2021年03月25日

◆ 複合地震と複合津波

 複数の地震が続いて起こると、津波もまた複数の津波が続いて起こる。このことが被害をきわめて大きくした理由だろう。(科学重視では駄目だ、という意外な話。)


 ――

 前項では NHK の地震番組を紹介した。そこでは有益な情報がいくつもあるようだが、私の観点から言えば「まったくの落第点だ」と言える。なぜか? 科学的な真相究明という発想ばかりがあって、「被害を減らす」という観点が抜けているからだ。
 いや、そういう発想がないわけではない。発想はある。だが、そこには本質的な欠陥があるのだ。

 これについて考えたのは、NHK の地震ドラマを見たからだ。
  → 遠藤憲一主演NHKスペシャル「ドラマ 星影のワルツ」| NHKドラマ

 「津波にのまれた男が屋根に乗って漂流していた」という男の実話ドラマ。
 この男が津波に呑み込まれたのはなぜか? 逃げる時間はたっぷりあった。実際、逃げようとして、車に乗ろうとした。しかし種もみがあるので、気になって、それを水没しないように高く持ち上げようとした。
 その作業中に、「沿岸に届いた津波の高さは 50cm です」という放送を聞いた。「何だ、50cm か。たいしたことはないな」と思って、逃げるのを中断して、荷物運びをしていた。
 その後、二階に上がって外を見ると、壮大な津波が一挙に近くまで来ているのに気づいた。「あ。もうこれは逃げる時間はないな」と思って、その場に留まった。妻と離れ離れにならないように、妻と自分をヒモでかたく結んだ。そこへ津波が一挙に押しよせた。ゴボゴボゴボ。(気づいたときには水の中。)

 この男が(津波から)逃げなかったのは、なぜか? 逃げようとしたのだが、「沿岸に届いた津波の高さは 50cm です」という放送を聞いたからだ。それで、「たいしたことはないな」と楽観したからだ。

 ――

 ここには大切なことがある。
 仮にこの男が放送を聞かなかったなら、さっさと逃げ出して、溺れずに済んだかもしれない。妻も死なずに済んだかもしれない。しかし運悪く NHK の放送なんかを聞いたせいで、楽観して、溺れるハメになった。
 
 NHK が地震の番組を作るのならば、この点に言及するべきだった。つまり、「死者が多数になったのは、NHK が津波について過小評価した情報を伝えたからだ」と。
 実際の津波は、6メートルとか 10メートルとかになるのに、50cm というような小さな数値を出したから、多くの人が逃げるのをやめて、多大な被害が出たのだ。
 NHK は地震番組において、そのことを指摘するべきだった。「多大な被害が出たのは、津波そのもののせいだけでなく、NHK が誤った情報を伝えたからだ」と。

 ――

 ここで NHK は弁解するかもしれない。次のように。
 「 NHK は気象庁の公表した事実を放送しただけだ。実際に沿岸に届いたのは 50cm ぐらいだった。ただしそれは第一波だったのだ。その後、第二波の巨大な津波が押し寄せたが、それはまたそれで別の話だ。第二波が押し寄せたら、その情報も伝えている。第一波の情報が間違いだったわけではない。それは過去の事実であって、未来の予想ではない」

 なるほど。それは科学的には正しい。しかし、科学的には正しい情報を伝えたがゆえに、かえって大きな被害が出てしまったのである。かくて、「何も伝えない方がマシだった」という状況になった。

 ――

 この件は、「気象庁の問題」として、過去記事でも紹介したことがある。
 及川宗男さん(60)はマイカーに備え付けたテレビで「沿岸部に20センチの津波が到達」と聞いた。安心して海から約600メートル離れ海抜15メートルほどの坂の上に車を止めた。ところが、家々が津波に流されている。あっという間に濁流が目の前に迫った。かろうじて車から脱出し高台に逃げた。「数字を聞いてたいしたことがないと思った。過信していた」と及川さんは振り返る。
( → 津波の気象予報: Open ブログ

 この人もまた、「沿岸部に20センチの津波が到達」という情報を聞いて、津波を過小評価した。津波の過去情報だけを知っていたからだ。その後巨大津波が来るとは夢にも思わなかったらしい。

 過去情報でなく、最初の予報そのものが小さな津波を予報していたということもある。実際の半分以下の高さで予報していたので、現実にはその倍の高さの津波が来ると、溺れてしまったのだ。
 岩手県沿岸には3メートルの津波が来る」と聞いた。高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら防潮堤を越えることはない」と思ったという。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。
 午後3時15分ごろ、恵子さんが気付いた。「津波だ」と叫んだ。

