2021年01月21日

◆ 零戦がボロ負けしたわけ

 零戦は、優秀な戦闘機だったと見なされることが多いが、実際にはボロ負けしていた。どうしてそうなった? (コロナ対策の教訓となる。)

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 零戦は、優秀な戦闘機だったと見なされることが多いが、それは神話である。たしかに戦争初期の1年間に限っては圧倒的に優勢だったが、それは1年間しか続かなかった。以後は劣勢になり、戦争末期のころには圧倒的に弱くてボロ負けしていた。キルレシオは 19:1 である。零戦 19機で敵1機に相当する、というほどにも弱かった。
 では、どうしてそうなった? その敗因を探る。

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 戦争初期はともかく、最後のころには零戦は惨敗続きだった。下記の通り。
 米軍の公式記録によれば、太平洋戦争における F6F と日本軍機(零戦並びにその後継機中心)のキルレシオは 19:1 とされており、圧倒的な戦績を残している。
 海軍部隊が空中戦で撃墜した6,477機の敵機のうち、4,947機は F6F によって撃墜されたものである。
( → F6F (航空機) - Wikipedia

 零戦(を含む日本の戦闘機)を最も撃墜したのは F6F だった。
 




 F6F は、どこが優れていたか? 下記の通りだ。
 多種多様な大戦機を乗りこなすアメリカ人現役パイロットに、「第二次大戦で最も優れた戦闘機は?」と質問すると、しばしば意外な答えが返ってくる。「もちろんグラマン F6F ヘルキャットだ!」と。
 その真意は、単なる紙上のスペックよりも、頑丈で信頼が置ける機体構造、新米パイロットでも乗りこなせる即戦力の方が、実戦ではずっと重要なのだそうだ。事実その活躍は目覚ましく、米海軍が太平洋戦争中に空中戦で撃墜した日本軍機の実に80%近くは、F6Fヘルキャットが挙げた戦果であった。
( → 【いまも飛ぶ大戦機】第二次大戦で最も優れた戦闘機は? 米海軍の「偉大なる凡作」VS「遅れて来た秀作」 - 産経

 その設計思想は、先代の F4F から来たものだった。
 F6Fは一般的に零戦に対抗するために急遽開発された機体であるように紹介される事があるが、……実際は F4Fの発展強化型のような存在である。
( → F6F (航空機) - Wikipedia

 では、F4F とはどんなものだったか? こうだ。
 運動性能を重視した日本軍機に比べ格闘性能は劣っていたが、設計段階から強度を重視した機体であるため急降下性能は零戦よりも優れていた。
 零戦最大の弱点は「高速飛行時の運動性の低下」及び「急降下性能の低さ」であり、これを見抜いたアメリカ軍は「三つのネバー(Never)」と呼ばれる勧告を、零戦との空戦が予想される全てのパイロットに対して行った。F4Fの急降下性能は零戦より優れていたことから、防御力と合わせて背後を取られても即撃墜の可能性は低いため、落ち着いて急降下に移ることが可能であった。
( → F4F (航空機) - Wikipedia

 どうして急降下性能は、零戦は弱くて、F4F、F6F は強かったか? それは、機体構造の強さに由来する。
 レシプロ機の場合は高空からの急降下により最高速度以上に加速することが可能であったが、ジェット戦闘機の場合は機体の強度限界を超えたり、エアインテークからの空気流入に悪影響をもたらしたりするため、最高速度以上の加速は不可能である(そもそも水平飛行での最高速度すら、エンジン推力でなく機体の耐用限界で設定されている)。
( → 一撃離脱戦法 - Wikipedia

 F4F、F6F は機体構造の強さのおかげで、最高速度以上の急降下にも耐えられた。零戦は機体構造の弱さのせいで、最高速度以上の急降下には耐えられなかった。(操縦不可能になった。下手をすると空中分解しかねなかった。)
 この違いゆえに、「零戦を見たら急降下して逃げろ」という方針を取った F4F、F6F を攻撃できなかった。それどころか、零戦の真上から急降下してくる米軍機(P-38、F4U、P-47)の餌食になった。
 
