2021年01月17日

◆ ノモンハンとコロナ

 ノモンハン事件の敗北を見ると、コロナとの戦いに敗北しつつある日本との相似に気づく。

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 話のきっかけは、作家の作家半藤一利さんが逝去されたことだ。ここで、その追悼記事が朝日・天声人語に掲載された。
 負け知らずだった日本陸軍が完膚無きまでに敗れた。それが 1939年、ソ連軍と相まみえたノモンハン事件である。悲劇は、作家半藤一利(かずとし)さんの手により『ノモンハンの夏』の中に凝縮されている。初めて読んだとき、心臓が震える気がした。
 日本軍の火炎瓶などの手段ではどうにもならない最新鋭の戦車。圧倒的な戦力の差。敵を研究せず、勇ましいことばかり言っていた高級軍人たちを半藤さんは追及する。「ただただ敵を甘くみて、攻撃一辺倒の計画を推進し戦火を拡大したのは、いったいだれなのか」
 無計画。自己過信。優柔不断。それらは反省されることなく太平洋戦争に引き継がれた。戦前戦中の歴史を徹底的に調べて、わかりやすく書く。
( → (天声人語)半藤一利さんを悼む:朝日新聞


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 この記事を読んで、コロナと戦う菅首相を思い出した。
 1か月後には必ず事態を改善させる。そのためにも私自身、内閣総理大臣として、感染拡大を防止するために全力を尽くし、ありとあらゆる方策を講じてまいります。
( → 1都3県へ緊急事態宣言発出 菅内閣総理大臣記者会見(全文) | 記者会見 | ニュース | 自由民主党

 口先だけでは大風呂敷を広げているが、「ありとあらゆる方策を講じてまいります」と言う割には、何もしないに等しい。
  ・ マスク義務化
  ・ 会食禁止
  ・ 病床数の拡充 (ホテルの転用)
  ・ 医療補助金の拡充 (医療従事者への補助金)

 これらを何一つやっていないに等しい。最後の項目(補助金)だけは、不十分ながらも金を出しているのだが、その規模がまったく不足しているので、看護師不足はいつまでたっても解決しない。単に「金を出す」ということすら、まともにできていない。最低限のこともできていない、というありさまだ。
 無能の極みと言える。そして、指揮官がこれほどにも無能だった例として、私は前に二つの歴史的事件を挙げた。
  ・ インパール
  ・ 八甲田山
( → サイト内検索
 それに加えて、新たにもう一つ、追加できる。それが、ノモンハンだ。

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 ノモンハンについては、私もよく知っているわけではないので、ネットで調べてみた。
 Wikipedia にも記事がある。
  → ノモンハン事件 - Wikipedia

 だが、この記事は長すぎるし、話が細かすぎるので、ざっと眺めても、要点がわからない。もっと簡単に確信をつかめないか? 
 そこで思い出したことがある。実は、4カ月ほど前に、重要な記事が朝日新聞に掲載されたのだ。それを探し出したので、下に一部を転載する。
 第2次世界大戦は、欧州ではなく極東アジア・モンゴルの草原で始まった――。日本と旧ソ連が衝突した1939年の“ノモンハン事件”について、こうした新たな見方が欧米で広がりつつある。
 「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった」
 スターリンは、欧州の戦乱から自国を当面は局外に置くためドイツと手を結ぶ一方、“背後の敵”日本をたたく決断を下す。それによりドイツは英仏と戦い、ソ連はドイツと日本からの挟み撃ちを回避できるという思惑に基づいていた。
 ソ連・モンゴル連合軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ将軍。スターリンの指令を受け、周到な準備のもとで日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。1939年8月20日の総攻撃は2日間で大勢が決する。
 ドイツは9月1日、ポーランドへ侵攻。これが一般的な第2次大戦の始まりとされるが、ノモンハン事件はそこに至るまでの“流れ”の中にある。英仏は同3日、ドイツに宣戦布告。一方、ソ連もノモンハンで16日に日本と停戦を成立させると、17日にポーランドへ侵攻した。
 関東軍はそうと知らずに第2次大戦のスイッチを押してしまったのか――。この問いにゴールドマン氏は「その通り」と答えた。「彼らは、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう。しかし結果は重大でした」

 後に独ソ戦を勝利に導いて英雄となるジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった。8月20日の関東軍総攻撃の作戦図は、スターリングラード攻防戦で彼がドイツ軍を包囲・殲滅(せんめつ)した“天王星作戦”と酷似する。
( → ノモンハン事件、第2次大戦の「着火点」 欧米に新視点:朝日新聞

