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これは前項の「エラー発見」の話と関連する。
→ 印刷すると間違いに気づく: Open ブログ
前項で述べたのは、文章校正や図画校正などで、あえて間違い(エラー)を発見しようとしている場合だった。
一方、それとは逆に、「思いもかけぬところで予想外の間違い(エラー)が発見される」ということがある。別に間違いを捜そうとしているわけではないし、間違いがあると予想されているわけでもないのだが、突発的に間違いが見つかることがある。そういうとき、人は意外感を受けると同時に、笑いが生じるものだ。
たとえば、学校の校長先生が、校長の訓示を垂れているときに、ついでに本を開こうとして、その本をつかみそこねてバラバラにして落としてしまう……というふうな。そういう予想外の事象を見ると、見ている人には笑いが生じる。
こういうとき、「他人(偉い人)の失敗を見て、笑いが生じる」という解釈もできる。「馬鹿にしてやる」という嘲笑だ。
だが、そうではなくて、特に大失敗というほどではなくとも、ちょっとした間違いを見るだけでも、笑いが生じることがある。(たとえば、演説の最中の言い間違い。)
※ 本サイトでも誤字があると笑いが生じる……と言いたいところだが、本サイトでは変換ミスによる誤字が多すぎるので、誤字はちっとも意外ではないので、誤字を見ても笑いは生じないだろう。……という話を読めば、笑いが生じるかもしれない。
※ ほら。上の話は、ちょっと意外でしょ? だから、笑いが生じやすい。これは、「話の脱線」による笑いだ。

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では、こういう「話の脱線」を含めて、間違いを見ると笑いが生じるのは、どうしてか?
ここで、私は大胆な仮説を示そう。こうだ。
「脳には、エラー検出信号というものが生じることがある。通常の脳の作業のときには、別に何ともないのだが、通常の脳の作業を逸脱して、間違いを見つけたり、突拍子もない方向に話が進んだりするを知ると、脳ではエラー検出信号というものが生じる。すると、笑いが生じる」
このエラー検出信号というものは、次のような特質がある。
・ エラーを見出すと、脳神経のレベルで自動的・生理的に発生する。
・ それと同時に、ひとりでに笑いが生じる。
これらは生理的レベルの出来事であるから、人間の意思によって制御することはできない。
一方、似ているようでも、次のことは異なる。
・ 文章を読んで、論理的にじっくり考えて、間違いを発見する。というより、間違いらしいものを発見したあとで、熟考のすえに、間違いであると結論する。
・ 間違いであるのを十分に確認してから、侮蔑しながら、嘲笑する。
たとえば、アベノマスクというのを見て、「こいつはおかしいぞ」と感じてから、その難点を論理的にあれこれと見出して、「これは間違いだ」と結論する。その上で、「こんなものを導入しようとする安倍首相は、馬鹿すぎる」と侮蔑しながら、嘲笑する。
このような事例は、本項の話には当てはまらない。
一方、安倍首相がおもむろにマスクをしたら、そのマスクには「真っ赤な唇のマーク」 💋 が付いていた、ということもあるかもしれない。そういうのを見ると、論理的に考えるまでもなく、瞬間的に笑いが生じる。それは生理的に生じる笑いだ。
そして、そういうことが起こるのは、脳に「エラー検出信号」が発生する仕組みがあるからだ、と考えられる。
このような仕組みが脳内に(神経レベルで)存在することを、私は仮説として唱えたい。
占い師なんて知らないし・・・ほほぅ〜(韻を踏む、感心)
この違いはエラーの度合いでしょうか、とても興味深いです。