――
本項では「政党がなしてはならないこと」を示す。その目的は、立憲民主党がどこを間違えていたかを示すことだ。立憲民主党の敗北を受けたあとで、その敗北の原因を示すわけだ。
立憲の敗因は何か? 「自分たちの目的は、正しいことを唱えることだ」と思ったことだ。「正しいことを唱えれば、多くの民衆が支持してくれる。そうすれば議席も増える」と思った。そこで、「いかに自分たちが正しいか」を訴えて、「いかに自民党が間違っているか」も示した。「自分たちは正しく、自民党は悪である」というふうに示した。彼らはまさしく、自分たちがやろうとしたことをやった。
そして、その結果は? 比例区の惨敗である。つまり、「正しいことを唱えれば、議席も増える」という目論見は、完全にハズレたのである。
では、どうしてそういうふうになったのか? そこを理解しない限り、立憲はいつまでも負け続けるだろう。
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そこで正解を示そう。こうだ。
「政党の目的は、正しいことを唱えることではなく、議席を増やすことである」
換言すれば、こうだ。
「政党の目的は、《 権力を取る 》というゲームにおいて勝利することだ」
つまり、どんな汚い手段を取ってもいいから、とにかく勝利する(権力を取る)ことが最優先となるのだ。
そして、このことをよく知っているのが、自民党だ。何が何でも権力を取ろうとする。そのためには、敵である社会党の党首を首相に担ぎ上げたこともあった。( → 自社さ連立政権 )
自民党と社会党が手を結ぶとか、社会党の党首を首相に担ぎ上げるとか、そんなのは禁じ手と言えるほどにも滅茶苦茶な論外な手法である。まともなゲームならば、反則で、ファウルとなるか、レッドカードとなるところだ。ところが、政治というゲームには、反則や禁じ手なんてものはない。そこで、この論外とも言える方法を取ったのだ。……何のために? 権力を取るために。つまり、ゲームに勝つために。
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これを比喩的に言うならば、こうなる。
「プロ・スポーツの目的は、試合に勝つことである」
換言すれば、こうだ。
「プロ・スポーツの目的は、参加することではない」
参加すれば事足れり、というのは、アマチュアの発想である。プロはそうではない。プロはあくまで勝とうとする。(ルールの範囲内で。)
一方、アマチュアは違う。勝とうが負けようが、そんなことはどうでもいい。自分が参加して、いい気持ちでプレーすれば、それでいいのだ。例示して言えば、お嬢様のテニスである。ボールを打ち合って、気持ちよく過ごせば、それでいいのだ。どちらが勝とうが構わない。単に気持ちよく過ごすことだけが目的だ。
この違いが、自民と立憲の違いだ。
自民はあくまで、ゲームに勝とうとする。つまり、権力を取ろうとする。権力を取れば勝ち、権力を逃せば負け。勝つことが至上命題であって、そのための手段は問わない。嘘をつこうが、だまそうが、おどそうが、すかそうが、とにかく勝つためにはあらゆる手段を駆使する。
立憲はあくまで、正しいことを主張しようとする。つまり、自分が正しいことを言って、「自分は正しい」と自己陶酔していれば、それでいいのである。それが国民に伝わるか、国民に理解されるか、国民に支持されるか、そういうことはどうでもいい。単に正しいことを言っていればいいのだ。そして、その根拠となるのは、「正しいことを言っていれば議席は増える」という盲信(または妄想)である。……そして、それが間違いだったと気づくのは、選挙に負けたあとのことなのである。(つまり、手遅れだ。)
――
では、「正しいことを唱えること」が、なぜ議席増に結びつかないのか? それは、こうだ。
簡単に言えば、大半の人々はエゴイストなのである。「正しいことのために身を切れ(損しろ)」と言われても、たいていの人はイヤがる。たとえば、「歳末助け合いのために、赤い羽根の金を強制徴収します」と言われたら、たいていの人はイヤがる。それは困った人々を救う正しいことなのだろうが、だからといって自ら身を切るのはイヤがるのだ。「どうせやるなら、金持ちから金を徴収しろ。おれたちから金を徴収するな」というふうに思う。
だから、「正しいことをするので、皆さん、損してください」と頼んでも、票を得るどころか、票を失うだけなのである。
以上のことは、前に別項でも示した。
世の中の大半の人(3分の2)は、エゴイストである。自分の利益だけが大切であって、他人の利益などはどうでもいい。自分の財布に入る金だけが大切であって、同性愛者やホームレスがどうなろうと、知ったことではないのだ。
たとえば、「性的少数者の優遇」を唱えても、それで喜ぶのは、世の中の性的少数者である1%程度の人だけであるにすぎない。その一方で、世の中には保守的な人々が多いから、それらの票のすべてを失ってしまう。なのに、こんな特殊なことを唱えるのは、ただの自己陶酔であって、議席を増やそうとするのとは正反対だ。
