――
維新は自民以上の保守派だ。ならば、立憲と維新との共闘などはできるはずがない、と考えるのが常識的だろう。
そこで、この両者の共闘を模索しようとした小川淳也の方針が、各地で批判された。小川淳也自身も、反省を口にした。
→ 小川淳也氏 維新への直談判は「私の軽率さ。深く反省」:朝日新聞
ただ、この問題をじっくり考えてみると、意外な結論にたどり着いた。「立憲と維新との共闘は、できるはずがない」ということはないのだ。以下ではその意外な結論について説明する。
――
簡単に言えば、「選挙の共闘」と「政権の共闘」とは別である。前者の共闘はありえないが、後者の共闘は必要不可欠だ、となる。
順に説明しよう。
(1) 選挙の共闘
選挙の共闘はありえない。これは、路線が異なるから喧嘩する、という意味ではない。路線が異なるから、共闘しない方が有利なのである。
仮に共闘するなら、両者を足して2で割ったような中道政党となるだろうが、それでは範囲が狭いので、多くの票を取ることはできない。左翼票も右翼票も逃げてしまう。
一方、別々に戦うなら、立憲はリベラル票を取るし、維新は保守票を取る。双方がそれぞれ票の最大化を図れる。
特に重要なのは、維新が保守票を取ることで、自民票をいっぱい食うということだ。小川淳也は、「維新と立憲が票を食い合う」と思ったようだが、現実にはそうではなく、維新は立憲よりも自民の票を多く食ったのである。小川が選挙区で勝てたのも、維新の候補が立ったことの影響が大きい。(その分、自民の票が食われた。)
以上のことからして、選挙の共闘などは、しない方がいい。特に立憲にとってはそうだ。立憲にとっては、「第二自民」である維新が候補を立てて、保守票の食い合いをすることが、最善なのである。
なお、下記記事を参照。
これを換言すれば、維新が食った票は、立憲の票よりも自民の票の方が多かった、ということだ。
とすれば、維新が出馬しなければ、自民の票はあまり減らなかったはずだから、立憲はもっと大敗していたはずだ。立憲としては、維新に感謝した方がいいだろう。「出馬してくれてありがとう」と。
( → 2021 衆院選の部分分析: Open ブログ )

(2) 政権の共闘
選挙での共闘はありえないが、政権の共闘はありそうだ。連立政権の一翼として、維新が参加することで、「立憲・維新の連立政権」を成立させるわけだ。
ただしこれが成立するとしたら、自公が過半数割れになった場合だ。その場合には、自公が維新に対して、「自公維の連立政権」に誘うはずだ。そのとき、保守系の維新としては、政策の似ていない立憲よりは、政策の似ている自公にすり寄る方が、自然である。だから、「立憲・維新の連立政権」よりは、「自公維の連立政権」の方が、はるかに可能性は高い。……そう思う人が多いだろう。私も昨日まではそうだった。
だが、「自公維の連立政権」は、ありえないのである。少なくとも、橋下がまともならば、そんなものを受け入れるはずがない。なぜか? 「自公維の連立政権」というのは、1回限りの使い捨てだからだ。
仮に「自公維の連立政権」を成立させたとする。それで数年間が続いて、政権は安定する。すると、次の選挙では、人々は安心して、またしても自公に過半数の議席を与える。こうなったら、維新はもう用済みである。ポイと捨てられるだけだ。以後は連立政権にお呼びがかかることもない。
その見本が、「自社さ連立政権」だ。このとき、自民党は社会党とさきがけに、特別待遇とも言える厚遇の条件を出した。「社会党が首相でいい」とまで言い出した。それで数年間が続いたあとは、どうなったか? 自民党が過半数を得て、社会党とさきがけは追い出された。もう用済みになったからである。
これが、「自公維の連立政権」の待ち受ける未来である。その場合には、維新は1回限りの使い捨てとなる。そして、有権者の期待を裏切った維新は、以後は衰退するしかない。ちょうど、社会党が衰退したように。
だから、維新にまともな頭があれば、「自公維の連立政権」を受け入れるはずがないのだ。
――
では、かわりに、維新はどうすればいいか?
そもそも、「自公が過半数割れになる」というのは、よほどのことがないと、起こらない。そう滅多に起こることではないのだ。千載一遇のチャンスだとも言える。そのとき、それを利用すれば、自公をずっと過半数割れに追い込むこともできる。(立憲と維新がずっと多数派を占め続ける。)
その場合、どうなるか? 保守派の人々は、自民党を支持するのをやめて、維新を支持するようになる。それはちょうど、大阪で現在起こっているのと、同じ結果である。あるいは、小泉純一郎がかつて「自民党をぶっ壊す」と言って拍手喝采を浴びたのと同じである。
人々は、保守は好きだが、腐った自民は嫌いなのだ。だから、「腐っていない保守」があれば、その政党が圧倒的に多数を占める。
維新にまともな頭があれば、それを狙う。つまり、「自民党をぶっ潰して、代わりに維新が真の保守政党となる」ことだ。そして、そのためには、「一時的には立憲と連立政権を組むことを厭わない」と思うはずだ。「どうせ自分たちが単独で過半数を取るんだから、一時的に立憲を利用すればいいだけさ」というふうに。
だからこそ、「立憲・維新」の連立政権」は、十分に成立するのである。というか、それは絶対的に必然なのである。維新にまともな頭があれば。
※ ただし、自公が過半数を割れば、という条件下で。
[ 付記 ]
橋下は今は小川淳也を潰そうとしているようだが、そこは考え直した方がいい。維新が潰したい最大の相手は自民党であって、維新は自民党に代わる保守第1党になることが目的なのだ。大阪では、そうやって議席数を増やした。ならば、国政でも、そうするべきなのだ。立憲を潰そうとするより、自民を潰そうとするべきなのだ。それこそが、維新が票を伸ばす道である。
それが理解できていないという点で、橋下はちょっと頭が悪い。「維新にまともな頭があれば」という条件は、十分に満たされているとは言えない。
【 追記 】
維新と立憲は、右か左かという点では対極的だが、「現状打破か否か」という点では、どちらも改革志向である。「旧体制をぶっ壊す」という点で協力できれば、連立政権は可能だろう。
「右か左か」という点では、「中道・現状維持」を基本とすれば、対立も生じないだろう。 ドイツでは連立政権樹立の過程で、緑の党が従来の極左路線(原発廃止など)を下ろしつつあるそうだ。それが現実的対応だ。