2021年06月24日

◆ 夫婦同姓の合憲判決

 夫婦同姓の合憲判決が出た。これをどう評するか? また、何とかするような、画期的なアイデアはないか? 
 
 ―― 

 判決への評価


 夫婦同姓の合憲判決が出た。これに対しては、世間では評判が悪い。実際、世論でも「選択的別姓制度」への賛成論が多いのだ。
 (朝日新聞の)世論調査(電話)で「法律を改正して、夫婦が同じ名字でも、別々の名字でも、自由に選べるようにすることに賛成ですか」と聞くと、賛成が67%でした。自民支持層も61%が賛成と答えました。
( → (世論調査のトリセツ)夫婦別姓、自民支持層の意識変化:朝日新聞

  時事通信の1月の世論調査で、選択的夫婦別姓の導入について尋ねたところ、「賛成」が 50.7%となり、「反対」の 25.5%を大きく上回った。
( → 選択的別姓「賛成」5割超 自民支持層は評価割れる―時事世論調査:時事ドットコム 2021年01月15日

 早稲田大学の棚村政行教授らが全国の60歳未満の成人男女7000人を対象に選択的夫婦別姓について意識調査を行ったところ、「賛成」の割合が70.6%にのぼった。「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」とする「反対」の回答の割合は14.4%にとどまった。
( → 選択的夫婦別姓「賛成」70.6%:「反対]は14.4%にとどまる | nippon.com 2020.12.01

 こういう事実があるにもかかわらず、最高裁判決では、その事実を無視して、次のように言い張る。
 17年に内閣府が実施した世論調査などで、選択的夫婦別姓制度の導入に賛成する人の割合が増加しているなど国民の意識の変化がみられる。
( → 夫婦同姓は「合憲」 最高裁の決定要旨、反対意見も紹介:朝日新聞

 17年? いったい何だって 4年も前の古い調査を持ち出すのか? この手の調査は、近年では急激に別姓容認論が増えているのに、あえてこの3年間の現状を無視して、4年も前の調査にばかりこだわる。「今では別姓容認論が圧倒的に多い」という事実を無視して、「4年前には大差はなかった」というふうに認定する。……これでは事実の歪曲に等しい。
 中国が香港の世論を圧殺するのと同じように、日本の最高裁は事実の認識を拒否して、世論を圧殺しようとしているわけだ。ひどいものだ。

 さらには、同じ記事には、続いて、次の見解()もある。(別姓否定論)
 なお、夫婦の姓についてどのような制度を採るのが立法政策として相当かという問題は、夫婦同姓を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効かどうかという憲法適合性の審査の問題とは次元が異なる。この種の制度のあり方は、国会で議論し、判断すべき事柄だ。

 しかし、これはおかしい。なぜなら、憲法24条には、次の規定があるからだ。
 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 上の見解()は、憲法のこの規定に反する。

 (i) 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」とあるのに、それ以外の条件を政府が勝手に押しつけるのは、上記規定に明白に矛盾する。仮に最高裁の言い分が通るなら、「夫婦同姓」のほか、さまざまな条件を政府が勝手に押しつけてもいい、ということになる。しかし、それでは憲法に反する。

 そもそも最高裁判決は、「憲法とは何か」をいうことをまったく理解できていない。
 憲法とは何か? それは「一国の最重要の法律」というだけではない。「政府がさまざまな法律を規定するときに、政府から国民を守るためにある、基本的な人権を示したもの、それが憲法だ」ということだ。憲法は基本的には、国民の権利を国から守るためにある。国に対して、国民の権利をないがしろにしてはいけないと示すためにある。
 ところが最高裁は、それを逆にとらえている。「何でもかんでも国会に立法権があるから、国会の裁量で決めていい」と主張している。そのあげく、「(憲法24条に違反する法律であっても)国会で議論し、判断すべき事柄だ」と言っている。頭がおかしいというしかない。憲法の法律論を学校で勉強し直せ、と言いたくなる。
 憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。
 憲法は、国民のために、国民の権利・自由を国家権力から守るためにあるのです。
( → 日本弁護士連合会:憲法って、何だろう?


