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身障者が健常者を奴隷のごとくこき使おうとする……という話を、前々項の最後で少しだけ記した。
これに関連するが、次のツイートが話題になった。
車椅子ユーザーの夫は「交渉ももう嫌だし、「すみません」と何度もいうのも嫌だし、僕だけ「ありがとう」と気遣うのも嫌だし、もう乗りたくない」と諦めてしまった。
— 東ちづる /Get in touch (@ChizuruA1) April 9, 2021
どんな特性があっても、全ての人がスムーズに利用できる公共交通機関であってほしいと思う。 https://t.co/VVIehsKH7q
これに対して、異論が出ている。「ありがとう」「すみません」というのがそんなに大変なことか? そんな言葉は潤滑剤として普通に使うのでは……というふうに。
東ちづるは、こうも述べている。
普通に乗車したいだけなのに、時に上から目線で対応され、迷惑をかけてる感じになり、「すいません」「ありがとうございました」と伝えるのはシンドイものです
車椅子ユーザーではない方は、乗車するたびに感謝を言葉で表す必要はないですよね
「車椅子ユーザーではない方は、乗車するたびに感謝を言葉で表す必要はないですよね」
というが、普通の人は誰からも手助けを受けていないから、いちいち感謝の言葉を言わないだけだ。一方で、何らかの手助けを受ければ、「ありがとう」というくらいは普通にある。この人(東ちづる)は、何か勘違いしているようだ。
また、「上から目線」というが、これは車椅子で低い位置にいるから、相手を「上から目線」と感じているだけではないか、という疑いもある。
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ただ、話の本質は別のことだ。
「すいません」「ありがとうございました」と伝えるのはシンドイものです
というが、どうしてシンドイのか? たとえば、「こんにちは」と挨拶するのは、シンドイのか? いや、そんなことはないだろう。普段から「こんにちは」と挨拶していれば、そう口に出すことは少しもシンドくない。
一方、普段から「こんにちは」と挨拶していない人にとっては、そう口出すことはシンドイだろう。コミュ障にとっては、コミュニケーションそのものがシンドイからだ。
ここまで見れば、本質がわかる。
「すいません」「ありがとう」と伝えるのがシンドイのは、普段から他人に感謝の意を伝えるということをしていないからだ。
換言すれば、普段から横柄で威張り散らしているからだ。この人の夫も、もともとは身障者ではなくて、あるときから急に病気を発症して身障者になったそうだ。(ジストニア痙性斜頸という病気)
病気の前には、和食店経営をしていたそうだ。
→ 東ちづるさん結婚おめでとう 愛はぐくむ8年間 | せとうちタイムズ(尾道市因島・瀬戸田地域の週刊新聞)
→ ぴいぷる:ZAKZAK
和食店経営となると、いかにも威張り散らしていそうだ。客には愛想良くしていても、部下にはすごくきつく当たっていたのだろう。普段から威張り散らしているだけで、人に頭を下げることはできなかったのだろう。だから一転して身障者になると、「すいません」「ありがとう」と伝えるのがシンドイという気分になるのだ。
「すいません」「ありがとう」という言葉を、普段から容易に口に出せるようにしたいものだ。そうすれば、いざとなったときにも、「すいません」「ありがとう」と伝えるのがシンドイという気分になることもない。
他人に優しく接することができるようになれば、自分自身がかえって助かる。情けは人のためならずというが、それと同様だ。

[ 付記 ]
「バスの乗り方がわからない」と嘆く人が多数いるそうだ。
→ バスの乗客が増えないのは「バスの乗り方がわからない」からだった?支払い方法や乗り口も地域でさまざま「わからないから歩いてる」 - Togetter
わからなければ、そばにいるおばさんに聞けばいいのだ。「すみません」と話しかけて、教えてもらったら、「ありがとうございます」とお礼を言う。それだけのことだ。
普段から「すみません」「ありがとう」と言い慣れておけば、いざというときにも、質問して、助けを得ることができる。
それができない人は、バスの乗り方がわからないときにも、誰にも質問できないまま、立ち往生してしまう。あげくは、「わからないから歩いてる」というハメにもなる。
「すみません」「ありがとう」と言えないと、自分自身が困るハメになるのだ。
※ ここまで読んでくださって、ありがとう。
→ 菅首相 第4波をかたくなに否定「大きなうねりとなっていない」:東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/98125
最近、標高の低い山(200-400m)を散策していても声掛けがある。自分は散歩程度だから不要かなと思っていたが、無言ですれ違うと怖いが「こんにちは」があると何故か安心できる。
「ありがとう」も「すみません」も相手に対する自分(の行動や気持ち)を表現していると思うので、相手に対して必要な行為と思います。
乗るときには前乗り後ろ乗り、整理券や今では交通カードが一般的になってきたが料金の払い方、降りるバス停のひとつ前位から前に詰めておかないと降りられない失敗する。
また、バスに乗り込む時に低い姿勢から上るため目線が合い先客の視線が気になる。低床バスは電車と同じで気にならない。などなど。
警察の厄介にならなければ、何の問題もないという感覚は何か問題ある?というのが問題(笑)
他人にモノを聞くのは物凄いリスキーなことだなって思いました。
今の時代、みんなスマホばっかりやってるから挨拶もしないし、ぶつかってもすみませんも言わない。
金持ちの人や権力者はバスとか電車なんて使わなくて、ありがとうもすみませんもなく、高級車で送迎されていいですよね。
> バスで車掌さん
だから、中年の「おばさん」に聞けばいいんです。そう書いてあるでしょ。
コミュニケーションのきっかけを楽しんでいることは、既にバレバレです(笑)
あわよくば、そういうことに持ち込みたい想いが、諦めきれない今日この頃・・・