2021年05月29日

◆ 性同一性障害とトイレ・風呂

 性同一性障害と女性トイレの問題は、解決しがたい。どうすればいいか?

 ――

 性同一性障害と女性トイレの問題は、本人の側と、女性たちの側とが、対立する。
  ・ 本人は、女性トイレに入りたい。
  ・ 女性たちは、その人を女性トイレに入れたくない。

 こういうふうに利害が対立するので、解決しがたい。
 女風呂も同様だ。
  ・ 本人は、女風呂に入りたい。
  ・ 女性たちは、男性器のついている人を女風呂に入れたくない。

 こういうふうに利害の対立がある。あちらが立てば、こちらが立たず。困った。どうする?

 ――

 そこで、困ったときの Openブログ……と言いたいところだが、残念ながら、うまい案などはない。これは完全に二者択一であって、「双方の意見をともに満たす案」(うまい案)などはないのだ。いつもの Openブログ とは違うのだ。

 この件は、うまく解決しがたいので、リベラルな人の多いはてなブックマークでも、歯切れの悪い意見がほとんどだ。「性同一性障害の人を尊重せよ。人権を尊重せよ。差別をするな」というリベラルな見解は、なぜがほとんど見当たらない。
  → はてなブックマーク

 こういうふうに、人々は問題を解決しかねている。迷っている。ならば、ともかくきちんとした回答を出すことを狙おう。たぶん、「二つの極端な意見の間で、どこかに最適解がある」というふうになるだろうが、いったいどのあたりに最適解があるのか?


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 まず、状況を見る。

 第1に、自民党は LGBT法案の提出を見送った。
  → 「自民党は差別を温存したいのか」LGBT当事者ら怒り噴出…まさかの法案提出見送り:東京新聞
 これは、人権無視を正当化するのも同然であって、好ましくはない。つまり、「 LGBTの権利をまるきり無視する」という極端な保守派の方針は好ましくないわけだ。
 とはいえ、自民党の懸念も、わからなくもない。
 保守系議員から「差別だと訴える訴訟が増える」などと異論が続出。
( → 自民、LGBT法案の提出断念 今国会で日程確保できず:朝日新聞デジタル

 という心配は、ある程度は当たっているからだ。

 第2に、性同一性障害と女性トイレの件で、新たな判決があった。
 性同一性障害の女性職員が、戸籍上の性別が男性であることを理由に女性用トイレの利用や人事異動を制限するなどしたのは違法だとして国を訴えていた裁判の控訴審判決が5月27日、東京高裁であった。
 北澤純一裁判長は原告側の訴えを棄却し、職員の逆転敗訴となった。
 原告の職員は戸籍上男性で、現在は女性として生活している。健康上の理由で、性別適合手術を受けていない。
 経産省は女性用トイレの使用について、他の女性職員との間でトラブルが生じる可能性があるとして、勤務しているフロアから2階以上離れている女性トイレを利用するよう制限した。
 同僚2人に職員が性同一性障害者であることを知らせていたことが一審で分かり、職員側は戸籍上の性別を暴露(アウティング)されたとして損害賠償を控訴審で求めていた。

( → 性同一性障害職員のトイレ使用訴訟、二審で逆転敗訴 制限の違法性認めず | ハフポスト

 これをどう考えるか? 私としては、「裁判所の考え方は妥当である」と見なす。理由は下記。

 (1) 「2階以上離れている女性トイレを利用するよう制限した」というが、離れたトイレを使うことぐらいは、たいして面倒ではないだろう。離れていたとしても、女性トイレを使えるのなら、たいして面倒とは言えない。
 ※ そんなことよりは、「高校の女性用トイレが足りないことが多い」という問題の方がずっと大変だ。どうせなら、こっちの対策を考えるべきだ。

 (2) 性同一性障害の人が、女性用トイレや女風呂に入りたいというのは、自然な要求なのかもしれないが、基本的な最低限の要求とは言えない、ということだ。これについては説明を要するので、以下で詳しく述べる。

