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この件については、何度か述べたことがある。
まずは、これだ。
→ イノシシ・熊の被害対策: Open ブログ
ドングリの凶作の年に、熊が住宅地に出没して、射殺される。これについて、「ドングリのせいだけでなく、広葉樹林が減って、ドングリが減ったせいだ」と考えて、「人間のせいだ」と断罪して、「だから人間が食物を与えればいい。ただし餌付けにはならない形で」というふうに提唱した。
次に、これだ。
→ 熊を殺すか餌付けするか?: Open ブログ
いくつかの対策を述べているが、次の2点が主要だ。
・ 餌付けすることで、住宅地への被害を減らす。
・ 餌付けすると同時に、檻で捕獲する。
以上のように対策を示したが、いずれも「ドングリの凶作年の対策」という意味が強い。
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ところが、新たにまったく別の観点で自然状況を解説する記事が出た。読んでびっくり。話の前提を覆されてしまった。
ドングリの凶作年があるというのは、実は、ドングリの生存戦略だったのだ。
どんぐりは年ごとにできる量が大きく変わる。そのことも天敵との攻防に一役買っている。
ブナ科の樹木では地域の個体が一斉に多くの実をつける豊作の「なり年」と、ほとんどつけない凶作の「不なり年」がある。種によっては、豊作の年と凶作の年で、どんぐりの数は100倍以上の差があるという。
森林総研森林植生研究領域の柴田銃江・群落動態研究室長は「凶作の時は食べるものがなくて天敵が死んで数が減る。次に豊作の年が来ても、天敵はすぐに数を増やせないため、どんぐりを食べ尽くせない。生き残るどんぐりが増える利点があるといわれている」と話す。
気候変動による実なりの変化は動物との関係にも関わってくる。今年は市街地へクマの出没が相次ぎ、原因としてどんぐりの不作が挙げられた。ネズミと同様、クマにとってもどんぐりは冬の前の重要なエサだ。
( → どんぐり、森の“実力者” 栄養豊かなブナ科の実、クマの出没にも影響:朝日新聞 )
唖然としたね。凶作になって熊が困っているのかと思ったら、実は、それは偶然の産物ではなくて、ドングリの意図的な戦略だった。ドングリは、食い尽くされないために、あえて凶作にして、熊を飢え死にさせているのである。
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これを裏付ける情報もある。熊は絶滅の危機にあるかと思ったら、さにあらず。減るどころか、どんどん増えているのだそうだ。
→ 野生動物は増えている: Open ブログ
ドングリは、凶作年があって、熊をあえて飢え死にさせている。しかし、熊もさるもの。飢え死にする熊がいても、熊全体としては、生き延びる熊が多いので、熊はどんどん増えているのだ。(繁殖力が強いね。少子化の人間とは逆だ。)
だったら、出没する熊を捕殺しても、別に問題はないわけだ。はみ出した熊を捕殺するぐらいは、もともと勘定に入っているのである。その分ぐらいは、うまく捕殺して、熊の胆(くまのい)などに利用すればいいのだ。有効利用ができて、結構なことだ。
なお、「熊を殺してもいいか?」というタイトルに関連して言えば、「はみ出した熊を殺すぐらいならばいい」というのが回答となる。
やたらと捜して殺しすぎるのは問題だが、邪魔な熊を少し殺すぐらいなら、別に問題ないと言えるだろう。
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それにしても、「熊が殺されてかわいそう」と思ったら、そういうふうにするのを促しているのはドングリの生存戦略だったとは。……自然の営みの奥深さに感嘆させられる。
♪ 熊を殺すにゃ、鉄砲は要らぬ。ドングリが凶作になるだけでいい。
《 加筆 》
本項の要点は、次のことだ。
熊の出没はドングリの凶作のせいだが、ドングリの凶作はたまたま起こった偶発的な出来事だと思えた。だから、偶発的な出来事から熊を守るために餌付けをするといい、という発想が出た。
ところが、その前提が間違っていたのである。ドングリの凶作はたまたま起こった偶発的な出来事ではなかった。それはドングリが自らを守るために組み込んでいた生存戦略だった。
つまり、ドングリの凶作は自然の摂理だったのであり、熊の出没も自然の摂理だったのである。決して偶発的な出来事ではなかった。だから人間が介在する必要はなかったのだ。
人間が介在していいのは、熊が人間の領域に入ったときだけだ。そのときには人間が熊をどう扱おうと、人間の勝手である。熊の立場で言えば、山で餓死するか、人間の領域で捕殺されるかは、熊の勝手である。
そして、それ以外の大部分の熊(山にいる熊)については、人間の知ったことではないのである。―― 神のものは神に。山のものは山に。(それぞれ委ねよ。)(だから、熊はドングリに。)
[ 付記 ]
熊の出没とドングリの凶作とが関連していることは、上の引用記事で紹介されているとおり。
一方、熊の出没への対策と、ドングリの生存戦略とを、からめて説明しているのは、本サイトの独自方針だ。(独創的な学説だ……というわけではない。解説の仕方で、ちょっとうまく説明しただけだ。)
【 関連動画 】
人里にクマが出てくるのは、不生り年だけではなくて、人間社会の「おいしいもの」が「楽に手に入る」という面もあるようです。作物とか家畜とか生ゴミとか。そういうものに簡単にアクセスできないように処理をしっかりするとか、電気柵で遮断するとか、対策を取る必要があるのでは。
それでも出てくるクマは、「狂ったクマ」なので捕獲して遠くに離そうが何しようが人里に出てきて被害をもたらすので、撃つしかないんじゃないでしょうか。
美味しいものが容易に食べられ、しかも隠れる安全な場所のあるところに生息しているのです。つまり、そもそも里に、人家の側に、生息しているのです。
昔ながらの狩猟する人が激減していますから、里は危険な場所ではなく、畑や果樹が豊富な、魅力的なエサ場なのです。
人口が減って、管理されないやぶなどが増えて、安全な隠れ家がエサ場の周りにある。
最近の狩猟免許を新規にとる人は、イノシシなどの野生動物に農地を荒らされている農家が、やむなく害獣対策で取得しているものです。