2021年06月01日

◆ 女性スポーツ選手の条件 2

 スポーツの分野で女性と認められるのは、どのような範囲の人だろうか? 性転換した人も、転換後の性で認められるのだろうか?
 
 ――

 男として産まれて、女に性転換した人が、女性選手として五輪出場が見込まれているそうだ。そこで普通の女性選手が異を唱えているそうだ。
 7月に開幕する東京五輪の重量挙げ女子で、五輪史上初めて出生時と異なる性別に転換したトランスジェンダーの選手が出場する見通しとなっていることについて、ベルギーの女性選手が「競技が公平でなくなる。悪い冗談だ」と異議を唱えた。
( → 五輪初トランス選手に異議 「公平性失われる」 - 産経ニュース

 テストステロンの値が基準値以下だから女性として認められるということらしいが、今はともかく以前は男性として筋肉を蓄えてきたのだから、肉体は男性と言える。私よりもはるかに筋肉隆々だ。


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 こんな元男性を相手に競わなくてはならない女子選手には、すこぶる同情する。とはいえ、現在の基準では、こういう元男性を女性として認めざるを得ない。
 この問題をどう解決するべきか? 

 ――

 歴史的に見よう。
 この問題が起こったあとで、当初は、外性器を目視して判定していた。だが、すぐに撤回された。
 冷戦下、共産主義国の男性選手たちが女性のふりをして国際大会に出場しているという批判を受けて、1966年から目視検査が出場する女性選手に必須となった。「ヌードパレード」と呼ばれ、女性アスリートは裸で立ち、外性器を調べられた。(これはすぐに批判を浴びて、撤回される)
( → 女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか? ……

 その後、「染色体で判断する」というふうになった。つまり、XX 染色体をもつものが女性で、XY 染色体をもつものが男性だ、というふうに。
 しかしこの方法にも、いろいろと難点があった。
  ・ 検査技術が未熟なので、誤判定があった。(クロブコフスカ ¶ )
  ・ 不完全な男性。(完全型アンドロゲン不応症 CAIS )
   Y 染色体をもつが、男性機能をもたないので、女性の体つき。
   Y 染色体をもつので、失格となるが、それでいいのか?


 さらにその後、「テストステロンの量で判定する」という方式になった。しかしこれはこれで、問題がある。
  ・ テストステロンの量の多い女性が、除外されてしまう。(チャンド ¶)
  ・ 性転換者は、男の体つきだが、女性と見なす。(冒頭記事)


  ※ ¶ 印の出典は、上の

 結局、どの方式を取っても、一長一短で、うまく判定しがたいのである。

 また、次の問題もある。
 「 染色体は XY でも、染色体異常のせいで Y 染色体がろくに働かないせいで、ほぼ女としての体をもつ人がいる。ペニスはなく、膣をもつ。こういう人は、日常的に、女として生きている。こういう人を、どう見なすか?
  ・ 女として認めない → その人の人権を否定して、非人道的だ。まずい。
  ・ 女として認める → XY 染色体をもつ人が有利で、女性の記録をすべて書き換えてしまって、女性が排除される。まずい。


 つまり、女として認めても認めなくても、どっちにしてもまずいわけだ。あちらが立てば、こちらが立たず。困った。

 ――

 そこで、困ったときの Openブログ。何とか問題を解決しよう。
 それには、問題の本質を考える。

 そもそも、男性と女性を区別するのは、なぜか? 「男性よりも女性の方が記録が悪いからだ」という事実がある。
 ではどうして、男性よりも女性の方が記録が悪いのか?
 「それは女性が肉体的に劣っているからだ。男性の方が肉体的に優れているからだ」
 と思う人もいそうだが、それは差別感情丸出しである。正しくは、こうだ。
 「女性には、出産のための機能がある。生理を始めとして、妊娠、出産、授乳など。そのために、子宮や乳房などがある。これらは、出産のためには役立つが、スポーツにとってはハンディとなる。そこで、ハンディを補うためのハンディキャップを与えるといい。だが、ハンディキャップを与えて男女いっしょに競うよりは、男女別に競う方が合理的だ。
 つまり、男女別の競技にするのは、(出産ではハンディのある)女性に、ハンディキャップを与えるのと同じである」

 このことから、次の結論が得られる。
 「女性としての枠組みには入れるのは、出産する女性としてのハンディをもつ人に限られる。つまり、子宮や乳房をもつ人に限られる」


 これは新たな発想である。現時点では「男性としての有利さ」を測定しようとして、「テストステロンの量を測定する」という手法をとっている。そして、テストステロンの量が少ない人は、「男性らしさがないから」という理由で、女性として認められることになる。
 だが、それだけでは駄目なのだ。「男性としての有利さがない」だけでなく、「女性としての不利さをもつ」ことが必要なのだ。つまり、ハンディとしての子宮や乳房をもつことが必要なのだ。

