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下記に連続ツイートがある。
熱海の伊豆山周辺は安山岩の山で、山の斜面には岩がゴロゴロ転がっていて、露頭には風化した白茶色の砂や粘土や角礫が見られます。このような岩石で出来た山が崩れたのであれば、土石流にこれらの岩石が含まれるはずです。(写真は伊豆山の斜面と露頭) pic.twitter.com/CrpLaNGnJy
— A. Ennyu (@r_isotope) July 8, 2021
ところが7月3日の熱海土石流(泥流)に含まれる物質を観察すると、安山岩質の岩や土砂は含まれず、全く別の種類の石やタイルの破片、コンクリ片等から成ります。これは、土石流で流れた泥は伊豆山の岩石由来ではなく、別の物質であることを示唆します。(写真は土石流の泥) pic.twitter.com/Nps9rigH3f
— A. Ennyu (@r_isotope) July 8, 2021
その土石流は沢の源頭部に盛り土された残土(建設発生土)に由来することは、@露頭(地山)の土、A盛り土(残土)、B土石流の泥を見比べると明白です。つまり、Aが崩れてBになりました。(写真は盛られた建設発生土) pic.twitter.com/fdJyfvHFkd
— A. Ennyu (@r_isotope) July 8, 2021
そんなわけで「熱海の土石流で流れた泥は山の岩石に由来する土砂ではなく沢の源頭部に盛られた残土である」という仮説の答えが出ました。次は泥をふるいにかけてどんな石やゴミが出るか調べるとか、泥流が傾斜12度の平斜面をどう滑るかについて検討しますかね。
— A. Ennyu (@r_isotope) July 8, 2021
もっと詳しい話は下記。
→ 伊豆山土石流の発生源で何が起きたか? - Togetter
※ ここに記してあるツイートは、時間的には逆順です。注意。
次の報道もある。
ここでも、産廃があったことが指摘されている。
[ 付記 ]
以上は紹介だ。
私の見解を言うなら、こうだ。
「こういうことを調査するのは、民間人や自治体に任せないで、政府がきちんとやるべきだ。政府は事故調を立ち上げるべきだ」
とはいえ、「真相の解明」というのは、菅首相が一番やりたがらないことだけどね。
また、安倍首相なら逆に、「真相の隠蔽」というのを、せっせとやっただろう。
【 関連項目 】
(1)
盛り土の量がどのくらいあったかについては、前項で図(2枚)とともに示した。
→ 盛り土は大量にあった: Open ブログ
(2)
盛り土をした事業者は、二つある。
1回目は、小田原の「新幹線ビルディング」という会社。
2回目は、東京の「ZENホールディングス」という会社(のオーナー麦島善光)。
→ メガソーラーと盛り土の会社: Open ブログ
――
本項では「産廃だ」とわかったわけだが、土石流の主要部分は、1回目の産廃であったようだ。2回目の盛り土も、産廃であったらしいが、山頂部の土壌が含まれているかどうかは不明らしい。(流れ落ちた土壌からは、両者を区別できないので。)
【 追記1 】
上記のツイートの紹介の最後に、下記サイトを紹介した。
→ 伊豆山土石流の発生源で何が起きたか? - Togetter
ここには、次のツイートも在る。
土石流発生源の地形をデジタル処理して、樹木を取り除いてみた。
— にゃんこそば???データ可視化 (@ShinagawaJP) July 8, 2021
例のメガソーラーは盛り土エリアの集水域から外れていて、「保水効果が失われたので」という説は概ね棄却できそう。
地下集水域が不明なので安易な結論はNGだけど、記録的大雨+脆弱な盛り土を主因とみるのが自然かな、という感覚です。 pic.twitter.com/unBuhzgXGX
この人は、こう書く。
例のメガソーラーは盛り土エリアの集水域から外れていて、「保水効果が失われたので」という説は概ね棄却できそう。
だが、「盛り土エリアの集水域から外れていて」というのは、理屈にならない。なぜなら、盛り土が崩れても、その土砂は谷間の中流域に留まるのが当然だからだ。それならば、何の被害も生じなかったはずだ。
現実にはどうか? 話は逆だろう。盛り土の土砂は、いったん崩れたが、そのあとで、中部の土砂を根こそぎ削りながら、下部に達して、さらにはその外側(平野部)にまであふれ出た。
これは、中部の V 字形の斜面が根こそぎ削られたからである。そのまた理由は、メガソーラーで保水力を失った山稜部の水が、(盛り土でなく)中部に注いだからだ。(詳しくは下記。)
→ 土砂崩れはどう起こったか?: Open ブログ
上のツイートの人は、盛り土ばかりを見ているせいで、盛り土以外のことが見えなくなってしまうようだ。困ったことだ。
【 追記2 】
冒頭ではこう述べた。
「熱海市で下った土石流の成分を調査してみたところ、山頂の土壌に由来するものではなく、産廃に由来するものだと判明した」
しかし本サイトでは、前に異なることを述べた。
「盛り土は、山頂部のソーラーパネルの場所で伐採した樹木の残骸を含むのだろう」と。
