2021年01月18日

◆ 選択的夫婦別姓を諦めよ

 選択的夫婦別姓を願っても、それが実現する日は来ない。もはや諦めた方がいい。かわりに別のものを求める方がいい。

 ――

 選択的夫婦別姓については、「やがては実現するだろう」と思う人が多いようだ。私もそう思っていた。だが、考えを改めるに至った。理由は、次の記事だ。
  → 夫婦の姓、どう考えますか? 寄せられた声は過去最多:朝日新聞

 選択的夫婦別姓について、読者の賛否の意見を募っている。世論調査では、賛成論の方が上回るようになったが、この記事のアンケートでは、反対論(現状維持論)の意見の方が多いそうだ。
 ただし、その内容は注目に値する。なぜなら、議論がまったく噛み合っていないからだ。ここでは、「議論を通じて、最終的な合意に達する」ということは、とうていありえそうにない。なぜなら、議論が成立していないからだ。
 それは、どういうことか? 

 ――

 そもそも、理屈で言うなら、選択的夫婦別姓は、認めるしかない。なぜなら、これは「全員が別姓」ではなく、「選んだ人だけが別姓」であるからだ。反対論者は、自分が同姓にすればいいだけであって、他人が別姓にするのを拒否する理屈にならない。
 だから、理屈で言うなら、選択的夫婦別姓は、認めるしかない。なのに、反対論者は、これを認めない。これを認めないというのは、「個人の自由」や「人権」を否定する、ということだ。ほとんど滅茶苦茶である。そして、それがわかっているからこそ、反対論者は理屈では否定しないのだ。

 実を言うと反対論者は、「個人の自由」や「人権」を否定したがっているのである。「馬鹿な」と思われそうだが、本当だ。そして、かわりに何を求めているかというと、「現状維持」「制度維持」「体制維持」などを求めている。これはつまり、「保守的である」ということだ。
 そして、こういう保守性こそが、人々をして「あくまで自民党支持」という方向に向かわせる。
 そのことがはっきりとしたのは、16日の世論調査だ。
  → 菅内閣支持33%、不支持57% 緊急事態遅すぎる71% 毎日新聞世論調査 - 毎日新聞

 菅政権の新型コロナ対策については、以前から「支持しない」「評価しない」という否定的意見が圧倒的に多かったが、それでも、政権の支持・不支持では、ほぼ拮抗していた。
 ところが、16日の調査では初めて、不支持が支持を大幅に上回った。これほどの大差が付いたのは初めてだ。

 逆に言えば、こうだ。
 「人々は、コロナ対策で大失敗している(無為無策であるどころか GoTo では有害なことをしていた)という菅政権の方針を否定したのだが、それでもなお、政権を支持する人が多かった。そして、その失敗が自分の命を失いかねないという段階になって、ようやく支持から不支持に転じた」
 これを要約すれば、こうだ。
 「人々は、自分が殺されそうになっても、まだ菅政権を支持していた。そして、いよいよ自分が殺される直前になって、ようやく支持することを諦めた」

 これほどにも人々は政権にしがみついていたのだ。どうしようもないほど狂気的である。殺されかけてもまだ支持するのだから。そして、その理由は、「自民党が好きだから」というわけではなく、単に「現状の体制を変えることが怖いから」(不安だから)なのである。

 ――

 人々はこれほどにも変革を怖がる。とすれば、「夫婦別姓」というような問題では、なおさらだ。何十年も続いた制度を変えることは、社会体制の変革だと感じられるから、怖くて怖くて、踏み切れないのだ。
 そのことは、朝日の記事に出た「選択的夫婦別姓への反対論」を見ればわかる。人々は夫婦別姓そのものを否定しているのではない。社会的・文化的な変動を恐れているのである。それこそが「保守性」というものだ。

