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まずは棋譜。
これはとてもよい対局で、(渡辺の)名局と言ってもいい一戦。解説記事を読みたい人が多いだろうが、ネットには見当たらないので、私が解説を書く。
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ネットでは「▲5三歩が焦点だった。これをどの駒で取っても、後手が不利になる」というふうに解説されている。それはそうだし、対局した二人も当日の感想で言及している。
渡辺: (反撃となる73手目▲5三歩は2分、続く▲7四歩は3分とわずかの消費で)攻められ方としては2通りぐらいだったんで、一応、攻められた時の対応は考えてはいたんですけど。
豊島: 封じ手のあと2日目は)▲5三歩といいタイミングで打たれてしまったので、ちょっとよくなかったのかもしれません。あのタイミングで▲5三歩打たれるのが、まあちょっと軽視していました。
(渡辺挑戦者について感じたことは)考えてない手を指されることが多かったので、勉強になったというか
( → 渡辺明新名人「自分には縁がないのかなと思ってた」名人戦七番勝負第6局終局後インタビュー(松本博文) )
この場面については、渡辺明ブログにも言及がある。
図から△75歩▲同歩△同銀は▲76歩で追い返せるため後手は工夫が必要ですが
△75歩▲同歩△86歩には▲76金の強防があり、本譜の△86歩▲同歩△75歩には▲53歩で戦える、という構図。
これらは封じ手を終えて考えている中で整理できたことで、▲53歩、▲74歩という歩の手筋で桂損でも戦えるという読みでした。
( → 渡辺明ブログ )
なるほど。本人はそう思っていたのか。封じ手は豊島の△6三金だったので、その後、じっくり研究しているうちに、▲5三歩を考えたらしい。
これを考えたのが、渡辺本人なのか、ソフトなのかは、知りません。ソフトを使ってもいい、というのが、現在の制度だ。(¶)
まあ、渡辺がソフトを使うとは思えないけどね。また、使ったとしても、▲5三歩が特別な妙手というわけでもない。
※ 本項末のリンク先を参照。
¶ これは間違いでした。コメント欄を参照。
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以下では、私の感想を書こう。
※ 盤面の図は下記にある。
→ 第78期名人戦 第6局 豊島将之vs渡辺明 速報&AI形勢判断
(1)
まず、終了図では、次のことが目に付く。
1筋では、先手の歩が1三にあって、玉の退路をふさいでおり、直接、詰みに効いている。「王の逃げ道をふさぐ」という効果だ。一方、後手の歩は、何の役にも立っていない。(1筋では。)……ここでは、双方の歩の働きに大差がある。先手はあらかじめ入念に、脇を固めておいたわけだ。(あとで大技をかけたときに、それが効果を発する。)
(2)
途中、△7四金と出た場面では、後手の金銀が4段目に浮いており、玉の囲いがきわめて貧弱である。これでは、裏に大駒を打たれたら、ひとたまりもない。
(3)
その後、先手は2四で角交換をして、角を敵陣に打ち込むことが可能になった。これで、大技が決まったも同然だ。実際に角を打つのは、もっとあとになってからのことだが、角を手持ちにした時点で、もはや勝敗の趨勢は決まったと言える。
(4)
この (2) 〜 (3) という流れが、先手の狙いだった。そのために、途中で工夫した。
・ ▲6四歩で、銀を4段目に引き上げた。
・ 桂損を覚悟で、7筋の歩を取らせてから、▲7四歩で、金を4段目に引き上げた。
つまり、(2) では後手がきわめて悪形になっているが、その悪形は、(4) において先手が意図的に引き寄せたものである。(作戦勝ち)
(5)
こうして後手を悪形にした(陣地がスカスカになった)あとで、すぐに角を打ってもいいのだが、そこは急がずに、含みにしておいた。まずは飛車を切って、4四の銀を奪うと、その銀を4一に打って、詰めよをかけた。
ここで詰めよがかかっているのは、▲3一角(打ち)が可能になっているからである。同時に、1筋の歩がはっきり効いている。(この歩がなければ、詰めよにならない。)
ともあれ、この時点で、大技が決まった。将棋で言えば、一本勝ちだ。AI の評価値も、この時点で大差が付いた。
