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(熱海市で)土石流の主成分は盛り土だ、と見なされている。たとえば、下記記事のコメント欄。
→ 土石流の正体は産廃: Open ブログ
それというのも、土石流の成分を考えるとき、水を除外して考えることが多いからだ。で、あとに残った残土を調査して、「熱海市の土石流の成分は、盛り土が8割ぐらいだった」というふうに考えるわけだ。
現実の土石流では、最も多かったものは水である。ただし事後に調べるときには、水はそこには残っていないので、水があったことを人々は忘れてしまうのだ。
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現実には、水が大部分だった。そのことは、映像を見ればわかる。
たとえば、前出記事の動画。
また、次の記事の動画もある。これは、急激な土石流が来る3時間前に、大量の泥水が来ている状況を撮影したものだ。
→ 熱海 “大量の泥水が3時間後 土石流に” 現場近くの女性が撮影 | NHK
その動画の最後には、土石流も撮影されているが、これも泥水のようだ。(下図)
この記事には証言もある。
逢初川近くの道路で大量の泥水が流れる様子を動画で撮影し、その、およそ3時間後にも同じ場所で土石流が押し寄せる様子を撮影していました。
はじめに撮影された動画では、今月3日の午前8時20分ごろに、茶色く濁った大量の泥水が山の方向から激しい勢いで流れ下っていました。
撮影した56歳の女性は「これほど茶色く濁った水が大量に、すごい勢いで流れてくるのを見たのは初めてでした。このときは、まさか、あれほどの被害が出るとは思いもしませんでした」と話していました。
ともあれ、初期には大量の水があり、最後の土石流ですら大量の水を含んでいたとわかる。
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このことからして、土石流の発生のメカニズム(機構)には、修正を要するようだ。
これまでは、次のように考えてきた。
今回の崩落には、さまざまな要因があったことになる。
・ 盛り土が崩落した (きっかけ)
・ 盛り土の土石流が流れていった
・ 盛り土の土石流が谷底を削った
・ V 字形の斜面で崩落が起こった
・ 伐採地からの地下水が大量にあった
・ 盛り土の箇所に、地下水は大きく影響した
・ 谷底には土石流堆があって、流されやすかった
( → 土砂崩れはどう起こったか?: Open ブログ )
盛り土が崩れても、その土砂は谷間の中流域に留まるのが当然だからだ。それならば、何の被害も生じなかったはずだ。
現実にはどうか? 話は逆だろう。盛り土の土砂は、いったん崩れたが、そのあとで、中部の土砂を根こそぎ削りながら、下部に達して、さらにはその外側(平野部)にまであふれ出た。
これは、中部の V 字形の斜面が根こそぎ削られたからである。そのまた理由は、メガソーラーで保水力を失った山稜部の水が、(盛り土でなく)中部に注いだからだ。
( → 土石流の正体は産廃: Open ブログ )
ここでは、中部の意味は、「そこの土砂が削られて土石流になった」というよりは、「そこの土砂が削られたので、上流から来る土石流を止めることができなかった」というふうに説明される。自らが主因となったというより、別にある主因を止められなかったという副因となっている。
だが、新たに考え直そう。「止めることができなかった」というのでは足りない。もっと大きな意味があったはずだ。なぜなら、大量の泥水があったからである。(上の説明では、大量の泥水を説明できない。)
大量の泥水があったとしたら、その前に、大量の水があったはずだ。それは、単に降雨の水があっただけでなく、もっと多くの水があったはずだ。その意味は、「貯水されて湖状になっていたこと」である。このことのみが、大量の泥水を説明する。(大量の盛り土だけがあったならば、液状の泥水にはならないからだ。)
「貯水されて湖状になっていたこと」……これが決定的に重要だ。とすると、このことに基づいて、新たな説(新説2)を提出することができる。次のように。
《 泥水 》
・ 初めは、盛り土は崩れなかった。
・ 谷間と上流から、大量の降雨が集まった。
・ 中部(谷間の中流部)で、V 字形の斜面が崩落した。
・ 崩落した土砂は、下流部で流れを詰まらせた。
(原因は、防砂堤や、谷間の狭さ → 後述動画 )
・ 下流部で流れが詰まったので、中部では湖状に大量の水が貯水された。
・ あふれた泥水が、街中に流れた。( → 前述の動画 )
《 土石流 》
・ 盛り土が崩落した (きっかけ)
・ 盛り土の土石流が流れていった
・ 盛り土が、中部にある湖状の大量の水と、混じりあった。
・ 盛り土と大量の水の混合物が、下流部を突破して、一挙に流出した。
・ それが恐ろしい勢いで流れていって、動画に撮影された。
以上のように説明すると、「大量の液状の土石流」というものが説明される。
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なお、(谷間の)下流部における谷間の狭さは、次の動画の冒頭部でわかる。
※ 以下は読まなくてもいい。
[ 余談 ]
本項では、「大量の水があった」という点に着目している。
どうしてそういうふうに考えたかというと、朝日新聞の写真(降雨前と降雨後の比較写真)をじっくり見たからだ。
→ 続く警戒、復旧阻む 熱海土石流1週間、19人行方不明:朝日新聞
ここには比較写真があるが、小さくて、見やすくない。見やすい画像は、紙の新聞にもあるが、(デジタル会員ならば)紙面ビューアで見ることができる。( 2021-07-11 の1面)。
→ 紙面ビューアー:朝日新聞
ともあれ、この画像を見て、新旧の比較をすると、次のことがわかる。
「この土石流は、雲仙の火砕流と同様に、巨大な塊ふうに真っ直ぐ進んだのではない。途中で方向を変えながら、くねくねとうねるように進んだ。それというのも、谷間が S 字状( 〜 字状)に、くねくねとうねっているからだが。このような流れ方をするのは、土石流が固体よりも液体としての性質をもっていたことによる」
こう感じた。そこで、「土石流といっても、普通の土石流とは違って、泥水状だ」ということに着目したのである。そのあとは、新たな土台に立って、改めてゼロから考え直したのだ。その結果が、先に示した「新説2」となった。
(お風呂につかりながら考えていると、ひらめいた。)
https://www.bbc.com/japanese/55930298
以下、引用。
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京都大防災研究所の竹林洋史准教授(砂防工学)が中流部の斜面で含水率を計測したところ、50%を超えていたという。竹林さんは「足下の土砂はぬかるんでいて、水を含みやすい性質の土砂だと感じた。水はけの悪い地盤だったと考えられる。このような水を含みやすい土砂は大雨でなくても水をため込みやすく、地震でも土砂災害が起こりやすい」と解説する。
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出典: 熱海土石流、盛り土なければ起きなかった? 専門家調査:朝日新聞デジタル
→ https://digital.asahi.com/articles/ASP797RLKP79ULBJ00S.html