 格闘戦では、F4F の初期型はともかく、 F4F の改修型以後は、零戦に対して優位に立った。その理由は防御性能(防弾性能)だ。下記の通り。
 F4Fは当初から強固な構造の機体に自動防漏機能を備えた燃料タンクを搭載するなど防御力を重視した設計であったが、配備後にもパイロットの意見を取り入れ、改修で防弾ガラスや操縦席後部の防弾鋼板を追加したことにより「グラマン鉄工所(Grumman Iron Work)」を体現する機体となった。
 改修後のF4Fに対しては零戦の7.7mm機銃では効果が薄く、弾数の少ない20mm機銃が必要となったが、20mm機銃の命中率を上げるには高い技量を要する近接射撃によるため、F4Fを撃墜するには一定の技量が必要とされた。坂井はサザーランド機へ確実に命中させるため限界まで接近した際、オーバーシュートしているなど、ミスを誘発する原因ともなった。
( → F4F (航空機) - Wikipedia

 F4F は被弾しても撃墜されない戦闘機となった。
 一方、零戦は被弾すればあっさり撃墜される戦闘機だった。そこで失ったものは、戦闘機だけではない。優秀なパイロットという最重要なものを失った。これが致命的な損失となった。
 すなわち、防御性能が低いということは、まぐれの一発が命中するだけでもベテラン搭乗員が命を失うという、何にも代えがたい技量豊富なパイロットを失うという現実。
 また、どれほど運動能力に優れていても、ゼロ戦は急降下が出来ない脆弱さを持っていることが判明してしまえば、ゼロ戦に遭遇すれば急降下で逃げてしまえばいいだけであり、次第にゼロ戦は全く戦果を上げることができなくなりました。
 それどころかパワーに勝る米軍戦闘機に格闘戦すら相手にしてもらえない「一撃離脱」戦法の導入により、開戦から1年後には、全く戦果を挙げられない状況に追い込まれ、やがて旧式化し米軍の「スコア稼ぎ」の的になっていきます。
 一方で、米軍の戦闘機開発思想は当時、どのようになっていたのでしょうか。
 当時、日本の兵器開発思想に対して、アメリカ軍が最も大事にしたものは、パイロットの命でした。
 それは決して安っぽいヒューマニズムや人情などという非合理的な思想の結果ではなく、国家同士の全面戦争において、兵器は簡単に得られるが熟練パイロットは一朝一夕には得られないという結論に達していた米軍にとって極めて合理的な帰結であり、敵の攻撃の1回や2回で熟練パイロットが死ぬのは割にあわないと考えたことに因るものです。
( → ゼロ戦はなぜ世界最強と呼ばれたのか | ミリタリーショップ レプマート

 戦争初期には日本にも優秀なパイロットが多かったが、次々とパイロットを失った結果、途中からは未熟なパイロットばかりとなった。一方、米軍のパイロットは、優秀なパイロットが維持された。
 さらにF6Fの高い戦果は、先に戦っていた海軍と海兵飛行隊、陸軍の第5、第13空軍が執拗な消耗戦において、日本軍航空勢力の戦力を著しく消耗させたことに影響されている。実際に1944年2月にラバウルから戦闘機が撤退した後、パイロットの平均技量は米軍側が優位となり、6月のマリアナ海戦まで南太平洋の日本の航空勢力は累積された損害を回復できず、日本側指揮官にとって技量と戦力双方の不足が問題となった。
( → F4U (航空機) - Wikipedia

 日本のパイロット人員をこれほどにも削ったのは、F6F 以上に、F4U コルセアだった。
 1943年末のラバウル航空戦期間中にラバウル航空隊に最も多くの空中戦被害を与えた機種は、P-38やF6Fではなく、F4Uだったことが判明した。
 以後弱体化された日本の航空戦力に対し、本格的に空母機動部隊に所属するF6Fが大活躍した。
( → F4U (航空機) - Wikipedia





 F4U コルセア こそ、第二次大戦における最優秀の戦闘機だったと言える。下記の通り。
 「一般的に F4U は F6F と比較して、より良い戦闘機・より良い爆撃機であり、同等の空母運用能力を持つということが理事会の見解であり、艦載戦闘機と艦上爆撃機をF4Uに切り替えることが強く推奨される」という結論が下され、本格的に艦載機としての能力を証明することになった。
 1944年10月、メリーランド州のNASペトクセントで、米国と英国と捕獲された日本の戦闘機による合同戦闘機競技があり、ここでもF4U-1Dは、高い評価を受けた。最高の艦載機であり、最高の戦闘爆撃機として選ばれており、高い機動性と優秀な性能で多くの支持を受けた。参加した英国のパイロットもF4Uの優れた高速機動性と戦闘能力を高く評価した。最終的にF4U-1Dは、この比較のプログラムで量産機の中では総合性能が最も優れていることを考慮された。
( → F4U (航空機) - Wikipedia