いくら「正しい」としても、それは他の人々には受け入れられないのだ。なぜなら、他の人々の財布の金を奪うからだ。同性愛者や生活困窮者のために、優しい手を差し伸べれば差し伸べるほど、行政経費がかかるので、血税が費やされる。そのことが、エゴイストには我慢ならないのだ。
だから、立憲が議席増を狙うのならば、そういう「正しいこと」については封印するべきだ。何も述べずにいるべきだ。そうすれば、エゴイストの票を失わずに済む。なのに、そのことを理解できないまま、「優しさ」に従って、「正しいこと」を主張するばかりだから、エゴイストの票をどんどん失うことになる。……それが、今回の選挙の結果だ。
( → 立憲はなぜ敗北したか?: Open ブログ )
かわりに、どうすればいいかも示した。
リベラルが中間の人々の票を得るためには、どうすればいいかもわかる。
そのためには、左派の主張を声高に述べればいいのではない。そんなことをしても、3分の1の票を得るだけであって、中間の3分の1の票を得ることはできない。
かわりに、左派の主張を捨てて、保守的な人々の心に響くような主張をすればいいのだ。そのためには、「人々は(生活面で)保守的である」という原則を理解した上で、「劇的な変更をしない」という方針を取るべきだ。
すると、次のような政策は、「劇的な変更をする」ので、不可であるとわかる。
・ 原発をゼロにする。
・ 安保条約をいじる。
・ 少数派や弱者への対策を大切にする。
こういう方針は、左派にとっては必要なことだが、保守派の人々にとっては嫌われるものだ。だから、保守派の人々の票がほしければ、上のような政策を声高に語ってはいけない。
リベラルにとって必要なことは、「正しい政策を取ること」ではない。「正しい政策を取ること」を諦める必要がある。かわりに、「自らの主張を捨てて、相手の方針に寄り添う」ということが必要になる。それができたとき初めて、リベラルは多数派の票を取ることができる。なぜなら、相手の気持ちを理解して、相手の気持ちに寄り添うからだ。
( → リベラルはなぜ少数派か?: Open ブログ )
ここでは、「自分が正しいと思うこと」を切り捨てて、「相手が正しいと思うこと」を尊重することが大事だ、と示している。
それは「コミュ障を脱する」ということでもある。
そして、それがゲームの勝利(権力の獲得)において有利であることは、次のように示した。
妥協とは、単に節を屈することか? 自説を抑止して、他人に従うことか?
いや、単に譲ることだけではない。こちらが譲ると同時に、相手も譲る。双方が譲り合う。
では、妥協とは、単に譲り合うことだけか? いや、そうではない。双方が譲り合うことで、合意に達するので、双方が一つにまとまる。このことが本質だ。
それまではバラバラだったものが、一つにまとまる。そうすると、政治の世界では、「多数の優位」を確立することができることが多い。そして、「多数の優位」を確立できたなら、「権力なし」から「権力あり」に転じることができる。……この結果が決定的に重要だ。
ここまで理解すれば、「妥協」の重要さがわかるだろう。それは特に野党において問題となる。
与党ならば、「権力のうまみ」を知っているので、「権力あり」が最優先となる。そのためには、自説を譲ることも厭わない。つまり「妥協」の大切さを知っているので、妥協をすることができる。
野党ならば、「権力のうまみ」を知っていないので、「権力あり」が最優先とならない。そのせいで、自説を譲ることができない。自説の正しさにこだわり、自説を曲げまいとする。そういう潔癖症にとらわれている。そのせいで、妥協をすることができない。
結局、野党がいつまでたっても政権を取れないのは、「妥協」の大切さを知らないからだ。自説の純度にばかりこだわって、自説とは異なる意見を許容できない。妥協して一つにまとまろうという意思が最初からない。権力を握ろうという意思が最初からない。「自分は正しいのだから、多くの人々が自分を支持するべきだ」と思い込んでいる。
( → 妥協とは何か?: Open ブログ )
「正しいことを唱えること」にこだわっていると、妥協ができず、共闘もできないので、勝負では敗北する。それがこれまでの野党だったのだ。
以上において、「なしてはならないこと」が示された。(現実には、なしてはならないことをなし続けてきたのが、立憲だった。ひたすら「正しいことを唱える」ことばかりを目的としてきた。)
【 補説 】
ただし上の状況は、最近になって、いくらか変化が見られる。
(1) 共産党との共闘
共産党と共闘したことで、選挙区ではかなりの勝利をあげることができた。もともとは「小人が二人」という弱者の共闘であるのにすぎないのに、巨人である強い自民を相手に、3割ほどの勝利をあげることができた。これは大成功と言えるだろう。
→ 2021 衆院選の部分分析: Open ブログ の 3.
