2021年02月22日

◆ 東京に大道路がないわけ

 名古屋には立派な大道路があるのに、東京にはない。どうしてか?

 ――

 それは、名古屋人が利口なのに、東京人は馬鹿だからである……と言いたくなる名古屋人がいそうだ。だが、そうではない。
 日本政府は東京にも大道路を建設しようとしていたのに、GHQ が反対したので、できなくなったのである。
 朝日の記事にこうある。
 計画は、戦後復興をめざした戦災復興院が1946年、広大な焼け野原を見て、一気に欧米都市並みに東京を改造しようと野心を抱いたところから始まった。 
 「ところがそれが GHQ の意向もあってできなかったんです。仙台や名古屋など地方都市は、戦災復興の過程で自動車時代に備えた大きな道路が造れたのに、東京はそれが許されませんでした」
( → 東京・板橋ハッピーロード 商店街活性化に助っ人登場:朝日新聞

 では、どうして GHQ は反対したのか? Wikipedia にこうある。
 「100m道路」は、太平洋戦争での日本の敗戦後、日本本土空襲によって被災した日本各都市の復興のために戦災復興院が立案し、1945年(昭和20年)12月に閣議決定された「戦災復興計画基本方針」のなかで計画されたものである。戦災復興院は将来の車社会の到来を予想、主要幹線道路の幅員は大都市では50m以上、中小都市でも36m以上と定めたが、更に必要な場合の緑地帯と防火帯を兼ねたものとして計画されたのが100m幅での道路建設であった。
 当初は全国で24本の「100m道路」が計画されていたものの、日本占領軍であった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による「敗戦国に立派な道路は必要ない」との反対や、1949年(昭和24年)のドッジ・ラインに基づく緊縮財政などにより、ほとんどの道路は幅員が縮小され、愛知県名古屋市の2本と、広島県広島市の1本のみが100m幅として実現した
( → 100m道路 - Wikipedia

 ドッジ・ラインが理由だったようだ。詳しくはこうだ。
財政支出切り詰め
 戦後の日本経済の状況は、激しいインフレと食糧難とで特徴づけられる。1948年(昭和23年)、1949年(昭和24年)頃には、日本政府は激しいインフレを収束させるために、強力な財政政策をとる必要に迫られていた。1948年(昭和23年)米国政府がGHQを通じて日本政府に対し、財政支出をきびしく引締め予算の均衡を図ること等からなる「経済安定九原則」指令する。
 1949年(昭和24年)2月にはGHQ財政金融顧問として訪日したジョゼフ・ドッジがドッジ・ラインとして知られる経済政策を立案・勧告、1949年(昭和24年)8月には日本税制使節団(シャウプ使節団)が日本税財政・地方自治制度についての勧告を行った。これらは、課税を強化するとともに政府の財政支出を極端に圧縮し、赤字財政を克服しようとする超均衡財政方針であった。この財政支出の切り詰めのやり玉に上がったのが公共投資、特に「戦災復興都市計画」事業であった。

戦災復興都市計画の再検討
 1949年(昭和24年)6月、「戦災復興都市計画の再検討に関する碁本方針」が閣議決定され、戦災復興都市計画は大幅に縮小されることになり、同年8月、115都市すべての見直し作業が実施された。区画整理は5か年計画とし、区域を圧縮する一方、建築物の制限を緩和した。
 街路については幅員30メートル以上を「幅員のはなはだ大なる街路」と規定し、この結果、東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島の7都市で計画されていた100メートル道路は名古屋の2本、広島の1本を除いて、廃止された。また、帯状緑地も一部の都市を除いて廃止された。
( → 戦災復興都市計画 - Wikipedia

 財政緊縮論者は、いつの時代でも先見の明がないが、ここでも同様だった。結局、このときの緊縮政策のせいで、東京は「戦後の焼け野原」という千載一遇の機会を逃した。
 そのせいで、あとになって、区画整理の問題でいろいろと苦しむハメになった。