→ 第78期名人戦 第6局 豊島将之vs渡辺明 速報&AI形勢判断
(6)
最後にいよいよ、含みにしておいた▲6三角打ちを実行した。ここで、金取りだけでなく、玉を詰ませた。早めに角を打つと、ただの金取りや銀取りになるだけだが、先に飛車を切っておいた効果で、金取りや銀取りと同時に玉を詰ませる効果も生じた。かくて、詰みとなった。
(7)
以上において先手が優れているのは、大局観である。
・ 1筋を詰めて、玉の逃げ道をなくした。(あとで大技をかけるため。)
・ 駒損を覚悟で、敵陣の金銀を浮かせて、敵陣を弱体化した。
・ 角を交換して、角を敵陣に打ち込めるようにした。
・ 飛車を切ってから、一挙に詰めよをかけて、勝ちを決めた。
・ 含みにした角打ちを実行して、玉をしっかり詰ませた。
これはまあ、流れるようにきれいに決まった「一本勝ち」というところだ。決して▲5三歩という一手の効果で勝ったわけではない。その効果は全体の一部であるにすぎない。
先手は大局観による大きな構想のなかで、飛車や角をうまく使い込んで、敵陣の急所に激痛を与える駒を打ち込んだのだ。(駒を移動させたのではなく、駒台から盤面に打ち込んだ。)
こういう勝ち方って、気持ちよさそうですね。羽生や谷川が「妙手一発で決めた」というのに似た快感がある。
最後の終了図では、先手陣はびくともしない堅牢さである一方、後手はまわり中が敵だらけだ。目障りな(先手の)銀 or と を金で取り除けば、そのとたんに角筋が通って、玉が詰んでしまう。かといって、2二に玉が逃げれば、▲4二馬と走られて、詰めよがかかる。(金を取られたせいで、詰めよとなる。)
最後はあまりにもひどい大差となっている。
先手にとって「快勝」というのにふさわしい一局だ。観客としても、豪快な一本で決まったのが見られて、「見応えがあった」という快感がある。
(7)
では後手は、どうすればよかったか?
私だったら、何とかして、先手の構想をつぶそうとしただろう。
・ ▲5三歩には、悪いながらも、6四の銀で取ってから、後手陣を固め直す。
・ ▲2四角には、△2二角と引いて、角交換を拒む。角は2二にある方が、先手の玉を直射できるので、効果的だ。
・ 5五の歩を、5六に伸ばして、後手の角筋を通す。
(△7六歩で、金を浮かせるのを狙う。△2二角の効果。)
全般的には、後手は構想ができていなかった。局所的な駒の働きばかりを考えていて、大局的な構想が不十分だった。その点で、渡辺の構想に、まんまと嵌まってしまったと言える。
これはまあ、後手が弱いというより、先手が強すぎた。というか、今回は構想と大技がうまく決まった。こんなにうまく行くことは、そう滅多にあるもんじゃない。
渡辺にとっては会心の一局と言えるだろう。
( ※ 藤井にやられた分を、豊島にやり返した感じだ。「倍返しだ!」てな感じで。)
[ 訂正 ]
▲2四角には△2二角がいい……と述べたが、これはまずいですね。▲2三歩と打たれて、敗勢になる。
▲2四角には、△2三歩▲3三角成△同銀として、後手は順当に銀を引いて自陣を固めるのがよさそうだ。あとは△5六歩▲同銀△3九角を狙いにしておけば、先手も忙しくなりそうだ。
[ 付記 ]
なお、もっと面白いのが、第3局だ。
前半で大差が付いて、先手の歩が3枚を並んで、後手陣に迫った。形勢に差が付きすぎたので、後手の渡辺は、投げ出したくなったそうだ。
ところがその後はじわじわと差を詰めて、巧妙な罠をあちこちに仕掛けた。「一歩間違えば頓死」という罠を、いっぱい仕掛けて、先手の玉を追い詰めた。
→ 豊島が2勝目 第78期将棋名人戦七番勝負 第3局第10譜:朝日新聞デジタル
図の局面は秀逸だ。△3七竜と王手をかけて、追い詰めた。ここで先手が▲3六金と打ち込んで、「かろうじて一息つけた」と思ったら、そのとたんに先手は詰んでしまうのだ。何という巧妙な罠。
それらの数多くの罠を、豊島はすべて間一髪の差で切り抜けて、勝利のゴールにたどり着いた。ほとんど息も絶え絶えに、という感じで。
最終的には豊島が勝ったが、渡辺の息も継がせぬ攻撃は実に迫力があった。「良いショーを見せてもらった」という感動がある。
なお、詳しい解説は、朝日の解説記事にある。「なるほど、そういう罠があったのか」と教えてもらえる。