  ̄ ̄
 女性は「小学校は海抜10メートルぐらいで、ここに逃げればさすがに大丈夫だろうと思った」と話す。午後3時15分ごろに防災無線を通じて「6メートル」という数字を聞いた。「小学校まで来るとは思いもしなかった」。ところが津波はグラウンドの避難者を襲い次々にのみこんでいった。この女性は裏山を駆け上がり助かった。
( → 津波の気象予報: Open ブログ

 いずれも当初の予想から、ほとんど倍加する情報に変更されている。あとの情報を知って逃げた人は助かったようだが、先の情報だけを知って逃げなかった人は助からなかった。
 ここでも、気象庁と NHK が楽観的な(過小評価する)情報を流したせいで、人々の避難行動を止めてしまったのだ。

 ――

 以上のことからして、「だから津波について、正確で高速な情報を伝えることが大切だ」と思うのが、前項の NHK の番組だ。観測網やスパコンを使うことで、「正確で高速な予報」を出そうとしている。それで物事が解決すると思い込んでいる。
 しかし私はそういうのとはまったく正反対のことを示した。こうだ。
 「気象庁は正確な予報を出せばいいのではない。むしろ、正確な予報などはできないと認識した上で、すばやい避難行動を促すべきなのだ」
 これは「無知の知」でもある。先のことがどうなるかは、はっきりとはわからないのだ。だから、「危険が来るぞ」と思ったら、ギリギリまで我慢すればいいのではなく、さっさと避難行動を取るべきなのだ。

 前の記事から転載すれば、こうだ。
 これを一言で語れば、こうだ。
 「気象庁の津波予報は、人を死なせるためにしか役立っていない」
 

 つまり、気象庁の津波予報など、ない方がずっとマシだ。津波予報がなければ、人々は「津波だから危険だ」と思って、さっさと高台に逃げ出す。特に、今回のように大地震ならば、沿岸部にいる誰もが「大変だ」と思うはずだ。実際、津波予報を聞かなかった人は、さっさと逃げ出した。
 ところが、テレビをつけて気象庁の津波予報を聞いた人々は、「なあんだ、津波は大したことはないんだ」と楽観して、高台に逃げなかった。そこへ、予報をはるかに上回る津波が押し寄せて、人々を水没させた。

  ̄ ̄
 では、どうするべきか? 
 気象庁はお馬鹿すぎるので、私が正解を示そう。
 気象庁がなすべきことは、自分たちが馬鹿であると自認することだ。つまり、津波の予報などはできないと、はっきり自認することだ。(無知の知)

 なのに現実には、「無知の知」がない。馬鹿でありながら、自分を利口だと思い込んでいる。そのせいで、利口ぶって、「津波の予報」というデタラメな数値を出す。
( → 津波の気象予報: Open ブログ

 巨大地震が起こったら、気象庁や NHK の情報を聞けばいいのではない。そんなことを聞くまでもなく、さっさと高台に逃げ出すべきなのだ。
 最悪なのは、気象庁や NHK の情報を聞いて、「何だ、たいしたことはないな」と勝手に解釈して、その場に留まることだ。そして、先の大震災では、そういう形で命を落とした人が多数出た。そうなるのを避けるべきなのだ。

 行動指針は、上記のように示せる。




 さて。行動指針とは別の話をしよう。
 気象庁の津波予想では、初期には小さめの数値が出て、その後に大きめの数値が出た。これはどうしてか? 気象庁の計算式に間違いがあったからか? そうとは言えない。
 
 私が考えるのは、次のことだ。
 「今回の地震は、一発目の地震のあとに二発目の地震が起こるという、複合地震だった。そのせいで、一発目の津波のあとで、二発目の津波が起こる、というふうになった。一発目の津波は大きめの津波だったが、二発目の津波は特別に大きな津波だった」

 ここから、次のことが言える。
  • 一発目の津波については、いくら正確な予想をしても、意味がない。
  • その時点では、「今後さらに、二発目以後の津波が来る可能性がある」と理解することが大事だ。
  • 二発目以後の津波は、まだ予想されていないので、規模はまったく不明である。二発目が来るかどうかもはっきりしていない。
  • つまり、二発目の津波については、何もわかっていないのだ。
  • だから、一発目の津波が来るとわかった時点で、とにかく逃げ出すことが大事なのだ。
  • このとき、津波についての情報を得ることは、別に必要ない。特に、第一波の津波についての情報は、まったく無益だ。
  • 大事なのは、二発目の津波の危険性に備えることだ。
  • 気象庁や NHK は、「正確な情報を出そう」としてはいけない。むしろ、「正確な予想などはできない。実際の危険度ははるかに上回る可能性がある」と伝えるべきだ。
 