 (ii)憲法24条には、こうある。(再掲)
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」
 とある。ここでも「夫婦同姓を押しつける」というような国家権力の横暴は禁止されていると理解するべきだ。
 こういうふうに、立法府が法制化する枠組みには、慎重に制限がかかっている。なのに、最高裁が「国会で議論し、判断すべき事柄だ」というふうに白紙委任をしているのは、憲法の上記規定を無視しており、明らかに違憲の主張をしていると言えるだろう。

 ――

 結局、以上のどれを見ても、次のように言える。
 「憲法24条による、婚姻の自由が最優先される」
 「それを否定する政府の方針は、憲法24条に違反する」(違憲である)
 これが法律的に正当だと言える。

 ひるがえって、この件を「国会で議論し、判断すべき事柄だ」というふうに白紙委任するのは、憲法24条の第2項に違反しており、憲法違反の判断だと言える。

 反対意見の紹介


 今回の判決(多数意見)はメチャクチャだったが、少数意見(反対意見)には素晴らしく理屈の通った見解が見出される。朝日新聞の記事から抜粋しよう。
宮崎裕子、宇賀克也裁判官の共同反対意見

 夫婦同姓の規定は憲法24条に違反する。決定を破棄し、婚姻届を受理するよう命ずるべきだ。
 生来の氏名が失われることのアイデンティティーの喪失を受け入れることができず、生来の姓を使うことを希望する人に夫婦同姓を婚姻成立の要件とすることは、生来の氏名に関する人格的利益が侵害されることを前提に婚姻の意思決定をせよというに等しい。
 当事者の意思に反して夫婦同姓を受け入れることに同意しない限り、婚姻が法的に認められないというのでは、婚姻の意思決定が自由で平等なものとは到底いえない。憲法24条1項の趣旨に反する。
 なお、夫婦になろうとする者の対等な協議によって姓を選ぶことはこの結論に影響しない。なぜなら、夫婦同姓が婚姻成立の要件であることを所与として認める条件つきの協議でしかなく、双方が生来の姓を選ぶ選択肢は最初からないのだから、自由かつ平等な意思決定とは言えない。
 日本は80年に女子差別撤廃条約を締結し、85年に国会で批准された。条約は「姓を選択する権利」を明記し、締約国に夫と妻が個人的権利を確保するための適当な措置をとる義務を定めている。女子差別撤廃委員会により16年、この義務の履行を要請する3度目の正式勧告がされたことは、両性の本質的平等という憲法24条2項の理念にも反していたことを映し出す鏡でもあったといえる。
 正式勧告以降も何ら法改正がされなかった事実に照らすと、夫婦同姓が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものであることを基礎づける有力な根拠の一つとなり、憲法24条2項違反とする理由の一つとなると考えられる。
( → 夫婦同姓は「合憲」 最高裁の決定要旨、反対意見も紹介:朝日新聞

 私の見解とほとんど同趣旨である。これが法的に合理的な解釈というものだろう。

 ※ 内容はほぼ同等だが、私の話の方が、具体的な条文に則しており、素人にはわかりやすいだろう。玄人から見れば、「どっちも同じ」になりそうだが。

 ※ 上記の少数意見については、次のページも参考になる。
    → 夫婦同姓の強制は「不当な国家介入」。違憲判断の宮崎裕子、宇賀克也裁判官はどんな意見だったのか | ハフポスト


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 うまい案はないか?


 いろいろ述べたが、どっちみち、選択的夫婦別姓は最高裁で否定された。これでは、にっちもさっちも行かない。困った。どうする?

 そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
 「法律を条文通りに解釈する。そうすれば、夫婦別姓は否定されていないとわかる」


 こう聞くと、「そんな馬鹿な!」と思う人が多いだろう。しかしそこは、Openブログ だ。目からウロコとなるような、全く新しい解釈を出そう。その解釈とは、「条文通りに読む」という解釈だ。
 では、条文ではどうなっているか? 

