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フランスで風刺画の殺人事件があった。
→ パリ教師斬首事件━「表現の自由」の授業から殺害まで、11日間に何があったのか
このあと、フランスのマクロン大統領が風刺画について「表現の自由を守る」と称している。しかしこの方針に対して、イスラム諸国は反発を強めているという。
中東各地でフランスのマクロン大統領への抗議が広がっている。イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画をめぐり「冒涜(ぼうとく)の自由がある」という姿勢や過激派対策を名目としてイスラム教への規制を強めることが原因だ。仏製品のボイコットも起きている。
マクロン氏は多くのイスラム教徒が反発する預言者ムハンマドの風刺画について「表現の自由」として擁護姿勢を崩さない。この風刺画を授業で扱った中学教員が今月中旬に殺害された後も「我々が風刺をあきらめることはない」と強調。今月上旬にはモスクの資金監視など規制を強化する方針を表明していた。
( → 中東、「反マクロン」抗議拡大 預言者風刺画の擁護に反発 仏製品のボイコットも:朝日新聞 )
紛争が起こっても、譲歩するどころか、対決を強めている。こんなに強硬姿勢を取るのは、外交的には明らかに損である。喧嘩をして得をすることなど、何もない。損するばかりだ。
ではなぜ、マクロン大統領はそれほどにも強硬なのか? 記事はこう続く。
フランスが表現の自由で譲れないのは、「建国の理念」や歴史と密接に結びついているためだ。フランス革命を通じて、王権と結びついていたカトリック教会を徹底批判することで、宗教から自律したいまの国家が形成された経緯がある。こうした「政教分離」や「宗教批判の自由」は国の根幹をなすというのが国民の一般的な受け止めだ。
「なるほど」と腑に落ちる感じだ。宗教への批判をタブーとすることは、自国の建国の歴史そのものを否定される感じがするから、容認できないのだろう。
とはいえ、そのせいで、困ったことになっている。過去においてキリスト教への批判を許容するつもりが、現在においてイスラム教への批判を許容することになってしまった。記事はこう続く。
当初カトリックを念頭に置いていた政教分離の概念は、いまではイスラム教の影響を排除する文脈でも使われ、国民のナショナリズムとも結びついて妥協をいっそう難しくさせている。
こういうふうに困った結果になってしまった。では、どうすればいい?
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そこで、困ったときの Openブログ。何とか解決しよう。
実は、論理的に考えれば、この問題はあっさり解決が付く。この問題を解きほぐせば、次のように言える。
・ 過去において批判されたのは、キリスト教そのものではなく、政治権力と結びついたカトリック教会だった。キリスト教という宗教が批判されたのではなく、教会という組織が批判された。(司教などの宗教権力者を含む。)
・ 現在において批判されたのは、イスラム教の教祖たるムハンマド(マホメット)である。彼の権力が批判されたのではなく、彼の人格が批判された。それも、ただの侮辱という下品な形で。
具体的に言うと、次のような形で、ムハンマドを侮辱した。
絵では「笑い死にしなければ、百回のむち打ち刑だ」とムハンマドに語らせている。「イスラームの刑罰は野蛮だ」という一般的なステレオタイプを背景とするブラック・ジョークだ。
この号の刊行直後、深夜に何者かが本社に火炎瓶を投げ込み、編集室が全焼するというテロ事件が起きた。
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預言者ムハンマドを色魔の児童性愛者として描いたアメリカのB級映画が中東で暴動を引き起こした際には、「イスラム世界を炎上させる映画」という見出し付きで、ベッドに裸で横たわるムハンマドの絵を掲載。カメラに向かってお尻を突き出した予言者に「私のお尻、好き?」と言わせた。ゴダールの「軽蔑」の冒頭に出てくるブリジット・バルドーの有名な台詞だ。
こうして「ムスリムはユーモアを解さず、預言者が冒涜されるとすぐに激昂する」とばかりに際どいジョークを連発することが、「シャルリー」のトレードマークとなった。
このような挑発的な紙面に対して、フランス国内でもたびたび非難の声が上がったが、編集部は一貫して次のように反論してきた。「フランスには、市民革命期以来、政治風刺の伝統があり、本誌はその伝統を受け継いでいるにすぎない。
( → 「風刺の精神」とは何か?〜パリ銃撃事件の考える )
ここにも明らかに論理的な勘違いがある。「市民革命期以来、政治風刺の伝統があり」というが、ムハンマドは現在の政治家ではない。過去の宗教家だ。ムハンマドを批判することは、現在のどこかの政治を批判することにはならず、ムハンマドを始祖とする現在のイスラム教全体を侮辱することになるだけだ。
つまりこれは、政治批判ではなくて、ただの宗教的な侮辱であるにすぎないのだ。要するに、「異教徒を許容しない」という、昔の十字軍以来の方針であるにすぎない。
「キリスト教徒だけが絶対的に正しく、他の異教徒は根本的に間違っているので、異教徒を征伐するべきである」
という方針だ。
「シャルリー・エブド」という週刊新聞は、そういう方針で部数を伸ばそうとしたし、マクロン大統領は、そういう方針で票を伸ばそうとした。だが、そのいずれも、「異教徒は悪である」という独りよがりの方針を他者に押しつけているにすぎない。
そして、その根源は、「教会と宗教とを、混同する」ということにある。そのせいで、「自己の過去の歴史を是認しようとして、現在のイスラム諸国の信仰心を批判する」という、まったく筋違いのことに至ってしまうのだ。