 ――

 名古屋の人は、「おれたちの街には、立派な道路がある。すごいだろ」と威張りたがるのだろうが、別に、名古屋の人が偉いからではない。GHQ が「名古屋みたいな田舎ならば許してやるか」と思ったという、気まぐれな さじ加減の結果であるにすぎない。
 東京や大阪に比べて、名古屋や広島は田舎でかわいそうだったから、たまたま許されたというだけのことだろう。
 


 [ 付記 ]
 ついでだが、仙台にある戦後の大通りというのは、「青葉通」のことであるようだ。






 【 追記 】
 名古屋の 100メートル道路は、久屋大通 のこと。
 写真を見ればわかるが、中央分離帯が7割ぐらいを占めており、道路部分は3割ぐらいしかない。道路部分が 100メートルあるわけではないので、大いなる無駄とも言える。中央分離帯は公園みたいになっているが、こんなところに公園を作って意味があるのかね。


Hisayaodoripark.jpg






 どうせなら、この中央分離帯の上に、高速道路を高架で設置すればいいのに……と思ったのだが、久屋大通に並行して、東側と西側に各1本、高速道路が走っている。久屋大通は2本の高速道路に挟まれた形だ。
 どうしてそうなったか? よく見ると、久屋大通は、その両端がちょん切れている形で、先に延びていない。総延長 1,738 m しかない。これではまともな道路とは言えない。
 こういう「道路ではない道路」みたいなものを作って、何を考えていることやら。都市計画の失敗の見本みたいなものかな。ま、GHQ が悪いんだけど。(というより、ドッジラインが悪い。)

 ※ 総延長 1,738 m というのは、歩ける距離だ。だから、散歩用に公園を作ったのだ、と思えば、わからなくもない。道路ではなくて、散歩道をつくったんですね。とすると、中央分離帯の方が本体だったわけだ。

posted by 管理人 at 22:50| Comment(4) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に 【 追記 】 を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2021年02月23日 11:07
有事の時の滑走路ですね
Posted by あさひ at 2021年02月24日 16:50
ムダに広い道路はムダでしかない。ですね。

高速道路などの車専用道は三車線あると超便利
ではありますが、
街中の道路のあるべき姿、どうなんでしょう。

例えば、自転車専用レーン、
自転車が無灯火だったり、
中国製の暗いライトしかついてなかったりが、
フラフラと後方点灯も無いまま走られると、

歩行者にとっても車にとっても、超危険な存在

幅広な道路に云々よりも、
そもそも道路行政が放置プレイのまま。
としか言いようがなく。

あるべき姿を示して、ガラガラポンすべき。
100m道路なんて、
本来は有効な商業地であるべき感。

Posted by メルカッツ at 2021年02月24日 21:34
 東京では、一般道も高速道も大幅に不足していて、あちこちで渋滞が発生しています。
  → https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000071906.pdf

 それによって、時間のロス、経費のロス、燃料のロス、排ガスの増加、など、問題が多発しています。渋滞は都市の効率を下げるので、非常に大きな無駄をもたらします。

 だからこそ今でも、あちこちで新規の道路を建設して、都市改造をしているわけです。
 → https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/tokyo/pdf/iken_kohyo_0.pdf
 → https://bit.ly/37IV2BD

 いったん建物がたくさんできたあとで、建物を壊して、道を引き直す。
 戦後にやっておけば、こんなに苦労をしないで済んだものを、今になってさんざん苦労して、少しずつ都市改造をしているわけだ。
 しかし、いくらやってもやっても、渋滞はなかなか解消しそうにない。あと 200年以上はかかりそうだ。それまではずっと渋滞に苦しみ続ける。

 ※ テレワークが進めば、出勤は何とかなるかもね。それでもトラックなどの物流はかえって増えるかも。

Posted by 管理人 at 2021年02月24日 22:54
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