 第1に、民法では、こうある。
第739条
 1.婚姻は、戸籍法 (昭和22年法律第224号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。

 これは、どうということもない。そのままの通りに読めばいい。問題は、このあとだ。

 第2に、戸籍法では、こうある。
第七十四条 婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。
 夫婦が称する氏
 その他法務省令で定める事項

 これに従うことにして、山田太郎と川井花子は、次の氏を届けることにする。
  ・ 夫婦が称する氏   山田
  ・ 夫が称する氏    山田
  ・ 妻が称する氏    山田 および 川井

 この場合、「夫婦が称する氏」は、戸籍法に従って「山田」と届け出ているのだから、戸籍法第七十四条の規定に合致している。だから何も違反していない。(ついでに別のものが記載されているだけであり、第1項の規定そのものは満たしているのだから、何ら違反していない。)

 したがって、戸籍法の規定を満たしているのだから、第739条の規定により、上記の届け出(妻が二重姓になっている届け出)は、その効力を生ずることになる。つまり、妻が二重姓になっている届け出は、婚姻を成立させる。

 役所はどうすればいいか? 従来の住民票の欄外に、「旧姓も有効」という欄を作って、そこに当否(○か×か)を記載すればいいのだ。それだけで済む。

 ――

 かくて、「法律を条文通りに解釈する」という方法によって、「妻が二重姓になっている届け出」は有効になる、と結論できる。

 裁判所に訴えるときには、この方法で訴えるべきであろう。これなら裁判所だって、「法律を条文通りに解釈するのは不可」という判決は下せまい。
 







 [ 付記 ]
 心配症の人は、次の心配をするだろう。
 「その条項だけはそれでいいとしても、戸籍法の他の条項では、同一の氏を用いることを強制しているのでは?」

 私も気になったので、その点を調べてみたが、他の条項でも、うまくクリアできる。
  ・ 「夫婦の姓」というときには、「夫の姓でもなく、妻の姓でもなく、夫婦が共同で名乗る姓」というふうに解釈することで、クリアできる。
  ・ 「十六条 夫の氏を称する妻は、夫の戸籍に入り、妻の氏を称する夫は、妻の戸籍に入る」も、クリアできる。たとえば、川井花子は、山田という夫の氏称するので、夫の戸籍に入る。

 
 要するに、本項で述べた提案は、「妻が旧姓を併用するのを容認する」(それを戸籍法で認める)というのに等しい。単に「旧姓の併用」が法的に追加されるだけであって、他の面では現行制度と何ら変わらない。だから、何も問題はないのだ。
 つまり、「旧姓の通称使用」が「旧姓の正式使用」になるだけだ。ここが本質だ。だから、問題が起こるはずもない。
 


 [ 補足 ]
 コメント欄の1番目(かわっこだっこ さん)を見ると、本項の趣旨がうまく伝わっていないようなので、わかりやすく説明する。

 これは「夫婦」という言葉を字義通りに解釈するかどうか、という問題だ。

 通常は、こうなる。
 「山田太郎と川井花子が結婚して、夫婦の姓を一つ定める。その姓を、夫婦の双方が名乗る」
 この解釈では、夫も妻も、夫婦の姓を名乗ることになる。なぜなら、夫も妻も、ともに夫婦だからである。

 本項では、こうなる。
 「山田太郎と川井花子が結婚して、夫婦の姓を一つ定める。その姓は、夫婦というカップル(二人で一つ)というグループに付けられる名前である。ちょうど、阪神タイガースという名前のように、グループに付けられる名前である。一方、個人の名前は、まったく別のレベルにあるので、まったく別に規定される。ちょうど、球団名とは別に選手名があるように。
 夫婦の姓は、(上記の例では)山田となる。
 個人の姓は、夫婦の姓とは別の次元で決まる。
 夫の姓は、夫婦の姓と同じになるように決めた。
 妻の姓は、夫婦の姓と旧姓との双方を決めた。(二重姓)
 姓を二重にしてはいけない(旧姓を併用してはいけない)という規定は存在しないので、新たに、姓を二重にするという方針で、届け出をなす」