 ――

 基本的な最低限の要求かどうかを問題とする。
 女性の側としては、「男性に裸を見られたくない」「男性といっしょのトイレにしたくない」というのは、基本的な最低限の要求であると言える。文明国であれば、たいていはこの要求は満たされている。これを満たさないような社会は、外性器を剥き出しにしているような社会だろうが、そういう社会はまず見出されない。どんな文明社会でも、この要求は満たされている。だから、これは尊重するべきだろう。

 同じことを性同一性障害者の側から言えば、「自分が肉体的に男性である限りは、トイレや風呂では女性のグループから排除される」ということだ。すぐ上のことが満たされるからには、自動的に、このような排除が成立してしまう。(論理的必然だ。)
 そして、このとき、「女性のグループに入りたい」という要求は満たされなくなる。つまり、性同一性障害者の要求は尊重されない。……これは、残念なことかもしれないが、論理的必然なのだから、仕方ない。二者択一で一方を取れば、他方は排除されるしかないのだ。

   *   *   *   *

 では、それはそれとして、性同一性障害者の要求は過剰なものなのだろうか? 基本的な最低限の要求であるとは言えないのだろうか? もしかしたら、これも基本的な最低限の要求なのではないか? ……そう思って、考えてみる。
 ここで考えるのは、「私が同じような立場になったとしたら」ということだ。ただし、男女を逆転して考える。すると、こうなる。
 「私は男性だ。ただし性同一性障害者であるので、心は男性であっても、肉体は女性である。ペニスは持たず、乳房を持つ。肉体的には女性であるが、心は男性だ。だから、服装は男性の服装をする。また、トイレや風呂は男性用に入りたい。だが、男性用に入ろうとすると、管理者側から禁止処分が出たので、トイレや風呂は男性用に入れない」
 
 さて、こうなったとき、私はその禁止処分を「不当だ」と考えるだろうか?
 じっくり考えてみたが、私としてはそれを「不当だ」とは考えないだろう。
  ・ 服装は男性の服装をするのであれば、それで要求を満たされる。
  ・ 身なりが男性なので、周囲から男性同様に扱ってもらえれば、それで十分だ。
  ・ トイレや風呂は女性用になるが、自分だって女性の体なのだから、同じ体同士である。男性用には入れなくても、不満はない。
  ・ 女の体のまま、男風呂に入ると、好奇心で見られて、かえって不快だ。
  ・ 男の心のまま、女風呂に入ると、女の裸を見放題で、かえって嬉しい。
  ・ トイレも同様だ。男性用より、女性用の方がいい。そもそもペニスがないので、男性用の小便器を使えない。

 以上のような理由で、トイレや風呂は男性用に入れないとしても、不満はない。これらは、基本的な最低限の要求ではないのだ。

   *   *   *   *

 一方で、どうしても譲れないことがある。それは、異性愛だ。心が男性であるなら、愛する対象は女だけだ。男を愛することはできない。(それはホモになるような感じで気色悪い。)
 だから、誰が何と言おうと、心が男性である限りは、愛する対象は女だけだ。これは基本的な最低限の要求である。
 ただ、誰を愛するかというのは、心の問題であるから、管理者などが勝手に制限することはできない。これは自由であって、社会的な軋轢などは生じない。