 そして、こういうことがあるからには、「選択的夫婦別姓」というものが実現する日は来ない、と思った方がいい。それが実現するとしたら、自民党政権がなくなった日だが、野党支持率を見る限りは、自民党政権がなくなる日は来そうにない。
 人々が野党を支持しないのも、また同じ。人々は単に「政権が変わるのが怖い」のである。「政権が変わること」は「社会や体制が変わること」だから、それを恐れているのだ。だから野党を支持しない。これはもはや、理屈ではなく、生理的な感情なのである。
 ともあれ、こういう理由ゆえに、現在も将来も、「夫婦別姓」が許容される日は来ないだろう。

 ――

 そこで読者は言うだろう。「だったら、困ったときの Openブログで、うまい案を出せ」と。
 はい。わかりました。うまい方法を出します。以下の通り。

 そもそも、問題を解決するために、双方の意見でなく要望を対比する。
  ・ 自分については、夫婦別姓を認めてほしい。例外を認めてくれ。
  ・ 社会的には、夫婦は同姓である必要がある。例外は認められない。

 この二つは、通常、相反すると見られる。だから、双方をともに成立させることはできないと思える。
 しかし、違う。うまく論理を穴を見つければ、双方をともに成立させることができるのだ。次のように。
  ・ 社会的には、戸籍制度の下で、夫婦は同姓に限る。
  ・ 日常的には、運用面で、夫婦は別姓にできる。


 このような方針を取るものの一例として、次のものがある。
 「通称制度。正式の姓(戸籍の姓)は、夫婦で同一の姓を使う。しかし日常的には、旧姓を使って代用する」

 しかし、これは法律と日常との乖離が生じるので、好ましくない。厳格な法的運用を求められる場面では、正式名称ではない通称を許容することはありえないだろう。(たとえば運転免許)

 しかし、それとはまったく別の方式もある。前にも述べたが、次の方式だ。
 例 山田太郎 + 鈴木花子 → 山田鈴木花子
  山田太郎さんと結婚した鈴木花子さんは、山田花子にするかわりに、山田鈴木花子になる。ここで、姓は「山田」であり、名前は「鈴木花子」である。名前が「花子」から「鈴木花子」に改名される。同時に、姓は「鈴木」から「山田」に改姓される。日常生活や法的には、「鈴木花子」で通る。
 公的書類の新規申請は「山田鈴木花子」であるが、民間の既存の契約書類などは、結婚前のまま(鈴木花子)でいいものとする。
( → 同性婚と憲法: Open ブログ

 ここでは「副姓」というミドルネームみたいなものが導入されて、そこに旧姓を当てる。こうして、従来通り、「鈴木花子」を名乗れる。(だから、キャリアウーマンたちは日常的に、何ら不便がない。)また、法的にもその名称は合法的は法的名称であるから、これの利用を否定することはできない。
 その一方で、法的には、新しい「山田」という姓に統一されるので、戸籍的には「体制変革」にはならない。つまり、従来の家制度は変革を受けないので、社会的・文化的な変革は起こらない。(だから、保守的な人々の不安を解消できる。)

 というわけで、
  ・ 旧姓を使いたい
  ・ 同一の姓にして家制度を墨守したい

 という双方の要望を、同時に実現できる。これぞ、うまい案というものだ。



 [ 補足 ]
 本項の方式は、「副姓」という方式の一種である。だが、「副姓」が法的には「姓でなく名の一部」として扱われる、という点で、昔からある「副姓」(ミドルネーム)とは、ちょっと違う。
 また、「通称の併記」という方式とも違う。詳しくは下記。
  → 夫婦別姓の2案: Open ブログ の [ 付記 ]
 


 【 関連項目 】
 「社会的・文化的な変動を恐れている」という保守性については、前項でも詳しく述べている。そちらを参照。
  → 若者の保守化: Open ブログ
posted by 管理人 at 22:00 | Comment(9) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 反対論者は、自分が別姓にすればいいだけであって、他人が別姓にするのを拒否する理屈にならない。