 ノモンハンは第二次大戦の「ひきがね」とも言えるほど重要な事件だった。そこにおいて重要な位置を占めたのが、ジューコフと関東軍だった。
  ・ ジューコフは圧倒的な戦略と圧倒的な戦力で、わずか2日間で勝利を決めた。
  ・ 関東軍は劣悪な体質と劣悪な戦力で、自壊したも同然だった。

 両者は「白と黒」「利口と馬鹿」と言えるほどの対照的な差があったようだ。

 これについて解説したブログがある。転載しよう。
 ノモンハンにおけるジューコフの勝利は、戦術の模範として絶賛された。また近代的な機械化部隊の破壊力と機動性を生かし、各種兵器の統合運用により成功を収めた典型的な例として名を残した。
( → スターリンの将軍 ジューコフ」

 この記事のネタ元は、「スターリンの将軍 ジューコフ」という本だ。



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 この趣旨でネットを探すと、もっと細かな話も見つかる。
 戦車部隊と航空機を立体的に連携させる近代戦を展開したソ連軍に対し、歩兵中心の白兵戦で挑んだ日本軍は9月の停戦までに約7700人の戦死者を出して壊滅した。ソ連軍を指揮したジューコフ将軍が日本軍について「兵は勇敢だが高級将校は無能」と指摘したように強引な用兵が敗因だったが、その傾向は太平洋戦争でも変わらなかった。
( → ノモンハン事件:時事ドットコム

 ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、適切な人材を配置した。グリゴリー・シュテルン将軍は、前線への補給と兵力増援に必要なインフラをすべて提供した(4千台の車両が必要で、それらは最寄りのソ連基地まで800キロも往復しなければならなかった)。ソ連空軍司令官のヤコフ・スムシュケヴィチは、自身が経験豊かなパイロットでもあり、第57軍団の新しいパイロットたちに日本軍の航空機と戦う方法を素早く教え込んだ。そして、全般的な指揮は、ゲオルギー・ジューコフ将軍が引き継いだ。
( → ロシア側から見た「ノモンハン事件」:なぜ日本は第二次世界大戦中にソ連を攻撃しなかったか - ロシア・ビヨンド

 ジューコフは関東軍が精鋭戦車兵団や自動機械化部隊を持たないことを利用し、機械化兵力による包囲殲滅戦を試みた。攻勢を秘匿するためあらゆる欺瞞工作を実施し、各部隊の移動は夜間にのみ実施された。夜間の移動はすべて飛行機の爆音や砲、迫撃砲、機関銃、小銃射撃などによる偽音を使って誤魔化し、全ての移動は関係部隊が打合わせた厳格な予定表に従って行われた。
 砲兵の支援のもと、自動車化された歩兵と、2個戦車旅団が戦線の両翼を進撃する大胆な機動を行って第6軍を包囲し、第23師団を壊滅させるなど大打撃を与えた。
 2週間の内に関東軍は撤退し、その後、国境線はソ連・モンゴルの主張に近い形で確定された。この功績により、ジューコフは「ソ連邦英雄」の称号を与えられた。しかしソ連以外では、この戦いはあまり知られず、ジューコフの機械化部隊の機動的運用という革新的戦術も、当時の西欧諸国に注目されることはなかった。
( → ノモンハン

 ソ連側は、ジューコフ将軍指揮の第一軍団が戦車・銃砲・飛行機の援護で八月二十日から全面反撃に転じた。そのため日本軍の火炎びん作戦も第七師団による増強も失敗、第二三師団の死傷者は一万一〇〇〇余人、死傷率七〇%を超える被害をうけた。
 ――
 「ハイラル」の駅には公主嶺駐屯の戦車部隊が、指揮官の戦車を引いて帰っていた。戦車部隊兵から、皆どちらから来たのかと尋ねられる。「チチハル」の北海道部隊と言うと、気の毒だが日本の戦車は指揮官全員戦死全滅、戦地には日本戦車は一台もないとのこと。
( → 今書き遺すノモンハン事件の激戦