 とはいえ、ここで疑問が生じる。「心が男性で体が女性である人が、女性を愛した場合には、単にレズビアンの女性だと見なされる」ということだ。
 レズビアンの女性は、男装の麗人であることもあるが、たいていは女装である。トイレも風呂も女性用を使う。それでいて、心は男性なので、女性を愛してしまう。
 こうなると、「性同一性障害の女性(心は男性)」と「レズビアン」とは、差がきわめて小さいことになる。服装や日常生活が男っぽいかどうか、ということだけだ。そして、その差は、「女装することを受け入れる度量があるかどうか」ということだけだ。
 私ならば、度量が大きいので、たいていの事柄は環境に合わせることができる。たとえば、今急激に社会制度が変わって、「男はズボンでなくスカートをはけ。髪の毛はロングヘアにしろ。顔はおしろいと口紅で化粧しろ。普段はおしとやかに過ごせ」というふうに変わったとしたら、それを十分に受け入れることができる。そんなことは、服装をチョンマゲと和装にすることに比べれば、ずっとたやすいことだからだ。
 つまり、服装や日常生活が(現代基準で)男っぽいかどうか、ということは、乗り越えられない壁ではないのだ。それを乗り越えるかどうかは、あくまで本人の度量しだいなのだ。
 だから、仮に私が(体が女性の)性同一性障害であったとしても、女装をしたレズビアンの女性として生きる(= 女性の格好のまま女性を愛する)だけだ。「トイレや風呂を男性といっしょにしろ」とまでは主張しないはずだ。


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 以上のことを考えて、私としては次のように結論する。
  ・ 「トイレや風呂を女性と同じにしろ」という要求は、満たされなくていい。
  ・ 性同一性障害者の意見よりは、女性の意見が優先される。
  ・ 性同一性障害者は、レズビアンの女性として生きることができる。
   (本件とは逆に、女性の体を持つ人の場合なら、だが。)
  ・ 服装は自由なので、服装は好き勝手にしていい。
  ・ どうしても女性としての扱いを受けたければ、性転換するべきだ。
   (ペニスをチョン切れ、ということ。)
  ・ ペニスをチョン切ることができなければ、女性としての扱いを受けられない。
   それは、女性の側の基本的な最低限の要求を満たすためだ。
   それは、仕方ないことなので、差別でも何でもない。


 特に、最後のことが重要だ。性同一性障害の人は、自分が女性としての扱いを受けられないと、「差別だ」と騒ぎ立てる。しかしそれは差別ではないのだ。女性の側の基本的な最低限の要求を満たすためには、仕方ないことなのだ。
 どうしても女性としての扱いを受けたければ、性転換すればいい。そうすれば、望み通りになる。ただ、この人の場合は、「健康上の理由で性転換ができない」とのことだ。ならば、その人の問題は、「健康上の問題」であるにすぎない。「健康に問題があるから、他の人並みの生活が送れない」としても、それはそれで仕方のないことだ。ひるがえって、「自分には健康の問題があるから、それを埋め合わせるために、他の人々がみんな自分の権利(基本的な最低限の要求)を返上するべきだ」というのは、自分勝手なわがままでしかない。

 ――

 この問題は、先の「無人駅の車椅子」という問題に似ている。世の中には車椅子で困っている人がいる。そういう人をなるべく助けたいと方針はある。だからあちこちで、エレベーターの設置が進んでいる。しかし場合によっては、エレベーターの設置ができていない無人駅もある。そういう場合に、その車椅子の人の要求を満たすために、駅員の側にものすごい負担をかけてもいいのか? 自分一人の小さな要求のために、多数の人に大きな迷惑をかけてもいいのか? 身障者のささやかなわがままは、多くの人々の迷惑よりも優先するのか? ……そういう問題と似ている。

 そして、こういうわがままの度が過ぎると、社会の反発を食らって、本来ならば許されるはずの要求までがすべて許されないようになってしまう。……それが、「 LGBT法案の提出見送り」だ。

 社会的な弱者の権利は、なるべく守られるべきだが、それはあくまで、大多数の人々の「好意」によるのだ。他者が自らの犠牲を払ってくれているから、弱者の権利が尊重されるのだ。
 なのに、そういう犠牲を払ってくれているということに目を向けずに、「自分の権利だ」とばかり要求をしていては、人々からの支持を失うばかりだろう。

 はっきり言えば、世の中で最も大切なのは、人としての権利ではなく、愛なのである。そして、人に愛されていることにも気づかず、自分の権利ばかりを言い立てる人は、それまで受けていた愛すらも失いかねないのである。