剣豪同士が間近で刀で打ち合って火花を飛ばしているような、豪快なショーが見られた。非常に楽しい一局だった。
【 関連サイト 】
→ 深夜0時半、妙手うかんだ渡辺明新名人 襲う疑心暗鬼:朝日新聞
→ 前夜にひらめき、渡辺の好手 第78期将棋名人戦第6局:朝日新聞
「夕食を終え、ホテルの部屋に戻ったのが午後8時ごろ。それから午前0時半ごろに寝るまで、先の展開を考えていた」
どうすればリードを奪えるか――。苦心するうち、ある妙手がひらめく。後手の三つの駒が利いている場所に放つ73手目▲5三歩(B図)だ。△同銀右と△同金は後手の攻撃態勢が崩れる。△同銀左は▲4五桂の両取りがかかる。
ただ、解説とは直接関係ありませんが、少し気になったのは以下の記述。
>これを考えたのが、渡辺本人なのか、ソフトなのかは、知りません。ソフトを使ってもいい、というのが、現在の制度だ。
> まあ、渡辺がソフトを使うとは思えないけどね。また、使ったとしても、▲5三歩が特別な妙手というわけでもない。
対局前にこの局面を研究していた可能性がある、という意味にはとれないと思いましたので。
「追記」からも渡辺二冠は、1日目の夜に考えたということですし。
例の三浦九段の事件から対局中の電子機器使用、外部との接触は一切禁止です。
ちょっと古い記事ばかりですが、以下のようにかなり厳しい規制が取られていると思います。
https://www.shogi.or.jp/news/2017/04/75_2.html
第75期名人戦における電子機器の取り扱いについて(更新:2017年04月03日 12:25)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG05H6T_V01C16A0CR8000/
将棋のプロ公式戦、スマホ持ち込み禁止 不正防止
https://www.j-cast.com/2016/10/06279977.html?p=all
「棋士が初日に預けた電子機器を受け取れるのは、対局がすべて終了した後になる予定です」
1日目の帰宅後に、自宅のパソコンを使うのは、どっちみちチェックできないので、禁止項目には入っていないはずです。
ただし実際には使っていないはず。そういう趣旨。
そもそもこの将棋の勝敗を決めたのは、5三歩よりも、7四歩でしょう。谷川さんもここに着目していました。
>1日目の帰宅後に、自宅のパソコンを使うのは、どっちみちチェックできないので、禁止項目には入っていないはずです。
今回は関西将棋会館が対局場です。
対局者は、夜もホテルに缶詰めです。主催者の送り迎え付きで。電子機器は2日目が終わるまで預けっぱなしです。これは対局場が東京の将棋会館でも2日制タイトル戦ならホテル缶詰めのはずです。
プロの解説を聞いても半分も理解できないレベルですが、
>▲7四歩で、金を4段目に引き上げた。
▲7四歩がキモだというのも納得です。たまに南堂先生の解説を書いてくれるのも楽しみになりました。ありがとうございます。
そうだったのか。それは知りませんでした。情報をありがとうございました。
自宅へ帰宅だとばかり思っていたが、しっかり対策しているんですね。
▲2四角には、△2三歩▲3三角成△同銀として、後手は順当に銀を引いて自陣を固めるのがよさそうだ。
△2三歩をソフト「水匠2」で15億局面深さ60手まで読んでみましたが、▲2四角に△2三歩とすると▲3三角成で一気に後手敗勢になるようですね。
▲3三角成に最善手は13億局面54手読ませて△同金。
逆に△2二角は17億局面深さ55手まで読ませても最善手です。
>>▲2三歩と打たれて、敗勢になる。
ならないようです。この局面で先手の最善手は10億局面探索させて、▲7五歩。
そう言えばそうだ。角交換をしたあと、▲6三角があるから、一気に後手敗勢になってしまう。だから△2三歩はダメですね。(手番を取られるのがまずい。)
先に述べたように△2二角がいいのでしょう。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14618222.html
> ▲7四歩が大きな手。豊島は「夜の時点で▲5三歩の筋は考えていたけど、図で打たれるのは軽視していました。△7六歩と取り込ませて▲7四歩と打つ組み立てに、気づいていませんでした」と振り返った。