【 訂正 】 本文の一部を修正しました。
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※ 富士フイルムの治験と藤田医大の治験を混同していたので、修正しました。
アビガンの治験が再開されることになった。このこと自体は朗報だし、歓迎するべきことではあるが、医学的に言って、問題がいくつかある。一般人には関係のない専門的な話になるが、ここで指摘しておこう。
※ 前項では、アビガンを軽視する忽那賢志・医師の「いい加減さ」を指摘した。
※ 本項では、アビガンの治験をする専門家たちの「いい加減さ」を指摘する。
(1) アビガンの治験が再開
1週間ほど前のニュースだが、アビガンの治験が再開されるそうだ。1カ月後を経た9月半ばに、治験が完了する見込み。
約1カ月後に治験が完了し、承認に必要なデータがそろうとの見通しを示した。同日のオンライン会見で岡田淳二取締役が述べた。
これまで治験患者が集まらず計画が遅れていたが、感染者数が増えた影響で治験に必要な患者数にめどがついたという。
16日から最終の治験に入り、約1カ月の観察期間を経て「すべてのデータがそろう」という
( → 富士フイルムHD、アビガンの治験 1カ月後に完了へ - ロイター )
※ これは、富士フイルムの治験だ。初稿ではこれを藤田医大の治験だと勘違いしたので、以下では該当部分を修正しました。
(2) アビガンで人体実験?
治験が再開されること自体は、歓迎されることだ。
だが、(この治験ではなく)藤田医大の行った治験には、ちょっと「人体実験」っぽいところがあるのだ。
なぜか? 藤田医大の治験に参加した患者は、「初めの5日間は、アビガンを与えられない」ということが、いくらか発生するからだ。
ここでは、「薬をまったく与えられない」というわけではなく、「与えられる日がいくらか遅れる」というだけのことだ。それでも当初の数日間は、「与えられるべきなのに、与えられない」という状況になる。つまり、治療を受ける権利が損なわれる。(人体実験ふうだ。)
次の記事がある。
「研究参加者の半分くらいの方が発熱していましたが、解熱までの期間もすぐに内服を始めたグループの方が6日目に内服を始めたグループに比べ1日ほど短い結果でした。
( → 政府は200万人分を備蓄、首相の「鶴の一声」求める声も… )
この記事の論点は、「1日ほど短い結果でした」ということだが、その背景が大事だ。
ここでは、「1日目から投与された方が早めに治る」というふうに述べて、「いくらか効果があった」という趣旨で報告されている。
しかし逆に考えると、対照群の方には「効果がなかった」ということになる。というのは、その際、「6日目から投与される」ということなので、「1日目から5日目までは投与されない」わけだ。その5日間には、受けられるはずの治療を受けられなかったわけだ。となるとその分、死ぬ可能性がいくらか高まることになる。
もっとも、発症から6日目までに投与されれば、問題はないだろう。しかし、そういうまく行くとは限らない。入院した日が、発症から1日目だとすればいいが、発症から4日目だとすれば、問題がある。
入院した日が発症から4日目で、それからさらに5日目までは投与されないとすれば、4日目と5日目の合計で9日目。それまでずっとアビガンを投与用されないことになる。本来ならば6日目には投与されるはずなのに、6日目、7日目、8日目には投与されないことになる。
とすれば、その分、病状は悪化するはずだ。実際、そのせいで、「対照群では治るのが遅い」という患者が出ることになったのだろう。
治験の報告では、「早めに投与した方が効果があった」とされているが、これは、喜ぶべきことではない。「遅めに投与された方は、受けられるはずの治療を受けられなかったことで、命を危険にさらされた」ことになる。こういうのは、一種の「人体実験」に近い。ほとんど残酷行為だ。実際、「治るのが平均して1日遅れた」という不利益を受けている。また、一部の人は、「治療機会を失って死んでしまった」という不利益を受けているはずだ。
これはつまり、「患者を盛るモルモットにして、患者の命を主着するような、人体実験だ」ということになる。とんでもないことだ。
(3) 対案は?
