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日本は F-35 などの最新兵器を配備することで軍備を強化しようとしている。その何倍か何十倍もの戦力を備えている米軍は、世界最強の軍隊だ。なのに、タリバンとの戦いに敗北した。それはどうしてか?
ひょっとしたら、日本の軍力は、タリバンの 10分の1以下なのだろうか? 日本がタリバンと戦ったら、あっさり敗北するのだろうか?
この問題には、実は、前に nando ブログで考察したことがある。該当箇所を抜粋しよう。
今回の勝敗で、不思議に思えるのは、圧倒的に武器では優れていた米軍やアフガニスタン政府軍が、武器の貧弱なタリバンに負けてしまったことだ。
近代の戦争では、「最先端の武器を持つ方が勝つ」というのが常識だ。なのに、最新鋭のステルス戦闘機や戦車を持つ米軍が、ただの歩兵であるタリバンにあっさり負けてしまった。それはなぜか?
その理由として最も有力なのは、これがゲリラ戦であったということだ。国と国との戦いとは違って、同じ国のなかで陣取り合戦をする。そのとき、ゲリラの側は神出鬼没で、民衆のなかに紛れてしまう。便衣兵だ。
( → アフガン陥落の分析 : nando ブログ )
「これがゲリラ戦であったということだ」と理由を示している。
換言すれば、「これは国と国との戦いではない」ということだ。つまり「敵国の領土を侵略して、敵国の施設を破壊する」ということで勝とうとする戦いではない。
対日・対独戦争は、そういう戦いだったが、タリバンとの戦いは、そういう戦いではなかったのだ。
この二つの戦いを区別するために、次の用語を用いよう。
・ 団体戦
・ ゲリラ戦
団体戦は、通常の戦争である。対立する二つの国が、団体としての軍隊を派遣して、軍隊同士で戦う。古くはギリシアの都市国家の時代においても、ペロポネソス戦争などがあった。もっと昔でも、団体による戦争があっただろう。長い歴史において主流となる戦い方だった。
ゲリラ戦は、まったく異なる。戦いの片方は国家であるが、もう片方は国家ではない。国家ではないので、支配する地域もない。そもそも、支配する地域というのは、国家の側がもともと支配していた地域である。国家がその地域を攻撃したら、自分自身を攻撃することになるので、自己矛盾だ。(敵国を攻撃するのとは違う。)
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では、ゲリラ戦で勝利するには、どうすればいいか? 「敵の支配する地域を攻撃する」という通常の戦争の仕方は通用しないのだとしたら、どうすればいいのか?
実は、これがわからなくなってしまったのが、米国だ。やむを得ず、どこに敵がいるのかわからないまま、不確実な情報に従って、ドローン攻撃をした。無人ドローンからミサイルなどを発射して、敵のいるはずの場所を攻撃した。しかしその方法だと、情報の不確実さのせいで、誤射・誤爆が頻発した。アフガニスタン人から見れば、敵(タリバン)に殺される量より、米軍に殺される量の方が多い、とも言われるほどだった。
アフガニスタンで29日に実施した対テロ作戦の空爆をめぐり、米軍が民間人に犠牲者が出た可能性を認めた。民間人の巻き添えは、憎悪の連鎖を生みかねない。
アフガニスタンの地元メディアは29日、米無人機(ドローン)の空爆の被害を受けたとされる住宅街の様子を動画で伝えた。
「爆撃された弟は、貧しい人たちに大豆を配ってきたNGO職員です」。兄を名乗る男性が地元テレビ「トロ」の取材に応じ、弟は過激派組織「イスラム国」(IS)とは何の関係もない一般市民だと訴えた。
同国では市民の犠牲をいとわない空爆が20年間続いてきた。過激派の居場所をつかんだ米軍が、周囲の住民もろとも爆撃するケースが目立つ。
国連アフガニスタン支援団の統計などによると、2001年から今年6月末までに犠牲になった市民は約4万9千人に上る。その大半は戦闘やテロによるものだが、空爆の犠牲も多い。
米国のトランプ前政権が空爆を強化した19年には一時、米軍やアフガン政府軍に殺された市民の数が、タリバンなど武装勢力に殺された市民を上回っていた。
15年10月には北部クンドゥズの国際医療NGO「国境なき医師団」の病院が空爆され、患者ら42人が死亡した。米軍機は病棟の上を旋回しながら集中爆撃。後に米軍が「人為的ミス」と釈明し、反米感情に油を注いだ。
「米国には市民を殺す権利でもあるというのか。米軍がこの20年でもたらしたのは、平和でも繁栄でもなく、やむことのない報復テロの火種だった」
( → 空爆巻き添え、繰り返す米 「弟、ISと何の関係もない」 アフガン:朝日新聞 )
このように、米軍の攻撃は混迷を極めた。「敵を殺すよりも味方を殺す量の方が多い」とも言えるほどだった。米軍は戦い方がわからなくなってしまったのである。(ゲリラ戦のなかで。)
こういうふうに困った状況になってしまったのが、現実だった。(だから米軍は撤退した。なすべきことがわからないまま。)

では、どうすればよかったのか? 米軍は困ってしまったのだが、それならそれで、困ったときの Openブログが、かわりに答えるべきだろう。
では、どう答えるか?
