――
羽生が(AI判定で)勝率 94%の優勢だったときに、投了して負けになった……という事例があった。当時、かなり話題になった。
→ 羽生九段「勝率94%」で投了のワケ 将棋AIの功罪
→ 史上最強の棋士・羽生善治九段、勝ちの局面で投了し豊島将之竜王に敗れる(松本博文)
上の記事が出たときには、棋譜が公開されていないこともあって、よくわからなかった。
しかしその後、朝日新聞の将棋欄で、棋譜と解説が掲載された。
→ 二転三転の末に 第79期将棋名人戦A級順位戦6回戦 第29局第6譜:朝日新聞
→ 非常に難解 第79期将棋名人戦A級順位戦6回戦 第29局第5譜:朝日新聞
これを読むと、おおよその事情がわかった。そこで、私なりに見解を示そう。
――
羽生九段本人は、こう語っている。(第6譜)
評価値では勝勢だった側が投了した点には「評価値と対局者の体感はかなり異なるのでそれがよく表れた一局だと思います」と答えた。
しかしこれは、両者の食い違いを説明しているだけであって、どうして本人が投了したかについては語っていない。
常識的に言えば、「詰みになるまで指す」べきであって、その前に「負けが決まったと本人が判断した時点で投了する」というふうにするべきではない。なのにどうして、羽生は詰みまで指さなかったのか?
ここが問題だ。
――
まず、おかしなことがある。
正解手順は、△8三飛 に対して、▲8三馬 △同桂 ▲7八金 とすることだった。ここで、▲8三馬 は素人でもすぐに思いつく簡単な手なのだから、とりあえずは、この手を指すべきだった。その後、豊島が △同桂 としたあとで、どうするか? ▲7八金 とする(そして勝ちになる)か、あるいは、他の手を指す(そして負けにする)か、どちらかにして、その時点で何らかの判断をすればいい。
ところが、そうしないで、△8三飛 を見た時点で投了してしまった。これは(錯誤によるものだが)あまりにも投了が早すぎる。
いったい、どうしてこうなったか?
――
私の見解は、こうだ。
最大の理由は、1分将棋が続いて、時間が足りなくなったことだ。そのせいで、正常な( or 最善の)判断力がなくなりつつあった。
そして投了の少し前で、後手を罠にかけようとした手を打った(そして大逆転を狙った)のだが、その罠を後手がうまく回避してしまった。
この時点で、羽生は「ああ、罠にはまってくれなかったのか」と思って、がっくりして、悲観的になってしまったのだろう。だから、以後は気力が失ったのだろう。
こうして(時間のない忙しさのなかで)気力がなくなったことが、投了するという大悪手(?)をもたらしたことになる。
本来ならば、自玉が詰みに至らない限り、最後の最後まで、粘るべきだった。なのに、羽生はそういう気力がなくなっていた。
――
これと比べて、対極的なのが、藤井二冠だ。
→ 逆転の藤井二冠、見せた胆力 三浦九段下し3度目優勝 第14回朝日杯将棋オープン戦:朝日新聞デジタル
対・渡辺名人戦でも、対・三浦九段戦でも、劣勢の状況から、粘りに粘って、逆転勝ちしている。「将棋ではどこでも間違いが起こるものだ」と考えて、あえて相手に間違いを起こさせやすい局面に導いて、相手が間違えるのを待つ。そういうことを何度もやっているうちに、どこかで相手は間違えるので、一挙に形勢が逆転する。
これは、羽生の「相手が間違えないと信頼して、投了する」というのとは、正反対の方針だ。「相手はどこかで間違えるだろう」と期待して、「なるべく間違えやすい複雑な局面に導く」というふうにするわけだ。
いかにも老獪(ろうかい)である。若くして老獪なんだから、たいしたものだ。
それに比べて、相手を信頼しているばかりの羽生は、あまりにも純情すぎる。まるで処女みたいに純情だ。(ハブだからウブなんだろうか。)
――
結局、羽生が投了したのは、勝負に対して恬淡(てんたん)としているからだろう。それというのも、老いて、執着心や気力がなくなったからだろう。若いころには、羽生睨みをして、執着心や気力がすごかったが、そういうものがなくなって、勝負に執着しなくなったからだろう。
そのことは、勝負にこだわって、がむしゃらに勝ちを奪おうとする藤井二冠と比べると、違いがはっきりとする。そこには若さとエネルギーがある。そして、羽生はそれをなくした。
ここに、物事の本質があると言えそうだ。
[ 付記 ]
羽生が負けた(投了した)のは、時間戦略にミスがあったとも言える。こんなにミスをするのは、1分将棋になったからだ。だから、そうならないように、時間を残しておくべきだった。
実は、その少し前に、14分もの長考をしている。時間が残り少ないのだから、こんなに長考をするべきではなかった。あとのために時間を残しておくべきだった。
一般に、長考をしても、指す手はたいていが悪手である。だから、時間が切迫しているときには、長くても5分程度に留めておくべきだ。できれば、消費時間1分となるようにするべきだ。(実際、最後近くではそういうことが多かった。)
ともあれ、14分もの長考がなければ(その手を3分で済ませておけば)、残りが 11分あった。とすれば、最後に「勘違いの投了」をする前に、ちょっとは考えて、「とりあえずは ▲8三馬 と指しておこう」と考えるだけの余裕があっただろう。
本文中では、こう述べた。
「最大の理由は、1分将棋が続いて、時間が足りなくなったことだ。そのせいで、正常な( or 最善の)判断力がなくなりつつあった」
やはり、こういう時間の切迫が、失敗に至る最大の理由となっただろう。
( ※ 年を取ったんだから、時間を余らせる戦略を取るべきだった。若いころみたいに、超高速思考はできないのだから。)
羽生さんと藤井さんの話題は、特に楽しい。
>相手が間違えるのを待つ
藤井さんは、大山さんを超えるだろう。
このことがよくわかりました。
私も年老いましたが、まだ乗り越えねばならない壁がいくつかあります。
総合的に考えて最善を尽くしたいと思います。
貴重なブログです。
体力の削られ方の質が異なるように思いますから。
それでも、50歳にして未だ順位戦A級・竜王戦1組に在籍し、タイトルホルダー4強と頻繁に指せる地位に留まっているのは凄いことだと思います。