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東京五輪の歌(1964)は、存在した。
それ以外にも、五輪の歌はいろいろと作られてきたが、名作として名高いのは、札幌五輪の歌だ。
さて。それでは 東京五輪 2020 のために歌は作られたのかというと、どうもそうではないようだ。「東京五輪の歌」をググっても、出てくるのは昔の「東京五輪音頭」(三波春男)ぐらいである。
→ https://bit.ly/3g7wMgM
そこでもうちょっと工夫して調べると、「東京五輪応援ソング」というものが見つかる。下記だ。
これは名曲だということで、私としてもその点では異論はないのだが、いかんせん、「五輪の歌」とは言いがたい。作中には「東京」の語もなく、「オリンピック」や「五輪」の語もない。ただの素敵な歌であるに留まっていて、五輪とは何の関係もないと言っていいだろう。
実際、この曲は選抜高校野球の入場行進曲に選定された。それも2年連続で。
→ センバツ入場行進曲は「パプリカ」 2大会連続 | 毎日新聞
この曲はすでに選抜高校野球の歌として使用済みなのだ。とうてい「東京五輪の歌」ではありえない。
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だが、それだけなら、まだマシだ。「パプリカ」を五輪で演奏すること自体に問題があると言える。なぜか? そこには禁止用語となりそうなものが含まれているからだ。
→ Foorin パプリカ 歌詞 - 歌ネット
ここには「ハレルヤ」という言葉が三回も出てくる。だが、この言葉は宗教的な言葉であるはずだ。そう思って調べると、まさしくその通り。
ハレルヤ(……)は、ヘブライ語由来の言葉で、「𐤉𐤄𐤅𐤄(ヤハウェ/ヤフア)をほめたたえよ」の意。ユダヤ教の讃美の言葉に由来し、アーメン、ホサナ(オザンナ、ホザンナ)など共に、キリスト教に残る代表的なヘブライ語の祈りの一つでもある。
( → ハレルヤ - Wikipedia )
これは非常に宗教的な言葉だとわかる。
・ ユダヤ教に由来する言葉である。
・ キリスト教にも残る。
・ アラブ世界では、ユダヤ教の賛美とは相容れないかも。
・ 仏教や他の宗教には、まったくの異教徒の言葉である。
これに相当するイスラム教の言葉は「アッラーアクバル」(アラーは偉大なり)である。アラブ系のテロリストが自爆するときには、必ずこの言葉を叫ぶ。
こういう言葉を五輪の歌に入れることは妥当だろうか? こんなふうに。
パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
アッラーアクバル 永遠に
こんな歌を五輪で歌ったら、「日本人はイスラムのテロリストを応援するのか!」と欧米人が怒り狂うだろう。
そして、それと対称的なことを、「ハレルヤ」という言葉でやっているのである。呆れるほかない。世界の半分を敵に回すようなものだ。
五輪の歌に特定の宗教(ユダヤ教)の賛美をする文句を入れるというのは、もはや狂気の沙汰だ。
ま、米津玄師が自分の歌として個人的にやるのなら、何の問題もない。彼はユダヤ教徒なのかもしれないし、ユダヤ教を個人的に賛美しても問題ない。だが、これを五輪の公式の歌として演奏するのは、とんでもないことだろう。
五輪組織委は、この歌を公認しているそうだが、公認を取り消すべきだろう。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会により「東京2020公認プログラム」として認証されている。
( → パプリカ (曲) - Wikipedia )
下手をすると、テロリストが爆弾を仕掛ける名分になりかねない。そして、そうなったとしたら、「五輪を特定宗教の賛美のために利用した」という五輪組織委が全面的に悪い。責任は五輪組織委にある。
※ こんなのを依頼した NHK にも大きな責任がある。「ハレルヤ」という言葉を削除するように頼むか、削除しないのなら五輪と無関係にするか、いずれかにするべきだった。
※ そもそも、五輪の歌とは思えない歌詞なんだから、認定を取り消すのが筋だね。五輪の歌は、別に作るべきだろう。
※ そもそも、こういうことが起こるのは、日本人が歌詞の中にやたらと意味もなく唐突に英語を挿入することにある。頭がおかしいとしか言いようがない。米津玄師の歌詞をまともに読むなら、この歌詞のこの箇所に「ハレルヤ」という言葉が入る理由がない。話の筋が通らない。頭がおかしいとしかいいようのない歌詞だ。精神分裂病を疑いたくなるような歌詞だね。(歌詞が気違いレベルだ、ということ。)