になるよりは、ずっとマシだ。)
※ この件は、前に詳しく書いた。下記。
→ 皇位継承は男子優先?: Open ブログ
→ なぜ小室圭は叩かれるか?: Open ブログ
明治天皇までは側室がいました。大正〜昭和〜平成は、たまたま男子が生まれたから問題にならなかったに過ぎません。
皇統が2600年以上も続いている理由や背景を直視しないまま、男系男子を維持したいなんて虫が良すぎると思います。
私も前はそう思ったことがあるんだけど、それは私みたいなスケベすぎる男の発想であった。
現在の天皇陛下(元は浩宮)は、奥さんを大切にする人なので、愛人や妾(めかけ)をもつということはありえそうにないですね。
たとえ制度を作っても、現代の倫理観からすると、使う人はいない感じです。国民に示しが付かない。
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なお、昔は妾を公認して、戸籍にも掲載していましたが、戦後は欧米流の民主主義の下で、一夫一婦制になったので、妾の公認も廃止されました。
https://www.bbc.com/japanese/58459782
さもないと、高齢(41歳)になってから急に誕生するという事実を、うまく説明できない。
※ こんなことを言うと、不敬罪扱いされかねないが、別に、人工授精は悪いことではない。
41歳⇒これは、皇室に男児が誕生するのが、2006年9月当時、秋篠宮殿下いらいの41年ぶりということでは。悠仁さまご誕生の2006年9月6日には、39歳11カ月(満40歳になられる5日前)ですので。
https://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200609080206.html
ご指摘ありがとうございました。また私のずさんな計算がバレてしまった。「計算の数字は怪しいな」と思っていたけど、いい加減に引き算で示してしまった。
そうなると、小室圭さんの子孫となる男子の系統が天皇になりそうだ。
だが、そうなるよりは、愛子様の配偶者の子孫である男子の系統の方が好ましいと思える。愛子様の遺伝子には雅子様の遺伝子が組み込まれていて優秀だし、愛子様の配偶者はイケメンではない高学歴の人になりそうだからだ。
今のうちに女系天皇の法律をきちんと作っておけば、対処できるんだけどね。
下手をすると、とんでもない滅茶苦茶な馬の骨が乗り込んでくるかもしれない。愛子様という素晴らしい人がいるのに、あえてゴミみたいな馬の骨を選ぼうとする、自民党。亡国の徒だね。
いっそ三種の神器を天皇と仮想的にしてしまえばいいんじゃないですかね。
かつて徳川家康は明智光秀のような人間を出さないようにするために朱子学を導入しました(情緒的な忠義では無く論理的体系的な忠義を求めて)。朱子学は男系絶対の中国の歴史や伝統を前提にした思想なので、その事によって男尊女卑の風潮が日本に根付いていきました(新島八重の会津でも西郷隆盛の薩摩でも)。しかし男女の出生率は全体では半々でも、現代日本の皇室を見てもわかる通り「家」や「日本人が考える、お互いの顔が見える範囲での一族」の範囲では結構偏る場合がままあり、中国の宗族レベル(お互い一面識も無い場合も少なくない)ぐらいの規模で男系絶対の継続が可能になります。しかし日本人は「一面識も無い相手を身内とみなせる」まで「身内」を拡張する事はしませんでした(高々15代離れた徳川慶喜すら必ずしもすんなりとは受け入れられなかった)。朱子学を学んだ者達の中から「徳川家など覇者に過ぎぬ、真の王者は天皇だ」と主張する者が表れて、彼らによって江戸幕府は倒されました。今度は天皇制が朱子学(の中途半端な受容)によって葬られるのかも知れません。