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MRJ (現行名:スペースジェット)は大失敗という結果になった。では、どうしてこういう大失敗がなされたのか?
それは、前にも述べたとおりで、経産省が国産機開発の旗を振ったからだ。
MRJ計画の発端は、2002年に経済産業省が発表した30席から50席クラスの小型ジェット機開発案。
MRJ計画では、……開発期間は2003年度から5年間、開発費は500億円を予定し、その半分を国が補助するとした。 (出典:Wikipedia )
( → MRJ の開発中止が決定: Open ブログ )
ではなぜ、経産省は国産機開発の旗を振ったのか? それは、YS-11 という国産機の再来を目指したからだ。
YS-11以来の完全な日本国産の旅客機となったが、YS-11と大きく違うのは、同機がターボプロップエンジンによるプロペラ機であるのに対し、噴射式のターボファンエンジン搭載の機体としている点である。
( → Mitsubishi SpaceJet - Wikipedia )
YS-11 という国産機の再来を目指したが、方式はプロペラからジェット噴射になる。時代の進展に応じて技術を新しくするが、基本的には YS-11 という国産機の再来を目指したわけだ。
では、それは妥当だったのか?
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この点については、私は当初から批判していた。
まず、国産航空機の開発そのものに反対しているのではない、ということに留意してほしい。読めばわかるように、三菱が自力で開発できるのであれば、それに越したことはない。(私は別に、アンチ国産派ではない)
自力開発ということは、不可能ではない。実際、ホンダは自力で個人用ジェット機を開発している。
一方、三菱は? 個人用ジェット機さえも作れないくせに、一気に旅客用のジェット機を開発しようとしている。それも、自力ではできないから、国のお金で。
( → 三菱の小型ジェット機 MRJ: Open ブログ )
こういうふうに批判していた。その核心は、こうだ。
「三菱には、国産の小型ジェット機を開発する能力などは、ない。これまで何も作ってこなかったのに、いきなり高度なものを作れるはずがない。どうせ国産機を開発するのであれば、最初はもっと初歩的なものを作れ。一歩一歩着実に進め。決して高望みをするな。自惚れるな」
その上で、次のように提案した。
では、どうするべきか? 正しい手順を示そう。
1.個人用ジェット機の自力開発。(ホンダのように。)
2.それで実績を示した上で、旅客機の開発力を蓄える。
3.民間の出資を募る。
4.それでも足りない分は、国の出資を募る。
こういうふうに一歩一歩着実に進むのであれば、「最初から巨額投資をして、あげく赤字倒産の危険に陥る」というような失敗はなかったはずだ。
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では、どうしてそう言えるのか? それは、YS-11 という大失敗の例があったからだ。
YS-11 というと、「初の国産機」ということで、多くの人がノスタルジーを感じているようだ。「技術的には成功した」という印象もあるようだ。
だが、仮に YS-11 が成功していたら、その事業は続いていたはずだし、次世代機の開発も継続していたはずだ。
ではなぜ、YS-11 の次世代機は開発されなかったのか? それは、YS-11 が経営的に大失敗したからだ。つまり、YS-11 は大失敗の例なのだ。
そのことをネットで調べてみたら、とんでもない事実がわかった。
まず、事業の全体では、最終的に 180機を生産して、360億円の赤字を出した。(赤字を生産して事業中止、という形。)
一方で、機体の価格は1機3億5000万円だった。
赤字の見通しについて量産180機とその後の10年間のアフターサービスで360億円の赤字が発生すると計算された。
これは一機当たりの機体価格3億5,000万円では2億円の赤字を計上する計算となった。
( → YS-11 - Wikipedia )
3億5,000万円で売って、2億円の赤字である。とんでもない赤字率だと言えるだろう。これはもう事業の体をなしていない。大赤字を出して、金持ちの道楽で作っている、というようなレベルだ。なのに、その赤字を負担したのは、金持ちではなく政府だった。
赤字の負担をめぐっては、政府の全額負担か、メーカー側にも応分の負担を求めるかで議論があったが、最終的にはメーカーも負担する形になった。
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まとめ。
結局、まとめれば、こうなる。
YS-11 は、とんでもない大赤字を発生させて、事業としては大失敗だった。そのせいで事業の継続はできなくなった。
しかし経産省は、その失敗を認識できなかった。YS-11 を国産機開発の成功例だと勘違いしていた。そこで「夢よふたたび」と思って、国産機開発の旗を振った。「時代の進展にともなって、プロペラからジェット噴射にすれば、また同じように成功できる」と思い込んだ。
しかし本当は、YS-11 は大失敗だったのである。しかも、YS-11 以来の技術的な蓄積もなく、いきなり開発する形になった。そのせいで、当初の見込みからは、開発が大幅に遅れた。(自己への過信。)
のみならず、米政府への申請の方法もわからなかった。なのに、国産にこだわるあまり、外国人の経験者を招くこともなく、日本人で固めた。そのせいで、やり方がわからないまま、何年間も空費した。最後のころになってようやく外国人を大量に導入したが、今さら手遅れという感じだった。
結局、YS-11 の失敗を理解できないまま、国産機開発ということにこだわった経産省の方針が、最初から大間違いだったというしかない。
【 関連項目 】
この点については、前に次の話を書いた。
→ MRJ は失敗するだろう: Open ブログ( 2015年11月12日 )
一部抜粋しよう。
MRJ を「 YS-11以来の国産ジェット旅客機」というふうに報道しているマスコミが多いが、これは正しくない。
そもそも、心臓部品であるエンジンは、国産ではない。この点、エンジンまで国産(ただし共同開発)である本田ジェットとは異なる。本田ジェットなら「国産」と言えるが、MRJ は「準国産」であるにすぎない。
そもそも、部品調達率からして、国内部品は 30%程度である。
やはり、外国人を大幅に招くべきだった。外国人をどれほど招いても、その外国人が日本の会社に属している限りは、開発は「国産」と言える。その技術も国内のものになる。
一方、社員を日本人にこだわると、技術不足のせいで国産の比率は下がってしまう。
人間について「日本国籍」にこだわったせいで、会社レベルでは国産化の比率が大幅に下がってしまった。さらには納期も遅れてしまった。
「国産」という言葉にこだわったとき、真の「国産」でなく、人間レベルの「日本人」にこだわってしまった。これが、MRJ が失敗した理由だろう。