 この話の前提となるのは、「個人の姓は1種類だ」という思い込みが法的には規定されていない、ということによる。

 かわっこだっこさんの話では、
 第七百五十条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 から、夫婦は結婚前の(夫又は妻の)どちらかの氏、つまり1種類の氏を称する(公的には複数の氏を称することは認められない)と解されます

 とのことだが、これは大丈夫。ここでは、「夫婦は」とあるので、夫婦というカップルの姓を規定しているだけだ。(球団名を規定するように。)しかしそれは個人の姓には当てはまらない。(球団名の話は選手名には当てはまらないように。)

 かわっこだっこさんは「夫婦の双方が名乗る」と述べていますが、そんなことは法律には書いてない。常識でそう思うだけです。法律を字義通りに読めば、「夫婦(というカップル)が名乗る」だけであって、「夫婦の双方が(個別に)名乗る」ということは成立しません。

  ※ 字義通りに読むのであって、常識を働かせない、ということ。
    言外の意に組み込まれている常識を撤廃する、ということ。

  ※ 「夫婦の姓」を届け出る規定はあるが、「夫の姓」や「妻の姓」を
    個別に届け出る規定はない、ということを利用している。
 
  ※ 「夫婦の姓」は、「夫の姓」や「妻の姓」に等しい、というのは、
    ただの常識であって、法的規定ではない、ということに注意。
posted by 管理人 at 22:18| Comment(9) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 いつものとおりに傾聴に値する論考だと考えますが、しかし、その全体の流れを見るに、ひとつ疑問が浮かんできました。そもそも筆者は、

 @ 日本法には、「夫婦同姓(同氏)」を定めたものはない。慣習や、戸籍法のような手続き法によってのみ、夫婦同姓が押し付けられているだけだ。この現状は、憲法(24条)違反だ。
 A 「夫婦同姓(同氏)」は、民法750条によってハッキリ規定されている。しかし、これは憲法(24条)違反だ。

 の、どちらのご認識なのでしょうか? まさか@のご認識はあり得ないと推測しますので、Aであるとも思われますが、そうすると、民法750条の条文、

(夫婦の氏)
 第七百五十条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 から、夫婦は結婚前の(夫又は妻の)どちらかの氏、つまり1種類の氏を称する(公的には複数の氏を称することは認められない)と解されますから、本稿の「うまい案はないか?」以降のくだり(ご提案内容)は理解に苦しむところです。
 すなわち、最高裁が「民法750条は憲法違反だ」という判決を出さない限り、役所が単独で、この条文を無視して戸籍法の規定解釈のみを変更して、「夫もしくは妻が二重姓になっている届け出」を受理したり、「従来の住民票の欄外に『旧姓も有効』という欄を作って、そこに当否(○か×か)を記載」するような対応をすることは、およそ考えられないということです。
Posted by かわっこだっこ at 2021年06月24日 23:58
 上記コメントについては、最後の [ 補足 ] で説明しました。(加筆しました。)

 ――

 なお、@かAか、という質問には、こう答えます。
 @でもAでもなく、Bである。すなわち:

 B 法律を常識的に読めば(忖度して、書いてないことを補足的に補えば)、夫婦同姓を定めているが、それは憲法24条に違反する。
 一方、法律を字義通りに読めば、夫婦同姓を定めているものの、それとは別に、個人には二重姓が認められる(というか排除されていない)ので、これは憲法24条に違反しない。
Posted by 管理人 at 2021年06月25日 00:45
 本稿の最後の部分の【補足】の部分を読み、内容を理解しました。また、上のコメント(Posted by 管理人 at 2021年06月25日 00:45)についても、同じように読み、内容を理解しました。

