2020年08月22日

◆ 王位戦・第4局(2020年)

 王位戦・第4局で、藤井聡太が木村一基を破った一局。 飛車を切った手が話題を呼んだ。

 ──

 この手は話題を呼んだが、解説した記事が見当たらないので、私が解説する。

 まず、棋譜はここだ。
  → 七番勝負 第4局 |第61期王位戦

 肝心の場面は、こうだ。


oui4-1.gif

 図が話題の局面。ここで普通は飛車が逃げるのだが、藤井がずっと長考しているということで、「同飛と切るのか?」と憶測を呼んだ。封じ手のあとで翌日に「同飛」と判明し、以後、手が進んで、藤井が勝利したことで、「こんな意外な手で勝つなんてすごい」と話題を呼んだ。
 私も興味深く感じていた。「もしかして、1日目と2日目の間に、最後まで読み切ったのでは?」とも推測した。
 だが、あとで棋譜をじっくり見直すと、「そうではない」とわかったので、本記事を書くことにした。

 この対局の焦点は、この「同飛」ではない。この段階では、まだまだ行方は不明だった。どちらかと言えば、藤井の方が不利だった。(大幅な駒損だ。)

 ところが、手が進んで、△8六歩と打った。
 

oui4-2.gif


 ここで、先手(木村)が対応を誤った。▲8八金が自然なのだが、▲8六同金と歩を取った。このとき形勢が決まった。
 これで金が浮いてしまったので、(あとで)8八に飛車を打たれる余地がある。だから、飛車を逃げなければならないハメになって、55手目で▲5六飛と逃げた。だが、こんなふうに(一手を費やして)飛が逃げるのでは、もはや変調である。当初の狙い(後述)が狂ってしまっている。以後は、角交換のあと、後手陣を掻き乱されて、あっという間に詰んでしまった。
 結局、この▲8六同金が敗着だったと言えよう。冒頭の棋譜解説にも、こうある。
 ▲8六同金は自陣に隙ができるため指しづらく、▲8八金との交換が見込まれる。いつでも入りそうな利かしだったが、藤井はいまがベストと結論づけたようだ。先手は▲8八金の利かされがまずいと見れば、▲8六同金△8八歩▲7七桂も考えられるか。△5五角で飛車を取られ、△8九歩成と玉の近くにと金を作られるのは厳しいが、先手も△5五角に▲同角が後手陣の香に当たり、激しい攻め合いになる。

 常識的に▲8八金なのだ。そうしなかった点で、あとは敗勢になるしかなかったと言える。

 ──

 だが、この▲8六同金が失着だとしても、この将棋の焦点となる手は、ここではない。もっと前だ。この時点ではすでに先手が不利になっているので、もっと前に先手が不利になった手がある。それは、どこか? 


oui4-3.gif

 △3三角に、先手の手が問題となった。ここで先手は▲5五角と打ち、以後は△同角▲同飛△3三角▲6六角と進んだ。しかしこれでは、最初の状況(上図)より、悪化している。(同じように角を打たされた上で、5五の飛車が狙い撃ちにされており、逃げるための一手を必要とされている。)……ということは、▲5五角の狙いは失敗したということだ。(単に▲6六角の方がマシだった。)
 さらにそのあと、前述のように(一手を費やして)5六に飛が逃げるのでは、一手が無駄となっており、かなりの失敗となっている。
 つまり、▲5五角が核心となる失着であって、ここで形勢が傾いたと言える。(ここが天下分け目の天王山だった。)

 では、どうすればよかったか? 冒頭の棋譜のページには、こうある。
 飛車に当てながら香取りに角を据えた。先手は飛車を取られたとしても▲1五同香で取り返せる。△9九角成のほうを許すわけにはいかない。(1)▲6六角や(2)▲7七角と受けたときにどうなるか。
 中田功八段は新たに(3)▲5五角を示す。△1五角▲同香と進んだときに▲9一角成の狙いが残り、最も攻めに利いている。(1)▲6六角は受け一方の手になりそうで、(2)▲7七角だと角の位置の気が利かないという。
「先手は(3)▲5五角が成り立てば面白いですね。封じ手であんなに考えられていましたから、△8七同飛成は木村さんも考えていたのではないでしょうか」(中田功八段)

※局後の感想※
木村は(1)▲6六角の予定だったが、△1五角▲同香に△7五銀を気にして本譜に変更した。以下、▲5五角△8六歩に、▲8八金は△7六銀▲9八角△6五飛、▲7七金は△7三桂▲7八金△7六銀の順がそれぞれある。
藤井「(2)▲7七角と打たれたら分からなかったのですが」
△1五角▲同香△7三桂。7七から角を打てば、もう1手、桂を跳ねれば当たる。
木村「そのときに当たるところにわざわざ打つ人はいないよなあと思って」
藤井は以下、▲8四歩を指摘。△8二歩なら▲8三歩成△同歩▲8二角の筋がある。「ありましたかね」と木村。(1)▲6六角のほうの変化は何ともいえないという。本譜は藤井の攻める展開に進んだ。

 ▲7七角が正解だったようだ。私としてもこの手が良いと思った。後手が△1五角なら局面が収束する。後手が△7七同角でも局面が収束する。(金が玉のそばに寄る。)