実は、これについてはすでに回答済みである。本項冒頭で nando ブログ の引用を紹介したが、その文章の続きには、こうある。
こういうゲリラを相手にして、「ゲリラを撲滅する」というのは、最新兵器の出番にはならないし、最新兵器のある方が有利だともならない。
ゲリラを相手にするときには、ステルス戦闘機や戦車のような最新兵器を使うよりは、兵士のレベルで優れた兵士を用意することの方が決定的に重要となる。
( → アフガン陥落の分析 : nando ブログ )
そして、そのための具体的な方法は、上記項目の次の項目に記してある。抜粋しよう。
では、成功するには、どうすればよかったか? それは、先にも述べたとおりだ。つまり、こうだ。
「米国が、アフガニスタン政府軍を強化・養成するべきだった」
それはまた、政府軍だけでなく、政府そのものを養成するべきだった、とも言える。
「米国は、民主主義を尊重したので、アフガニスタン人による民族自決の方針で、アフガニスタン人の選挙による民主的な政府を支援した。しかし、そのような民主的な方法を取るべきではなかった。米国はアフガニスタン政府を、尊重する代わりに、米国の支配下に置くべきだった。その統治下で、アフガニスタン政府とアフガニスタン政府軍を、強力になるように養成するべきだった。そして、アフガニスタン政府とアフガニスタン政府軍が養成されていくのにつれて、徐々に権限を譲り渡すべきだった」
( → アフガン政府軍の無力さ : nando ブログ )
要するに、米軍は、「米国人が最新兵器で戦う」という方針を取るべきではなかった。それは団体戦の戦い方であって、ゲリラ戦の戦い方ではなかった。
ゲリラ戦の戦いでは、相手がどこにいるかもわからないので、兵器よりも人間レベルで戦う必要があった。人間が装備を備えることは必要だが、あくまでも人間対人間の形で戦う必要があった。そして、そのためには、アフガニスタン人の兵士を養成する必要があった。
なのに米軍は、そうしなかった。「最新兵器があればいいさ」と思って、遠く離れたところからドローンで攻撃した。しかしそれでは、タリバンを殺すよりも、アフガニスタン人の方を殺すことになって、非常に効率が悪かった。
(団体戦でなく)ゲリラ戦では、最新のハイテク機械よりも、人間の方が強い……というのが、タリバンの教えてくれた教訓なのだ。
なのに、そのことを理解できないまま、あくまでも最新の兵器にこだわった戦い方をしたから、最終的に、米軍はタリバンに敗北したのだ。「最新の機械が人間に負ける」という形で。
以上のことから教訓を得ないと、米国は今後もゲリラ戦で負け続けることになるだろう。
※ 勝つためにはどうすればいいかは、すでに下記項目に詳しく記しておいた。
→ アフガン政府軍の無力さ : nando ブログ

ランボー3は映画的に誇張されてますが、イスラムゲリラを助けてソ連軍と戦うとか今から見ればブラックジョークとしか思えない話です。
訓練するのはいいんですが彼らの雇い主たるアフガン政府が給料をまともに払わないので全部裏切った。
アメリカは資金援助するけどそれを腐敗した政府の人間が分けどりするので下まで回ってこないんです。
そうじゃなくて、政府軍(職業軍人)を鍛える。
> 腐敗した政府の人間
そうです。だから政府軍だけでなく、政府そのものを近代化する必要がある。リンク先に書いてある通り。
アフガンの人達は部族や宗派のためには生命身体は賭けられても、国のためには生命身体は賭けられません。またたとえ国のために生命身体を賭ける人がいても、その人は部族や宗派のためには生命身体は賭けた人程には尊敬されないでしょう。これでは国軍・政府軍が強くなれるはずがありません。国や地域によって差はありますが、イスラム圏では「アラーのみが絶対」が徹底し過ぎているため、それ以外の権威が成立し難いのです。またイスラム教はムハンマドを最後の預言者としているので(異端の発生を防ぐためとか)、最後の審判までの社会の変化など織り込まれておらず、「変化=逸脱・堕落」としか捉えられないのです。ですからムハンマド以前からあった部族やイスラム教によって生まれた宗派は兎も角、それ以降に生まれた「国家」に権威は持てませんし、持たせようとする者がいれば、その者は最悪ジハードの対象になりかねません。インド洋の島には石器時代そのままの暮らしをし、外部を一切拒絶している人達がいるそうです。アフガンも外部と遮断して、最後の審判の日まで武装勢力同士のバトルロワイヤルを続けさせるしかないのではないかと思ったりもします。
人は変わるものです。