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これを思ったのは、古新聞を整理していていたときのことだ。河井克行元法相が議員辞職を表明したという記事を見た。ここでは彼は、次のように表明した。
これまでの無罪の主張を一転させ、起訴された内容の大半を認めました。
主張を変えた理由について元大臣は「一緒に頑張ってくれたスタッフや支持者、妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきたが、認めるべきことは認めることが政治家としての責任の取り方だと考えた」と述べました。
そして「愛している自民党の信頼を傷つけてしまって申し訳なく思う。国民や県民の皆さんにも政治不信を招き、民主主義の根幹をなす選挙の信頼を損ない、弁解の余地は全くない」と謝罪しました。
そのうえで「すべての責任は私のみにあり、いかなる処罰であっても引き受ける覚悟だ」と述べました。
( → 河井元法相 起訴内容の大半認める 議員辞職意向も 買収事件で | 河井元法相夫妻 公選法違反事件 | NHKニュース )
これまで強引に潔白を主張していて強気だったのが不思議に思えたのだが、実は選挙期間の都合で、3月下旬まで辞職を引き延ばす必要があったせいらしい。
→ 河井克行元法相は、なぜ突然買収容疑を全面的に認めたのか、選挙日程を逆算した裏事情とは(大濱崎卓真)
党の損得勘定で、辞任の時期を引き延ばさざるを得なかったようだが、本人は自分の非を認めるつもりが、最初からあったようだ。たぶん、妻が自分の罪を認めた段階で、自分の方でも非を認めようと思ったのだろう。(自分の非を認めないと、妻に責任が行くが、それでは男の名折れとなる。そんなみっともないことはできない、と思ったのだろう。)
また、人間としての善悪かんからしても、「違法行為をしたら非を認める」という最低限のことはする良心があったということだろう。「徹底的にシラを切る」という悪党みたいなことは自分のプライドが許さない、と思ったのかもしれない。
いずれにせよ、ここでは、「徹底的にシラを切って悪の道を貫徹する」というふうにして悪人の道を歩むよりは、「自分の非を認めて真人間の道を歩む」というふうに選択したわけだ。良心というものがある人間ならば、そうするのが当然だろう。
これまでずっと「自分の非を認めない」という方針を取ってきたが、それは、彼の本心ではなかったと見なせる。
私が「どうして彼は辞任しないのか?」と不思議に思ったことも、これで一応は氷解する。(「当面は辞任しないだけであって、本心では辞任する気があった」ということだ。)
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さて。以上のすべては前振りである。ここからが本題だ。
私がかねて不思議に思っていたのは、「菅首相はどうしてこうもデタラメな方針ばかりを取ることができるのか?」ということだった。まともな人間ならばとうていできないような唯我独尊で間違った道を取り続ける。世間でいくら批判されても、学術会議の任命拒否を頑として改めない。
このことが不思議に思えたが、次の記事でいくらか事情が判明した。
日米首脳会談での菅総理スーツ姿を見るとスーツはオーバーサイズだし、ワイシャツの首周りも合ってない。せめてネクタイの結び目にディンプルを入れて胸元に立体感をだせばいいのに、一国の総理だから高級なんだろうがあれではだしな貧相に見えてしまう。指摘する人はいないのかな?
— 石井凛太郎 (@bugsy1018) April 18, 2021
こんなみっともない格好をしていて、それを指摘されたら、普通の人なら恥ずかしさのあまり、「舌噛んで死んじゃいたい」( (C) 庄司薫 )と思うはずだ。よくもまあ、こんなにみっともない格好をできるものだ。
これを見たとき、私が思ったことは、こうだった。
側近がそのことを菅首相に指摘したら、逆恨みされるだろう。「おまえは俺の悪口を言ったな!」と詰られて、側近は左遷させられるだろう。……そういうふうに側近たち自身が思うので、側近は怖くて進言できない。
かくて、首相は「裸の王様」のようになる。
そして、そういう失敗を犯す危険があったとしても、菅首相は平気の平左でいられるのだ。なぜか? そんなみっともないことをしたとしても、たいして気にしないからである。ちょうと、学術会議で批判されても、馬耳東風と聞き流したように。
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ここまで見て、それを河井元法相の記事と比較したとき、その差が鮮明に浮かび上がった。次のように。
「河井元法相は、知性があるがゆえに、恥知らずなことはできなかった。菅首相は、知性がないがゆえに、恥知らずなことをしても気に留めない」
河井元法相は、慶應義塾大学法学部政治学科卒のエリートである。十分に高い知性があると言える。これまでの言動を見ても、馬鹿ぞろいの自民党の中では、はきだめの鶴みたいな知性を感じさせたものだ。
一方、菅首相は、あらゆる場面で知性の低さを見せつけている。よほどの馬鹿だとしか思えない。

そして、この両者の知性の差が、愚行に対する感覚の差をもたらす。
・ 河井 …… 馬鹿丸出しの愚行は、恥ずかしくてやれない。
・ 菅 …… 馬鹿丸出しの愚行でも、得するなら、やる。
前者は恥を知り、後者は恥知らずだ。そして、恥を知らぬ人間というのは、政治の世界では強者として振る舞えるのだ。いくら馬鹿げた愚行をやっても、自らが非を認めない限りは、権力ゆえに、自己は罰されないからだ。
自己を罰するものは自己しかいない……という状況では、本人の良心だけが罪を認めさせることができる。しかるに、恥知らずな人間というものは、良心がない。それゆえ、恥知らずにの人間は最強になれるのだ。
これが菅首相の強さの秘密である。あまりにも恥知らずであるがゆえに、あまりにも強く振る舞えるのである。(ちょうど、テロリストのように。)
[ 余談 ]
これを是正することができるのは、国民の声だけだが、国民はどういうわけか、馬鹿なことをするトップを支持する。
菅首相が恥知らずなだけでなく、日本人全体もまた恥知らずになってしまったようだ。
昔、「菊と刀」という本がベストセラーになったころには、日本人は「恥」という概念を知っていたが、平成や令和になると、日本人は「恥」というものを失いつつあるようだ。
朝日新聞の世論調査(広島)でも、50代以上では自民不支持が多いのに、40代以下では自民支持が多い。若い世代ほど恥知らずになっているようだ。
宮口氏は、推薦を受ける立憲の支持層をまとめ、無党派層の8割に浸透。自民の西田氏は自民支持層の8割、推薦を受ける公明支持層の9割の支持を得ている。年代別では、40代以下は西田氏、50〜60代は宮口氏を支持する人が多い。
( → 広島、野党系やや先行 長野は立憲リード 北海道2区、立憲前職優勢 衆参3選挙、情勢調査:朝日新聞 )
若い人ほど保守化しているようだ。
※ その理由は別項で。
→ 若者の保守化: Open ブログ
https://www.sankei.com/premium/news/180510/prm1805100007-n1.html