仮に共闘が成立せず、共産党の候補者が立っていたなら、立憲は選挙区でも惨敗して、大幅減になっていただろう。
(2) 枝野の後任
枝野代表が辞任を表明した。
→ 立民 枝野代表 辞任の意向表明 衆院選 議席減で引責 | NHK
後任は未定だが、小川淳也議員が立候補の意向を表明した。この人の名前は聞いたことがなかったので、調べてみたが、意外や意外、実に有力な候補であることがわかった。
この人は党の役職としての経歴はとても短いので、名前は知られていないのだが、業績は何かと思って調べてみたら、とんでもない巨大な業績を上げていた。それは、共産党との共闘態勢の構築である。
日本共産党との共闘(民共共闘)に積極的であり、民進党香川県連代表であった2016年、第24回参議院議員通常選挙香川県選挙区の候補者を共産党の候補者に一本化するため、私有財産制の保障や自衛隊の存続、天皇制の維持や議会制民主主義(政権交代制を前提とする複数政党制)の擁護、ならびにその他の人権の保障などの立場を明確にするための確認書を日本共産党香川県委員会との間で結ぶなど、民進党内の「共産党アレルギー」解消のために尽力した。
日本共産党との共闘については、立憲民主党幹事長特別補佐となった後の2018年12月にも共産党主催の演説会に出席し、「今度こそ本気の野党共闘をやろう」と訴えている。また、同じく2018年12月、野党共闘に関して「徹底した野党共闘論者であるという自負がある。」「私は立憲が野党共闘を指導する立場になるべきだと考えている。」と主張した文章を毎日新聞に寄稿した。
「ぼくは共産党とは将来的に合併論者。薩長が連合せずに倒幕はなかった」と共産党との合併論者であることを自認し、共産党やれいわ新選組との合併による新党移行を主張している。
( → 小川淳也 - Wikipedia )
最後の話のあたりは、薩長を結びつけて倒幕を果たす坂本龍馬並みである。気概だけではない。実際に共闘態勢を構築したことで、今回の選挙で立憲を崩壊から救った。立憲にとっては救世のメサイアだとも言える。仮に小川淳也の尽力がなかったなら、野党は乱立して戦ったすえ、自民は 大幅に議席を増やし、逆に、立憲は惨敗して崩壊・解体の道を進んでいただろう。
ただし、事情通の私としては、もう一人、共闘態勢の構築に尽力した人物の名を掲げよう。それは、今回は立候補しないで引退した長老である、赤松広隆・元議員である。
小川淳也は、「共産党とは将来的に合併」という方針を取っていたが、赤松広隆はもっと賢明(というか狡猾)であった。小川淳也は共産党との関係を、常識的に「ギブ・アンド・テーク」の関係ととらえていたようだが、赤松は違った。「テーク・アンド・テーク」つまり「一方的にもらうだけ」という関係を構築することに成功した。つまり、「共産党の票をもらうだけもらうが、立憲の側からは何も与えない」という関係である。話がうますぎて、にわかには信じがたい関係だが、赤松はこれを口先で見事に成立させた。
彼の話を聞いたインタビュー記事がある。
共産党は「野党連合政権の合意が条件」と言っているが、志位和夫委員長には「それでは話がなくなってしまう」「連立政権に加わるのではなく、今の野党が政権を取った場合、その政権の『協力勢力』という位置づけの方がいいのではないか」と説得している。与党になると、日米安保条約の継続で国会に提出される法案にも共産は賛成しなければならなくなるからだ。
( → 赤松広隆さん「第2自民党いらない」 リベラルの灯残せ :朝日新聞 )
共産党は立憲に対して「閣外協力」という形で落ち着いたが、それは、事前に赤松が共産党をうまく説得したからだ。その説得の核心は、こうだ。
「共産党は、立憲との選挙協力の条件は、連立政権を組むことだと言っていますね? でも、連立政権を組むと、責任をもたされ増す。すると、今までの主張を曲げる必要が出てきます。ちょうど、自社さ連立政権で、社会党の首相がこれまでの持論を一挙に曲げたように。共産党もそれを強いられます。なぜなら、そうしなければ政権が崩壊して、自民党政権になるからです。
しかしですよ。持論を曲げるのはイヤでしょ? 正しいことを主張できなくなるのはイヤでしょ?