 F4U コルセアは、防御性能も高かった。下記の通り。
 1945年の本土攻撃で、日本の新型機などの高火力にさらされることが多かったF4Uは、高い耐弾性と生存率を示した。F4Uは紫電の攻撃により搭載弾薬が爆発して主翼の三割が吹き飛んだり、40mm砲によって主翼中央区画がほぼ喪失した状態でも、生還した事例があった。VMF-124のエースだったケネス・A・ウォルシュは、「私たちの低い損失率は、F4Uのその速度と丈夫さに起因する。」と述べた。
( → F4U (航空機) - Wikipedia

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 以上をまとめて考えると、次のように結論できる。
 零戦は防弾性能を犠牲にして、高い操縦性を得たから、格闘戦では優位に立った。その設計思想が優れていた……というふうに見なされることが多い。だが、その解釈が成立したのは最初の1年間だけだった。以後は零戦は劣勢になり、最後はボロ負けするようになった。
 そうなった理由は、戦い方の変化だ。格闘戦にこだわった零戦は、格闘戦を避けられるという相手の戦術変更で優位性を無効化された。
 また、防御性能の高い米軍機はパイロットを失わなかったが、防御性能の低い零戦はパイロットを失った、ということもある。パイロットを守るという設計思想の有無が、最終的には勝敗を分けた。
 日本軍の発想は、兵士の価値を軽んじた。人を使い捨てにしようとした。「人が死んでも、いくらでも補充が利くさ」と考えた。しかし、熟練したパイロットというものは、そう簡単には補充が利かないのである。人の価値を軽んじた日本軍は、戦力そのものを そがれることになった。
 ここでは、「(人員という)兵站を軽んじる」という日本軍の体質が、如実に出ていると言える。「人は石垣、人は城、人は堀」という武田信玄の格言とは逆に、兵器ばかりに目を奪われて、人の価値をまったくないがしろにした。そこにこそ日本の敗北の理由があったと言える。

 そして、それと同様のことは、現在の日本の、コロナとの戦いでも起こっている。最も大事なのは、コロナとの戦場で働く戦士たち、つまり、医療人員である。なのに、その医療人員の充実については、まったく手を打とうとしない。(前々項で述べたとおり。医師も看護師も不足のままだ。)

 戦いにおいて人の重要性を理解できていないという点で、昔の日本軍も、現在の政府も、敗北に至る理由は同じなのである。



 [ 余談 ]
 戦闘機や爆撃機の防御性能を高めるという件では、「どこを補強するべきか? 多く被弾したところを補強するべきか?」という問題を扱った、次の逸話が有名だ。
 海軍分析センターの研究者は、任務から戻った航空機が受けた損傷の研究を行い、最も損傷が多かった部位に装甲を施すよう推奨した。
 ウォールドはこれに対し、分析センターによる研究は任務から「生還した」航空機しか考慮していない、撃墜された爆撃機が損害評価に入っていないと述べた。ウォールドは海軍に対し、帰還した航空機が損傷を受けていない部位を補強することを提案した。というのは、帰還した航空機に空いた穴は、爆撃機が損傷を受けても安全に帰還できる場所を表しているからである。
( → 生存者バイアス - Wikipedia

 もっと詳しい文献を知りたければ、下記ページがある。(英文)
  → AMS :: Feature Column :: The Legend of Abraham Wald
 一部抜粋して、機械翻訳を付す。
 The problem of armoring planes is assigned to Wald. Along with the assignment, he is given a fair amount of statistical data regarding aircraft damage, for example the location of damage from hits by enemy aircraft. It happens that most of the damage is located on the fuselage and very little in the area around motors, and the military is expecting to add armor to the fuselage, where the density of hits is highest. "Not so fast," said Wald. "What you should really do is add armor around the motors! What you are forgetting is that the aircraft that are most damaged don't return. You don't see them. Hits by German shells are presumably distributed somewhat randomly. The number of damaged motors you are seeing is far less than randomness would produce, and that indicates that it is the motors that are the weak point." The advice is taken, and in fact Wald's techniques for interpreting aircraft damage statistics continue through two later conflicts.