 [ 付記1 ]
 蛇足だが、この裁判の「性同一障害」の人は、「心は女性だ」と自称しているが、心はほぼ男性のままなのだろう。(本人が気づいていないだけだ。)
 たとえば、次の二点がある。
  ・ ペニスを持つ人が女性トイレに入ることを嫌うという、女性心理がわからない。
  ・ 健康上の理由を名目にして、ペニスをチョン切らずに維持する。

 これらの点は、この人の心が男性であることを示唆する。


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 たぶんこの人は、男性のまま、女装趣味が昂じただけだろう。この人が本来なすべきことは、「女装趣味の男性」として生きることだと思える。





 [ 付記2 ]
 本項の話からすると、レズビアンには2種類あることになる。
  ・ 体は女で、心は男。
  ・ 体は女で、心も女。


 前者は、体と心で性が不一致。性同一性障害。本項で説明したタイプだ。
 後者は、体も心も女なので、本来ならば男を愛するはずだ。なのに、なぜか本物の男を愛することができないので、男の代替品である疑似男性(つまり前者)を愛することにになる。……こういうのは、通常はありそうにないが、例外的にはある。かつて強姦されたとか、幼児期に性的いたずらをされたとかで、精神的に傷を負っている PTSD ならば、ありがちだろう。

 もっとも、現実にそうはっきりと二分できるとは限らない。中間的なタイプもあるようだ。上記の二分法は、あくまで典型的な場合だけだ。
 
 ※ どうしてそう思うのかというと、次の件があるからだ。
    → レズビアンのタチはどうやって性欲を満たすの?/ タチ、ネコ、リバってなに?
   ( 性的な内容が含まれます。閲覧注意。)
 
posted by 管理人 at 22:10| Comment(6) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 筆者の、同種問題全般への提言については、概ね賛成です。いっぽうで、今回の事例に限っての、経産省の対応や裁判所の判断については、よくわからないところがあります(当該職員の主張を認めろというのではなく、情報がよく網羅・整理されていない報道になっている)。

 まず、「経産省は、当該職員の女性用トイレの使用について、他の女性職員との間でトラブルが生じる可能性があるとして、通常勤務しているフロアから2階以上離れている女性用トイレを利用するよう制限した」となっていますが、なぜ2階以上離れているとOKなのでしょうか。経産省がどれくらい大きい職場なのか、私には実感が湧かないのですが、当該職員が「女装」で勤務するようになったのは2010年以降と比較的最近だそうですし、訴訟が起こされてそれがニュースにまでなっているのですから、少なくとも同じ建屋で働く女性はその多くが、当該職員とトイレなどで会えば、「ああ、この人か」と感づいてしまうような気がします(毎日のことなので)。そうすると、例えば当該職員が5階フロアで勤務していた場合、最も出くわしやすいのは3階や7階(最短距離)で勤務する女性職員であり、その「一般」女性たちが筆者のいうとおり、「適合手術を受けていない、心だけの女性とトイレを共用するのは嫌だ」と思っているのなら、このような制限をしても問題は解決しないどころか、「嫌な思い」をさせる女性の数を増やしてしまうだけですよね。

 それと、「2011年には、適合手術を受けて戸籍上の性別を変更をしなければ、異動できないと告げられた。人事部と協議をすると、性別変更手続きをしないのであれば、異動先で自身が戸籍上は男性であるとの説明会を開くか、説明会を開かない場合は女性用トイレの使用は認めないことを条件とされた」とのことですが、これもよくわかりません。異動は、女性用トイレ使用の問題とは切り分けて、他の職員と同様にキャリア形成の一環、もしくは本人の働き方の希望の理由で、普通に認めればいいですし、逆にトイレ使用とからめて制限しているというのなら、職場で説明会を開けばそれが解除できるという理屈も不思議です(広く説明をしようがしまいが、先ほどの「一般女性」の嫌な思いはいわば生理的なものなので解決できない)。加えてその説明内容も、「男性としての性欲はない、ホルモン治療を受けている、適合手術を受けられないのは健康上の理由」という本人の諸事情ではなく、「戸籍上の性別は男性である」というのも解せません。これらの情報をそのまま受け取ると、経産省は、当該職員をうまく職場に適応させる「落としどころ」を探っているのではなく、この人をけん制して、組織になるべく変化を起こさせないようにしている、とも感じられます。