また、別の証言では、次の話もあった。
「1回目の盛り土がなされたあとで、2回目の盛り土がなされた。最初の会社が産廃の盛り土をしたとで、次の事業者が別の盛り土をした」
以上の二点では、「産廃以外の盛り土があった」と判明している。とすると、本項の冒頭の話は、間違っていることになる。これはどういうことか? 不思議だ。困った。
そこで、困ったときの Openブログ。うまい解釈を出そう。こうだ。
「盛り土は上から順に流れた。まずは、盛り土の上側にある部分(2回目の部分)が流れて、下部の谷間に広がった。次に、盛り土の下側にある部分(1回目の部分)が流れて、下部の谷間に広がった。下部の谷間に広がった土壌を調査すると、深いところには2回目の部分があるが、浅いところには1回目の部分(産廃)がある。それを見て、産廃ばかりだと誤認した」
物事の
>(前略)現実にはどうか? 話は逆だろう。盛り土の土砂は、いったん崩れたが、そのあとで、中部の土砂を根こそぎ削りながら、下部に達して、さらにはその外側(平野部)にまであふれ出た。
> これは、中部のV形の斜面が根こそぎ削られたからである。そのまた理由は、メガソーラーで保水力を失った山稜部の水が、(盛り土でなく)中部に注いだからだ。(詳しくは下記。)→ 土砂崩れはどう起こったか?: Open ブログ
> 上のツイートの人は、盛り土ばかりを見ているせいで、盛り土以外のことが見えなくなってしまうようだ。困ったことだ。
⇒ 筆者の提示するメカニズムはかなり真実に近づいていると、以前のコメントで書きましたが、ひとつ引っかかるのが、「この盛り土より下流部分の崩落が、住宅地域をおそった土石流の規模(量・勢い)にどのように影響したか」という点です。
『盛り土は大量にあった』の稿の冒頭、朝日の記事(@)によると、盛り土の欠損体積は約4.8万立方メートル(2019年時点のデータと現状とを比べたとき)なので、(2019年以降に盛り土がさらに積まれた可能性も考えられるが)実際に流出した盛り土もそのくらいだろうと推定しています。
また、本稿中で紹介された TOGETTER の中の、静岡大の小山教授の解析(A)や静岡新聞の記事(B)の内容を合わせると、「流出した盛り土は約5.55万立方メートルで、そのうち0.75万立方メートルが400m下流の砂防ダムによってくい止められたので、残り約4.8万立方メートルが住宅地域にまで達した。発生当初は土石流の総量は10万立方メートルとされていたが、これは間違いだ」となります。
この2つのことから、土石流の総量に占める、「中部のV字形の斜面地層が削り取られたり崩落して混じった量」の割合は少なく(ぜいぜい10〜15%?)、ほとんど(85〜90%)が盛り土由来だと考えられるのですが……
@ https://digital.asahi.com/articles/DA3S14966003.html
A https://scii-my.sharepoint.com/personal/koyama_masato_cii_shizuoka_ac_jp/_layouts/15/onedrive.aspx?id=%2Fpersonal%2Fkoyama%5Fmasato%5Fcii%5Fshizuoka%5Fac%5Fjp%2FDocuments%2F%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B1%B1%E5%9C%9F%E7%9F%B3%E6%B5%81%2Fizusan210709report%2Epdf&parent=%2Fpersonal%2Fkoyama%5Fmasato%5Fcii%5Fshizuoka%5Fac%5Fjp%2FDocuments%2F%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B1%B1%E5%9C%9F%E7%9F%B3%E6%B5%81&originalPath=aHR0cHM6Ly9zY2lpLW15LnNoYXJlcG9pbnQuY29tLzpiOi9nL3BlcnNvbmFsL2tveWFtYV9tYXNhdG9fY2lpX3NoaXp1b2thX2FjX2pwL0VVRVUyTHFYWnZoSmhOOVR1dVZTMG93QmdZemFmTFJDWDN6dnBaSDNlTEdqdFE%5FcnRpbWU9QmRFMFZUNUQyVWc
B https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/926783.html
しかし私が言っているのはそういうことではなく、「盛り土が途中で止まらなかったこと」です。上記で
> 盛り土が崩れても、その土砂は谷間の中流域に留まるのが当然だからだ。それならば、何の被害も生じなかったはずだ。
と記してある通り。
中部が崩れたことの影響は、中部の土砂が多かったことではなく、上部の土砂を止めなかったことなのです。
この意味で、中部が崩れたことの影響は、決定的な大きな影響であると言えます。(二つの主因のうちの一つ。どちらが欠けても、大規模被害にはならなかった。)