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治水と言えば、以前はダム建設一本槍だった。八ツ場ダムの建設が代表的だ。川辺ダム(熊本の球磨川の氾濫があった上流部)も話題になっている。
だが、近年では上流部におけるダム建設よりも、中下流域における対策が主流となりつつある。これを「流域治水」という。具体的には、堤防、
→ 霞堤 - Wikipedia
本サイトでも、下記項目で説明したことがある。
→ ダムに頼らない治水: Open ブログ(流域治水)
→ 台風と流域治水: Open ブログ(霞堤の図あり)
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さて。この霞堤だが、「単にこれを作ればいい」というものでもない。同時に弊害が起こることがある。
霞堤を作ると、洪水時には一定領域が水没する。その水没する領域に、集落があると、その集落はもはや居住不可能となる。ゆえに、集落は集団移転しなくてはならない。しかし、集団移転というのは、容易ではない。
この問題は、下記で報じられている。
→ 「霞堤」設計内容、国交省が発表:朝日新聞
より詳しい話は、下記にある。
→ 那須烏山の集団移転、2024年度までに計画 市と国交省 下境地区で住民説明会|下野新聞
何が問題か? 次の順序だ。
・ 集団移転をしてから、霞堤を作る
・ 霞堤を作ってから、集団移転をする
前者ならば、特に問題は生じない。
後者ならば、集落が霞堤のせいで水没することになる。人災だ。
それでは困る。だから、集落の人々は、「そいつは困る」と訴えている。下記を参照。
どちらを先にするべきかは、馬鹿でもわかることだ。
ではなぜ、馬鹿でもわかることがわからないのか? 政府は馬鹿以下なのか?
いや。こういう馬鹿げたことがあるとしたら、たいていは自民党の利権のせいだ。たぶん、理由はこうだ。
「集落が水没したって、そんなことは知ったことではない。他人がどれほど困ろうと、知ったことではない。大事のなのは、おれたちの懐さ。お金が優先だ。そのためには、とにかくさっさと公共事業をやって、霞堤の工事費を頂戴することが先決だ。大事なのは金だけさ。あとは野となれ山となれ。……じゃ、自民党の先生、よろしくお願いしますぜ」
かくて集団移転が済まないうちに、霞堤を建設して、集落を水没させる……という愚行が推進される。さすがに自民党だ。人々が支持するだけのことはある。
[ 付記 ]
津波被災のあった三陸の場合との違いは、「高台がない」ということだ。
三陸の場合には、リアス式海岸のそばに砂州のような平地があって、その少し奥には高台があった。そこにはかなり広い平地が盆地のようにできていた。だからそこに集団移転することもできた。
三陸以外のたいていの地方(山間部)では、川の流域は峡谷状になっている。川のすぐそばだけは平地があるが、そこから奥まったところには険しい斜面があるだけで、盆地のような平地はない。「洪水の危険のあるところから、洪水の危険のないところへ」という移転は、こういう峡谷部では不可能だ。
ではどうするかというと、せいぜい、次のことだけだ。
「くねくねと蛇行する川筋のそばでは、氾濫しやすい場所と、氾濫しにくい場所とが、区別される。明白な差ではないのだが、若干の傾向としては区別ができる。そこで、氾濫しやすい場所をさけて、なるべく氾濫しにくいところへ、移転すればいい」
これで抜本的な対策になるわけではないのだが、この程度のことであっても、何もやらないよりは ずっといい。というのは、現状では、「いかにも氾濫しやすい場所」という危険地帯に、大量の人家があるからだ。球磨川でも、そういう危険地帯にある住居が、真っ先に被害に遭った。
こういう危険な状況を放置して、上流で(何千億円もかけて)川辺ダムを作っても、効果は限定的なのである。莫大な金をかけて、効果の小さいことをやっているだけだ。
ま、こういう巨大ダムの目的は、治水ではなくて、「治水を名目にして土建業者が税金を食い物にすること」であり、「それに乗じて自民党が賄賂を取ること」である。だから、治水の効果がなくても、どうでもいいのだろうが。
それダムの目的なのである。ダムはムダ。