 飛行機の装甲の問題はウォルトに課せられた。任務と一緒に、彼は敵機のヒットによる損傷の位置など、航空機の損傷に関するかなりの量の統計データを与えられる。損傷の多くは胴体部にあり、モーター周辺にはほとんどないことから、軍は命中率が最も高い胴体部に装甲を追加することを期待している。"そうはいかない "とウォルト氏は言う。"本当にすべきことは、モーター周りの装甲を追加することです。あなたたちが忘れているのは、最もダメージを受けた機体は戻ってこないということです。あなたは彼らを見ていないのです。ドイツ軍の砲弾の命中率は、おそらくある程度ランダムに分布している。あなたが見ている破損したモーターの数は、ランダム性が生成するよりもはるかに少なく、それが弱点であるモーターであることを示しています" アドバイスが取られ、実際には航空機の損傷統計を解釈するためのウォルトのテクニックは、後の2つの紛争を介して継続しています。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。




 [ 補足 ]
 P-51 ムスタングという戦闘機も有名だ。「第二次大戦中で最も優秀な戦闘機」と評価されることもある。
 第二次世界大戦では同世代機を圧倒する速力に加え、充分な運動性と積載量を有しつつ戦闘機としては長い航続距離や安定した高高度性能により、爆撃機の護衛や対地攻撃で活躍した。アメリカ海軍が採用したF8Fベアキャット戦闘機と並び、最強のレシプロ戦闘機・第二次大戦中の最優秀戦闘機と評される。
( → P-51 (航空機) - Wikipedia

 しかしながら日本では、格闘戦では零戦に優位を保てないので、一撃離脱戦法に徹した。数字上でも、F6F ほどの戦果を上げたわけではない。
 高速度における性能を重視した翼型のため失速特性が悪く、低速度域での格闘戦においては不利となる。ドイツ軍からは低速ではスピットファイアと比べ劣ると指摘され、運動性能を重視した日本軍機との空戦では格闘戦に持ち込まれ撃墜される事例が多く報告されている。このためパイロットは格闘戦に巻き込まれないように速力を活かした一撃離脱戦法やサッチウィーブなどの連携戦術を主軸とするようになり、……
( → 一撃離脱戦法

 サッチウィーブの項目には、次の記述も見出される。
 サッチウィーブとともに一撃離脱戦法が採用された。急降下に弱く、防御装甲が乏しいという零戦の弱点を突いた攻撃方法になった。
 この組み合わせにより、F4F ワイルドキャットと零戦とのキルレシオは改善された。米軍の公式記録によれば、太平洋戦争での零戦とF4Fのキルレシオは開戦当初からミッドウェー海戦までで1:1.7、サッチウィーブと一撃離脱戦法導入後の実績を加えた1942年の年間キルレシオで1:5.9、太平洋戦争全体を通じたキルレシオは1:6.9である。
( → サッチウィーブ - Wikipedia

 また、メッサーシュミット Bf109 に比べても、優位だったわけではない。
 P-51などに対してより優位を占めることができたと言われている。
( → メッサーシュミット Bf109 - Wikipedia

 では何が優れていたかというと、コストだったらしい。
 マスタングが投入された時点で航続距離、高高度性能、加速性、運動性、火力のいずれにおいても同等もしくは上回る機体は存在していた。……しかしマスタングはこれらを一定水準で満たしながらより低コストであり、なおかつアメリカ軍が必要とした時期に登場したことが『最優秀』と云われる所以である。
( → P-51 (航空機) - Wikipedia

 くだらない理由で「最優秀」とみなされているらしい。「最強」というより「お買い得」ということだったようだ。

 ついでだが、日本軍にも「疾風」という優秀な戦闘機があったが、ガソリンが劣悪だったり、電装に難があったりで、当時の日本の国力低下の影響が出ていて、うまく性能を発揮できなかったようだ。
  → 四式戦闘機 - Wikipedia
 
 ――

 《 加筆 》
 日本の戦闘機との比較で言うと、五式戦という機種が P-51 とほぼ対等だったらしい。五式戦は F6F や F4U に対しては互角以上だったらしい。
  → 五式戦闘機 - Wikipedia
 日本の戦闘機との戦いでは、P-51 が最も優秀だったようだ。特に、高度の高い領域での高速性能では圧倒的であり、高空から爆撃する B-29 を守る役割では最強だった。この意味では P-51 と B-29 の組み合わせが、日本を壊滅させたと言える。日本軍は手も足も出せない状況だったようだ。
 こういう状況をもたらしたのは、過給器だ。P-51 にはスーパーチャージャー、 B-29 にはターボチャージャーが装着されて、高空の運用を可能とした。日本軍がターボチャージャーを装着したのは、キ87 という試験機だけであり、その試験飛行をした時点で、敗戦を迎えた。

posted by 管理人 at 21:18| Comment(11) |  感染症・コロナ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
細かい話ですみません。

