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このことわざは誤訳だ、という見解が広く知られている。
原文は、ユウェナリスの詩句で、「 A sound mind in a sound body 」と英訳される。原文の詩ではどうかは、次のように示されている。
ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。
以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。
( → ユウェナリス - Wikipedia )
次の解説もある。
要するに健全な体だけでなく健全な精神もあるように努力すべきと言うことです。このローマの時代、スポーツが流行ってきて、肉体ばかり鍛えて、脳や精神のほうのことがおろそかになっていることをこの詩人が見て、「もう少し精神のほうもちゃんとしてみたら」と嘆いているのがこの詩が出来た由来です。
( → A sound mind in a sound body; 健全な精神と身体とは;大震災に思う: Jackと英語の木 )
これは、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というのとは、ほとんど逆である。「健全なる肉体ばかりを求めても、健全なる精神は得られない。だから、もっと意識的に健全なる精神を求めよ」ということになるからだ。
以上は、原文に従った解釈だ。
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だが、私はあらためて考えて、「おかしいぞ」と思うようになった。
一般的な解釈に従えば、「健全な精神と健全な肉体がともにあることが望まれる」というふうになる。
だが、それでは、(あえて)ことわざになるはずがない。なぜなら、あまりにも当たり前すぎるからだ。ちょうど、次のように。
・ 頭は天才で、体は金メダリストだといいな。
・ 顔はイケメンで、寿命は 100歳だといいな。
・ 女にモテて、金持ちになるといいな。
こういうのはあまりにも手前勝手で強欲な欲望だ。そして、それと同様のことが、「健全な精神と健全な肉体がともにあることが望まれる」という解釈だ。ほとんど馬鹿馬鹿しい解釈だ。(まるで、ドラえもんが現実に存在して、何もかもかなえてくれるといいな、というような、子供じみた望みだ。)
では、正しくはどう解釈するべきか?
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実を言うと、元になる原文がどうであるかはどうでもいい。ことわざのような言葉は、原文から離れて、一人歩きするのが普通である。「原文ではこうだった」というのは、うんちくにはなるが、正当性を保証しないのだ。
そのことをわきまえた上で、以下では、言葉そのものに即して、英語的・言語的な解釈をしてみよう。(字義通りに解釈する。)
「 A sound mind in a sound body 」というのは、一義的には、「 is 」を加えて、「 A sound mind is in a sound body 」と解釈するべきだろう。この場合には、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という解釈になる。その場合には、「健全なる精神を得たければ、まずは肉体を健全にせよ。そのためにスポーツをして、体を鍛えよ」という意味になる。これは普通の解釈であり、いかにもことわざらしい。これはこれで問題ない。 ……(★)
もう一つは、「 be 」または「 shoud be 」を加えて、「 A sound mind, be in a sound body 」または「 A sound mind shoud be in a sound body 」という解釈だ。これは、先に述べた二通りのいずれかになる。
・ 体ばかり健康にしていないで、心も健康にしろ。
・ 心と体が双方ともに健康であるといいなあ。
どちらにしても、ことわざとしては、ほとんどナンセンスである。誰かがそう思うのは勝手だが、ほとんどナンセンスだ。前者は( 2000年もの)時代錯誤だし、後者は馬鹿のたわごとだ。どちらにしても、まともに聞くべき話ではない。
とすれば、英語的に可能なのは、ただ一つ。先に述べたように、「 A sound mind is in a sound body 」と解釈して、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と理解するわけだ。
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以上が私の英語的な判断であった。その上で、英語界の解説文を読むと、まさしく私の考えるとおりであると判明した。
"a healthy mind in a healthy body". The phrase is widely used in sporting and educational contexts to express the theory that physical exercise is an important or essential part of mental and psychological well-being.
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機械翻訳:"健全な肉体に健全な精神"。この言葉は、スポーツや教育の場で広く使われており、身体を動かすことは、精神的・心理的な幸福のために重要または不可欠な要素であるという理論を表現しています。
( → Wikipedia 英語版 )
A sound mind is in a sound body.
The proverb which is of Greek origin insists that the mind and body should be both healthy and sound. A healthy person can think normally and act instantly in any given situation. A sound body means a healthy body, free from diseases and it does not bulky body. A sound mind means a mind capable of good, positive and free thinking mind.
A healthy body is obtained by maintaining a good diet and good exercise to keep the body going.
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機械翻訳: 健全な精神は健全な肉体に宿る。
ギリシャ語を起源とするこのことわざは、心と体が健康で健全であることを主張しています。健康な人は、どんな状況でも普通に考え、即座に行動することができます。健全な身体とは、病気にかかっていない健康な身体のことであり、身体が大きくならないことを意味します。健全な精神とは、良い意味で前向きで自由な思考ができる精神を意味します。
健康な体は、良い食事と良い運動をして体を維持することで得られる。
( → A sound mind is in a sound body, Proverb Stories, Tenses, English Grammar )
What does a sound mind in a sound body mean?
A sound mind is in a sound body. A sound mind means a mind capable of good, positive and free thinking mind. A healthy body is obtained by maintaining a good diet and good exercise to keep the body going. A good exercise consists of vigorous exercises or yoga and other such things.
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機械翻訳: 健全な肉体に健全な精神とは何か?
健全な精神は健全な肉体に宿る。健全な心とは、善良で前向きで自由な思考ができる心を意味します。健全な体は、良い食事と良い運動を続けて体を維持することで得られます。良い運動とは、精力的なエクササイズやヨガなどのことである。
( → What does a sound mind in a sound body mean? )
英語界の解釈はいずれも、「 is 」を付けて、「健全なる精神は健全な肉体に宿る」である。つまり、私が(★)で述べたとおりだ。
こうして、どの解釈が妥当であるかが、判明した。
[ 付記 ]
その本質をひとことで言えば、「心は体に影響される」ということだ。前項を参照。
→ 心と体の優位関係: Open ブログ