 たとえペニスや精巣がないとしても、子宮や乳房をもたないなら、ハンディをもたないことになる。その分、有利になる。だから、このようなタイプの人は、「男性ではない」とは見なされるが、だからといって「女性だ」とは見なされないのだ。「男でも女でもない」と見なすのが妥当だろう。そして、女性として認められるのは、女性としてのハンディをすべてもつ人だけに限られる。

 では、どうしてか? そのわけを言おう。
 「男でも女でもない」というタイプの人は、子宮や乳房をもたないので、競技の上で有利となる。それは、肉体改造によってスポーツに有利になるのと同様であり、薬物ドーピングと同じである。
 だから、仮にこのタイプの人を認めるのなら、薬物ドーピングもまた認める必要がある。逆に言えば、薬物ドーピングを認めないのであれば、「男でも女でもない」というタイプの人も認めてはならない。
 比喩的に言えば、「男でも女でもない」というタイプの人は、先天的ドーピングなのである。薬物ドーピングと同様に、本来の肉体を異常に改造しているのだが、改造の主体が、薬物ではなくて、先天的な遺伝子異常( or 染色体異常)なのである。そういう意味で、これは「先天的ドーピング」と言える。薬物ドーピングと同様のものとして。
 従って、先天的ドーピングをした人は、もはやアスリートとしての資格をもたない。スポーツをして楽しむ資格はあるのだが、競技会に出て他の女性と競う資格をもたないのだ。(ただし、競技会に出て他の男性と競う資格はあるが。)

 ――

 ここまで考えると、先の「あちらが立てばこちらが立たず」という問題にも、うまく答えることができる。
 「男でも女でもない」というタイプの人を、どう見なすか? 女として認めていいのか否か? それは、こうすればいい。
  ・ 「アスリート女性」という枠組みでは、女として認めない。
  ・ 一般社会における「女性」という枠組みでは、女として認める。


 つまり、「アスリート女性」という独自の枠組みを設定して、その枠組みに合致するかどうかで、競技会への出場資格を判定する。
 一方、一般社会における「女性」という枠組みは、現状通りでいい。XY染色体であっても、テストステロンが不十分で、乳房や膣をもつのであれば、たとえ子宮をもたなくとも、(これまで通り)女性として生きることができる。
 このように、双方の枠組みを別々にすれば、たがいに矛盾することはなくなる。「あちらが立てば、こちらが立たず」ということはない。「あちらも立つし、こちらも立つ」というふうになる。
 これにて問題は解決する。



 [ 付記1 ]
 以前、同じ問題を扱ったことがある。
  → 女性スポーツ選手の条件: Open ブログ

 このときは、ステロイド(テストステロン)の血中濃度で判定する、という提案をした。
 だが、それでは駄目だ、というのが、本項における判定だ。そこで、本項では、新たに別の解釈を打ち出した。
 それにともなって、アンドロゲン不応症の人は、「女として認める」から「認めない」へと、判定を変更するようになった。

 その場合、この手の人々は、競技会に出場できなくなるが、仕方ない。ドーピングをした人が競技会に出場できないのと、同様である。ただし、個人的にスポーツを楽しむ分には、何ら差し支えない。また、男性の競技会に交じって出場することも、何ら差し支えない。

 [ 付記2 ]
 この手の染色体異常では、XY型で、Y染色体の働きが不完全であることが多い。
 他方、女性と認めていいのは、XX型のほか、X型(モノソミー)や、XXX型(トリソミー)などがある。このうち、XXX型は特に問題視しなくていいようだ。
 一方、X型は、ターナー症候群と言われ、成長が不十分となる。これは、有利どころか不利になるので、スポーツで傑出した成績は出せないのが通常である。
 ターナー症候群(Turner's Syndrome)は,女性において2,500人にひとりの頻度で見られる染色体異常症で,身長の低いことと性発達の遅れが特徴的です.
 約40%で男性にあるY染色体の一部が残りの1本のX染色体に紛れ込んでいることがあります.他の患者さんでは,X染色体は2本あるにもかかわらず,一方の染色体の遺伝子が欠けていることがあります.さらに他の患者さんでは,いくつかの細胞では正常に2個のX染色体があるのに,残りの細胞ではX染色体の一方がが欠けているます(45,X/46,XXモザイクと言います).
( → 定義: ターナー症候群(Turner's Syndrome)

 この手の染色体異常については、特に考えなくてもよさそうだ。(無視するだけで足りる。)



 【 関連項目 】

 → 女性スポーツ選手の条件: Open ブログ
 
 「男でも女でもないタイプの人を女性選手として認めるべきだ。それが人道的だ」
 という自動的な意見を、批判している。本項とは別の論点から述べている。
  ※ 化学的な判断よりも人道的な判断を優先すると、科学性が失われてしまう、ということだ。
 
posted by 管理人 at 22:43 | Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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