 他に、▲6六歩もあると思う。これだと、角を手持ちにできるので、角をあとで8二に打つことができる。その角を自陣に引けば、自陣の守備は盤石となる。
 ▲6六歩に対しては、△1五角▲同香となるが、そのあとは、△7三桂はありえない。(もはや桂ハネの意味がないので)。
 かといって、△6六同角なら、▲7七角△同角▲7七金となって、金が王のそばに近づくので、先手が手得する。このあとは、先手が自陣に手を入れて、局面を収束させれば、自然に駒得の分だけ、先手が有利になる。

 ──

 以上は、細かな手の分析だ。以後は、大局観を述べよう。
 本局で最も大切なのは、大局観だ。それは、こうだ。
 「冒頭で述べた同飛の段階では、後手は駒損をする。それでも後手がその手に踏み切ったのは、大局観で、それが成立すると思ったからだ。なぜなら、駒は損しても、先手陣が金を浮かせて弱まれば、その裏に大駒を投じることで、先手陣を瓦解させることが可能だからだ。
 そして、そのためには、二つの方針が必要となった。
  ・ 金を中段に浮かせること
  ・ 大駒の交換をして、大駒を先手陣に打ち込めるようにすること

 この方針に基づいて、藤井は乱戦に持ち込もうとした。

 逆に言えば、先手はその方針を阻止するべきだった。
  ・ 金をなるべく玉のそばに引き戻すこと。
  ・ 大駒の交換をなるべく避けること(手持ちにさせないこと)
  ・ 自陣の守備をしっかり固めること

 これらの方針を取るべきだった。その上で、余裕ができたら、馬を作って、自陣に引くべきだった。そうすれば自陣は盤石となるので、あとは駒得を利用して、後手をじわじわ圧迫すれば、自動的に勝てるはずだった。

 つまり、大局的には、次の対立があった。
  ・ 後手は短期決戦で乱戦に持ち込もうとした。
  ・ 先手は長期決戦で局面を収束させるべきだった。


 これが大局観というものだ。
 実際、後手はその方針を取って、まさしく方針通りに手を進めた。
 一方、先手は違った。局面を収束させようとはしなかった。(短期的に見て)当面の「最も得になりそうな手」ばかりを指した。ここでは長期的な戦略などはなかった。だから、その場その場で、「最も損の少ない手」ばかりを選ぼうとした。そうする間に、いつのまにか乱戦に持ち込まれて、大駒を交換したすえに、自陣の裏に大駒を打たれてしまった。そのあとは、奈落に落ちるがごとく、玉が詰んでしまう道へまっしぐらとなった。
 つまり、大局観がまずかった(なかった)がゆえに、後手の戦略の上で踊らされる結果になったのである。

 ──

 藤井の強さは、その場その場での「超高速の幅広い思考」だと思われている。まるで AI のような。
 なるほど、たしかに、それもある。だが、私としては、彼は「長期的な大局観」が非常に優れていると思う。目先の一手一手の損得だけでなく、長期的な大きな流れを見通すことができているのだ。そこに藤井の卓抜たるところがあると思う。
 


 [ 付記1 ]
 1日目と2日目の間に、「詰みまで読んでいた」ということはないと思う。
 また、封じ手の段階でも、それは同様だったと思う。彼が同飛というふうに取ったのは、最後まで勝てるという成算があったからではなく、「乱線に持ち込めば勝機がある」と思ったからだろう。
 そして、実際、流れはそうなった。乱戦の末に、後手は対応を誤って、一挙に奈落の底に落ちていった。藤井としては、そこでそうなるとまでは予測していなかっただろうが、「乱線になればいつかは相手が足を滑らせるだろう」というぐらいの予想はしていただろう。だからこそ、乱線となるような方向に手を進めていったのだろう。
 
 [ 付記2 ]
 ▲8六同金のあと、△8八歩と打たれたが、このあとはもはや先手が挽回することは困難になっていると思える。何かやるとしたら、自陣飛車を打って、この△8八歩を咎めることぐらいか。しかしそれは、丸々桂損になるし、指しにくい手だ。
 やはり、▲8六同金が形勢を大きく傾かせたと言えそうだ。将棋ソフトの評価値を、ちょっと見てみたい感じだ。



 [ 注記 ]
 本項に掲載の図では、持ち駒は記していない。
 持ち駒を知りたければ、冒頭の棋譜のページで、その場面を呼び出せばわかる。
 


 【 関連項目 】
 将棋では、「目先の損を甘受することで、長期的には大きな得を得る(勝利にたどり着く)」という方法が有効だ。
 逆に言えば、「相手には目先の得をさせて、長期的には大きな損をさせる(敗北させる)」という方法だ。これは「罠にかける」ということでもある。
 普通は6手ぐらいの罠をかけるだけだが、藤井聡太の場合には、20手や 30手ぐらいの大きな規模で、そういうことができる。これは、「大局観がある」ということでもある。
 8六同飛には、そういう傾向が見える。「目先の損を甘受することで、長期的には大きな得を得る(勝利にたどり着く)」というわけだ。

 なお、このような方法は、一般の世界にも適用できる。たとえば、次項だ。
  → モーリシャスの油汚染: Open ブログ
 
posted by 管理人 at 20:54 | Comment(0) |  将棋 | 更新情報をチェックする
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