では、どうすればいいか? それは、こうだ。
・ 患者の命を犠牲にするような人体実験は、やめる。
・ きちんとした対比試験をする。
この二つを、ともに実現すればいい。
では、そんなことは可能だろうか? 「可能ではない」と思ったのが、治験の担当者だ。彼らは、「対比試験をする以上は、ある程度の犠牲が出るのはやむを得ない」と思ったのだろう。両方をうまく成立させるような「うまい方法」などはない、と思ったのだろう。
だが、そこは困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
今回の治験では、患者の半数は無症状感染者だということだ。つまり、発症1日目よりも前である。とすれば、これらの患者については、発症から1日目がいつであるかは、判明する。入院から何日目になるかは不明だが、発症から何日目かは判明する。そこで、これらの患者については、全員、発症の1日目からアビガンを投与すればいい。
残りの半数は、無症状感染者ではない。常に症状が出ている。発熱しているし、さらに、せきが出ていることもあるだろう。このような患者は、入院した時点で、発症から何日目であるかは不明だ。2日目、3日目、4日目、5日目などが、混在しているだろう。では、これらをうまく一括して処理する方法はあるか? ある。それは、こうだ。
「高熱になった時点で、高熱症状が出たと認定する」
具体的には、38度という基準を取って、この基準値を超えた日で判定するといいだろう。もう少し精密にするなら、年齢別で基準温度を変えるといいだろう。もっと精密にするなら、温度変化の変化率を調べて、変化率が急激になった時点で「高熱症状が出た」と認定するといいだろう。
いずれにせよ、高熱症状が出た時点で、アビガンを投与すればいい。
以上のようにすれば、患者は、二つのグループに分かれる。
・ 無症状 患者 …… 発熱1日目からアビガン投与
・ 高熱症状患者 …… 高熱1日目からアビガン投与
ここで、「高熱1日目」は、おおよそ「発熱6日目」であることが見込まれるが、少しぐらい日数は前後してもいい。とにかく、(入院からの日数でなく)症状に従って、上記のようにアビガン投与の時期を決める。
以上のようにすれば、
・ アビガンを初期投与した患者
・ アビガンを途中投与した患者
の二通りに分かれるはずだ。こうして、対比試験ができる。
※ これは、二重盲検試験ではないが、十分にまともな対比試験となる。(「二重盲検であることが必要だ」という意見は、「プラセボでも効果があるはずだ」という信念に基づく。だが、「コロナはプラセボでも治るはずだ」というのは、ホメオパシー信者も同然で、非科学的すぎる。そんなことを考えるのは、よほど頭のおかしい医者だけだろう。(忽那**さんとか、NAT***さんとか。)
(4) 予想は?
以上のような対比試験をした場合、どうなることが予想されるか? たぶん、こうだ。
「アビガンを初期投与した患者よりも、アビガンを途中投与した患者の方が、治る率は高い(薬が有効である)」
これは、藤田医大の治験とは、逆の方向の結果となる。だが、別に、不思議ではない。
藤田医大の治験では、薬剤の有効性を調べているというよりは、「治験の遅れによって、治験放棄された患者の、被害の大きさを調べている」だけにすぎないからだ。
初期投与された患者は、1日目から投与されて、10日目まで投与されるので、特に大きな不利益はない。
途中投与された患者は、その一部が、高熱を発した直後でなく、高熱を発した2日目・3日目・4日目にアビガンを投与される。それまで、受けられるはずの治療を受けられない。治療放棄という不利益を受ける。その分、症状は悪化して、重症化率や死亡率も高くなる。
藤田医大としては、「初期投与された患者の方が悪化しなかったのは、アビガンに効果があったからだ」というふうに証明したつもりでいるのだろう。(そういう治験デザインだ。)
しかし実際には、「途中投与された患者の方が悪化したのは、アビガンに効果があるとわかっている上で、受けられるべき治療を受けられなかった(モルモットにされた)からだ」というふうになっている。
そもそも、対比試験をしたいのであれば、上の (3) のようにすれば済むことだったのだ。そうすれば、誰も犠牲にならなかった。しかも、医学的評価は、いっそう正確になる。(発症日ごとで患者をそろえることができるからだ。)
なのにそうしないで、藤田医大のやったような治験をすれば、患者は人体実験のモルモットにされたことになる。
(5) 治験における投与量
さらに細かい話をすると、投与量の問題がある。
標準的な場合には、すでに発症していることを前提に、次のような投与量が推奨される。つまり、「1日目に大量投与する」という方法だ。
「初日には、1回8〜9錠を、計2回。2日目以後は、1回4錠を、計2回」
※ 1錠 200 mg なので、800 mgは4錠に相当する。
これに基づいて、今回の治験でも、同様の投与量が処方された。つまり、「1日目に大量投与する」という方法だ。
【ファビピラビルの投与状況】
ファビピラビルの投与状況をTable 2に示す。投与患者の92.8%で1回1,800 mg 2回の後、800 mg 1日2回投与の用量が用いられていた。投与期間の中央値は11日だった。陽性確認日および入院日から投与開始日までの中央値はそれぞれ2日と1日だった。
( → ファビピラビル観察研究中間報告 )
ここでは、こうある。
「投与患者の92.8%で1回1,800 mg 2回の後、800 mg 1日2回投与」
つまり、無症状患者を含めて、大部分の患者が「1日目に大量投与する」というふうに投与されている。
しかし、これは好ましくない。なぜか?