 それらの要旨は、
・本件については、関係法令(民法や戸籍法)を字義通りに読み、かつ常識を働かせないことが肝要である。
・例えば「夫婦」については、「夫と妻」(個人と個人)と読んではいけない。「夫婦」は、カップル(2人の個人からなるグループ;法人のようなもの)と読むべきである。
・このような読み°yび解釈≠ゥら得られた結論は、憲法24条に違反しない(よって、このように読んだり解釈することは妨げられない)。
 になると思います。

 しかし、その論考を最終的に適用する「公理」ともいうべき、憲法24条第一項の条文は、記事本文にもあるとおり、

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 です。ここに「夫婦」という単語が出てきます。しかし、この「夫婦」のところを、カップルとかグループとか法人に置きかえて読んでしまうと、文章の意味がとおりません。ここは、「夫と妻」とか「カップルの双方」とか「グループの個々人」と読むことで、はじめて意味をなします。

(読みかえの例)夫と妻が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 なお、日本国憲法に「夫婦」という単語が出てくるのは、ここ一か所だけです。すなわち、この憲法が規定する「夫婦」という単語の意味は、「夫と妻」だということになります(一義的です)。筆者が主張するような意味にはなりえません。

 よって、ポイントとなる民法750条の条文についても、常識を働かせずに字義どおりに読めば、

 夫と妻は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 となります。つまり、筆者が【補足】で加筆された下のくだりは成立しないと思います。

> かわっこだっこさんは「夫婦の双方が名乗る」と述べていますが、そんなことは法律には書いてない。常識でそう思うだけです。法律を字義通りに読めば、「夫婦(というカップル)が名乗る」だけであって、「夫婦の双方が(個別に)名乗る」ということは成立しません。
Posted by かわっこだっこ at 2021年06月25日 02:00
> 憲法24条

 24条は、「夫婦の各人」でいいです。そうとしか読めないので。
 民法の方は、「夫婦の氏」を「夫の氏」「妻の氏」と区別することができるので、本項のように解釈することができます。

> その論考を最終的に適用する「公理」ともいうべき、憲法24条

 別に、公理じゃないし、優先的でもありません。法律の解釈の上では、対等です。解釈するときには、個別に理解されます。一方の解釈が他方に適用されると言うことはありません。ケースバイケースであって、対等です。

> ポイントとなる民法750条の条文についても、常識を働かせずに字義どおりに読めば、

 いやいや。それは常識を働かせています。
 24条の方は、字義通りに読む(本項の通りに読む)と、矛盾が生じるので、「字義通りでなく常識で補正する」という解釈だけが成立します。

Posted by 管理人 at 2021年06月25日 07:56
 憲法24条の

> 夫婦が同等の権利を有することを基本として、

 が字義通りに解釈できないというのは、これが誤記であることを意味します。正しくは、

「夫婦の双方が同等の権利を有することを基本として、」

 と書くべきだったでしょう。
 さもないと、上記の文章は、

 「さまざまな夫婦がそれぞれ同等の権利を有することを基本として、」

 と解釈されかねないからです。現行の文章は、誤解の余地をもつ不明瞭な低品質な文章だと言えるでしょう。
 上の訂正文のように、誤解の余地のない文章を書くべきでした。
Posted by 管理人 at 2021年06月26日 01:12
 Posted by 管理人 at 2021年06月26日 01:12
> 現行の文章は、誤解の余地をもつ不明瞭な低品質な文章だと言えるでしょう。

⇒ 少しだけ、日本国憲法について弁護させてください。

 確かに、ご指摘の箇所はともかく、憲法は全体を通して文章がまずいという人は、大勢いる(いた)ようです。故 石原慎太郎氏は、かつて「てにをは」についての指摘をしています。

 https://www.jc.meisei-u.ac.jp/action/course/091.html

 ただ、上のURLの論考を読んでも、中々に難しい問題であるように思われます。

 私からも、一つだけ事例をあげます。ご指摘の24条の次の、25条の条文は、

  第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
A 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 です。この第一項は「すべて国民は、」で始まっています。いっぽう、第二項の冒頭付近に「すべての生活部面において、」というくだりがあります。この「すべて」と「すべての」は同じ意味なのでしょうか? 同じであるとするならば、「すべて」よりも「すべての」を使うほうが(これで統一するほうが)妥当な(誤解の余地がない)ように思えますが、なぜ執筆者は「すべての国民は、」としなかったのでしょうか。

