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27日の朝日新聞・1面トップは、限界集落の特集。夏でネタが少ないせいか、特集記事を掲載している。趣旨は次の通り。
「日本の地方の各地で、人口の減少した集落が消えつつある。これは危機だ。大変だ。このままだと、地方だけでなく、日本全体が消滅しかねない」
真夏の怪談のつもりで脅そうとしているのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話だ。(書いている本人は大まじめらしいが。)
あまりにも鄙(ひな)びた土地では、まともに生活することは不可能なのだから、村落が次々と消滅するのは当然のことだ。というか、むしろ歓迎するべきことだ。
記事では、「地方が衰退して、東京に一極集中するのはまずい」と述べている。ここでは、「地方」というのをひとくくりにしている。
だが、次のように区別するべきだ。
・ 支援なしには維持できないような、限界集落。
・ 支援なしにでも自立できるような、地方中核都市。
ここで、前者は消滅するのが好ましいが、後者は消滅するべきではない。双方を区別するべきだ。
なのに記事は、両者をひっくるめて、「地方が衰退するのは大変だあ」と大騒ぎしている。馬鹿丸出し。
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「ポツンと一軒家」という番組が人気になっている。
→ ポツンと一軒家|朝日放送テレビ
山の中にポツンと一軒家があるのが、人々の興味をそそるらしい。こういうところに住みたがるのは、一種の奇人・変人だろう。別に「禁止せよ」ということにはならないが、あえて推進するべきことでもない。
なのに朝日は、こういうのを特別に維持したがっているようだ。まるで、自分の好みで、他人を見世物か動物園みたいにしたがっているようなものだ。
どうしてもこういうのを維持したければ、自分が新聞社を辞めて、限界集落に移住すればいい。それができないのだったら、あえて「限界集落を維持せよ」なんていう特集記事を出して、キャンペーンをすることはないのだ。
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朝日新聞があまりにも現実を知らないで、一種の夢想論になっているので、かわりに私が現実を教えよう。
まず、記事になっている対象は、ここだ。
地図から消えようとしている地区は全国にある。そんな里の一つ、徳島県つるぎ町の旧一宇(いちう)村にある十家(といえ)集落を昨冬、訪ねた。最後の3キロは車が通れず、山道を歩くしかない。
一宇村は15年前、2町と合併してつるぎ町になった。戦後の最盛期には8千人近い住民がいたが、現在は700人余。現在残る32集落のうち、半数以上の19集落で、いずれ住民がゼロになるとみられている。
( → 集落で最後の1人、浮かぶ「消滅」 もう目指さぬ人口増:朝日新聞 )
この「一宇村」というのを、限界集落の代表例のように記しているが、とんでもない。
一宇村は、日本でもまれに見る「秘境の村」とされている。山の中腹に村があるという例は、ほとんどない。(たいていは盆地にある。)
山の中腹に集落が形成される天界の村の中でも、四国山地東部はその数と規模においてわが国随一である。
旧一宇村(いっちゅうそん)は吉野川の支流、貞光川の上流域を占める山村で剣山の北麓にあたる。南北朝時代には阿波山岳武士の拠点であった。たばこの産地として知られ、剣山登山の玄関口でもある。その一宇村の中心市街である古見から見上げる山一面に展開する集落は大宗と赤松で、おそらくわが国の山岳集落の中で最大規模であると思われる。最上部からは遠く剣山が眺められ、天界の村の三本の指に入る集落といえよう。
( → わが国最大の山岳集落 四国山地の天界の村 )
多くの写真が掲載されているが、まさしく「天界の村」と言えるような、山頂部にある山村だ。あまりにも特殊な事例であって、「人口減の地方集落の代表例」というには懸け隔たっている。比喩的に言えば、「高齢者」の代表として、110歳の特別な人物を持ち出すようなものだ。極端すぎる。
→ 国内最高齢110歳の男性が死去 茨城 | NHK
何事であれ、世の中には例外的な特殊事例があるが、それを「代表的な例」として紹介するべきではないのだ。朝日はそこのところで、根本的なミスリードをしている。(デマ記事に近い。)
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朝日の記事がデタラメすぎるので、私がかわりに記す。
一宇村とはどういうところか? あまりにも興味深い特殊事例なので、紹介した報告がある。
生活は年金収入に依存し,限られた広さの畑作農業は主に自給用であり,現状でこれ以上耕作を放棄するような土地はほとんどない。
依存財源比率は80%にのぼり,町税を柱とする自主財源比率は20%にとどまっている。
地域情報通信基盤整備推進交付金事業に9,883万円,コミュニティーバス運行事業費に1,778万円を計上している。前者は光ファイバーケーブルを各家庭に接続し,ブロードバンドの普及を図るものであり,後者は山間部の集落と幹線道路のバス停留所を結ぶ小型の連絡バスを運行し,山間部に住む高齢者の交通手段を確保するものである。
( → つるぎ町「旧一宇村」の限界集落の現状と展望 )
単独で自立することはできず、外部からの支援金で生きているだけだ、とわかる。
・ 個人の生活の金は、国からもらう年金
・ 生活の基盤となる通信と交通は、外部からの補助金で運用
つまり、外部からの支援金がなくなれば、たちまち干上がってしまう。これではもはや、乞食も同然だ。
そして、こういう乞食も同然の限界集落を、「すばらしいので、維持しよう」と朝日は主張する。頭のネジが狂っているとしか思えない。頭が熱中症ボケか?