そもそも、「1日目に大量投与する」という投与法は、「患者がすでに高熱を発している」ということを前提とした投与法だ。患者がひどい症状を発しているから、「副作用の出ない範囲内」で、できる限り多くの薬剤を投与しようとするわけだ。これはまあ、薬剤投与の基本である。
しかるに、今回の治験は違う。1日目から投与された患者のほとんどは、この時点では高熱を発していない。患者の半数は無症状だし、残りの半数のうちでも相当多くが高熱を出していない。なのに、そういう軽い症状のまま、「1日目に大量投与する」というふうに投与されることになるのだ。(初期投与群では。)
この場合には、二つの問題が生じる。
・ 1日目には、発症しておらずに必要もないのに、大量投与される。
・ いざ高熱になったあとで、(すでに1日目に大量投与済みなので)大量投与をする機会を失う。
前者は、副作用の恐れがあるので、有害である。
後者は、最適の治療効果を得る機会を失うので、有益さの喪失となる。
そのいずれも患者にとっては不利なので、こういうことは本来、あってはならないのだ。(患者をモルモットにするな、ということ。)
(6) 最適な投与とは?
すぐ前の (5) では、悪い例を示したので、次に良い例を示そう。アビガンの正しい投与法とは、こうだ。
・ 無症状のうちは、投与しない。
・ 発熱したあとも、高熱でないうちには、投与しない。
・ 高熱になったら、投与する。
・ 大量投与(1回8〜9錠)は、高熱になった直後。
ここで言う「高熱」というのが、38度、39度、などのうち、どれが最適かは、今はまだ判明しない。ただ、遅いと危険が生じることもあるので、38度を超えたあたりで投与するのがいいだろう。
ただし、早すぎると、最適の機会を逃すという「空振り」っぽくなるので、「急いては事を仕損じる」というふうにもつながる。
いつごろが最適であるかは、現状では未判明なので、今後、データを得るとよさそうだ。
なお、ただし、年齢や、基礎疾患の有無で、危険度の高い人については、いくらか早めに投与した方が良さそうだ。(早めの投与で死ぬことはないが、遅めの投与だと死ぬことがあるので。手遅れになることはある。)
※ アビガンは重症化してから投与するものではなく、重症化する前に投与することで、重症化を防ぐ薬だ。そこを理解するべきだ。さもないと、患者を死なせることになる。
→ アビガンを早期投与せよ(少量で): Open ブログ
※ 以下は補足的な話。
[ 付記1 ]
藤田医大の治験の方法では、もともと限界がある。そこでなされるのは、「初期投与の効果」の有無である。対比群は、「途中投与」である。その上で、
「初期投与群は、途中投与群よりも、治療成績が良い」ということを証明しようとしている。
しかし、こんなことをいくらやったところで、「アビガンの有効性」を証明したことにはならない。
つまり、この治験では、最大限の成果が出たとしても、「アビガンの有効性」は証明されない。
※ もともと別のことを証明しようとしているからだ。
詳しくは下記。
→ アビガンの治験が終了 2: Open ブログ
[ 付記2 ]
では、正しい治験は、どうするべきか? それは、簡単だ。二重盲検法で試験すればいい。(当り前だ。)
ただしそれは、日本では実施できない。なぜなら、アビガンに有効性があるとした場合、「アビガンだ」と称してプラセボを与えることは、患者に著しく不利益だからだ。これはまさしく正真正銘の人体実験となる。こんなことを国内でやれと推奨しているのは、マッド・サイエンティストぐらいだろう。
→ アビガンで人体実験するな: Open ブログ
実際、そう主張している人は、忽那賢志・医師以外にはいない。
つまり、国内では、二重盲検法で試験することはできない。(人間をモルモットにすることはできない。)
[ 付記3 ]
ただし、日本では二重盲検法で試験することはできないが、海外ではそれが可能だ。なぜか? 海外では人間をモルモットにしてもいいからか? 違う。海外にもともとアビガンはないからだ。
・ 日本 …… 希望者の全員が無償でアビガンを受けられる。
・ 海外 …… 希望してもアビガンの処方は不可。(未承認薬)