 この「すべて国民は、」というフレーズは、憲法全文中に6回登場します。

 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。(後略)
 第十四条一項 すべて国民は、法の下に平等であって、(中略)差別されない。
 第二十五条一項 (上のとおり)
 第二十六条 すべて国民は、(中略)ひとしく教育を受ける権利を有する。
 第二十六条二項 すべて国民は、(中略)その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
 第二十七条一項 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 もし、これらの条文の該当箇所を、「すべての国民は(全員の国民は)、」に置き換えたら、はたして日本国は、これら内容を全部正味で保障できたでしょうか。これらは理想であって、今でも実際にはできていないのですから、当時の国力・国情では到底無理でしょう。また、国民の義務を規定した条項については、国民のほうでも対応できない部分が出てくるでしょう。

 ですから、当時の執筆者たちは「ウソ」を書くことを避けました。「すべて」は「総て・凡て」とも書けます。「総て・凡て」は、辞書によれば「総じて・一般的に」の意味です。彼らは「最初はこのレベルから出発しよう」と思ったに違いありません。

 もちろんこのことは私見です、想像です。学者らも各法制局も、そんな解釈は一切していないでしょう。「すべて=全て」であり、国民のひとりひとりが、誰もが、自由であり平等な権利を有し差別されない(旨が書いてある)、と言わざるを得ない立場でしょう。

 当時の執筆者たちは、これらのことに鑑み、「現状で保障できること」と「理想としていつかは保障すべきこと」の2つの意味を1個の条文に込めた(どちらにも解釈できる余地をわざと残した)というのは穿ち過ぎ(日本国憲法を神格化し過ぎ)でしょうか。
Posted by かわっこだっこ at 2021年06月27日 00:21
 ついでですが、最初の「夫婦別姓(氏)」問題についても、私の最終結論を書きます(これまでの私の主張とは、齟齬がある部分もあります)

(以下結論)

 民法第七百五十条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 上の条文の冒頭、「夫婦」をカップル、グループなどとして読んでしまうと、ここでのカップル、グループは単数なので、理論上「同姓(同氏)」が定められていることになりかねない。しかし、この「夫婦」を、憲法24条における「夫婦」の意味の解釈(私が先のコメントで述べて、筆者も同意した内容)どおりに読めば、

 夫と妻は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 となり、個々人は2つの(旧)姓のうち1つを名乗ることができる、と解される。その姓が同じになるか別々になるかは、その時の両性(2人)の選択判断の結果であって、法律が、同姓にしろとか別姓でも構わないとかを定めているわけではない。

 つまり、この条文の「読み」で重要なのは以下の2点であり、両方ともが必須である。

 (a) 「夫婦」という単語の字義は、憲法24条と同じく「夫と妻」とすべきである。
 (b) 「夫又は妻の姓を称する」というくだりは、勝手に常識でもって、「夫と妻は同じ姓を名乗る」などと解釈してはいけない。この条文規定で認められていないのは、(旧)姓ではない新しい姓を作る(創姓)という行為だけである。

 以上より、条文を字義通りに正しく読めば、民法750条は「夫婦別姓(氏)」を元々認めている(妨げていない)し、憲法24条の条文はこのことを補完する。つまり、現在「常識」となっている民法750条の解釈は誤っている。また、戸籍法74条の届出規定(「夫婦が称する氏」のみを届けるもの)には不備がある。
Posted by かわっこだっこ at 2021年06月27日 01:47
慎ちゃんは死んでいないよf(^^;)
Posted by 石原慎太郎ファン at 2021年06月27日 06:52
> 慎ちゃんは死んでいないよf(^^;)

 ほんとですね。失礼しました!
Posted by かわっこだっこ at 2021年06月27日 09:18
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