2021年05月31日

◆ 心と体の優位関係

 心と体はどちらが優位にあるか? 「心が優位だ」と思われがちだが……

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 「心は体に対して優位にある。人は脳が最上位にあって、体は脳の指令に従う」
 と思われがちだ。だが、そんなに話は単純ではないということがすでに知られている。体が不調だと精神も不調になりがちだ。心は体の影響を受けるのである。

 ――

 このことを典型的に示した小説がある。「死んだ妻の心が、生き残った娘の体に乗り移る」という話だ。



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 「君の名は。」では、二人の心が入れ替わるが、上の本では、妻の心が娘の体に乗り移る。そのあと、どうなるか……というのは、読んでからのお楽しみ。傑作であることは保証するので、お読みになるといいだろう。(ただし、頭をぶんなぐられたような衝撃を受ける。読んで楽しいというより、ぶちのめされる。心がタフな人向けだ。)





 さて。この本を読んで受けた感想は、こうだ。
 「心と体は独立していない。心は体の影響を受ける。妻の心は、いつまでも昔の妻のままであってほしいと主人公(夫)は思うのだが、そうは行かない。娘の肉体をもった心は、いつしか肉体に浸食されて、娘のような心になっていく。それは愛する妻の心が消えていくということでもある。一日一日と、愛する妻の心が消えていって、別の心になっていく」

 最後には意外な結末が用意されているのだが、ともあれ、話の基調としては、上のような話が続く。

 ――

 ここで話は転じて、性同一性障害の人の話となる。性同一性障害の人の心と体は、一致しない。
  ・ 心は女だが、体は男である
  ・ 心は男だが、体は女である

 こういうことが起こる。

 そして、このあと、どうなるか? 
 性同一性障害の人は、たいてい、「心は体に対して優位である」と考える。その上で、「心の性に体の性が一致しないので、何とかして体の性を心の性に一致させたい」と思うようになる。そして究極的には、性転換手術という肉体改造を望む。

 だが、待ってほしい。「心は体に対して優位である」というのは、思い込みではなかろうか? 「心は体に影響を受ける」ものではなかろうか? だとすれば、体を心に従属させる必要はなくて、むしろ、心を体に従属させるべきではないのか? 
 たとえば、心が女性で、体が男性である人がいる。この人は、「心は女性だから、体も女性に一致させたい」と思いがちだ。その上で、女装したり、性転換手術を受けたりする。
 しかし別途、「体が男性ならば、心も男性っぽくすればいい」という発想も成り立つのだ。この場合には、「体が男性である」ということを受け入れた上で、その体に合わせて心を従属させることもできるのだ。その場合には、女装も性転換手術も必要ない。普段は男性らしく生きればいい。その上で、愛する人だけを、女性でなく男性にすればいい。……これは、「ゲイ(ホモ)になる」ということだ。そして、この場合には、(男性として生きるので)「心と体の不一致」には悩まないで済む。心と体とは、どちらかが優位になるということはなく、ともに男性として一致する。

 ――

 とすれば、性同一性障害者の悩みとは、「心が体に対して優位である」という思い込みゆえのものかもしれないのだ。そして、その思い込みを捨てることさえできれば、「心と体の不一致」という問題は消えてしまうだろう。

 以上のように考えることができる。(私見だが。)



 【 関連項目 】

  → 性同一性障害とトイレ・風呂: Open ブログ
  → 君の名は。/性同一性障害: Open ブログ
  → 健全なる精神と健全なる肉体: Open ブログ (次項)
 
posted by 管理人 at 22:11| Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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