 日本は戦力的に圧倒的に劣っていただけでなく、戦略的にも圧倒的に劣っていたようだ。だが、上層部は駄目でも、下層部の兵士の気力と能力は上回っていたらしい。戦力では圧倒的に不利な状況のなかで、自分たち(日本側)の被害を上回る被害を相手(ソ連側)に与えていた。
 半藤氏は……「確かではないが」と断り書きをして、日本の戦死・戦傷者は約1万7700人近く、ロシアは2万5655人という数字を入れたことを紹介しつつ、こう書いている。
 〈ところが豈(あ)に図らんや、日本の第一線の兵隊さんたちは、後ろのほうの参謀本部、あるいは関東軍作戦課の拙劣なる戦争指導にもかかわらず、まことに勇戦力闘したようで、日本側のほうがむしろ死傷者が少なかったと、1998年にロシアが発表したのです〉
( → 平成に入り明らかとなったノモンハン事件の衝撃的真相 | 渡部昇一 | テンミニッツTV

 相手の被害の方が多かったというのは意外である。だが、しょせんは彼我の勢力差はどうしようもない。結果的に、日本側は壊滅して、撤退した。このあとはもはや、ソ連を攻める気力もなくして、北に向かうのを諦めた。
 日本は第二次世界大戦でソ連が最も苦境に立っていた時期でさえ、ソ連を攻撃しようとはしなかった。
 「ノモンハン事件の結果、我々の頭上に既に振り上げられていた鋭利な日本刀は、決して振り下ろされることがなかった」。ワレリー・ヴァルタノフは言う。モンゴルでの敗北は、日本政府を冷静にし、彼らはより容易な目標を見つけることに決めた。インドシナと太平洋への進出だ。しかしそこで、日本政府は結局、別の超大国、アメリカとぶつかり、再び敗北する。
( → ロシア側から見た「ノモンハン事件」:なぜ日本は第二次世界大戦中にソ連を攻撃しなかったか - ロシア・ビヨンド

 ノモンハンに負けたせいで、北方を諦めて、南方に進出した。大東亜共栄圏を唱えながら、アジアを侵略した。……しかしそのせいで、アメリカと戦う結果になってしまったわけだ。
 歴史の皮肉とも言えるが、ノモンハンにはそれほどの重要性があったわけだ。

 ――

 話を戻そう。日本はノモンハンでは大失敗した。では、それはなぜか? その理由は? その本質は? ……失敗の本質を探りたい。
 その解説本がある。まさしくそのものズバリのタイトルだ。『失敗の本質』(野中郁次郎他)という。
 ノモンハン事件は、依然としてネガティブな意味合いで使用されている。ロングセラー『失敗の本質』(野中郁次郎他)でも失敗事例として冒頭に取り上げられているくらいだ。
( → 悲壮な肉弾戦で惨敗、「ノモンハン事件」の教訓とは 日本を破滅に導いた国境紛争、連続した世界を生きている私たち(1/5) | JBpress



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 この本の内容の解説は、下記にある。
  → 失敗の本質 事例1:ノモンハン事件 | ロータスのブログ 

 これによると、関東軍の暴走が本質らしい。中枢の参謀本部を無視して、その下位部門に当たる関東軍が、勝手に暴走して、中枢が止めることもできなかった。かくて関東軍が勝手に暴走して、ノモンハンで好き勝手なことをやった末、圧倒的な敗北を喫した。……そういうことらしい。

 もっと詳しく述べている記事もある。
  → コロナ対応と 「失敗の本質」|ぴかし|note
  → 「失敗の本質」を読んだ - Qiita

 組織が全然ダメだった、ということらしい。

 失敗した人が昇格する、という問題もあるそうだ。その点は東芝の失敗と共通するそうだ。
  → 『失敗の本質』共著者が指摘 「東芝はノモンハン事件そっくり」〈AERA〉

 ――

 さて。これらの記事の要点を、今のコロナ時代の政治と比べると、どうだろうか? 
 「組織が駄目だ」という点では共通するが、これは菅首相に限ったことではない。
 「失敗した部下が昇格する」というのは、「安倍首相のために嘘をついた部下が昇格する」という事例が安倍政権では目立ったものの、これも菅首相の話とは違う。
 関東軍が中枢の参謀本部を無視した……とうのも、菅首相には当てはまらないようだ。中枢の菅首相が強力すぎるので、部下は唯々諾々と従うばかりだからだ。

 とはいえ、政府内ではそうだが、より広い目で見ると違う。政府の内部で上下関係を見るのではなく、「国民と政府」という上下関係で見よう。すると、次のことが成立する。
 「上位である国民の意見を無視して、下位である首相が暴走する」

 ここでは、関係のレベルは異なるが、関係の種類は同様だ。下位が上位を無視して暴走する。
 つまり、関東軍の暴走と、菅首相の暴走は、そっくりなのである。そして、その結果は? 戦力差を無視して、楽観的に勝利を予想する。そのあとで、勝利のあとの世界を妄想する。次のように。
  → 菅首相、東京五輪開催へ決意 「コロナに勝った証しに」:時事

