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サイエンスZero 1
サイエンスZero で、地震特集の連載が3回あった。その1回目。
→ [サイエンスZERO] 3.11 驚きのメカニズムを解説 | M9 超巨大地震の全貌・科学者は何を突き止めたか | 3.11から10年 地震学者たちが挑んだ“超巨大地震”(動画あり)
サーマルプレシャライゼーションという現象があったそうだ。
地震の際に断層面に摩擦熱が発生し、地層中の水が過熱・膨張することによって、さらに横滑りを起こしやすくする現象。
( → thermal pressurization(サーマルプレシャライゼーション)の意味 - goo国語辞書 )
地殻の深いところで大地震が起こり、そのあと摩擦熱で水が蒸発して水蒸気になると、その水蒸気のせいで、いっそうすべりやすくなる。すると、地殻の浅いところで、別の地滑りが起こる。こうして二連発の形で、二つの地震が連動して起こる。いったん起こった地震が、さらに大規模化する。
参考サイト:
→ 断層の動力学解析により東北地方太平洋沖地震でプレート境界が大規模に滑った原因を特定 - リソウ
サイエンスZero 2
連載の2回目。
→ [サイエンスZERO] 3.11 から津波防災が大進化!浸水域を10分で予測 | 3.11から10年 命を救う津波防災最前線
(1) S-Net と Donet
海底観測網として、S-Net と Donet がある。これは前項で述べたとおり。
→ S-net と DONET (海底の観測網): Open ブログ
(2) 津波レーダー
津波を観測する専用のレーダーが新規開発されたそうだ。どういうものかよくわからないが、たぶんドップラーレーダーの1種だと思って、この語で検索すると、次のページが見つかった。
→ 海洋レーダの原理及び海洋レーダの利用による応用分野
→ 海洋レーダー:ドップラーシフトを使って計測
→ 海洋レーダによる流況観測について
さらに、新しい数学理論を使って、効率的に津波だけを計測するシステムを開発したそうだ。
→ 三菱電機はどのようにして津波予測の精度を100倍にしたのか
(3) スパコンによる即時計算
地震が起こったら即時にスパコンを「津波計算」専用にしてシミュレーションする体制ができたそうだ。これでただちに津波の予想ができるという。上の (1)(2) の観測結果から、シミュレーションで、陸地に届く津波の規模が推定されるそうだ。
※ だけど、三陸沖には S-Net があるからいいが、南海トラフでは Donet が貧弱なので、まともな観測はできない。となると、スパコンも宝の持ち腐れになりかねない。
NHK スペシャル
サイエンスZero の、連載の3回目は、地震ではなくて原発の廃炉の話。だからここでは紹介しない。
かわりに NHK スペシャルがあったので、こちらを紹介する。
→ 「津波避難 何が生死を分けたのか」 - NHKスペシャル
津波があったとき、人々はどうしたか? それを個人聞き取りで全数調査をしようとした地区がある。宮城県名取市の
私がこれを見る前は、「津波が来るとわかっていても逃げないなんて、馬鹿だなあ。馬鹿だから死んだんだ」と思っていた。しかし、そうではなかった。人々は決して馬鹿ではなかった。津波が来るらしいとわかっていたし、逃げるべきだともわかっていた。なすべきことをきちんと理解していた。その意味で、人々は決して馬鹿ではなかった。
ではなぜ、人々は死んだか? 「なすべきことはわかっていても、なさなかったから」である。つまり、「頭では理解していても、体が動かなかったから」である。腰が重かったからである。
ではなぜ、腰が重かったか? その理由の一つは、前にも述べた「正常性バイアス」である。
→ 大震災 10周年: Open ブログ
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。
これは、「危機感の薄さ」というふうにも表現できるだろう。
もう一つは、人々の「保守性」である。日頃の行動とは異なる行動を、いきなり「やれ」と言われても、すぐにはできない。普段からせっせと避難訓練をしているのなら別だが、そうでなければ、いきなり「避難しろ」と言われても、すぐにはできないのだ。「慣れないことはやりたがらない」というふうにも言える。
※ このことから「避難訓練の重要さ」がわかる。それは、やるべき知識を与えることが目的ではない。いざというときに、「すでに慣れていることを自動的にやれる」(何も考えずにやれる)というふうに、体にしみつかせることが目的だ。
閖上地区では、こうして半数ぐらいの人々が「腰が重い」せいで亡くなった。ところが、残りの半数ぐらいの人々は、「腰が重い」のにもかかわらず、うまく助かった。ではなぜ、これらの人々は助かったのか? 何が生死を分けたのか?
