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学術会議の委員の任命拒否があった。この件では、日本は世界中から批判されている。サイエンスやネイチャーなどでも日本政府の方針がはっきりと批判されている。いかにも恥さらしである。
これは、知性のかけらもないと言っていいが、それだけでなく、自分の無知さを理解できないほどにも無知であるというところが、厚顔無恥である。(馬鹿は馬鹿なりに利口を尊重するだけの慎みがあるのが普通だが、バカが居直って利口を侮辱するありさまだ。)
こういう政府を見たら、批判するのが当り前なのだが、今の日本ではなぜか、愚かな政府を支持する声が非常に多い。たとえば、これだ。
→ 河野太郎のツイート
河野大臣のツイートに寄せられた返信では、河野大臣を支持する声が圧倒的だ。「学術会議はけしからんから、つぶしてしまえ」という声が非常に多い。
まるでカンボジアのポルポト時代や、中国の毛沢東か四人組時代のような、ウルトラ級の反知性主義である。「日本人の知性は高い」と思えていた時代は、今いずこ。日本人がこれほどにもひどい知性レベルになってしまったのは驚きだ。
※ なお、河野大臣の主張は成立しない。前項の 【 追記2 】 で記したように、次のことがあるからだ。
政府の資金提供が、アメリカでは 268億円で、日本では 10億円。かくも大差がある。
なのにその なけなしの 10億円を、増やすどころか減らそうとするのが、河野大臣だ。
日本の科学関係予算は極端に少なすぎる。だから減らすどころか増やすべきなのだ。なのに河野大臣は、やることが逆だろう。
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上記の例は、一例だが、他にも例は多い。ネットで見ると、おおむね半分ぐらいの人々が政府の方針を支持しているようだ。
ではなぜ、日本人はこれほどにも反知性主義になってしまったのか?
それは、明らかだ。日本人が保守的になったからだ。ここでは、人々は反知性主義そのものを取りたいのではない。自民党政府が反知性主義を取るから、それに付和雷同しているにすぎない。
仮に民主党政府が同じことをしていたら、保守派の人々は「民主党政府に反対」と大合唱していただろう。要するに、保守派の人々は、政府が「右向け右」と言えば右を向き、政府が「左向け左」と言えば左を向く。理屈ゆえに、反知性主義などの方針を取るのではない。単に政府を支持したいがために、政府と同じ反知性主義を取るのだ。
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このことは、政府の方針を支持する人の論拠を見るとわかる。おおむね、次のようなものだ。
・ 学術会議も、過去に間違ったことをやった。
・ 学術会議の成果は、少ない。
・ 学術会議は、金を食いすぎる。
・ 学術会議の委員は、厚遇されすぎている。
・ 任命拒否は、法的には違法ではない。
あれやこれやと理屈を並べる。そのすべては間違いであり、あっさりと論破されているのだが、論破されたこともわからずに、執拗に同じ攻撃を繰り返す。
ここでは、真実がどうであるかは関係なく、単に学術会議を攻撃することが目的となっている。なぜか? 学術会議が政府に反抗したからだ。そして、政府に反抗するものは、何物であれ、押しつぶしてしまえ、というのが、彼らの方針なのである。だからこそ、馬鹿げた主張を何度でも繰り返す。
( ※ 本サイトのコメント欄でも出没する。いくら論破されても、おのれの間違いを理解できないまま、同じ攻撃を繰り返す。)
そして、彼らに共通するのは、次のことだ。
「学問の自由を尊重するという基本をないがしろにする。首相の弾圧という題目から、目をそむける。そのために、学術会議の些細な問題をしきりに扱おうとする。つまり、論点そらしをする」
たとえば、地図において、小さな文字ばかりを探そうとすれば、地図の全体にわたって大きく記してある文字列(例:ユーラシア)は、目に入らなくなる。
それと同様だ。小さな問題を扱うことで、大きな問題に目をふさごうとする。物事の本質を見失ってしまっているのである。
保守的になると、視野狭窄(しやきょうさく)に陥るのである。
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では、どうしてこういうことが起こるのか? 民主党政権時代には、「政府支持」という声はこれほどには起こらなかったし、むしろ「政府批判」の声が容易に起こったのだが、どうして今の日本人はこれほどにも政府べったりになるのか? 真実に目をつぶってまで?