 総じていえば、今回の事例について妥当性などを判断するには、経産省が何をどう考えてこのような対応になったかという経緯が不明瞭ですし、裁判についても「逆転敗訴だ」というだけで、判決でどの部分が棄却されたかやその理由も記載が不十分のようです(本稿で紹介されたハフポストの記事だけでなく、他の報道でも)。
Posted by かわっこだっこ at 2021年05月30日 00:49
災害がある度に被災者に「嫌だったら他の土地に移住しろ」って言ってた人間が人権とかちゃんちゃらおかしいね
Posted by 名無し at 2021年05月30日 21:14
 危険な土地に住む人を移住させないことで、あえて殺そうとする殺人狂の人に、言われたくないね。
 
 人権はあくまで生命の次に来る。生命の確保が最優先だ。生命を守るためであれば、人権が制限されることもある。
 
Posted by 管理人 at 2021年05月30日 22:04
同じトピックの記事へのコメントが、時系列を前後してしまい失礼。

全体的に感じるのは、筆者は半可通な知識を振りかざさないほうが良いということ。
この問題は当人たちには非常にデリケートな問題で、外野が知った風にものを言って解決する問題ではない。

当事者達にはパス度という概念があり、大雑把に言えば「異性のパーソナルゾーンに入って違和感を持たれないものは異性側に入って良く、違和感を持たれるなら入るべきではない」と考えている人が多数。

考えてみれば当然で、男の見た目で女性ゾーンに入れば、他人に心は分からないのだから拒絶されて当たり前。だからこそ、トランスは見た目の「異性らしさ」に非常に拘る。
(現代フェミニストが女性らしさをけしからんとするのとは逆に)

従って、心に合わせて生活したいなら、肉体を適合させるのは当事者的には必須。それが出来ないなら異性のパーソナルゾーンには入れない(奇異の目を向けられてまで入らない)、というのは多くのトランスが同意している。

本件は、当事者目線では本人がどれだけパスできていたかがキーだが、記事では分からないので外野には結論が出せない、のが結論です。
性器の有無は外見では分からないので浴場に入るのでなければ本来関係ない。ただし年齢を重ねてから性器を維持したままのパスは困難なので、低かったであろうことは伺える。それがコンプレックスで訴訟を起こした(個人として認めさせられないから外野に頼った)との推察は成り立つが。
Posted by コリント at 2021年05月31日 10:42
> ……と考えている人が多数。
> 肉体を適合させるのは当事者的には必須。それが出来ないなら異性のパーソナルゾーンには入れない(奇異の目を向けられてまで入らない)、というのは多くのトランスが同意している。
> 本件は、……が結論です。

 だったら、私の主張と同じでしょ。私は一般論しか述べていないんだし。

 私と同じことを主張して、私の主張を「生半可」だと言うのなら、あなた自体が生半可だということになる。
 要するに、あなたは人の話を読めずに、誤読して、単にケチを付けているだけ。


Posted by 管理人 at 2021年05月31日 11:26
問題にならない。

公衆の風呂については、
性別適合手術が終了しているかどうかで判断すればいい。

トイレについては、手術前なら、見かけで判断するしかない。問題を回避するために診断書を常に持っている事。

そもそも、性別適合手術で戸籍変更ができるようになっているので、問題にする方がおかしい。

このような解決策を取らないなら、トイレも風呂も、男女別を無くす方法になる。それで、いいのでしょうかねえ。
Posted by 塚本水樹 at 2021年05月31日 21:19
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