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朝日新聞に記事があった。
東日本大震災から10年となるのを前に、宮城県教育委員会が新任の校長を対象に旧大川小学校(石巻市)での研修を初めて実施した。「心の奥底に響いた」「意識が変わる」。新任の校長たちは、84人の児童と教職員が犠牲・行方不明になった校舎を前に、防災の取り組みを誓った。
( → 「自分事と捉えて」 旧大川小、研修に立った遺族の思い:朝日新聞 )
→ 旧大川小で新任校長研修 タブー視?遺族や語り部、複雑:朝日新聞
→ 大川小、現場で学ぶ 新任校長が研修:朝日新聞
→ 命の授業、大川小で校長たちに 宮城の新任90人研修、ようやく実現:朝日新聞
動画もある。
新任校長への研修があったということだが、遺族の声を聞くぐらいだったようだ。しかしそれでは、肝心の話が抜けている。
「命の尊さを学ぶ場に」というような話があるが、まったく無意味だ。「命の尊さを学ぶ」なんて、小学校1年生じゃあるまいし、校長に教えるようなことではない。「命の尊さ」も理解できない校長などはいない。
そもそも、大川小の被害は、「命の尊さ」を理解できなかったから起こったわけではない。また、「死なせよう」として死なせたわけではない。
だから、被害の再発を防ぐためには、「命の尊さ」をいくら研修で教えても、まったく無意味なのだ。
では、被害の再発を防ぐためには、どうすればいいか?
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この件は、実は、被害の発生した当時に詳しく述べた。
→ 大川小の津波被害の本質: Open ブログ
→ 横浜の集団登校事故/大川小の津波被災: Open ブログ
大川小の被害が起こったのは、「命の大切さ」を理解しなかったからではない。「命の大切さ」ならば、十分に理解していた。しかし、命よりももっと大切なものがあったから、そちらを優先していただけなのだ。
では、命よりももっと大切なものとは、何か? それは、上記項目似記してある通り。つまり、学校側の「管理責任」である。
それは、学校側の「管理責任」である。(「自己保身」と言ってもいい。)
彼らの発想では……
これこそが何よりも大切なことだった。うまく命が助かっても、あとで「生徒がケガをした」と批判されたら、大変だ。「うちの子供が、逃げる途中に転んで、足をすりむいたのは、学校の責任だ。責任を取れ」なんて言われたら、大変だ。
そこで、そういう責任を回避したい。そのためには、(転んだりしそうで)危険な裏山に登るのは、何としても避けねばならない。ケガをさせて親に文句を言われることこそ、最大限の努力で回避しなくてはならないのである。
緊急時において、学校に何よりも求められるのは、安全管理だ。そのためには、絶対にケガをさせないことが大事であり、転ぶ可能性のある危険な経路を取ることは断じて避けねばならない。何よりも安全性を重視するからこそ、転ぶ危険のない安全な経路で、「三角地帯」をめざすべきなのだ。
……こういう発想を取った。
こうして、彼らは最も安全性の高い経路を取ったつもりで、三角地帯をめざすことにした。
こうして、物事の本質がわかった。
「大川小の失敗の理由は、学校が 管理責任 を何よりも重視したからである」
( → 大川小の津波被害の本質: Open ブログ )
学校側は、何よりも「安全性」を重視したのである。だから、決してケガをしないように、(ケガをする)危険のある裏山には行かなかった。もし裏山に逃げて、生徒がケガをしたら、学校側は管理責任を咎められるだろう。それはまずい。校長としての経歴に傷が付く。教育委員会にも怒られる。……そう思ったからこそ、ケガをしそうな裏山を避けて、(ケガをしそうにない)安全な三角地帯をめざしたのである。
“ 要するに、どれほど危険であっても、「集団管理」が最優先となった。それに反する個人の意思などは、否定された。たとえ安全な場所に行きたくても、それは禁止された。”
そういうことだ。
( → 横浜の集団登校事故/大川小の津波被災: Open ブログ )
つまりここでは、「集団管理」「(集団の)安全優先」という方針が、過剰な安全策を選ばせて、そのせいで、大量の死者が出てしまったのである。
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では、どうすればよかったか? それも、上記項目に書いてある。
では、学校側は、どうすればよかったのか? 「管理責任」にこだわることが駄目だとすれば、何をすれば良かったのか?
それは、(危機に際して)学校側が生徒の一人一人を管理することとは逆に、生徒の一人一人が自分自身で考えることだ。つまり、「津波てんでんこ」である。
( → 大川小の津波被害の本質: Open ブログ )
「津波てんでんこ」というのは、「集団管理」とは正反対の方針である。
( → 横浜の集団登校事故/大川小の津波被災: Open ブログ )
津波が来たときには、学校側が安全管理を強めればいいのではなく、逆に、学校側は管理をほどいて、生徒の一人一人が自発的に逃げればいいのだ。
大川小で被害が多大になったのは、「命の大切さを知らなかった」というような知識不足が原因ではない。逆に、余計な知識が詰め込まれていたのである。「管理責任」というような余計な知識が。
だから、研修をするのならば、知識不足を補うために知識を与えればいいのではない。逆に、余計な知識を除去するべきなのだ。「学校の管理責任よりも、個人の自発性に委ねよ。それこそが、危機においては大切なのだ」と。
冒頭の校長研修では、やるべきことを間違えている。校長を小学1年生扱いして、「命の大切さを教える」なんてことをやっても、将来の被害をなくす効果は皆無なのである。被害をなくすためには、「なぜ被害が生じたか」を正しく知っておく必要がある。
【 関連項目 】
いざというとき、生徒の一人一人が自分で考えられるようにするには? それについては、下記項目で述べた。(重要)
→ (続)何のために勉強するの?: Open ブログ
なお、ついでに次の項目もある。
→ 大川小はどうするべきだったか?: Open ブログ