理由の一つとして考えられるのは、「日本人が愚かになったから」であるが、それはちょっとありえそうにない。急に知性が低下したということはありそうにない。
私が思うのは、こうだ。
「日本人は近年、急激に保守化した。その理由は、現状に安定したがることである。現状を変えるのが怖くて仕方ない。少しでも今の生活を守りたい。今が貧しくても、その貧しい生活を最低限のものとして守りたい。現状を変革したくない」
では、どうしてそれほどにも保守的になったのか? どうしてそれほどにも変革を恐れるようになったのか? その理由は、こうだ。
「日本人は近年、活力が大幅に低下した。戦後の高度成長期には、人々の活力は非常に高くて、少しでも現状を変革して、さらなる高みに進もうとしていた。しかし今の人々は、そういう向上心はない。むしろ、努力もしないで、目先の楽しみを享楽しようとする」
これは「エピキュリアン」(享楽主義者)の方針と言っていい。現状に安穏として、努力を拒み、ひたすら目先の快楽を追う。
これと反対なのが、禁欲主義者の方針だ。現状からの向上を望み、必死に努力して、少しでも向上しようとする。
日本人は長らく後者の方針を支持してきた。明治時代には「開国したら、世界の列強に並ぼう」と努力したし、昭和時代(前半)もその方針を取った。敗戦後には、「ガレキの山となった祖国を再建しよう」としたし、それが叶うと「世界一の国になろう」と努力した。それはある意味では達成された。(1980年代がそうだ。ジャパン・アズ・ナンバー1)
ところがその後に、バブルが崩壊した。世界1と思えた位置からは、凋落の一途となった。努力しても努力しても、状況は改善するどころか悪化するばかり。それが 30年も続いた。「努力すれば生活が向上する」という意識は、30歳以下の若者からは失われた。となれば、残るはただ一つ。目先の享楽にのめりこむことである。
かくて、まずは「オタク」という文化が生じた。そこから「萌え」という文化も生じた。これは精神的な虚弱者の逃避先となった。
ところがそれは、いつのまにか、精神的な虚弱者の逃避先となるだけでなく、若者たち全員の逃避先となった。なぜなら、若者たち全員が精神的な虚弱者となってしまったからである。
もはや性的に成熟した大人の女性は、彼らの望みではなくなった。衰弱した精神を癒してくれるような、子供じみた幼児的な女性だけが彼らの望みとなった。
そして、そこに逃避しながら現状に安穏として癒されている人々にとっては、現状を打ち崩すような動きは、恐怖の対象でしかないのだ。
彼らは現状を改善したいとは思わない。どれほどひどくても、現状を維持したがる。独裁者であろうと、反知性主義であろうと、社会がどれほど悪化しようが構わない。今の自分の生活を守ることだけが大切なのだ。そのためには、現在の政府が続くことが何よりも最優先するのだ。
これはかつてドイツでナチス・ドイツが支持されたのと同様である。人々は、戦後賠償の重みという巨大な圧迫の下で、超インフレという生活に苦しんでいた。そこへヒトラーという偉大な政治家が出てきて、超インフレを克服し、アウトバーンという公共事業で経済を再建した。苦しい生活を、一挙に安定した生活にしてくれた。そこで人々は、ヒトラーという偉大な政治家に心酔して、絶対的な支持を与えたのだ。
そして、そのあとは、もはや全権委譲のみがあった。ヒトラーがどれほど反知性主義や人権抑圧をしようが、人々は全権委譲して、ろくに反対しなかった。(反対すれば、「もの言えば唇寒し」という脅迫的な状況もあった。政府が脅迫するだけでなく、人々が脅迫した。)
こうして圧倒的な独裁者が誕生した。そして、その独裁者に対して、人々は反対するどころか、大幅な支持を与えたのである。
これがかつてのドイツで起こったことだ。そして今まさしく、日本でも起こりつつあることだ。