その点、連立政権には参加せず、閣外協力にとどめておけば、持論を曲げなくても大丈夫。これまで通り、正しいことを主張できます。
共産党にとって、何よりも大切なのは、正しいことを唱えることでしょ? 権力を取ることなんて、二の次でしょ? だから、連立政権には参加しないで、閣外協力にとどめておいた方が利口ですよ」
こうしてうまく口車に乗せて、共産党に「閣外協力」を飲ませたのだ。つまり、(立憲が一方的にもらうだけの)「テーク・アンド・テーク」という関係を。
※ 赤松の説得は、「権力を取ることよりも、正しいことを唱えることの方が大切だ」という共産党の体質を、うまく利用したものだと言える。逆手に取っているようなものだ。
ともあれ、以上のように、二人の業績を示した。この意味で、立憲を救った立役者は、小川淳也と赤松広隆の二人であったと言えるだろう。
そして、赤松広隆が引退したあとでは、小川淳也が一躍脚光を浴びることになる。彼の経歴はこうだ。
生年月日 1971年4月18日(50歳)
出生地 香川県高松市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員(自治省・総務省)
( → 小川淳也 - Wikipedia )
彼の風貌と弁舌はこうだ。
これ以外にも、前から話題になったことがある。
→ 立憲・小川淳也氏 X 橋下徹 映画「なぜ君」主演が追い風に?
話は変わるが、大阪では吉村知事が大人気だということだ。
@今回なぜ維新が強かったか?
これはもう、吉村洋文大阪府知事が人気だったから、に尽きる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、〜
多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
( → なぜ維新が大阪(と関西)で勝つのか? )
大阪では吉村知事が大人気だということだが、小川淳也ならば、知性でも弁舌でも、吉村知事を圧倒することができるだろう。(顔だけはちょっと負けるが、いい勝負。)(吉村知事は九州大学法学部卒であり、早大政経卒の橋下にも負ける。まあ、イソジンでお里が知れるが。)
ともあれ、小川淳也が代表になれば、これまでの左翼寄りの路線は是正されて、中道寄りの路線を取るようになるだろう。
→ 衆院選・立民の敗因に田崎史郎氏「左に寄り過ぎた」 小川淳也議員「おっしゃる通り」
また、「正しいことを唱えることが大切だ」という路線を捨てて、「膝を曲げても議席数を増やすことが大切だ」「倒幕(政権奪取)が大切だ」という路線を取るだろう。つまり、政党として正しい路線を取るようになるだろう。
こうなれば、立憲が1桁の支持率に低迷し続けるという状況を脱して、以前の民主党のように、自民を上回る得票率を得ることも夢ではない。
枝野時代の立憲は、どんどん体が小さくなって、ひどい小人になってしまった。しかし小川淳也時代の立憲は、どんどん体が大きくなって、自民をしのぐ巨体になることも夢ではない。……なぜなら、そのときの立憲は、「正しいことを唱えること」を捨てて、「政権を取ること」を目的として、そのためには膝を屈することをも辞さないようになるからだ。
→ 家賃4万7千円のアパートに暮らす「統計王子」の自制心 衆議院議員・小川淳也
→ “総理大臣になれない”小川淳也議員 妻・明子さんが夫につけた「97点」の理由
→ 小川淳也の生い立ちや経歴は?結婚した嫁と娘がヤバい!ネットの評価も
→ 小川淳也氏の型はまらぬ選挙戦 SNS駆使し高校生、主婦らから支持
[ 付記 ]
「正しいことを唱えること」を重視して失敗した例では、次の例がある。
(A) 共産党の児童ポルノ規制
これを選挙中に掲げたせいで、オタク層の大々的な反発を受けて、票を大幅に減らした。(自らの信じる)「正しいこと」を唱えることばかりに熱中して、実利としての票を大幅に失ってしまった。
(B) 小池百合子
彼女は自らの立ち上げた「希望の党」に、前原の主導で民進党の議員が流入しようとしたとき、左派の議員を排除しようとした。そのせいで、排除されそうになった議員は集団で独自政党を作った。これが立憲民主党の起源である。
