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この問題を扱っているページがある。
→ なぜリベラルの声は中間層に届かないのか?(鳥海不二夫)
「リベラルの声は中間層に届かない」ということを、統計データで示している。それはまあ、たしかにそうだろうし、疑問は感じられない。
ただ、「なぜ」に対する分析がほとんどないし、回答もほとんどない。せいぜい、「保守の方が感情に訴える言葉を使っている」ということぐらいだ。要するに、言葉遣いによって差が付く、という発想だ。しかし、そんな単純な話ではあるまい。(これは統計における「疑似相関」という言葉で説明される。この語でググれば説明が見つかる。)

より本質的に考えると、どうなるか? 私なりに、正解を述べよう。こうだ。
「世の中の人々は、3分の2はもともと保守である。人間は保守的なものである。現状でちゃんと生きていられる限りは、現状を特に変更しようとはしない。とりあえずは現状維持を狙う。それが安心できるからである。年を取ればなおさら、現状維持を狙う。
一方、世の中の3分の1は革新的である。現状をあえて大規模に変更したがる。政府そのものも全取っ替えしたがる。しかしそういう人は、少数派であるにすぎない。
一方、政治的には、三等分される。右派は3分の1、中間は3分の1、左派は3分の1である。これはどうしてかというと、そういうふうになるように、言葉の定義を決めているからだと考えていい。だから、原理的にそうなる。
さて。自民党のような政党は、政治的には右派だが、保守的な人々の票を得るので、およそ3分の2の票を得る。そこには、右派と中間の双方が含まれる。立憲のようなリベラルな政党は、政治的には左派だが、革新的な人々の票を得るので、およそ3分の1の票を得る。そこには、左派だけが含まれ、中間の人々は含まれない。
以上のような理由で、リベラルはもともと中間の人々の票を得られないのである。それは原理的なものだ。表現方法がまずいからだというような技術的な理由によるのではない」
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以上のことからして、リベラルが中間の人々の票を得るためには、どうすればいいかもわかる。
そのためには、左派の主張を声高に述べればいいのではない。そんなことをしても、3分の1の票を得るだけであって、中間の3分の1の票を得ることはできない。
かわりに、左派の主張を捨てて、保守的な人々の心に響くような主張をすればいいのだ。そのためには、「人々は(生活面で)保守的である」という原則を理解した上で、「劇的な変更をしない」という方針を取るべきだ。
すると、次のような政策は、「劇的な変更をする」ので、不可であるとわかる。
・ 原発をゼロにする。
・ 安保条約をいじる。
・ 少数派や弱者への対策を大切にする。
こういう方針は、左派にとっては必要なことだが、保守派の人々にとっては嫌われるものだ。だから、保守派の人々の票がほしければ、上のような政策を声高に語ってはいけない。
リベラルにとって必要なことは、「正しい政策を取ること」ではない。「正しい政策を取ること」を諦める必要がある。かわりに、「自らの主張を捨てて、相手の方針に寄り添う」ということが必要になる。それができたとき初めて、リベラルは多数派の票を取ることができる。なぜなら、相手の気持ちを理解して、相手の気持ちに寄り添うからだ。
ここまで理解すれば、リベラルが票を獲得できない本当の理由がわかる。それは「リベラルがコミュ障であるから」である。リベラルは、自分の言いたいことだけを主張して、保守的な人々の気持ちを理解しないのだ。
「現状を変更することが怖いから、多少は汚くても、汚い現状を維持したがる」
というのが、大多数の人々の感覚なのである。人々はもともと保守的なのである。特に、現代の若者は、そういう人が多い。大きな変革を恐れる。
だから、そういう人々の心に寄り添って、「大きな変革はありませんよ」と安心させることが大切なのだ。自分が正しいことを主張するよりも、不安な人々の心に寄り添うことが大切なのだ。
そして、それができるのが右派であり、それができないのが左派である。だから右派は中間の人々を取り込み、左派は中間の人々を切り捨てる。
リベラルが多数派にはなれないのは、リベラルが自己陶酔して、相手を理解できないという、コミュ障であることが原因なのだ。
【 関連項目 】
→ 若者の保守化: Open ブログ
※ ここでも似た趣旨のことを述べている。
「若者が保守化したのは、変革に対して恐怖心をもっているからだ」
と。本項の話(本日分)と、かなり重なる内容だとわかるだろう。