⇒ ここの最後のくだり、「反対論者は、自分が <同性> にすればいいだけであって、他人が別姓にするのを拒否する理屈にならない」でよろしいでしょうか?
Posted by かわっこだっこ at 2021年01月18日 22:26
 ご指摘ありがとうございました。「同姓」に修正しました。
Posted by 管理人 at 2021年01月18日 23:26
良い意見だと思います。
しかし理屈で言うなら、選択的夫婦別姓は、認めるしかない。というのは法律では認められていないのだからダメと言う反対派は滅茶苦茶とは思いませんが。
Posted by ゆうじ at 2021年01月19日 09:05
> 法律では認められていないのだからダメと言う反対派は滅茶苦茶

 そんなことは言っていません。該当箇所をきちんと読みましょう。
 そもそも「違法行為を認めよ」という犯罪推奨など、誰も言っていません。
Posted by 管理人 at 2021年01月19日 10:09
古代においては「氏(うじ)」は男系の血族であり、結婚しても氏は代わらなかった。北条氏の娘である北条政子が源頼朝の正室になっても「源政子」と名乗らなかったのがその例。つまり、古代においては「夫婦同姓」でもなく「選択的夫婦別姓」でもなく、「夫婦別氏(姓)」だったということ。明治時代になっても、当初は「夫婦別氏(姓)」であり、「夫婦同氏(姓)」は1898年の旧民法から始まったことに過ぎず、日本古来の伝統でも何でもない。

「選択的夫婦別姓」を主張するのは「男女は平等」「女性だけが姓を変えるのは不平等」という考えであると思われる。管理人さんのおっしゃる「山田 鈴木花子」方式では結局は身分証明書(運転免許証、パスポート、健康保険被保険者証、住民基本台帳カード、マイナンバーカードなどは作り直しになるだろうから、「選択的夫婦別姓」派には受け入れられないのでは?
Posted by のび at 2021年01月19日 10:37
 作り直しが絶対に必要なのは、戸籍に結びついたマイナンバーカードだけです。あとは戸籍に結びつく必要はないので、従来のものをそのまま使っても問題ない。

 たとえば、運転免許証。結婚したあとで即時に書き換えをしなかったら無免許運転で逮捕される、ということはない。健康保険被保険者証も同様で、不法使用で逮捕される、というとはない。いずれも合法なので、その合法期間を無限延長すればいいだけの話。
 法の運用方針しだいで、どうにでもなります。

 なお、マイナンバーカードを含めて、作り直しの手間は必要ないのが原則。単に結婚届を出すだけで、戸籍変更やマイナンバーカード・運転免許証・健康保険証などは、自動的に新しいものが交付されるのが原則。
 書き換えをしない場合、責任は、個人にはなく、政府にある。

 ※ マイナンバーカードは、作り直しが絶対に必要だが、作り直しの「手間」は必要ない。手間は、国にあるだけで、個人にはない。本人は、受け取りの義務があるだけだ。
 ※ カード類の受け取りは、全部まとめて1回で済ませればいい。本人認証も、まとめて1回で済ませればいい。郵便局などでできる。

 p.s.
 現状がそうだという話ではなく、本来はそうあるべきだという話です。
Posted by 管理人 at 2021年01月19日 11:24
今回、最高裁は、大法廷に回付しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c65048aae4377c9160deb1b3c5b5c1f22244bdd

おそらく前回(2015年)よりも踏み込んだ判断がされるでしょう。


自民党を支持する人たち、とくにネトウヨと言われる人たちには次の言葉を差し上げたい。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
Posted by とーりすがり at 2021年01月19日 20:58
反対派で唯一それらしい理由は子どもの姓ですね。
副姓の場合は子どもは山田姓になるんですかね。
長男は山田姓、長女は鈴木姓は無理なんですかね。
Posted by じん at 2021年01月20日 03:45
 家族内ですべて同姓になるからこそ、同姓論者の合意を得られます。別々が可能だと、同姓論者がつぶしてしまいます。選択制別姓論者は、その点で、同姓論者の逆鱗に触れて、つぶされてしまった。
Posted by 管理人 at 2021年01月20日 08:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