日欧のリサイクル率の違いには、注目するべき点がある。
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前項の話題に続いて、もっと詳しい事情を知りたい人のために、詳しい話を述べよう。
前項では、次の謎を掲げた。
「熱回収はリサイクルである」という主張は、なぜ生じるのか? なぜそういう非科学的なことを、人々はあえて主張するのか?
これに対して、理由を「欧州人のエゴイズムだ」と前項で述べた。では、これはどういうことか? その説明をしよう。
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その話の核心は、簡単に言うと、下記のことだ。
世界的にサーマルリサイクルが少ないのは、日本のような高性能のゴミ焼却炉がほとんどなく、ゴミを埋め立て処分しているからだ。
( → 池田 信夫 の指摘 )
これだけでは話が短すぎる。そこで、もっと詳しい話を探すと、下記の話がある。
→ なぜ日本のごみのリサイクル率はヨーロッパに比べて低いのか? - 資源循環・廃棄物研究センター
この文書では大切なことが三つ述べられている。
日欧のリサイクル率の違い
「リサイクル率」は、日本が欧州に比べて圧倒的に低い。
ごみの分別ルールがこれほどまでに徹底されている国は、世界中を見渡しても日本ぐらいです。だから、日本におけるごみのリサイクル率は世界でもトップクラスではないかと思っている人もいるでしょう。しかし、環境省が取りまとめた平成30年度(2018年度)のごみのリサイクル率は19.9%1)で、EU加盟国(2018年時点)のリサイクル率2)と比べると、実はかなり低い方なのです。
このように、日欧では数値に圧倒的な差がある。
日欧の焼却処理率
このような数値の差が出ることには、理由がある。
北ヨーロッパでは焼却処理率は比較的高いものの、日本の焼却処理率はEU加盟国に比べて圧倒的な高さです。日本では以前から埋立処分場の逼迫が深刻な課題であり、埋立処分量を減らすことを優先してきました。
つまり、「日本の焼却処理率がヨーロッパに比べて圧倒的に高い」ということだ。
日欧の数値化の仕方
日本と欧州では、リサイクル率の数値化の仕方(算式の取り方)が異なっている。
EU加盟国では、……ここで注目すべきは、中間処理後に資源化されるモノの量ではなく、中間処理前のごみの量をリサイクル量とする点です。
わかりにくい文章だが、私が説明すると、次の通りだ。
日本では焼却設備が充実しているので、ゴミは焼却することを原則としている。また、焼却で発電するゴミ発電も充実している。これらによってうまくリサイクルを進めている。
欧州では焼却設備が充実していないので、ゴミは焼却しないことを原則としている。焼却したゴミは、リサイクルされたとは見なさない。たとえゴミ発電をしても、リサイクルされたとは見なさない。一方で、欧州では、ゴミのリサイクルによって何かが回収されたかということを考慮しない。単にリサイクルに回されたという時点で、リサイクルに数えられる。
たとえば、100トンのゴミがあって、そのうちの 70トンがリサイクル工場に回されて、30トンが焼却または埋め立てに回されたとしたら、70%がリサイクルされたと見なす。こういう計算をするので、欧州のリサイクル率は非常に高くなる。
しかしリサイクル工場に回されたとしても、それでうまくリサイクルされるとは限らない。下手をすれば、リサイクルで得たエネルギーよりも、リサイクルのために投入したエネルギーの方が多くなる。(エネルギー収支は赤字である。)……この場合、日本の計算方式では、リサイクル率はマイナスとなる。しかるに、欧州の方式では、何かが回収されようが回収されまいが、どっちでもいいのである。単に「リサイクル工場に回された分が 70%あるから、リサイクル率は 70%である」というふうに数えるのだ。(インチキである。)
要するに、欧州の方式は、「リサイクルをやっています」という「やっているフリ」をする率を計算しているのだ。だから、実際に炭酸ガスを削減する量がゼロだろうと何だろうと、とにかく「やっています」というフリをしている分で計算する。
一方、日本の方式は、「現実にエネルギーが回収された率」を計算する。たとえば、ゴミ発電ではゴミのもつ潜在的なエネルギーの 13%を回収して、電力にするので、リサイクル率が 13%となる。
どちらが科学的な方式かは、いちいち言わなくても明らかだろう。
結局、欧州の方式は、「炭酸ガスを減らす」という最終的な結果のことはどうでもいいのだ。それは科学とは何の関係もない、ただのエコ運動(エコごっこ)にすぎないのである。
《 加筆 》
前項の「熱回収はリサイクルではない」という主張も、この文意で理解できる。日本がサーマルリサイクルで炭酸ガス排出を減らしても、欧州はそれを評価しない。なぜなら、欧州の目的は、炭酸ガス排出を減らすことではないからだ。日本がいくら炭酸ガス排出を減らしても、それでは欧州の基準ではリサイクルではないのだ。欧州にとってのリサイクルとは、炭酸ガスを減らすこと(エコ)ではなく、エコのフリをすることなのである。……つまり、偽物が本物としてふるまえば、本物は偽物扱いされる、ということ。
なお、「熱回収はリサイクルではない」というのであれば、プラごみの分別回収も無意味だということになる。とすれば今後は、「プラごみの分別回収をやめよう。プラごみは分別しないで、家庭ゴミといっしょに出そう。そのあと、家庭ゴミといっしょに燃やしてしまえばいい」となる。……これだと、家庭は分別の手間が減るので、かえってありがたい。(皮肉)
「熱回収はリサイクルではない」というのは、プラごみの分別回収を否定することになるので、現在のリサイクル活動を全面否定することになる。全国の自治体の活動を一挙に否定するわけだ。そのあげく、旧式の火力発電所の発電量を増やすことになる。(たとえば石炭発電の発電量を増やす。)
いつもは「石炭発電を減らせ」と言っておきながら、それとは逆のことを主張するわけだ。自己矛盾。アホですね。
[ 付記 ]
肝心のことはすでに述べた。
とはいえ、それとは別に、日本が反省するべき点もある。それは、有機系のゴミ(廃棄食品や廃棄農産物)が無駄に焼却処理されている、ということだ。これらを堆肥などの形で有効利用している分、欧州ではリサイクル率が高くなっている。逆に言えば、日本はそこが劣っている。
小泉環境相が何かを言うべきだとしたら、「プラごみのゴミ発電による熱回収はリサイクルではない」と主張するべきではなく、かわりに、「廃棄食品や廃棄農産物を、焼却しないで、堆肥などに有効利用するべきだ」と言うべきなのだ。日本が対策するべき点は、ここなのである。