つまり、「排除の論理」をもちだすことで、「巨大野党の党首」となることを自ら拒んで、「数を減らした中小規模の野党の党首」になることを選んだのである。
ここでは、自らの思想の純粋さを優先して、議席数をあえて減らした。正しいことを唱えることを優先して、権力を取ることを二の次にした。……その結果が、「割れた野党の敗北」「自民の圧倒的勝利」であった。
歴史に if を持ち込むなら、もしこのとき彼女が「排除の論理」でなく、「数の論理」を取っていれば、何よりも数を増やすことを最優先しただろう。その場合、ウイングを大きく広げることで、党内に左から右までの多様な議員をかかえつつ、自民以外の議員を結集しただろう。そして国民の支持を得て、自らは党首となることで、首相になれたかもしれない。日本最初の女性首相だ。
しかし彼女は、正しいことを唱えることを優先して、権力を取ることを二の次にした。清濁併せのむ度量もなかったし、広く左右を結集するだけの度量もなかった。……これは、首相になる気がなかったというよりは、首相になる器をもたなかったということだろう。
たいていの人間は、おのれの節を曲げることを、何よりもイヤがるのである。ちょっと頭のいい人間ほど、そういうものだ。だから、ちょっと頭のいい人間は、負け続けるのである。
【 追記 】
小川淳也の功績には、下記もある。
私有財産制の保障や自衛隊の存続、天皇制の維持や議会制民主主義(政権交代制を前提とする複数政党制)の擁護、ならびにその他の人権の保障などの立場を明確にするための確認書を日本共産党香川県委員会との間で結ぶなど、民進党内の「共産党アレルギー」解消のために尽力した。
( → 小川淳也 - Wikipedia )
共産党がここまでやれるなら、もう「共産党」の名を変えた方がいい。そうすれば、共産党アレルギーの解消にもなる。(中国やロシアの共産党と袂を分かつ意義もある。どうせもともと喧嘩しているんだし、同じ名前にする必要はない。)
私の提案は「共参党」だ。 共同参加ふうのニュアンス。同じ発音なら、共産党のメンツも立つので、変えやすい。
※ 英訳は coopism , coopismist party.
・私はジェンダー平等や気候変動も出し続けていいと思います。但し出す順番としては、@経済A福祉Bジェンダー・気候変動だと思います。Bを1番に打ち出すと、「余裕のある人の趣味」に見られてしまうので。又@Aについても「人に優しい経済、人に優しい福祉に改革する」という打ち出しだと思います。
「LGBT なんて、人口の1%ぐらいしかいないんだから、そんなことは公約に出すな。公約に出せば、残りの99%の大多数(ゲイやレズを嫌う人)の反発を食って、大きく票を減らすだけだ。わざわざ票を減らす必要はない」
「 口には出さずに、(政権を取ったら)やることだけをやればいい。口で語ることに自己陶酔してばかりいては駄目だ。口先優先では駄目だ」
ということ。
――
増税を公約しないのと同様だ。
民主党は、消費税増税を公約して、実施しなかったら、政権を失った。
自民党は、消費税増税を公約しないで、実施したら、政権を維持し続けた。
不人気なことは黙ってやることが肝心。
男は黙ってサッポロビール。(古いCM)
昭和の時代から、『内ゲバ』は左翼の代名詞。異論は武力を使ってでも潰していました。
戦争は二度としない(させない)といいながら、自分たちは内戦まがいの武力行使で日本を不安に陥れる。こんなことをするから左翼は日本で支持されにくいものと思われます。
付記の小池百合子への主張は特に納得できます。
本当にやりたいことは「やるやると言わないでやる」という主張は当を得ていると思います。結果的にそうなってしまった(やる意思はなかったが・・)という形にすることが上策のように思います。昔の兵法に、そんなことイロハのイだと書いてあるように思いますが・・。
特に左派が当たり前のように言う、金持ちから金を取って社会保障に回せと言うのは、考えようによっては強盗の主張だと受け取られても仕方がないでしょう。これくらいひどいことを正しいと信じ込んでいるのです。ロビンフッド税と言う言葉を金持ちが使うならわかりますが、左派が堂々と威張って使うのには呆れます。