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とはいえ、この限界集落も、昔はまともに維持されていた。なのにどうして、近年は維持されなくなったか?
それは、上記の二つの記事でも紹介されているように、昔は「煙草栽培」がなされていたからである。日本全体が貧しいころには、山村における「煙草栽培」も立派な産業となっていた。むしろ山の斜面を利用して煙草栽培をすることは、立派な農業だったと言える。
しかし時代は変わった。煙草を吸う喫煙者は激減し、煙草の販売量も激減した。特にコストのかかる国産煙草は不利で、葉たばこ栽培の量は急減しつつある。半減以上の減少幅だ。

出典:たばこの需給動向
この記事には「10aの葉たばこ栽培で得られる販売金額は48万円、所得は31万円(所得率65%)」とある。この額は、日本が貧しい時代には十分だっただろうが、現代ではあまりにも少なすぎるのである。
こうして、山腹の限界集落が衰退していった理由は判明した。
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朝日新聞がどうしても「限界集落を維持しよう」というのであれば、「歴史を逆回りに戻せ」と主張するべきだろう。そしてまた、「限界集落を維持するために、国民はみんなで喫煙しよう」と言うべきだろう。
それができないのであれば、朝日の記事は、ただの夢想的なノスタルジアにすぎないのである。現実を知らずに記事を書くと、こういうふうに文学青年の夢想論を書くハメになる。(恥ずかしいね。)
[ 付記1 ]
地方の過疎問題をどうするべきか……という点については、
「地方の都会部に移住してもらう。そこでは不便のない生活ができる。老人向けの介護サービスなどを受けることもできる」
というふうに結論が出ている。たいていの識者がその方針を支持している。政府も同様だ。
一方で、次のような意見もたまに見つかる。
・ 限界集落をそのまま維持するべきだ。
・ 水道やバスの維持は困難だが、莫大な公費を投入すれば維持できる。
・ 水害などで被害が出るが、多数の死者が出てもいい。
・ 水害で出た被害には、莫大な保証金を出せばいい。
つまり、多大な人命を犠牲にするのを放置しながら、無駄なサービスを維持するために莫大な公費を投入する、というわけだ。その前提は、「金は湯水のごとく湧いてくる」という発想だ。
コストのことを考えない朝日新聞だと、こういう発想を取る。いかにも夢想的な文学青年の発想だ。
で、そういう発想による無駄な浪費がなされる分、一般国民は増税を強いられる。(とりあえずは、限界集落維持のために、消費税を5%上げるとか。あるいは、国民一人あたり一律 10万円の増税とか。)
[ 付記2 ]
限界集落の高齢者を地方の都会部に移転させる……というふうに、すぐ上で示した。
ただし、引っ越しするには、住居費などが新たにかかる。その金は、公的に負担してもいいだろう。月3万円ぐらいの負担なら、限界集落を維持する費用よりも安上がりになりそうだ。
また、払うのも1代限りだから、永続するわけでもない。高齢者がどんどん死んでいくにつれて、その額はどんどん減っていって、20年ぐらいで、ほとんどゼロになる。
公的な負担をするかわりに、従来の住居については、土地もろとも公的に接収すれば、国の保有する山林が増えることになるので、国としても損する一方ではない。
一帯を「秘境の村」として売却することも可能だろう。買う人もいるかもしれない。(とりあえず交通の便として道路は通っているから、無価値な土地でもない。)
似た例だが、次のような例もある。アウトドアを楽しむため、個人で山を買う、という話。
→ 「山を買ってキャンプ」、高まる関心 13万坪800万円、夫婦で「開拓」:朝日新聞