論理的な混同というものが、人をしていかに誤らせるか。……そのことを、マクロン大統領の愚行が教えてくれる。
[ 補足1 ]
補足して言うと、このようなイスラムへの侮辱は、ヘイト発言なのである。日本でも「韓国人ヘイト」のようなヘイト発言がある。あるいは、韓国人の「日本人ヘイト」のようなヘイト発言もある。米国でも、黒人ヘイトの発言がある。(だから「ブラック・ライブズ・マター」のような運動も起こる。)……これらのいずれも、人種差別や民族差別と結びついている。
マクロン大統領の方針は「ヘイト発言にも表現の自由がある」と言っているのも同然だ。表現の自由を履き違えていると言うしかない。
ただ、フランスという国は、もともと人種差別がひどい。過去においてアフリカを植民地にしたという歴史を反省もしないから、植民地から来たアフリカ人を人種差別で差別する。
のみならず、有色人種全体を差別する。だからフランスでは、日本人はひどい目に遭う。下記の例がある。
→ GACKT、パリのホテルで人種差別に遭う? アジア人は「ここに座るな、向こうに」
マクロン大統領は、今回の殺人事件のあとで、モスクを規制するというふうに、イスラム教全体を差別しようとしている。ここにも差別する本心が透けて見える。
[ 補足2 ]
シャルリー・エブド襲撃事件は、2015年1月。
編集会議中に自動小銃を持った男らが乱入、……計12人が死亡し、約20人が負傷した。
( → シャルリー・エブド - Wikipedia )
その少し前の2014年10月、「もしムハンマドが再来したら」と題する表紙画が掲載された。描かれたムハンマドは「ばか野郎、おれはムハンマドだ」と言うのに対して、イスラム過激派テロリストが「黙れ、異教徒め!」と叫び、ムハンマドの喉を掻き切ろうとしている。
2013年には、別の風刺画が掲載された。
左はエジプトの政争で殺されたムスリムを「コーランは糞 銃弾から守れない」と嘲ったシャルリエブドの風刺画 右はこないだテロリストに殺されたシャルリエブド編集局を嘲った風刺画 これをSNSで公開した作者16歳はテロ扇動罪 仏政府に拘留の由 pic.twitter.com/CqgNvAMjO3
— ヒサミチ (@hisamichi) January 19, 2015
左の風刺画「コーランは糞 銃弾から守れない」を掲載したシャルリー・エブドはお咎めなしなのに、右の風刺画「シャルリー・エブドは糞 銃弾から守れない」を掲載した16歳はテロ扇動罪で仏政府に拘留された。
フランス政府がこういう偏向した方針を取るから、テロが起こったのだ、とも言えそうだ。
※ 「コーランは糞」というのは、「聖書は糞」というのと同じで、明らかに宗教的なヘイト発言である。
[ 付記 ]
蛇足だが、日本の菅首相も似たようなものだ。天声人語が批判している。所信表明の件。
どうも「アピールはしない」というのが政治信条らしい。
菅氏は官房長官時代、ビジネス誌プレジデントで人生相談の回答者をしていた。読者の質問に答え「仕事において“アピール力”はあくまでも付随的なものだ、というのが私の考えです」と語っている。政治の世界も同じで、大事なのはアピールよりも結果だとの趣旨だった。
心配なのは、首相の頭の中で「アピールをしない」と「説明をしない」がごっちゃになっているのではないかということだ。
( → (天声人語)初の所信表明演説:朝日新聞 )
まったくだ。何ら理念をアピールしようとしないで、単に政策だけを列挙した、という所信表明もひどいが、学術会議の任命拒否では「説明をしない」をあくまで貫き通そうとする。
日本学術会議が出した105人の推薦者のうち、6人を任命しなかったのは、「推薦された人を前例踏襲して任命していいのかどうか迷った結果、今回このような(任命しない)対応をさせていただいた」と説明した。
ただ、司会者が「説明を求める国民の声もあるように思う」と発言すると、菅氏は「説明できることとできないことがある。学術会議が推薦したのを政府が追認しろと言われているわけですから」と語気を強めた。
( → 首相「説明できることとできないことある」学術会議問題 [日本学術会議]:朝日新聞 )
説明するのが当り前なのに、「説明できることとできないことがある」なんて言って説明を拒否するんだから、もう、国会を否定している独裁者も同然だな。首相になってから1カ月も国会を開かないで(開会を拒否して)、ずっと勝手に独裁的にふるまっていたことからもわかる。
国会を閉鎖して、何も説明しないで、自分の好きなことだけやっていたい、という方針なんだろう。そして、いかに馬鹿げたことをやって批判されても、「自分は正しい」と言い張る。
所信表明には、こうある。
私は、雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタートで、政治の世界に飛び込みました。その中で、「活力ある地方を創る」という一貫した思いで、総務大臣になってつくった「ふるさと納税」は、今では年間約5千億円も利用されています。
( → 菅義偉首相の所信表明演説全文:東京新聞 )
「ふるさと納税」を自慢して、絶対にやめるつもりはないらしい。まったくの独裁者だな。
タイムスタンプは 下記 ↓
ただし、そういう層も一定数存在しているという前提で物事に対処しないと、いろいろと面倒・困難な自体を招いてしまいます。
しかし……神なり預言者なり、侮辱されている対象本人ではなくて信者が怒ってどうする、っていう気もします。本人が正当な怒りを示せば良いのであって、取り巻きが自分勝手な忖度をして怒る必要は無いんじゃないかと。
得てして対象本人の本意とは違う勝手な取り巻き解釈で見当違いな怒りを発することも多いような。
ま、政治家もヤクザもサークルも、一緒ですかね。