日本では、原則は「アビガンあり」であり、治験を受けた場合には半分の確率でアビガンを得られない。つまり、半分の確率でマイナスになる。( ○○ → ○● )
海外では、原則は「アビガンなし」であり、治験を受けた場合には半分の確率でアビガンを得られる。つまり、半分の確率でプラスになる。( ●● → ○● )
というわけで、原則が ○○ であるか ●● であるかによって、○● というふうになることの評価は異なるわけだ。
※ 似た例で言うと、毎回 100点を取る秀才には 50点は悪化だが、毎回0点を取る馬鹿には 50点は改善だ。
というわけで、アビガンを二重盲検法で試験することは、「日本では悪だが、海外では善だ」ということが成立するわけだ。
[ 付記4 ]
日本では二重盲検法はできないが、プラセボを用いない形の対比試験ならば可能となる。なぜなら、日本にもアビガンを投与されない人がいるからだ。
日本では、希望者にはアビガンが投与されるが、希望しない人にはアビガンが投与されない。そこで、
・ 希望する人 (投与される人)
・ 希望しない人(投与されない人)
とを分けて、対比すればいい。
この場合、本人も医者も、「アビガンを投与されたか」を知っているので、二重盲検法にはならない。しかし、コロナはプラセボでも治療効果が出るような病気ではないので、二重盲検法でなくてもいいのだ。
※ 「いや、二重盲検法でなくてはダメだ」という主張が成立するのなら、プラセボでも効果が出るということなのだから、コロナの患者には砂糖玉でも与えればいいことになる。つまり、ホメオパシーだ。
※ つまり、二重盲検法にこだわるような人は、ホメオパシー信者ぐらいなのだ。
→ コロナはホメオパシーで治る ?: Open ブログ
※ 現実には、「コロナはホメオパシーで治る」というようなことはないのだから、二重盲検法でなくてもいいのだ。
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とはいえ、二重盲検法でなくてもいいからといって、いい加減な統計処理をしていいということにはならない。十分、統計処理に注意する必要がある。その方法は、選挙のときの「層化抽出」という方法が参考になる。
つまり、統計的な偏りが生じないように、患者の属性をきちんと分類しておいて、そこからサンプルを抽出するべきだ。たとえば、年齢や性別や健康状態などで属性ごとに分類して、それぞれの属性から無作為抽出すればいい。
この処理をしないと、サンプル集団そのものに偏りがあるときに、その偏りが排除されなくなる……という危険が生じる。
たとえば、「アビガンなし」を希望する人には、若い妊婦が多くなるので、結果的に若いサンプルが多くなり、そのせいで、若さゆえの健康さが結果に反映されてしまう……というような歪みが考えられる。
そういう問題(統計の偏り)を排除するように、「層化抽出」の考え方が必要となる。
ともあれ、そういうふうにすれば、二重盲検法でなくとも、十分に信頼性のある対比試験が可能となる。
[ 付記5 ]
二重盲検法が必要なのは、治療効果の評価に(主観的な)「自己判定」が含まれる場合である。自己判定が含まれると、「薬を飲んだから効いているはずだ」という思い込みのせいで、「効いている」というふうに自己判定しやすい。
一方、コロナの場合には、自己判定でなく(客観的な)検査によって治療効果の評価がなされる。つまり、PCR 検査でウイルスが「ある/ない」という判定がなされる。ここでは、本人の思い込み(主観)は影響しない。本人がどう思うかに関係なく、PCR 検査の結果は決まる。だから、こういう場合には、二重盲検法は特に必要ないのだ。二重盲検法を採用しようがするまいが、PCR 検査の結果は同じになるからだ。
※ 仮に二重盲検法が必要になるとしたら、本人の思い込みによって PCR 検査の結果が左右されることになる。これでは「心理的な念力によってウイルスを撲滅する」という超能力が実現していることになる。もはやオカルトだ。だから、「コロナでは二重盲検法が必要だ」と言っている人は、オカルト信者も同然なのだ。非科学的すぎる。(オカルトというより、トンデモかもね。だから、忽那賢志がそういう立場を取るのは、仕方ないかも。二重盲検法を盲信して、アビガンの効果を否定するのは、オカルト信者であるとすれば、当然であるわけだ。)