管理人様の言う空中戦とは、
ドッグファイト、その中でも特に巴戦のことですね。

一撃離脱も空中戦の一種なので。

話の内容には、ただ同意するばかりです。
第二次世界大戦の米軍については、物量が強調されるきらいがありますが、
ソフト面もすごいんですよね。
特に失敗や敗北を教訓に、ソフト面、ハード面を改良する点が、
他国比べ際立っていると思います。
Posted by サク at 2021年01月21日 22:30
 ご指摘ありがとうございます。用語を「格闘戦」に書き改めました。
Posted by 管理人 at 2021年01月21日 23:45
 最後に [ 補足 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2021年01月22日 00:10
お寺の鐘や飯つくる鍋まで拠出しろって言うんだから
物量戦で負けてるわな
設計できてもつくれないもんな
それより
医者も霞が関(厚労省)も国会議員より高学歴で優秀なのに
何の提言もしないのは何故なんだ
Posted by 老人 at 2021年01月22日 09:25
単機の性能もそうですが、運用もなってなかったと言えるでしょう。
たとえば零戦にも無線機は一応搭載されていたようですが、あまりに使えないので、撤去したパイロットもいたという話もあるようです。

この辺りは電探(レーダー)についても同じですね。
Posted by とーりすがり at 2021年01月23日 11:11
■ゼロ戦の優位は、最初の1年間。これは昔から言われています。
なぜなら、エンジン出力が1000馬力級ですから。
初期の試作機は瑞星13型エンジンで780馬力。
初期型機は栄12型エンジンで940馬力しかありません。

機体の剛性不足は、出力不足を補うための軽量化の結果なので、これを欠点と言うわけにはいきません。
また軽量化優先で量産性が犠牲になっています。
結論としては、エンジン出力1000馬力級では最強の傑作戦闘機です。

■F6Fが圧倒的だったのは当然で、
エンジン出力が段違い。2000馬力級ですから。

結局、エンジン技術、標準化、加工精度という工業力の差が決定的でした。
Posted by 塚本水樹 at 2021年01月25日 22:44
 操縦席の後ろに防弾板ぐらいは付けられたはずです。その重量増で操縦性がいくらか悪化したとしても、パイロットの命を守ることの方が優先されたはず。
 そうできなかったのは、設計思想そのものが間違っていたから。

 F6Fは、後期型なので、初期には存在しません。初期は F4F で、これは 1200馬力です。重量を考えると、十分な出力とは言えない。
Posted by 管理人 at 2021年01月26日 00:08
操縦性の問題ではなく、仕様書の時速500キロと長大な航続距離をクリアするために行ったのが軽量化だった。

「防弾板ぐらい」ではないです。
構造材の肉抜きという、丸い穴を無数に空けたり、足までギリギリの強度まで軽くしたりしています。
ですから、急降下で空中分解しないための速度制限があったり、着陸時に足が折れる事故が多発しています。
そんな中で、設計の仕様書に無い防弾板がつくわけがありません。燃料タンクも軽量化のために防弾機能がありません。

「パイロットの命を守る」
これが軽視されたのは事実ですが、設計の問題ではなく、海軍の体質の問題です。

あるエースパイロットが戦後語っていますが、
パイロットを輸送船で前線に移動させていたことを例にしてパイロットの命を軽視する海軍首脳を批判しています。
これでは、もしも輸送船が撃沈されれば大量のパイロットが亡くなり、海軍の主力が一瞬で消滅する。
パイロットの命を軽視するバカなことをやっていたのが、日本海軍なのです。

ゼロ戦は、終戦まで、改良型がつくられ、使われ続きました。本来なら、とっくに後継機に切り替わるものが、「戦訓」という現場からの改良要求に忙殺され、後継機の設計が遅れるという本末転倒が起きていたのが海軍です。


Posted by 塚本水樹 at 2021年01月29日 03:26
日本という国が世界一日本人の人命を軽視している国。
権力者が問題有るからこういう事が起こる。
日本って為政者がとにかく酷い粗悪。
そろそろ日本人も本当の聖域無き改革の為、菊タブーへ対しても重い腰を上げ、しっかり切り込むべき時。
宮内庁が回される税金が無ければどれだけコロナで苦しむ人を救える事か。
Posted by 通りすがり at 2021年02月01日 15:15
紫電改はどうだったんでしょうね?
Posted by 名無し at 2021年02月13日 18:26
 紫電改や疾風は、グラマンやコルセアやムスタングを相手に、結構頑張っていた。Wikipedia を見ればわかる。だけどこのころはもはや終戦間近であり、量的には大差で少なかったし、熟練パイロットもいなくなっていた。
 将棋で言えば、勝負が決まったあとの「形作り」の段階。

 ――

 参考記事。
 https://japan-indepth.jp/?p=49163
Posted by 管理人 at 2021年02月13日 19:31
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