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世間では大騒ぎしているようだが、これには根本的な疑問が付く。
「いじめをやった時期は、小学二年生のときと、中学生時代。子供のころの出来事だ。そんなに昔にやったことについて、いつまでも罪を問うべきか?」
もちろん、否である。

罪を償うにせよ、時効となるにせよ、もともと違法性がないにせよ、未成年の罪で免責になるにせよ、いずれにしても、何十年も前のことで罪を問うことはできない。いつまでも過去のことをあげつらうのは、非倫理的である。
とすれば、彼のいじめについて「倫理性」を問うこと自体が「非倫理的」であることになって、自家撞着となる。
これでは、「馬鹿と言う方が馬鹿」というありさまだし、「泥棒を逮捕するぞと言っている警察官自身が犯罪者だ」というありさまだ。ナンセンスの極み。
困った。どうする?
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そこで、困ったときの Openブログ。うまい方針を出そう。こうだ。
「彼が過去にいじめをしたことについては、本人の反省を条件として、免責する。一方で、彼を五輪の作曲家に任命したことについては、任命者の責任を問う」
核心を言えば、この作曲家は、作曲すること自体は何も悪くはない。しかしこの作曲家がパラリンピックの開会式の仕事をするのは、はなはだ不適切である。
そして、そのようなこと(彼がパラリンピックの作曲をすること)を決定して彼を任命したのは、五輪の担当者である。その人に決定権があるのだから、その人に全面的に責任がある。
一方、この作曲家は、作曲をしただけであるが、作曲をすることは罪ではないので、何ら責任を問われない。
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要するに、こうすればいい。
・ 任命決定者 …… 不適切な人選であったことを謝罪して、辞任する。
・ 大会組織委 …… 彼を作曲家の名簿から外す。(金は払うが。)
・ 作曲家本人 …… 謝罪する。しかし作曲の仕事は辞退しない。
作曲家の名簿から外されることを受け入れる。
作曲料の一部を寄付する。
以上が、私の判断だ。
[ 付記 ]
本人はすでに謝罪の言葉を表明した。
→ ツイート (画像)
→ 記事 (謝罪文の転載)
https://koritsumuen.hatenablog.com/
それにしても、このブログ主の人もかなりしつこいですね。でも今回の記事は、彼(小山田氏)も障害者の人を蔑称(あだ名)で呼んでいたけど、彼(や他のクラスメート)もその人に牛乳瓶でボコボコに殴られたことがあった、みたいな内容ですね。
また、他のエピソードもあわせて読むと、小山田氏は巷間いわれているように、「自分のイジメを武勇伝的に誇らしげに語っている」のではなくて、「自分はこんなことをしてきた、しょーもない奴なんだ」と告白しているように思いますね。もちろん露悪趣味的なんですが、自分のやったことを悪いことだと振り返って、それを赤裸々に語っている。つまり、これはインタビュー形式なんですが、彼の「私小説」みたいなものなんですかね。
> オリジナルだとばかり思っていたフリッパーズギターの音楽も、その後ソロになったcorneliusや小沢健二さんの音楽も、ソックリな過去の曲がぽつぽつ見つかるのでした。影響やオマージュのレベルではなく、洋楽のカラオケにただ日本語詞を載せて歌っただけのようなものまでありました。それは当時「元ネタ」などと呼ばれており、みんなが知らない音楽を、音楽を通し紹介するDJ的意味合いや、「情報だけ溢れているが何もできない自分たち」という青春の無力感を表現している、みたく捉えられていましたが、それは当時の当事者の美化であって、元の著作者からすると無許可であった場合、単なる著作権違反/盗用です。今でいう「漫画村」とまったく同じ。もちろんそれは楽曲の要素の一部でしかありませんので、パンと嫌いになって手放すことはありませんでしたが、物知りなだけで無害だと思っていたお兄さんの本棚、CD棚が、実は全部万引きで形作られていたような感覚は憶えました。気付いていなかっただけで、悪趣味・鬼畜に行く前から、もともと暴力性を内包していたのだと感じました。
https://lineblog.me/yusuke_nakamura/archives/1062454461.html