【 追記 】
本文を修正したが、修正箇所はごくわずかだった。
冒頭のあたりで、「今回の治験では」という箇所を、「藤田医大の治験では」というふうに、1箇所書き換えるだけで済んだ。話の対象を切り替えるだけだった。
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ただ、そうとなると、今回の治験(富士フイルムの分)については、何も言及していないことになる。そこで、新たに言及しよう。
富士フイルムの治験では、「単盲検ランダム化多施設共同比較試験」となるそうだ。
被験者を、抗菌薬や輸液などの標準治療にファビピラビルを上乗せする群または標準療法にプラセボ(偽薬)を上乗せする群に割り付け(割り付け割合は非公表)、観察期間である28日間、ファビピラビルの有効性、安全性を評価する。
( → 富士フイルム、新型コロナに対する「アビガン」の治験の詳細が明らかに:日経バイオテクONLINE )
これはただの人体実験だろう。藤田医大の方は、6日目からアビガンの投与を受けるが、富士フイルムの方は、半数はアビガンの投与を受けられないことになる。場合によっては、死ぬ。げげげ。
まともな人間ならば、こんな危険な治験を受けるはずがないのだが。特に、高齢者ならば。
まあ、若い人ならば、死ぬ可能性は低いし、たとえ重症化しても途中でアビガン投与に切り替えることはできるだろうが、倫理的にはきわめて問題の多い治験だと言える。
藤田医大の方については、本項で「医学的な問題」を指摘したが、富士フイルムの方は、もっとひどかった。「医学的な問題は少ないが、人倫にもとる鬼畜のごとき所業をなしていることになる。マッド・サイエンティストそのものだ。
富士フイルムは、「この治験に参加すると、アビガンの投与を受けられずに、死ぬ可能性があります」ときちんと告知したのだろうか? きわめて疑わしい。
( ※ 「抗菌薬や輸液などの標準治療」と記しているが、標準的治療がそれだったのは、この治験の実施を決めた4月1日の時点のことだ。その後、高熱患者にとっての標準治療はアビガン投与になったのだから、治験の参加者の半数は、標準治療を受けられないことになる。……このことをきちんと告知するべきなのだが、告知していないはずだ。告知されたら、誰も治験に参加しないはずだからだ。会社としては、社会的責任の問題となるね。)
( ※ つまり、4月中にならこの治験をすることも許容されたが、アビガン投与が普通である8月になってこの治験をすることは「正確な告知なしの治験」になるので、不当だ、ということ。)
( ※ ただし、別の疑いもある。「アビガンなんて有効でない」とキャンペーンをした医者が多いことだ。このせいで、「アビガンなんて有効でない」というのが業界常識になれば、「アビガン投与なし」が特に悪いことではなくなる。すると、プラセボ投与の治験が正当だということになる。……そうか。さては、それが狙いだったか。彼らは富士フイルムの回し者だったのか。 [皮肉だが](^^); )
患者数が一時的に減少して6月終了予定が治験延長になっていた物です。単盲検試験で藤田医大とは異なる方法ですが。
ただし、それだと、富士フイルムの治験への言及が何もなくなってしまうので、富士フイルムの治験については、最後に 【 追記 】 を加筆しました。
アビガンの効果を確認する治験でなぜそのような同意をとる必要があるのでしょうか?結論ありきの治験に意味はありませんが。
そんなことは私は言っていない。勝手に捏造するべからず。
また、盲検なんだから、本人がどう思おうと、関係ない。本人は自分がアビガンを投与されたかどうか知らない。
https://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i-kenkyu/rinri/0504sisin.html
所謂インフォームドコンセントというやつですね?
