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たとえば、3カ月の早産であれば、本来の誕生日に生まれた場合よりも、3カ月早く生まれたとして計算される。そのせいで3カ月分、現実の成長度が足りない。戸籍上では6歳であるとしても、正常出産児では5歳9カ月分の成長をしているだけだということになる。
これを考慮しないで、そのまま学年を割り振ると、本来の学年よりも1年上の学年に割り振られてしまうことがある。特に、早生まれではそうだ。
早生まれ(1月〜3月)の子供は、他の子供よりも成長が不足気味である。ただ、それは仕方ない。
一方、早生まれの子供のうち、早産児(3カ月の早産)はどうか? これらの子供は、本来ならば4月〜6月に産まれるはずだったのだ。なのに早産のせいで、1月〜3月に生まれた。そのことで、本来の学年よりも1学年上の学年に所属することになる。
換言すれば、本来ならば4月〜6月に産まれる子供のうち、
・ 早産児は、1学年上の学年に属する
・ 正常出産児は、本来の学年に属する
というふうに、二通りに分かれてしまうわけだ。これは、早産児にとっては不利益となる。そういう問題がある。
困った。どうする?
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そこで、困ったときの Openブログ。解決策を出そう。
「早産児については、本来の誕生日(出産予定日)に基づいて、学年を決める」
これを理念とした上で、現実的には、次の修正措置を取る。
「早生まれの早産児については、早産であることの証明書を添付した上で、学年を1つ下げる(入学時期を1年遅らせる)こととする」
さて。これは、親による「権利規定」でもいいのだが、「権利」であると、拒否する余地が生じる。それによって不利益を得るのは、親ではなく子供である。親の無知が子供に影響することになる。それはまずい。
そこで、これは「権利規定」ではなく、行政による標準業務に取り入れるといい。次の形で。
・ 早産であるか否かを、もともと行政で確認して、記録する。(※)
・ 記録に基づいて、学年を1つ下げる。
なお、(※)の記録は、マイナンバーによればいい。次のように。
・ 子供は生まれた時点で、マイナンバーを取得する。
・ マイナンバーには、早産の情報が記録される。
・ その情報に基づいて、学年を下げる措置が取られる。
・ 以上のことは、自動化される。(≒ 誰かがマイナンバー情報を手動で調べる必要はない。)
これで問題は解決するだろう。めでたし、めでたし。
[ 付記 ]
この件では、本来の誕生日に基づいた月齢を考える「修正月齢」という概念がある。
→ 修正月齢とは
早産児が現状において学習上の不利益を受けていることについては、教育分野における調査レポートがある。
→ 学齢期の早産低出生体重児における 教科学習と学校生活の実態
【 補説 】

裏話をしよう。
この問題をなぜ考えたかというと、次の報道があったからだ。
コロナ禍で感染予防のため、新生児集中治療室(NICU)に入院する赤ちゃんとの面会が制限される状況が続いている。早産や低体重で生まれたり、重い病気があったりする我が子に会えず、寂しさを感じる母親たちも少なくない。
「病院に命をつないでいただいているありがたさはあります。でも、我が子なのに自由に会えないのはつらい」。関東地方に住む双子を出産したばかりの母親(36)は涙声で言った。
( → NICU、我が子に会いたい コロナ禍、続く制限 触れられないけど…オンライン面会導入も:朝日新聞 )
これを書いた記者は女性なので、「母親の悲しみ」という母性愛に共感したのだろう。しかし私は男なので、まったく共感しなかった。むしろ、この記事に反発した。
「子供に会いたいという気持ちはわかるが、その子供は、早産児なのだから、本来ならばまだ子宮の中にいた状態である。たまたま強制的に手術(帝王切開)によって取り出されただけであって、人間としては未完成品の状態なのだ。そんな未完成品状態の胎児に会いたいというのは、自然な感情ではない。正常出産時ならば、いずれも母親の胎内にいるのだから、そんな胎児と対面したいというのは、母親の腹を切り裂きたいというのも同然の非道な強欲である。ゆえに、NICUにいる子供(修正月齢がマイナス3カ月からマイナス1カ月)については、会えないというのを悲しむべきではない。じっと我慢するべきなのだ。理性によって感情を克服するべきだ」
人間の感情というものは大切だが、ときによっては感情が暴走することもある。そういうときには、感情の暴走を止めるだけの理性が必要だ。
※ 母親は「自分の産んだ子供に会いたい」と思うのだろうが、早産児は、母親が産んだわけではない。医者が帝王切開で取り出しただけだ。また、NICU にいる早産児は、まだ「生まれた状態」にはなっていないのだ。「生まれた状態」に向けて完成しつつあるという、途上状態なのである。それは胎児も同然なのだ。こどもは今は必死に努力しているところなのだから、母親はそれを応援するだけでいいのだ。何かをなすべきだとしたら、努力してくれている医師や看護師に感謝することだ。それ以外のことは、何も必要ない。