そして、その行き着く先は、最終的には「大破局」なのである。日本は今まさしく、「大破局」に向かってまっしぐらに進みつつあるのだ。……そして、それは、人々が間違いを間違いだと正しく認識できなくなっているからだ。
裸の王様という状況である。ここでは、裸の王様をもたらしたのは、王様自身ではない。だまされて勘違いしている国民全体の方なのだ。
思えば、自民党支持の人々も、トランプ支持の人々も、ヒトラー支持の人々も、あまりにもよく似ている。集会において彼らの姿は、ほとんどそっくりだ。
※ 独裁者というのは、正気の人間にとっては、吐き気がするほどおぞましいものだ。しかしながら、心酔する人々にとっては、素晴らしい英雄のように見えるものだ。上の動画からもそのことがわかる。
※ 今の米国でも、トランプを支持する人々の集会が、同じようになっている。その多くがマスクをしていないので、まともな正常心をもっていないこともわかる。
[ 付記 ]
安倍首相時代の経済的な成果はどうだったか? 「アベノミクス」と呼ばれたその政策は、当初は不況脱出の効果があると思えた。人々はその残像を信じた。
しかし安倍時代が終わって、トータルで考えると、コロナ時代を除いても、実質成長率は年率 0.8% だそうだ。これは民主党時代の 1.6%の半分だ。( ¶ )
民主党時代は、初めはリーマンショックの余波だったし、後半は東日本大震災の直撃とその余波だった。これほどの不利な条件があっても、安倍政権時代をしのぐ。それが事実だ。
¶ 数字の出典:朝日新聞「経済気象台 2020-10-10」
【 関連項目 】
ドイツの戦時賠償の件については、前にウィルソン大統領の話を紹介した。
→ インフルエンザで世界大戦: Open ブログ
【 関連サイト 】
独裁者の非民主的な行為が、仏特派員に指摘された。
質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。
( → 【菅義偉】菅首相の"えせ会見"に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」|日刊ゲンダイDIGITAL )
長文失礼しました。
後の英国の首相はサッチャーの負の遺産に苦しんでるのにいまだにサッチャー信奉者がいるとはね。
大阪維新も大阪都構想とかカジノとか馬鹿馬鹿しいことの裏で保健所を削減してて今回のコロナで大騒動。
余計なことやって事態を悪くするだけの愚か者より、何もしない怠け者のほうが有害度が少ないだけマシ。ー
ソレはあると思っていますが、別段急激に変わった。というものではないと私は思います。
”凡夫(ぼんふ)は善悪に盲(めし)いて、因果有ることを信ぜず。ただし眼前の利のみを見る、何ぞ地獄の火を知らん。”
コチラは弘法大師空海の言葉になりますが、ざっと1200年経っても、人の本質は変わらないのではないでしょうか?
ところが、萌え文化が発達したころから、若者の政治離れが強まった。自分の生活だけが大事で、社会のことに無関心になった。同時に、コミュ障が大幅に増えた。
戦後の若者世代は文字通り”地獄の火”を知っていたわけで……、ソレをもたらしたものが政治権力だというのも、よくわかっていたのですから……。
だからこそ、学生運動をやったり、ジャーナリストとして権力を監視するという気概があった。
……ただ、今の50以下の世代となると、電源をいれれば遊んでくれるゲーム機、今はスマホ……という、人の関係性を重視しない。
対人関係を考えずとも、やっていけるという環境になり、追い打ちのように萌え文化という、お金をつぎ込むことで相手をしてもらえる。
……という文化(と呼ぶべきなのか?)が跋扈していることを考えると、社会は疎か、身近な人間関係すら疎かになった。
コミュ障が増えた……おっしゃるとおりです。
〜ナチスと菅政権の酷似性〜
https://note.com/nariyuki_content/n/n3ccb955fcb87