人試験をする場合に頭に入れておかないといけないものですが、これが結構ややこしい(-.-)Zzz・・・・
本当に効き目が高ければ途中から全員投与になるでしょうからそれまで待つしかないのでは。
偽薬と無投薬で差が出るかは、両方の治験をしてみればわかるはずだが、たぶんほとんど差が出ないだろうというのが私の見込み。
> それまで待つ
待つ間に大量の死を放置する(手をこまぬいている)というのが、馬鹿な司令官を持った国民の悲惨な運命。
トランプ大統領の米国では 17万人の死者。そういうのを甘受しますか?
それだと、もしかしたら、あなたはすでに死んでいるかも。「死んで良かった」と思うか?
アビガンはインフルの時もタミフルより効いてないっぽいけど、無投薬よりは多少効くかもね、というレベルだったんで効果はしっかり確認してほしいかなぁ、と思います。
タミフルは、インフルエンザA型に特化したタイプなので、薬効も強いが、インフルエンザが少し変異すると、すぐに無効になった。(耐性ウイルス) また、B型、C型には最初から無効。
アビガンは幅広いウイルスに弱く効く。効果はタミフルの3分の1ぐらいだから、悪くはない。アビガンの効果の大きさは、自校で記してあるので、そちらを参照。
タミフルは重症化も致死率も下げる効果も確認されず、ウイルスが1日早く消えるだけですが今はとりあえず全てのインフル患者に出されますんで、こういう薬が増えると保険制度に悪影響かなと。
かなりぶっちゃけて言うと、自分は三十代なんでコロナで死ぬ
リスクはそう高くないですが、保険制度が破綻するリスクは無視できるものではないと考えてるんで、あんまりむやみやたらに薬を認証してほしくないなぁ、という立場からの意拳です。
盲県で「この治験に参加すると、アビガンの投与を受けられずに、死ぬ可能性があります」なんて同意取れるわけないでしょう。これ同意自体が試験に対する患者へのバイアスになります。
>> そんなことは私は言っていない。勝手に捏造するべからず。
この治験に参加すると、アビガンの投与を受けられずに、死ぬ可能性があります」というのは「アビガンに効果がある」という前提での同意でしょ?アビガンに効果の有無が不明だったらこんな同意はいらない。単に、偽薬と実薬の投与に関する試験プロトコルと、実薬投与された場合のリスクに関する同意だけでいい。
それが認められるならばそもそもプラセボ群用意して、実験管理者と投与者を分けて、なんて面倒なことしないですよ。
違いますよ。「たぶん効果があるだろうが、未確認」という意味です。あらゆる治験がそうです。
> それが認められるならば
[ 付記5 ]で説明済み。ちゃんと読みましょう。
なお、アビガンの治験では、未承認薬がすでに使えるようになっている、という点に注意。
通常の治験では、治験に参加しないと、その未承認薬を使えない。だから、治験に参加することには、利益がある。
一方、アビガンの場合には、治験に参加しなくても、未承認薬を使える。治験に参加すると、アビガンを使えなくなることがある。メリットはなく、デメリットだけがある。
こんなものに参加するのは、インフォームドコンセントを守らないまま、だまされた患者だけだろう。よほどの馬鹿が、理解できないまま、参加しているだけだ。(あるいは、自殺志願者だけだ。)
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実を言うと、この治験が初めて実施された時点では、アビガンは一般的に利用できなかった。だから、治験に参加することには、意義があった。
しかし5月上旬以後、適応外使用が拡大されたので、もはや治験に参加することには意義がなくなった。
状況が変化したのに、以前の状況で決められた仕方で、治験を継続しているわけだ。ほとんど詐欺的なインフォームドコンセントをしていると言えるだろう。