それは、彼ら自身の行動ではなく、彼らのそばにいた人々の行動である。地震が起こったとき、「これは危険だ」と理解して、率先して避難する人々がいる。番組ではこれを「率先避難者」と命名した。しかしこれには別の名前も付いている。それは「ファースト・ペンギン」だ。( 画像 )
「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。日本でも、NHKの朝の連続ドラマ(あさが来た)でそのエピソードが紹介され、広く一般に知られるようになりました。
( → ファーストペンギンとは――その意味、最初のリスクを踏む者に敬意を - 『日本の人事部』 )
このように率先して、ただちに避難を開始する人がいる。それを見て、他の人々も危機感を共有する。「あの人があんなに急いで逃げるんだから、自分も早く逃げなくっちゃ」……こう思って、率先避難者の周囲の人々も、続々と避難していく。「釣られて逃げる」わけだ。
さらに、率先避難者はたいてい「危険だ。急いで逃げろ」と大声で周囲に叫ぶ。だから、その声が聞こえた範囲の人も、続いて逃げるわけだ。
番組では、その声を聞いて逃げたので助かった、という人の声が紹介されていた。(閖上地区でなく、石巻の事例。)
「逃げろ」という声を聞くまでは、ぼんやりとしていて、どうするべきかわからなくなっていたそうだ。一種の思考停止状態だったらしい。大地震で頭がパニックになっていたとも言える。そこへ、「危険だ、逃げろ、高台へ行け」という声が聞こえた。そこで、他の人に混じって、高台へ逃げた。おかげで、その人は助かった。一方、(声が聞こえなくて)その場に留まった人は、多くが亡くなったそうだ。
ここで、その場というのは、避難所である小学校である。人々は避難所に来たことで、一息ついて、ぼんやりとしていた。しかし小学校の校長は、日頃から避難訓練をしていたので、その訓練の成果を生かして、高台へ生徒を逃がした。
「ここは避難所だが、安全とは言えない。ものすごい津波が来たら、ここも危険だろう。安全対策に絶対ということはない。最悪の事態を想定して、ここよりももっと高いところに逃げておく方がいい」
こういう賢明な判断で、生徒たちをただちに高台に移した。
見た。閖上の公民館長、門脇小学校の校長が勇気ある人として。気仙沼の杉ノ下地区は当時の危機管理課長が悔しそうに。「率先避難宣言企業」は良い。
— connnexio (@connnexio) March 6, 2021
巨大津波から人はどう逃げたのか?あの日が伝える命を守る避難とは NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」 https://t.co/hweMRaA8iX
さらに、残った教師たちは、(避難所である)小学校にやって来た大人たちを、次々と「高台へ逃げろ」と声かけをした。その声を聞いた人が、また他の人に声かけをした。おかげで、その声を聞いて逃げたので助かった、という人がいたわけだ。(上記)
「あの声を聞かなければ、私は今は生きていなかった。あの声をかけてくれた人には本当に感謝する」というふうに述べていた。その声一つが、人の生死を左右したのだ。
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人には「正常性バイアス」というもののせいで、腰を重くする傾向がある。人は自分自身では、その壁を破れない。しかし、他人が声かけをすることで、その壁を破ることができる。
コミュニケーションというものが、人の生死を左右することもあるのだ。それは、人と人との関係であるが、広い意味では「愛」とも呼べる。
「人は一人では生きては行けない」という言葉がある。そういう言葉を聞いて、「いや、おれは一人で生きていけるぞ」と反発する人もいるだろう。しかし、そういうふうに思う人ほど、腰が重いものだし、地震では逃げ遅れるものなのだ。
そして、そういう人の命を救うのが、人と人との関係だ。「愛」というものがなぜ大切か、ここでもわかる。それは人の命を救うことにもつながる。
先に述べた「その声を聞いて逃げたので助かった」という人は、番組の最後に、こう語る。
「自分は声をかけてくれる人のおかげで命が助かった。この次は自分が声をかける人になりたい。そういう人間に自分はなりたい」
命を救われた人は、他の人の命を救いたいと願う。愛を受けた人は、誰かに愛を与えてお返しをしたいと思う。そういう感謝の念こそが、人の優しさというものだろう。
結局、人の命を救うものは、愛や優しさなのだ。そして、それをもらうことを願うのでなく、それを与えようとする人がいる。そのおかげで、多数の人が助かることになる。
閖上地区や石巻の個別調査でも、最初にいたごく少数のファースト・ペンギンから、雪崩を打つようにして、次々と影響を受けた人々の連鎖的行動が誘発されたと判明している。小さな愛が、雪崩のように拡大して、多くの命を救ったのだ。
そのことが、閖上地区や石巻の調査結果から判明した。
※ 一方、その逆のことをした地区もある。大川小学校がそうだ。子供たちが「高台に逃げよう」と言っても、教師がそれを拒否して、「校庭に留まれ」と抑圧していたそうだ。愛とは逆の統制である。そのせいで、多大な犠牲が発生した。(菅首相とコロナの例に似ている。)
[ 付記1 ]
次の話もある。避難所は安全だとは限らない、という話。
反省と教訓」の第二に「避難所に逃げたら終わりではない」を挙げました。市内の指定避難所67か所のうち38か所が被災し、うち9か所から推計303〜411人の尊い命が失われたからです。
( → 東日本大震災で生死を分けたのは、一体何だったのか?(久保田崇) )
番組でも、同様の話が紹介されていた。(ただし例示された場所は異なる。)
[ 付記2 ]
参考情報がある。
地殻がゆっくり滑る「スロースリップ」というのもある。昨年のサイエンスZERO の番組。
→ サイエンスZERO「巨大地震予測の新たなカギ スロースリップ」 - 教養ドキュメントファンクラブ
Wikipedia にも記事がある。
→ スロースリップ - Wikipedia
→ サイレント地震とスロー地震 - Wikipedia