 勝てる見込みもないし、勝つための戦略もないのだが、勝つことばかりを予想して、「勝ったあとでは勝利の美酒に酔う」というようなことばかりを妄想している。
  ・ 利口な人間は、最悪の事態を想定して、対処策を準備しておく。
  ・ 愚かな人間は、最良の事態を想定して、祝賀会を準備しておく。

 こういう差があるのだ。そして、菅首相がどちらであるかは、言わずもがなだ。
 
 ――

 最後にひとこと。
 ノモンハン事件は、歴史の一コマだが、今日でも教訓となるのだ。そのことがわかる。
 ここで、ドイツの名宰相ビスマルクの有名な格言を引用しよう。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 愚者とは、誰か? さあ、誰でしょう?


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posted by 管理人 at 23:29| Comment(3) |  感染症・コロナ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 朝日新聞での昨年秋の「ノモンハン事件に関するまとめシリーズ」は私も読みました。こちら(下のリンク)が大元のサイトですね。

 https://www.asahi.com/special/nomonhan/?iref=pc_leadlink

 ところで、
> 半藤氏は……(中略)
 〈ところが豈(あ)に図らんや、日本の第一線の兵隊さんたちは、後ろのほうの参謀本部、あるいは関東軍作戦課の拙劣なる戦争指導にもかかわらず、まことに勇戦力闘したようで、日本側のほうがむしろ死傷者が少なかったと、1998年にロシアが発表したのです〉(本稿中の引用から)

⇒ 現場で戦う軍人ひとりひとりの戦闘能力(ポテンシャル・スキル)は高かった、かつ実際に士気も高く力戦奮闘した、というところは、これから3年後の「西太平洋ガダルカナルの戦い」に類似するところがありますね。はからずも時期を同じくして、NHKがそのような視点で再検証した番組を作っています。
(下のサイトの記載抜粋)〈太平洋戦争の転換点となった激戦の詳細を明かす“幻の戦闘記録”が見つかった。実は日本軍の猛攻撃を受けた米軍は敗北の瀬戸際に追い込まれていた。一時は優位に立った日本軍がなぜ敗れたのか?大敗北の裏には共同作戦に打って出た陸海軍の不協和音があった〉

 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020108970SA000/

 戦争遂行のスキームには、戦闘教義(ドクトリン)⇒ 戦略(ストラテジー)⇒ 戦術(タクティクス)⇒ 作戦(オペレーション)⇒ バトル(戦闘)の流れがあるそうですが、教義〜作戦までを司る指揮官、参謀といった組織が機能していなければ、ダメダメということですね。
Posted by かわっこだっこ at 2021年01月18日 22:05
かわっこだっこ様が紹介しているNHKの番組は私も見ましたが、その中で、米軍は日本軍から大きな被害を受けている最中に克明に状況を記録し残していることに感銘を受けました。翻って日本軍そして最近の政権は、というと全く真逆ですね。
Posted by アラ還オヤジ at 2021年01月19日 11:46
 NHKの番組は、HDD に入っているんだけど、まだ見ていません。

 内容は、ネット上に見つかります。ググると、これが見つかった。
  https://tvpalog.blog.fc2.com/blog-entry-14436.html

 米軍を壊滅寸前にまで追い込んだが、海軍の非協力で、輸送船を借りられず、軍備不足・火力不足で、敵を壊滅させることができなかった。そのせいで、撤退して、以後は敗北の一途。……とのことだ。

 ――

 だが、仮に一時的に勝利しても、すぐにまた兵力不足で撤退するハメになっただろう。
 より根本的な原因は、記事にもあるように輸送力の不足だ。
 では、それはなぜか? 輸送船団が次々と撃沈されたからだが、その理由は、日本にはレーダーがなく、敵にはレーダーがあったからだろう……と推測したら、まさしくそうだった。
  → https://japan-indepth.jp/?p=46693

 日本で発明した八木アンテナによるレーダーを、日本は使わず、米軍は使った。それが勝敗を分けた。
   https://bit.ly/3oWmane
   https://megalodon.jp/2013-0114-1339-37/cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/020109.html

 ――

 今も同様だ。日本で発明したアビガンを、日本は使わず、インドは使った。それが勝敗を分けた。


Posted by 管理人 at 2021年01月19日 13:17
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