 ――

 最後の点が最も重要だ。気象庁や NHK は、「正確な情報を出そう」としてはいけないのだ。そんなことをすればするほど、被害はかえって拡大する。ゆえに、前項のような学術的な試みをすればするほど、被害はかえって増える。人々の慢心を招くからだ。(田老地区の巨大堤防を過信したせいで、堤防決壊によって死んでいった人々の慢心と同様だ。)
 気象庁や NHK がなすべきことは、「予報はまったく当てになりません」と告げることだ。その上で、「実際の危険度は予想も付かないほどのものです。とにかく最大限の努力で、高台に逃げ出してください」と語るべきなのだ。

 そして、そのことは、「複合地震」「複合津波」という概念から裏付けられる。
 地震現象を分析した結果、一つの地震イベントが時空間的に2つ以上のサブイベントに分けられるものを、複合地震(英: multiple shock)という。これは前震や余震とは違うものと考えるが、本震に非常に接近して起こった前震や余震との区別は明確ではない。兵庫県南部地震や大正関東地震、東北地方太平洋沖地震など、M7程度以上の大地震はほぼ例外なく複合地震の性質をもつ。
( → 連動型地震 - Wikipedia

 津波は最初の第1波が最大とは限らず、数十分から1時間前後の間隔をおいて第2波、第3波と複数の後続波がやってくることがある。
( → 津波 - Wikipedia

 最初の津波予報が当てにはならないということは、過去の常識( Wikipedia 記事)からもわかっていることだ。だから最初の津波予報なんかを信じてはいけないのである。巨大な地震が起こったら、何よりもまず逃げるのが先であって、情報収集などは後回しでいいのだ。

 特に、気象庁やNHK は「正しい予報を伝えよう」などと思うべきではない。むしろ、「正しい予報などはできません。最大の危険を考慮して、退避行動を取ってください」と言うべきなのだ。

 ※ 情報収集が必要なのは、逃げたあとのことだ。それまでは何よりも避難を急ぐべきだ。

 ――

 [ 余談 ]
 東日本大震災のあとで、地震学者は口をそろえて言った。「自分たちがいかに無知であるかを思い知らされた。自分たちは地震のことをまったく理解できていなかったと反省する」
 なるほど。その反省はいい。だが、それならば、今後も同じように反省するべきだ。「いくら地震を知ったつもりでも、まだまだ無知なのだ」と。「地震や津波について、正確に予知できるとは言えないのだ」と。
 知ろうとする努力自体は大切だ。だが、それでいくらか何かを知りえたとしても、「まだまだ無知なのだ」とわきまえるべきなのだ。そのことこそが、先の大震災が示した教訓なのだ。
 とすれば、津波の予報で一番大切なことは、「正確な予報を出すこと」ではなくて、「この予報は当てになりません」「実際にはもっと大きくなる危険があります」と付言することだ、とわかるだろう。



 【 関連項目 】

 東日本大震災では、複合地震の1発目よりも2発目の方が大きかった。このことは、前項の「サーマルプレシャライゼーションという現象」を解説した番組箇所からわかる。二発目の方が地震波も大きいことが、図からわかる。


2peaks.jpg

出典:[サイエンスZERO] 3.11 驚きのメカニズムを解説



 このように2段階があったことについては、2012年の番組でも言及されていた。その解説。
  → NHK の地震番組 MEGAQUAKE: Open ブログ



 【 関連サイト 】

 当時の報道。
  → 福島沖の洋上、60歳男性を救助 海自艦: 日本経済新聞
  → 「津波の怖さ 伝えたい」新川広光さん | 東日本大震災支援・応援BLOG

 ――

 ドラマ撮影の裏話。
  → 「実は泳げない」遠藤憲一 43時間の漂流を演じた理由:朝日新聞
  → ドラマ【星影のワルツ】のキャストとあらすじ!遠藤憲一が震災実話をもとに3日間漂流!
 
 あとで思ったが、番組にはイージス艦が救助する場面が出てくる。とすると、この番組には、イージス艦が出演して協力したことになる。
 たかがドラマのためにイージス艦がわざわざ協力するなんて、NHK ならではのことだろう。
 
posted by 管理人 at 23:39| Comment(2) |  地震・自然災害 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「無知の知」を意識すると、万一の事故時に広範囲の被害をもたらす原発に「十分な対策」が果たして可能なのかどうか、疑問が出てきますね。
Posted by けろ at 2021年03月26日 21:07
 原発の場合は、危険性がわからなかったというより、危険性はわかっていたのに、あえて無視していた。危険性の指摘もあったのに、あえて握りつぶしていた。
  → http://openblog.seesaa.net/article/465602664.html

 知っていたのに無視したというのは、知らなかったというのに比べて、非常に悪質である。過失致死と殺人(未必の故意)ぐらいの違いがある。
Posted by 管理人 at 2021年03月26日 22:40
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