2021年12月05日

◆ 済州島という盲点

 中国による日本侵攻を考えるとき、盲点となっている場所がある。両国の中間地点にある、済州島だ。

 ――

 中国と日本の軍事対立を考えるとき、済州島のことは盲点となっていることが多い。ここは韓国領であって、第三国だからだ。
 しかし中国が日本侵攻をするとしたら、ここは戦略的に要衝の地点となる。そのことは、地図を見ればわかる。





 中国から九州に来る途中点にあるので、とても便利な場所だとわかる。その意味では、(石垣島のような)離島を経由して遠回りするよりも、ずっと使い勝手がいい。





 「済州島は韓国領だから、中国は勝手に使えない」
 と思う人もいるだろうが、韓国人は中国にはまったく抵抗できない状態なので、中国が「使わせろ」と言ったら、逆らうことはできまい。それどころか、「憎い日本人をやっつけるためなら、喜んで土地を提供しよう」と思うはずだ。だから、済州島の使用には、何の支障もない。

 というわけで、「離島防衛」のことをしきりに考えて、オスプレイの派遣の訓練なんかをしている自衛隊は、「頭隠して尻隠さず」ふうで、無能の極みと言える。いくら離島を守っても、自衛隊が佐賀から南方に出かけてお留守になっている間に、中国軍は済州島経由で、九州や佐賀を攻撃してしまうのだ。
 つまり、「離島防衛」というのは、「本土防衛をなくす」というのも同様だから、馬鹿丸出しということになる。

 桶狭間の戦いでは、今川義元が兵を前線に派遣したあと、防御が疎かになった本営に、信長が一挙に奇襲を仕掛けて、大将の首を取った。寝首を掻くように。
 これと同じようにして、離島防御に兵が派遣されたあと、防御が疎かになった本土に、中国が(済州島経由で)一挙に奇襲を仕掛けて、日本は本土を奪われてしまいそうだ。陽動作戦に踊らされるように。

 それというのも、思考に盲点があったからだ。それはとても大きな島なので、まさしく地図上で見えているはずなのだが、見ても意識から逃れてしまうのだ。思考の盲点とは、そういうものだ。
 


 【 補説 】
 済州島というのは、実はとても興味深い地域である。
  → 済州島 - Wikipedia

 ここはもともと独立国であって、韓国にも日本にも属していなかった。文化的にも言語的にも、韓国や日本には属していなかった。その意味では、琉球に似ている。
 ところが 12世紀ごろから、朝鮮(高麗)の支配下になったようだ。
 さらに第二次大戦後、南朝鮮を単独で独立させようとした李承晩政権が、反対派を弾圧したが、そのとき、独立しようとした済州島民を、反政府派と見なして、大量虐殺した。人口の2割が殺されたともいう。そのとき逃れてきた大量の難民が、日本にも来て、在日韓国人の一部を構成した。その人々は特に大阪・鶴橋のコリアタウンに集まった。
  → 済州島 四・三事件 - Wikipedia
  → 祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄 大阪・鶴橋のコリアタウンの背景
  → 済州島事件から71年 韓国警察、虐殺を初めて謝罪:AFPBB News

 在日韓国人というと、韓国から来た韓国人(と子孫)だと思われることが多い。しかし実は、そのうちの一部である済州島民は、韓国人でもなく日本人でもなく、中間に位置する第三国の人々だったのだ。特に、韓国から大量虐殺の憂き目に遭ったという意味では、韓国を「敵」と見なすような人々であったのだ。

 済州島のことについては、(地理的にも歴史的にも)日本人はろくに知っていないと言える。そのせいで、そこは「思考の盲点」となってしまうのだ。こうして無知ゆえに、自らを危険にさらすことになる。



 【 追記 】
 「大阪・鶴橋のコリアタウン」と上に記したが、鶴橋とは下記である。





 このすぐ南は、大阪市・生野区のコリアタウンとして有名だ。大阪のコリアタウンというと、ここを示す。横浜の中華街のように、日本にありながら異国情緒を味わえる土地だ。





 そのせいで、ここは韓国・朝鮮の人々が来ていると思われているが、実は、そのほとんどは済州島民である。
 この地域に在日コリアンが集住し始めたのは日韓併合後の1920年代、……この時期には済州島と大阪を結ぶ直行便が就航されていた為、とりわけ済州島民が多く大阪に渡ってきたとされる。当初の在日朝鮮人の出身地はその多くが慶尚道・済州島であったそうだ。
 戦後に多くの在日朝鮮人は日本の統治から外れた朝鮮に戻ったが、済州島民は1948年に起きた島民虐殺事件(済州島四・三事件)から逃れるように、密航船で再び住み慣れた日本に渡ってきた。この事から大阪・生野区のコリアタウンに暮らす在日コリアンの出身地は殆ど済州島出身者である。
( → 鶴橋・生野コリアタウン (大阪市生野区) - 大阪DEEP案内

 大阪のコリアタウンを見て、そこにあるのは韓国文化で、そこに住んでいるのも韓国人だと思っているが、実は、そこにあるのは済州島文化であり、そこにいるのは済州島人なのだ。
 済州島は韓国の一部であるとされるが、実は、(韓国の影響を大きく受けているとはいえ)、基本的には韓国本土とは大幅に異なる。そのことを理解するべきだ。
 
 実を言うと、在日韓国人が韓国で暮らすと、ひどく差別されることが多い。
  → 差別された韓国で気づいた ふるさと日本 | 金田正二 | Amazon

 なお、在日韓国人のうち、済州島民(の出身者)は、15% であり、残りの 85%は本土(半島)の出身者だ。大阪のコリアタウン以外には、済州島民はあまりいないことになる。
  → 在日韓国・朝鮮人 - Wikipedia
posted by 管理人 at 22:12 | Comment(3) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に 【 追記 】 を加筆しました。
 大阪のコリアタウンと済州島民の関係。
Posted by 管理人 at 2021年12月06日 21:53
 下の記事(SankeiBiz)によると、「日本軍が済州島に長さ約1400メートルの滑走路を完成させたのは日中戦争を控えた1937年前半のこと。中国の南京への<渡洋爆撃>に用いられた」、「済州島が本格的に旧日本軍の軍事拠点として整備されたのは、45年8月の敗戦までの数カ月間とされ、米軍との<本土決戦>に備えた要衝として当時の島の人口約23万人に対し7万人超もの軍部隊が集結」とあります。

 https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190423/mcb1904230500002-n1.htm

 少なくとも戦前・戦中は、済州島が「戦略的に要衝の地点」ということは認識されていたようですが、戦後は(日本領でもなくなって)忘れ去られて「盲点」となっているのでしょうか。
 本ブログの別記事「オスプレイは防御でなく侵略用」で指摘のあった福江島(五島列島)や、壱岐、対馬(いずれも長崎県)にも、砲台や要塞があったようですね。
Posted by かわっこだっこ at 2021年12月06日 23:57
 自分が攻めるときには頭が働くが、相手がどう攻めるかを想像するときには頭が働かない(相手の手を読めない)……というのは、素人のヘボ将棋にはよくある。

 兵は一流、将は三流。日本軍の伝統だ。ノモンハンもそれで負けた。
  http://openblog.seesaa.net/article/479561031.html
Posted by 管理人 at 2021年12月07日 00:20
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